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人狼への転生、魔王の副官 作者:漂月

本編

183/407

斜陽の帝国

183話


 イヴァン皇子の招きに応じて、俺はバルコニーに出る。ロルムンドの秋風はもう冷たく、コートが欲しいぐらいだ。
 俺は寒さをしのぐために強めのカクテルを一気に飲み干し、イヴァン皇子と向き合った。


「ヴァイト卿、これを」
 イヴァン皇子が差し出した本には、「北部農学考」というタイトルが記されている。
「これは北ロルムンドの農業について、ドニエスク家の者たちが集めてきた記録だ。あまり外には見せない情報だ、貴殿への礼には金銀よりもこちらのほうが喜ばしいだろう」
 確かにそうなんだが、これは予想外だったな……。


 しかしせっかくの内部資料だ。俺は遠慮なく読ませてもらうことにした。
 イヴァン皇子の内政能力、どれほどのものか見せてもらおう。


 俺はその本をめくって、すぐにイヴァン皇子が強敵であることを理解した。
 この世界の水準から考えると、びっくりするぐらい近代的だ。
 集められていた情報は全て、客観的に数値化されていた。例えば「豊作」などという曖昧な表現ではなく、「ダルマール村の白麦畑540シュカーの収穫量1200トルカ、指数およそ2,2。前年指数2,0」といったふうに記録されている。
 そしてこれが全部、表になっていた。
 パソコンも表計算ソフトもない世界だから、これは全部手書きで作ったはずだ。苦労しただろう。


 俺はカイトにこれを渡したくなったが、あいつは貴族令嬢たちが来ないように全力で防いでくれている。
 あいつの魔法なら、これを一読しただけで全部記憶できるのにな。
 俺は数字の羅列にめまいを感じながらも、ここに記されていることを要約した。
「収量が年々減っていますな」
「そうだ。さすがはヴァイト卿、理解が早いな」
 前世で見慣れてたからであって、初めてだったら全く理解できなかったと思う。
 この百年ほどで、北ロルムンド地方における主要穀物の収穫量はおよそ二割減っている。無視できない数字だ。


 イヴァン皇子は俺の表情を何度も確かめつつ、慎重に言葉を選んで話し出した。
「北ロルムンドにおける農業は衰退の一途をたどっている。少しずつではあるが、長期的に減収が続いているのだ」
「確かに十年単位ではわかりませんが、よく気づかれましたな」
「最初は私もわからなかったが、曾祖父の代までさかのぼって古い税収記録も調べたのでな。嫌でも気づかされた」


 一気にまくしたてたイヴァン皇子だが、ふと暗い表情をする。
「だがこの事実を、誰も深刻に受け止めてはいない。それこそが最大の問題だ」
「なぜです? この表を見れば一目瞭然でしょう」
 これが危険な兆候なのは、俺にでもわかるぞ。


 だがイヴァン皇子は首を横に振った。
「父と弟、それにアシュレイ殿を除けば、理解してくれたのは貴殿ぐらいなものだ。北ロルムンドの領主たちでさえ、全く危機感を抱いてはいない」


 一人の領主の統治期間はだいたい三十年、家督を譲った後に十年ほど領地経営を手伝うとしてもせいぜい四十年だ。
 ところが減収のペースは毎年0.2%程度なので、豊作になれば前年より増えることもよくある。四十年経っても八%しか減らない。
 しかし四十年前の正確な収穫量のことなどみんな忘れているから、なかなか気づかない。仮に気づいても「昔は良かったなあ」と思うぐらいだ。


 しかし現実に、ここに数字が並んでいるのだ。
 この数字が正確なら、今の状態が続けばえらいことになるのは目に見えている。
 イヴァン皇子は苦々しげにつぶやく。
「近隣の領主たちにも教えてやったのだがな。皆、自分の代はどうにかなると思っているのだ」
「確かにこれなら、まだしばらくは大丈夫でしょうな」
 今すぐにどうこうという問題ではなさそうなので、俺にとっても他人事だ。
 だがイヴァン皇子は首を横に振った。
「確かに私の代は大丈夫だろう。息子の代も、おそらく何とかなるだろう。だが孫の代はわからん」


 俺はイヴァン皇子の言葉が気になり、懐からハンカチを取り出した。
「失礼」
 正方形のハンカチを使い、ペンを取り出す。
「ヴァイト卿、何をなさるつもりだ?」
「この表を線図にしてみましょう。この縦の軸は収穫量を、横の軸は年月を表しています。こう、目盛りを打って……」
 俺は表の数字を拾って、収穫量の変化を大雑把な折れ線グラフにしてみた。


「これは……」
 表で見たときよりも事態は深刻なのがわかった。これはまずい。
 途中から収穫量の減少に加速がついている。
 イヴァン皇子もグラフの意味を理解したのか、何度もうなずいていた。
「なるほど。この線を延ばしていけば、百年後の収穫量も予想しやすいな。やはり危険な状態だ」


