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人狼への転生、魔王の副官 作者:漂月

本編

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「イヴァン皇子の棋譜」

186話(イヴァン皇子の棋譜)


 私は父の老いた横顔を見つめながら、決意を固めていた。
 父は外を舞う雪を眺めながら、ぽつりとつぶやく。
「兄は世間では無能だの平凡だのと言われ続けたが、為政者として生涯平凡であり続けることがどれほど難しいか」
 そしてこう続けた。


「兄は世間で思われているほど無能ではなかった。努めて平凡であろうと努力していただけのことだ」
「しかし最後まで平凡でいることには耐えられなかった。そうでしょう?」
「その通りだよ、イヴァン。兄は病に倒れたとき、私にこう言った。『ズィーニエ、私も歴史書の一部となる前に何かを成し遂げたい。せめて一行、何か記述を加えたいのだ』とな」


 私は父の顔を見つめ、そして確認する。
「しかし父上は、その願いを叶えようとはしなかったのでしょう? エレオラと親衛隊だけに南征を命じたのは、父上の差し金だったはずです」
「ああ。……私と兄は血と魂でつながった盟友だったが、それはあくまでも『帝国の衰退をくい止める』という目的があったからだ。兄の南征計画は帝国の力を削ぐだけだと私は考えたのだよ」
 この冷徹なまでの割り切り方こそが、父の強さだ。


 父はふと、遠い目をした。
「私を非情な弟だと思うかね、イヴァン?」
 私は首を横に振った。
「いいえ。父上が介入しなければ、どれだけの大軍が投入され、過酷な山脈越えや異国の風土によって息絶えたかわかりません。私は父上の判断を尊敬します」
 余命を気にして性急な侵攻をかけた皇帝は、やはり凡庸というしかないだろう。
 もっと早くから準備しておけばよかったのだ。


 そしてその言葉は、私自身にも跳ね返ってくる。
 もう時間がない。
「父上、ダルマール村に農業試験場を作る案ですが……」
 我が父ドニエスク公は、ゆっくりと首を横に振った。
「待ちなさい。あの村は確かにお前の直轄地だが、郷士たちの意見も聞かねばならん」
「迷信深い彼らは反対するに決まっています」


 輝陽教の教典には「農典」と呼ばれるものがあり、具体的な農業の方法や守るべき戒律についての記述がある。
 輝陽教布教以前には、田舎では豊作を祈る生け贄の儀式なども行われていた。それをやめさせるために作られた教典だ。
 だがそこに記されている農法は古く、無駄なものも多い。今はそれが足枷となり、農業技術の発展を阻害する一因となっている。


 父は溜息をついた。
「であれば、認める訳にはいかん。郷士たちの反発を招けば、農奴や小作農を束ねることが難しくなろう。それは結果的に、収穫量を減らすことになりかねん」
「それはその通りですが……」
 我々には、もう時間がないのだ。


「父上、今行動を起こさねばリューニエの代にツケを回すことになります。ドニエスク家のためにも、また北ロルムンドの領民のためにも、どうか御許可を」
「今日は随分食い下がるのだな、イヴァンよ」
「先日、ヴァイト卿と北ロルムンドの農政について語り合いました。異国人の彼にも、北ロルムンドの窮地は一目瞭然でしたぞ」


 だが父は目を伏せた。
「それはそうだろう。彼は部外者で、この地の利害関係や因習とは無縁だ。そして何より、論理的で博識だ。皆がああであれば、私とてお前の好きなようにさせてやる」
 父の言葉に、私はどう返せばいいのかわからない。
 確かにその通りだ。


 しかしここで手をこまねいている訳にはいかない。リューニエのためにも、私の代でやらねばならぬことがある。
「では父上、ミラルディアの権益を手に入れましょう。北部の都市を植民地化し、ドニエスク家の領地とするのです」
 交易や税など植民地からの利益で、北ロルムンドの貴族や領民を養う。たやすい話ではないが、農業生産の回復よりは見込みがある。


