聖女の雪洞
197話
俺の妨害工作のおかげでイヴァン皇子はまだ動いていない。
しかしウォーロイ皇子は援軍を求め続けていて、二人の関係は微妙にぎくしゃくし始めていた。
ウォーロイ皇子からの援軍要請を握り潰し、逆にイヴァン皇子からの援軍の申し出を握り潰す。
だから二人はお互い、「なんで援軍を送ってくれないんだ?」「なんで援軍を拒否するんだ?」と、不思議に思っているところだろう。
とはいえ、毎回うまくごまかすために文面を考えるのも楽じゃない。
変なことを書けば一発でバレる。
綱渡りの連続だ。
密書のすり替えも楽ではない。
密使たちの侵入ルートもだんだんわかってきたし、彼らの匂いも覚えたので、待ち伏せ自体は余裕をもってできるようになった。
ただし密書のすり替えを気づかれてはいけない。ハマーム隊が夜中に宿に忍び込んだり、ラシィが幻覚で注意をそらしたりして、あの手この手で苦戦している。
手が足りなくなってパーカーまで動員しているぐらいだから、密使追跡隊の苦労がわかるというものだろう。
「死霊術には生命力を大きく減衰させる魔法があるんだ。本来は死の世界を垣間見るためのものだけどね。これで一時的に貧血みたいにしてから、救護するふりをして……ヴァイト、聞いてるかい?」
「その方法は何度も使えないだろうから、いずれ封印だな。今のうちに次の手を考えてくれ」
「君、平気で無茶言うね……あとまだ六通りぐらい用意してるからいいけどさ」
頼もしい兄弟子殿だ。
ちなみにイヴァン皇子の本物の手紙は、「不足している物資はないか?」とか「城兵は適度に休ませ、お前の裁量で娯楽も許可してやれ」とか「籠城戦をさせて済まない、私は良い弟を持った」とか、弟や将兵を気遣う文が書き連ねられている。
性格はだいぶ違うが、仲の良い兄弟らしいな。
前世でも今世でも俺には兄弟がいないから、ちょっとうらやましい。
なお密書の文面は符丁で隠蔽されているが、こちらの陣営には専門家のカイトがいる。
「偉い人の思いつくネタって、どこも同じですよね」
この手の機密書類を山ほど見てきた我が副官は、溜息混じりにそうコメントした。
この世界の暗号はまだまだ単純なものだから、カイトの手にかかれば簡単に解読されてしまう。
カイトの観察力と豊富な知識に基づく分析力、そして達人の域に達している探知魔法。
隠密と追跡に長けた人狼たちが、それをサポートしている。
今のところ、諜報戦は魔王軍が有利のようだ。
仲の良い兄弟を分断するのは気が引けるが、これも戦争だ。
さて、今回はどう文面を細工しようか。
そんなことを考えながらエレオラ軍の本陣に戻ると、ちょうどエレオラが何か報告を聞いているところだった。
「ヴァイト卿、いいところに来た。先ほどウォーロイ皇子に送った使者が戻ってきたところだ」
「使者? 降伏勧告でもしたのか?」
するとエレオラは、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「貴殿は今、兄弟の仲を裂こうとしているのだろう? それを手伝おうと思ってな」
俺は少し考え、なるほどと納得した。
「ウォーロイ皇子がエレオラ軍と交渉をしている様子を見せれば、イヴァン皇子は疑問を抱くだろうな」
「ああ。ただでさえウォーロイ皇子は、貴殿に好意を示している。イヴァン皇子は貴殿と弟が秘密協定を結んでいるのではないかと、徐々に不信感を抱くだろう」
策としてはよくあるものだが、疑心暗鬼に陥りやすいロルムンド人には効果的かもしれないな。
やがてイヴァン皇子からは、「最近エレオラ陣営と頻繁に交渉をしているようだが、何かあったのか?」という密書がやってきた。
俺はこれを偽の密書とすり替え、質問の部分を全部削除してやった。
ウォーロイ皇子は兄の質問を知らないので、これに対する返事には何も書かれていない。
これを素通しすると、イヴァン皇子からは再度「エレオラ陣営との交渉について、説明を頼む」と問い合わせが来た。
この質問も握り潰す。
そしてまたイヴァン皇子から、「エレオラ皇女、あるいはヴァイト卿との間に何かあったのか? お前の判断を尊重するので、詳細を教えてくれ」という密書が来た。
イヴァン皇子からの文面が徐々に疑心暗鬼に彩られてきたので、俺はニヤリと笑う。
もちろんこれも握り潰してやる。
「仲良いですよね、この兄弟」
カイトがつぶやくので、俺もうなずいた。
「正直、こんなことしてると後ろめたい気分になるな。しかしイヴァン皇子とウォーロイ皇子の結束が強いと、この戦いに勝てそうにないんだ」
こちらはアシュレイ皇子とエレオラ皇女がいるが、二人はあくまでも一時的に同盟を結んでいるだけだ。
