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第7章
エピローグ 忘れやはする《完結》
 二人がその夜、初めての熱い情事を何度も繰り返し、砕け散った瞬間から時は遡り、一年半前――。

 三月を迎えようとしている夕暮れ時は。空気はまだ冷たくとも、オレンジ色の陽光が長く伸びていた。
 いつもは友人やいわゆる「カノジョ」などが一緒なのだが、珍しく誰も居ない昇降口で、高校二年生の少年――白川早海は靴を履き替える。その身体は決して華奢ではなく、女の子にも間違えられた中学一、二年生の頃よりも二十センチ近く背が伸びている。

 まだ未成年であるが身体も環境も変化しており、色々な経験もしてみた。少年は、それで自分は変わったつもりでいた。
 人当たりがよく空気も読むようにしていたので、友人でも女でも常に誰かが傍におり、嫌な感情に飲み込まれないよう自分を保っていた。
 それでもこうして一人きりになれば、何かが心に引っかかり、逃げようとする彼の心を闇で覆わんとする。

 ――自分は変わったつもりで居た。

 それなのに、早海は常に胸に穴が空いた気分であった。たとえば女を抱いた、その時に快感を得る。それなのに終わった後、何か虚しい。
 中学の時から続けているが、特に力は入れていない部活動。それでも友人と笑い合えている。夜の街に繰り出すアルバイトでも、大人の世界を垣間見ることが出来、自分が大きくなったような気分にさせられる。
 それなのに、常に何かが足りないと思わされた。

 それが三年前のことに起因することを彼は知っていた。

 思い出にせねばならない。「相手」は自分を拒絶したのだから。
 ――忘れよう。何も無かった。自分は元々一人だった。
 誰にも救われたことなど、無かった。何も求めたことは、無かった。
 あの時のまやかしに、もう一度嘘でもいいから助けられたい。そんな感傷など、抱いたつもりは無かった。自分はこれからも一人で居ればいいのだ。

 幾度ついたか分からない、乾いたため息を十七歳の少年がついた時、

 ふと、一陣の風が迷い込んだ。 

 季節は三月になる頃。日差しは徐々に柔らかくはなるが、風は冷たい夕暮れ時。
 しかし、その風はほんのりと温かかった。外からの砂埃の匂いが、何か懐かしいものを思い出させる。
 少年は顔を上げた。
 其処にはセーラー服姿の三つ編みの少女が、無表情で立っていた。

『あんなチビ、好きな、わけ、ないっ!』
 拒絶された、冬の終わりの日。

『もしかして……さみしかったり、する?』
 救われた、秋の終わりの日。

 一体彼女は、自分のことをどう見ていたのか、彼は知りたかった。
 彼女だって寂しかった筈だ。彼女にも自分と同じ気持ちになって自分を求めて欲しいと思っていた。
 独りよがりの、少年の強引な欲求。

 ――その眼は、俺を見ているのか?
 少年はふと気付く。そう、自分からはっきりと要求したことはなかった、と。

 その少女の幻影は、一瞬で消えた。
 少年は唇を歪め、声も無く、笑った。

 三年経っても、なお。こうして、忘れられない。
 あと一年経てば、忘れられるだろうか。あと十年経てば、忘れられるだろうか。
 それまで、こんな気持ちで居なくてはいけないのか。

 ――会いたい。

 そんな幻覚を見るほどに。心に浮かんだ言葉は、ただひとつだけであった。
 恐がっていたのは、きっと自分の方なのだろうと、風が通り過ぎた後の少年の心は、自然とその結論に至った。

 ――拒絶されるのを恐れていたのは、自分だ。
 こんな気持ちが、あと十年も続くくらいなら、何処までも追いかけよう。
 自分の気持ちを認めて、相手に伝えよう。拒絶が恐いなら逆らえない環境を、彼女に作ってしまえばいい――。

 どす黒く、仄かにあたたかい。そんな覚悟が、この時、少年の心の中に生まれる。

 その一年と数ヶ月後に、二人は再び出会うのであった。

 ・・・・・・・・・・

「今回、中々よく出来てるね」
 斯波はレポートから顔を上げ、三人の学生を教授席から見渡すとそう言った。
 九月に入り、件の「言霊」の飼育方法云々のレポートを提出しろという、夏休み中の斯波研ゼミの日がやってきた。この大学は十月から後期授業が始まる為、まだ休みは続いている。
 ほぼ徹夜でレポートを書いたと見られる祇園、光、弥栄の三人は、それぞれに「遊び倒した」という黒い顔をぐったりとさせて、それぞれ机に伏したり、無気力にパソコンの画面をスクロールしたりとしている。
「夏休み、なんか楽しいことあったからかなー?」
 朗らかに笑う斯波に、三人は顔を見合わせると、「は、は、ははははは」と微妙な表情で笑い合う。

「祇園ちゃんと弥栄くんが、こういう内容で書いてくるとは思わなかったし」
 斯波は先程発表させた二人のレポートを再び一瞥する。祇園は弥栄と顔を見合わせると、少し気まずいが、はにかんだような笑顔を浮かべた。
 彼もまた、これまでと変わらない人の良さそうな顔で苦笑する。その向こうで光が大きな欠伸をした。
 「言葉」というものの持つ見えない力のようなものについて、祇園は自分の感じたことを斯波の言うように、強引な理学的展開に持っていっただけなのだが、やはりこの夏の出来事から視野が少し変わったのだろうか、と首を傾げる。
 それは同じように大学二年の一夏を終えた、弥栄も光も同じであろう。