 だが父はそれにも首肯しなかった。
「愚かなことを言うな。ヴァイト卿がロルムンドに来ているのは何のためだと思う? 彼は今後の外交において、ミラルディアの権益を守るために来ているのだ。ミラルディアの都市は絶対に渡さぬであろうよ」
 それもそうだ。彼はミラルディアの代表者だ。
 味方にできれば心強いと思っていたが、利害が合わない以上どうしようもない。


 北ロルムンドの未来のために我々が打てる手は減っていく。
 私は他にもいくつかの提案をしたが、父は許可しなかった。
 そしてとうとう、私の手札には最後の「切り札」だけが残される。
 だがこれは、絶対に使ってはいけない最後の札だ。


「父上、かくなるうえは帝位を……」
「ならぬ。それだけはならぬ」
 父はきっぱりと言い切った。
「アシュレイが無能ならともかく、彼は内政手腕に長けた有望な後継者だ。ここで無駄に争って、帝国を疲弊させてはならん」
「しかしこのままでは、いずれ帝国は疲弊してしまいます。アシュレイ殿には領土的野心がありません。ミラルディアに広範な自治を認めてしまうでしょう」


 私は馬車の中で思わず立ち上がりかけたが、父がそれを制した。
「自治を認めた上で、軍事力や経済力を背景に少しずつ切り崩していくのだ。時間はある。アシュレイもそれはよくわかっておろう」
「しかし父上、ミラルディアにはヴァイト卿がおりますぞ」


 ロルムンドに最初に送り込まれてきた外交官がヴァイト卿だ。最初に送ってくる外交官にしては、大物すぎる気がする。
 まさかとは思うが、ミラルディアには彼に比肩しうるほどの人材がまだまだいるのだろうか。だとすれば侮れない。
 一方、もし彼が私の予想通りミラルディアの切り札なら、ミラルディア側の決意の凄まじさがわかるというものだ。
 どちらにしても、ミラルディアは決して侮れない相手だ。


「ミラルディアを甘く見てはなりません。表面的にはロルムンドに服従していますが、油断すれば喉笛を食いちぎられますぞ」
「イヴァンよ」
 父の声は落ち着いていたが、ひどく冷たかった。
「おぬしは今、焦りのあまり判断を誤ろうとしておる。父として、それを見過ごす訳にはいかぬ。……お前はしばらく政務から離れなさい」
「父上!?」
 この重大な局面に私を政務から外すとは。


 私は覚悟を決め、馬車の壁を三回ノックした。
 馬車が止まる。
 ここは山の中。そして周囲は一面の雪だ。
 父は静かな声で尋ねてくる。
「イヴァン、お前は何をしようとしているのかね?」
 私は恐怖に震えながら、父に言った。
「降りてください、父上」


 父は溜息をつくと、ゆっくり立ち上がる。そして馬車を降りた。
 すぐさま、私の護衛たちが剣を携えて父を取り囲む。
 護衛たちは剣聖バルナークほどではないが、ドニエスク家の軍隊から選抜した精鋭たちだ。


 父はあくまでも穏やかに、彼らを見回した。
「イヴァンに忠義を尽くす者よ。今ならその忠義に免じて赦そう。息子の過ちを止める側に回ってはくれないか?」
 護衛たちの表情に一瞬、動揺が走る。
 まずい。


「斬れ!」
 私が叫ぶよりも早く、父が抜刀した。
「うわあっ!」
 四人の護衛のうち、一人が剣を投げ捨てて平伏してしまった。父の言葉に戦意喪失してしまったのだ。
 残る三人も、「裏切り者」の出現に注意がそれる。


 父の太刀筋は恐ろしく鋭く、そして重かった。
 最初の一太刀で護衛の一人が倒され、残った二人が慌てて父に斬りかかる。
 だが父はその二人を難なく斬り捨ててしまった。
 私の目には、何が起きたのかほとんど見えなかった。凄まじいとしか言いようがない。
 北ロルムンドの猛吹雪でさえ、これよりは遙かに穏やかだろう。


