戦争売りの人狼
191話
ノーデグラート会戦におけるアシュレイ軍の損害は甚大だった。
およそ三万の軍勢のうち、損失が五千。これは戻ってこなかった将兵の総数だから、戦死者や逃亡者、捕虜などだ。
対するウォーロイ軍の損失は千ぐらいと推定されている。元々が四万ほどだから、ほぼ無傷といっていい。
「でもまだ全滅した訳じゃないんですよね?」
帝都まで帰ってきた俺たちに、ラシィが温かい紅茶をいれてくれる。
俺はそれを一口飲んで体を温め、彼女に悪戯っぽく質問を返した。
「じゃあ次に両軍が同じように戦ったら、数はどうなる?」
ラシィは少し考え、よどみなく返答する。
「三万九千対二万五千になりますね。……あ、ダメだ」
彼女が気づいたようなので、俺はうなずく。
「今回よりも戦力差が大きくなってるだろ? 今回でさえ負けてるのに、次勝とうと思ったら大変だぞ」
「なるほど……」
もちろん両軍ともに兵は補充するだろうし、戦場や戦術も今回とは異なるだろう。
ただ、今回以上に厳しい戦いになるのは確実だ。
宮殿に出入りしているレコーミャ卿からの連絡によると、アシュレイ軍は平地での戦闘は断念して帝都周辺の城で籠城戦をするつもりらしい。
俺は茶菓子のスコーンをつまみながら、ラシィに教えてやる。
「アシュレイ軍は籠城して、数の不利を補うつもりだ。城攻めにはだいたい、防御側の三倍から五倍の兵が必要だといわれている」
「そんなにたくさん!?」
「俺も城攻めなんて専門外だし、よくわからないけどな。攻める方は何日も野営しなきゃいけないし、いつ敵が城から出撃してくるかわからないから、案外大変らしい」
すると横からカイトがつぶやく。
「でもほら、包囲して相手の食糧がなくなるまで手出ししない、ってのもあるそうじゃないですか」
「ああ。でも下手すると包囲する側も食糧がなくなるんだよな、あれは」
周り全部敵だから、食糧の現地調達もなかなか大変だろう。
「ま、そこらへんは当事者たちに頑張ってもらうとしてだ。我々エレオラ派としては、戦力を高く売る好機だ」
カストニエフ卿が東ロルムンドの領主たちをうまく煽動してくれているようで、こちらもかなりの兵が集まっている。
東ロルムンド領主連合軍は、およそ一万五千。カストニエフ家の三千と、エレオラの実家であるオリガニア家の四千が主力だ。
単独勢力として暴れるには心許ないが、どちらかの味方につけば戦況をひっくり返せる規模だな。
そうこうするうちに、王宮からの使者が俺のところに来た。アシュレイ皇子がエレオラ皇女に協力を求めてきたのだ。
俺は彼女の代理人として、軽い昼食を共にしながら使者と会談する。
まずは軽い牽制からいこう。
「ご存じの通り、エレオラ殿下は帝位継承権が低く帝位など望んではおられない」
「は、はい。もちろん存じております」
アシュレイ皇子の使者として来た、なんとかという男爵が額の汗を拭う。
俺は満足そうにうなずいてみせて、言葉を続けた。
「それゆえ、兵を動かす支度は最低限の自衛程度のものです。あまりお役に立てるとも思えないのだが……」
エレオラ様は帝位に興味ないから、兵なんて持ってないよ。
わざとそっけないそぶりをしてみせる。
俺の予想通り、使者は慌てた。
「しかしイヴァン皇子の暴虐をこのままにしては、ロルムンドの民を苦しめるだけです。どうか帝国の安寧のため、エレオラ殿下にも反乱鎮圧への参加をお願いしたく……」
「困りましたな」
俺は特に困っていないが、眉をしかめてみせる。
ドニエスク家からは打診が何も来ていない。元々エレオラとドニエスク家は友好的ではなかったから、今さら協力を頼めないのだろう。エレオラへの暗殺未遂の件もある。
となれば、アシュレイ皇子に味方するしかない。
問題は売りどきだ。
アシュレイ皇子が追い込まれていない状況だと、俺たちが協力してもあまり手柄にならない。
逆に挽回不可能なぐらい追いつめられてしまうと、俺たちの兵力ではどうしようもなくなる。
頃合いとしては悪くないが、ちょっと確認しておくか。
「アシュレイ殿下は、今どちらに?」
すると使者は恐縮したように頭を下げる。
「申し訳ありません。本来ならばアシュレイ殿下御自身がおいでになるところなのですが、軍議や視察に追われておりまして……」
そして使者は、そっと声を潜める。
「リャーグ領伯が守るスヴェニキ城が陥落しました。表向きは陥落なのですが……伯爵はどうも、ドニエスク派に内通していたようなのです。そのため、殿下は味方の引き締めに奔走しておられます」
背後に控えていたカイトが、さりげなく口を開く。
「リャーグ領伯はアシュレイ殿下の重臣ですね、ヴァイト卿」
ドニエスク家お得意の謀略戦か。
重臣を寝返らせれば城のひとつも手に入れられるし、アシュレイ派への精神的な打撃も大きい。
(あの重臣まで裏切るとなると、アシュレイ皇子はもうダメなのでは?)