ここは心を鬼にして、ドニエスク家の兄弟仲を引き裂く必要がある。
イヴァン皇子は少しずつだが、「弟はエレオラ陣営の口車に乗せられて、戦意が低下しているのでは?」という懸念を抱きつつある。
一方ウォーロイ皇子も「兄貴はいつまで経っても援軍を送ってこない」と焦れているようだ。
さて、後は湖上城を攻め落とす策でも考えるか。
氷が溶ければ軍船が動き出して湖岸を遊撃してくるようになる。移動要塞みたいなものだから厄介だ。
一方こちらに軍船はないので、兵を送り込むことができなくなってしまう。
「なあヴァイト、こんなの続けてていいのか? 春になっちまうぜ」
非番のジェリクがエレオラ軍の武器を点検しながらつぶやいたので、俺はうなずいた。
「春になって雪が溶ければ、ミラルディアから援軍を呼ぶこともできる」
「できるのか?」
「……と、敵は思っているだろう」
ミラルディアから長期の遠征が可能な戦力は、人間側がせいぜい数千。
魔王軍も同じぐらいだが、見た目の問題でロルムンドが大混乱に陥るだろう。
だからミラルディアからの援軍で戦況が大きく好転することはない。
しかしミラルディアの実態はほとんど知られていないので、今ごろウォーロイ皇子は悩んでいるはずだ。兄に宛てた密書にも、ミラルディア軍について何度も触れている。
敵を侮らない父親譲りの慎重さが、今回は裏目に出ているようだ。
ジェリクはクロスボウの太矢を手に取り、矢が曲がっていないか一本一本点検する。
「春になると氷が溶けて、湖に入れなくなっちまうぜ。こっちにゃ船はないんだろ?」
「ああ。いざとなったら軍船を造らせるが、絶対妨害されるだろうしな」
実際は、あんまりのんびりもしていられない。
今は厳寒期だ。前世の暦でいえば一月ぐらいだろうか。
ロルムンドに春が来るのは五月になってからだから、まだしばらくは雪と氷の戦場で戦える。
しかし兵も疲れてきているから、それまでには決着をつけたい。
「えーと、こんなもんかな?」
「ありがとう、ナタリア!」
遠くからナタリアとラシィの声が聞こえてきたので、俺はそっちを振り返る。
見ればナタリアが立派なかまくらを完成させたところだ。
俺が以前に造ったものより本格的で、換気用の天窓や入口を仕切るカーテンまでついている。
ナタリアはかまくらに冷却魔法をかけて補強しつつ、誇らしげに笑った。
「ラシィ、入ってごらん。ロルムンドの猟師たちは一冬これで過ごすんだよ」
ラシィはかまくらに入って、中ではしゃいでいる。
「すごく立派です! わぁ、あったかい! 懐かしい!」
ああ、ラシィもミラルディア最北部の出身だからな。同じようなものがあるんだろう。
ミラルディア人に褒められて嬉しいのか、ナタリアは冷却魔法でかまくらをガチガチに補強している。
そういえば彼女は魔撃大隊の一員、つまり魔術師だ。
彼女が所属する重狙撃小隊はパワー重視だから、全員が破壊術師だろう。破壊魔法は魔力の消費が激しいから、破壊術師の魔力保有量は大きいのだ。
そして冷気を操る魔法は、破壊魔法の系統に属している。
俺の視線に気がついたのか、ナタリアが照れくさそうに笑いながら敬礼してくる。
「あ、失礼しました! ラシィ殿の要請で、退避用の雪洞を建設したところであります!」
どうみても遊んでいるけど、まあいいか。二人とも非番だしな。
しかしラシィは誰とでも仲良くなるなあ。
「ナタリア殿、これは立派だな」
「はい、自分が最も得意とする冷却魔法で固めました! 強度は保証します!」
俺はナタリア謹製のかまくらに触ってみる。雪がガチガチに凍っていて、見た目より強度がありそうだ。
なるほど、確かにこれぐらい頑丈なら一冬いけるだろう。クロスボウの矢でもなら簡単に止められるだろう。
ん?
俺はナタリアの顔をまじまじと見る。
ナタリアはニコッと笑い、首を傾げた。
「なんでしょうか、ヴァイト卿?」
「魔撃兵は全員、これぐらいのものが作れるのかな?」
するとナタリアは少し考え込む。
「そうですね……重狙撃小隊なら、全員が破壊術師ですからいけると思います」
「エレオラ殿の配下にいるのは、第二〇三から第二〇九までの魔撃大隊だったな。重狙撃小隊員の総数は?」
「はい。どこの大隊も重狙撃小隊をいくつか持ってますから……全部で三百人か四百人ぐらいでしょうか」
エレオラによって魔撃兵器が実用化されるまで、魔術師たちが戦場に駆り出されることは少なかった。せいぜいが偵察や伝令などで、数人いれば足りたのだ。
しかし今、ここには数百人の魔術師が集められている。
これは何かに使えそうだな。
※明日1月17日(日)は更新定休日です。