 そして未だ平伏したままの護衛に、父は容赦なく剣を突き立てる。
「許せ。このことを誰かに知られる訳にはいかんのだ」
 話術と剣術だけで、父は四人の剣客を葬ってしまった。
「私からバルナークを引き離せば、暗殺できると考えている者もいる。そう仕向けている部分もあるのだがな」


 父は血に染まった剣を構えながら、ゆらりと私に向き直った。
「だが私も、ときには自ら剣を取って政敵を抹消してきた身だ。誰にも明かせぬ仕事は自分でやるしかないのだよ」
 これが私の父だというのか。
 なんという怪物だ。


「毒ではなく剣を使ったのは失敗だったな、イヴァン。なぜかね?」
「ど、毒は……シュメニフスキーのような愚か者を排除するためのものです。父上は常々、死ぬならば戦場でと仰っていたではありませんか」
 せめてもの手向けのつもりだったのだが、こんなことになるとは。
 父は笑う。
「人の命を奪おうというときに、余計なことを考えるものではないよ。相手の息が止まるまでは、相手を倒すことだけを考えなさい」


 父は私を見つめ、小さく溜息をつく。
「私を暗殺するつもりなら、リューニエを帝都に残すべきではなかったな。このような些細な違和感でも、気づく者はいるのだ」
「し、しかし……」
「父が祖父を殺す場面に息子を立ち会わせたくなかったのだろう? それがお前の甘さだ。お前に謀略は向いていない」
 返す言葉もなかった。


 私は剣を抜いたが、とても勝てる気がしない。
 父の声は穏やかだ。
「イヴァン、剣を納めなさい。私はお前を斬るつもりはない。話し合おう」
「も、もう後には戻れぬのです!」
 父を斬る覚悟をしたときに、父に斬られる覚悟もできている。
 私は剣を振りかぶった。


 しかしそのとき、急な発作が私を襲う。
 咳が、忌まわしい咳が止まらない。
 少し動くだけでこれだ。
 まだ体が動くうちに、リューニエと北ロルムンドのために何とかしなければならないというのに。


 だが私が咳込むのを見た瞬間、父は剣を投げ出して私に駆け寄ってきた。
「いかん、発作か!? だからお前は……」
 父は今、完全に無防備だ。
 そう思った瞬間、私は考える暇もなく懐剣を抜いていた。
 鈍い感触が手に伝わってくる。


「ぐ……」
 父は胸を押さえると、眉をしかめながらも弱々しく微笑んでみせた。
「そうだ、それでいい……今の一撃を、決して忘れてはいかんぞ」
 私は咳込みながら、父の胸元が真っ赤に染まっていくのを見つめていた。
 私は何ということをしてしまったのだ。


 父は立ち上がると、馬車の壁にもたれかかった。
「私を殺すほどの決意があるのなら、ドニエスクと帝国の命運を懸けてやってみるがいい……。だがイヴァンよ、軍を動かすのだけは今しばらく待つのだ」
 父は口を伝う血を袖で拭う。
「一度軍を動かせば、何かの形で勝利を成し遂げねばならなくなる……。お前が今、剣を抜いたようにな……」


 私を見つめる父のまなざしが、少しずつ弱ってきた。
「そうだ、イヴァン……頼みがある……」
「な、何ですか父上!?」
 父は目を閉じて、にっこり微笑んだ。
「リューニエの……次の誕生日に……寄せ、寄せ木、細工を……約束……していた……。お前が……代わり、に……」
 父は一度そこで口を閉ざす。


「……父上?」
 返事はない。
 父の脚から力が失われ、父は馬車の踏み台に腰を下ろすようにして動かなくなった。
 それが、我が父ドニエスク公の最期だった。
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