(裏切った重臣から重大な情報が漏れているのでは?)
などと、みんな不安になる。
というか、俺も不安になっているところだ。
俺はますます苦悩するふりをして、こうつぶやく。
「スヴェニキ城というと、帝都まで半日の距離ではありませんか」
敵に奪われたとなると、そこから敵が出撃してくる。こちらが撃退しても、その城に帰還してしまうだけだ。
まずい、このままだと本当にアシュレイ皇子が負けてしまうぞ。
俺はアシュレイ皇子に味方することに決めたが、戦力の安売りはしたくない。エレオラに味方する人々を危険に曝すのだ。
だから俺は、溜息をついて首を横に振ってみせる。
「そのような事態になっているのなら、エレオラ殿下にはむしろ『アシュレイ殿下に協力すると危険だ』と進言しなければなりません」
「そんな!?」
使者の顔が蒼白になる。
そこで俺はすかさず、こう提案した。
「しかし大義があるのはもちろん、アシュレイ殿下です。私はミラルディア人ですが、大義を失ったロルムンドと共に歩んでいける自信はありません。盟友には常に高潔であって欲しいと思っております」
俺の言葉に、今度は使者の顔がパアッと明るくなる。
「で、では……」
俺はうなずいた。
「私のほうからも、エレオラ殿下に口添えしてみましょう」
「ありがとうございます!」
頭を下げる使者に、俺は釘を刺す。
「ただし、戦うのなら絶対に勝たねばなりません。そうでしょう?」
「そ、それはもう……」
俺はにんまりと笑い、使者に告げる。
「では、我々はアシュレイ殿下の指揮下ではなく、エレオラ殿下の指揮で動くことにしたいと思います。エレオラ殿下はアシュレイ殿下の同盟者として参戦するのです」
「な、なぜでしょうか」
アシュレイ皇子は戦争下手そうだし、俺たちが好き勝手にやりたいから。
とは言えないので、適当にごまかす。
「エレオラ殿下の軍には魔撃兵が多数おります。彼らの運用には専門知識が必要ですので、エレオラ殿下の采配が不可欠かと」
このへんは屁理屈だが、こんなもの理由は何でもいいのだ。嫌なら兵は貸さない。
もっともアシュレイ皇子のことだ。こんな形式にこだわっている場合ではないことぐらい、わかっているだろう。
俺は使者に念を押す。
「我々が勝利するために必要なことなのです。よろしいでしょうな?」
我々はアシュレイ軍の一員ではなく、アシュレイ・エレオラ連合軍として戦う。対等の立場での参戦だ。
そして反乱鎮圧の後、混乱に乗じてエレオラ派の勢力拡大を狙うつもりでいる。
俺の出した条件に使者は少し考え込んだが、額の汗を拭いながら答える。
「私の権限を超えることですので、一度持ち帰ってアシュレイ殿下のお許しを得ることになります。よ、よろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんとも」
俺はなるべく穏やかに笑ってみせる。
アシュレイ皇子が俺を招くために帝室専用馬車をよこしたのは、その日の夕方だった。