 収穫の全てが領主の懐に入る訳ではない。一部は来年の種だし、農奴や小作人たちに食べさせる分も必要だ。残った分だけを領主が徴収できる。
 しかしイヴァン皇子の指摘通り、数十年後には領民の食糧をまかなうのにも不足してくる。上澄み分、つまり領主たちが収入源とする部分がなくなっていた。
 彼はハンカチに描かれた下降線を凝視して、苦しげにつぶやく。
「危機が訪れてから方策を考えても間に合わない。息子や孫の世代になってからでは遅いのだ。私や父がやらねばならない。しかし未だ、何の解決策も見えてない」


 俺は少し考え込む。
 ドニエスク家は俺やエレオラにとっては敵だが、北ロルムンドの領民に罪はない。
 それに北ロルムンドの土地が痩せれば、ロルムンド帝国はますますミラルディアの豊かな土地を欲しがるだろう。それは困る。
 俺は思い当たる原因を列挙してみることにした。
「もしかして、連作障害では?」
 だがイヴァン皇子は残念そうに首を横に振った。


「連作障害を避けるため、輪作は長年続けている。輪作の組み合わせについては数年前から試験を繰り返しているが、まだ何の効果も上がっていない」
 長年の伝統で培われた方法を上回るものとなると、そう簡単には見つからないのだという。
「病害や虫害でもないのですか?」
「そうではなさそうだ。作物の品質自体にも異常は見当たらない」
「では施肥に問題が?」
「わからん。これも試しているが、やはり領民たちの伝統的手法が一番効果があるようだ」
 手詰まりだ。
 なるほど、これはイヴァン皇子も焦るだろう。


 ここでドニエスク家に恩を売っておくのも良いと思ったのだが、どうやら俺では役に立てないようだ。素人知識でどうにかなるものじゃないな。
「お力になれず、申し訳ありません。忸怩たる思いです」
 するとイヴァン皇子はようやく、表情を少し緩めた。
「いや、貴殿は他の者とは違うな。他人の領地などどうなろうが関係ないはずなのに、そこまで気にかけてくれることに感謝する。それに先々のことまでよく考えておいでだ」
 そうかな?


「ときにヴァイト卿は輝陽教徒であったな?」
「はい、もちろんでございます」
 嘘だ。
 しかしミラルディアで輝陽教の聖人にしてもらったので、そのへんは怪しまれていないらしい。


 イヴァン皇子は溜息をついた。
「領民や家臣たちを手懐けるために、帝室が輝陽教を熱心に布教したのは良いのだがな。おかげで彼らは考えることを放棄してしまった」
 ロルムンドにおける輝陽教は、統治のための道具として帝室にしっかり組み込まれている。
 だがそれも弊害があるらしい。


「彼らは全てを神の意志と受け止め、問題が起きたときに原因や解決法を考えなくなったのですね?」
「そうだ。凶作が続いても敬虔であればいずれ実りは戻ってくると、領民たちは皆のんきに信じている。農奴に至っては……」
「言われた通りに働く以外、何もしないのでしょう?」
「そうなのだ。そう仕向けたのは我が帝室なのだがな」
 また溜息をつくイヴァン皇子。
 そりゃしょうがないよ、農奴にとっては他人の土地、他人の麦なんだから。
 俺はイヴァン皇子が少し気の毒になってきたが、だからといって何かしてあげられる訳でもなさそうだ。


 そのとき、カイトが俺のところにやってきた。
「すみません、ヴァイト卿の個人的な情報は外交上の機密もありましてお教えは……いや、本当勘弁してください。失礼します」
 何人かの令嬢を振り切って、我が副官はようやく俺のところに戻ってくる。
 助かった。お前がいないと、誰が誰だかわからないんだよ。


 ちょうどいいタイミングなので、俺はイヴァン皇子に会釈する。
「それではイヴァン殿下、またいずれ」
「ああ、またゆっくりお話をしたいものだ」
 社交辞令を交わして、俺たちは別れる。


 するとイヴァン皇子の息子のリューニエ君が俺を見つけて駆け寄ってきた。どこかで俺を見張っていたらしい。
「ヴァイト卿、父上とのお話はお済みになりましたか?」
「ええ、終わりましたよ。お父上は立派な方ですね」
 イヴァン皇子が私利私欲で動いている人物ではないとわかったので、これは本心だ。


 俺はリューニエ君にお辞儀をすると、にっこり笑う。
「戦場でのお話、もう少しいたしましょうか?」
 少年の顔がパッと輝いた。
「よろしいのですか!? ありがとうございます! 叔父上、ヴァイト卿が戦場のお話をしてくださるそうですよ!」
 でっかい声で叫ぶから、その場にいた客たちがぞろぞろ寄ってきてしまった。


「おお、決闘卿の戦場での武勇伝だそうですよ」
「あなた、聞かせていただきましょうよ。こんな機会は滅多にありませんわ」
「そうだな。子供たちの土産話にもなる」
 集まってくる貴族たちを前にして、俺は緊張してくる。
 戦場よりこっちのほうが緊張するぞ。


 俺は結局、パーティが終わる直前までひたすらトークショーをやることになってしまった。
 もっと肉を食いたかったのだが、最前列で俺にかぶりついているリューニエ君の輝く笑顔を見てしまったらやめられなかった。
 みんな喜んでいたから、これはこれでよしとしよう……。
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