「『もしかしたらの神様』って、祇園ちゃんにしてみれば意外な表現だけど、面白いじゃない」
 斯波はそう言うと、レポートを書類の上に置いて笑った。
 それは祇園が例として挙げたものだが、その言葉は早海の話からふと思ったことであった。しかし内容に困って書いたはよいものの、まるで彼への想いそのものをあからさまに綴ってしまったようで、改めて言われると祇園は恥ずかしくなってくる。
「ほんとーに、居るんですかねー。その神様とやらは」
 光が欠伸をかみ殺しながら机に伏し、眠いので適当に話題を拾って問い掛ける。
「言葉にしたんだから、『居る』んじゃないのかな。少なくとも、祇園ちゃんの中には」
 斯波の笑顔に、祇園はかしかしと頭を掻く。

 眼に見えないもの、形の無いもの、それを自分が生きていく為に信じる。それはある意味、宗教と変わらないようだが、そうすることによって、どうにか自分を保っている。
 絶対的な存在や信条を眼に見えなくとも心の中に持つことで、自分の生き方を決めようとする。無ければそれを一生賭けて、捜し求めてしまうのかもしれない。

「まいどー! 『笑うしじみの味噌汁定食』、お持ちしましたー」
 其処へ、今しがた考えていた人物の声が疲れ切った空気の研究室にはつらつと響き、祇園はぎくりとしてしまった。一線を超えたというのに、いや逆に超えたからこそ、恥ずかしくて皆の前で彼には会いたくない――が、思わず習性で突っ込んでしまう。
「夏休みって、生協休みじゃないのかよ!」
「あ、生協じゃなくて近くの定食屋。賄い出るからたまにバイトしてますよ」
「わーい、おなかすいたー」と斯波が呑気に箸を割る音を聞きながら、二週間も住み込みのアルバイトをしていた後に、またアルバイト三昧の毎日に戻ったくせに、毎日やたら元気のよい後輩を祇園は睨み上げる。

 未だ確信犯的にこんな場所へと現れるこの相手に、後でどう制裁を加えてやろうかと思うのだが、
「だって誰かが祇園さんに手ぇ出したら困るから」
と笑って呟くと、これまでも、そしてこれからも祇園の前に現れるだろう様子を見せるのだ。傍に居られなかった五年分の空白を、埋めようとしているにしろ。
 毎晩ではないものの、夜になれば会えるだろうが!と、そんな早海に突っ込みを入れたくなる祇園。この男を選んだのは自分であるものの、一見爽やかなように見えて歪んだ青年の扱いには手を焼いてしまう。
 それが嫌ではない――という自分自身にも呆れるのだが。

 男と女の抗えないごうのようなものを何処かに感じながら、祇園がにやにやと笑う早海を睨みつけていると、
「夏が終わったのに、暑いねえー」
机に寝そべる光から冷やかしが飛び、そちらにぎろりと視線を向ければ背後から早海に、
「でしょう?」
と自慢げに言われ、また怒りをぶつけんと忙しく後ろを振り向く。
 呑気に昼食を摂り続ける斯波と二人の相手で忙しい祇園へと、弥栄がご丁寧に早海の分も併せてアイスコーヒーを淹れ、「あー、やっぱここにいたー」と美幸が現れ――。

 こうして、日々は過ぎていくのだろう。
 乗り越えなければならない問題は、これから更に社会に出て、歳を取るごとに増えていくのだろうが。
 しかしただひとつの、自分にとって掛け替えがないと思えるものを信じて、この先もその手を離すことも離されることも無ければ、それはどんなに幸せなことであろうか。


 ――「もしかしたらの神様」は、今、此処に居るよ――。


   ~END~
 
 
 終わりました…。約5ヶ月に渡り連載いたしましたが、お付き合いくださいました皆様、誠にありがとうございました!いただく感想や応援メッセージ等に大変励まされてまいりました。皆様には心より感謝申し上げます。
 この作品は10何年前に生まれたキャラクターやお話などをリメイクして完成させたものなので、内容は別として自分としては頭の中にあったものを形に出来てとても楽しかったです。
 そして現在もなお、らぶらぶな2人のその後がまだ書きたくて、続編「かみさまのて。」を連載しております。続編はより2人の仲を深く描こうとR18作品として、ムーンライトノベルスさんにて連載しております。
 http://novel18.syosetu.com/n1942k/
 禁指定が違うことから直リンクをあえて貼りませんので、興味のある方はお手数ですが個人サイトの18禁コンテンツの方から作品リンクを張っておりますので、そちらから探して読んでやってくだささいませ(ムーンライトノベルズさんでタイトルやtakaoで検索していただいても読めます)。前半は本編よりも甘くえろい2人の様子を、そして後半では早海の過去や家族のことにも触れています。

 とにもかくにも、この長いお話を最後まで読んでくださった皆様に、深く御礼申し上げます。本当にありがとうございました!!

 社大(takao)

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