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第1章
第4話 見えない真意
「たかのせんせー、どーしたのー!?」
 夕方六時。スーツ姿で算数のテキストを前に、はあ、とため息をつく祇園に、小学校高学年の子供たちが寄ってくる。
「もしかして、恋のなやみー??」
 女の子となると、ませたことを言ってくる。というよりはそういうことに結び付けたい年頃なのだろう。
 祇園は発達のよい女の子を横目で見ながらそう思っていた。

 ……相手が男であるから、あながち間違ってはいないのかもしれないが、別に恋愛関係にある相手ではない。
 ある意味、ストーカー被害というか……。しかし早海のことだけでなく、今日久々に青井に会ったことで、彼のことも気にしてしまっており……。就職して地元に戻ってしまえば、青井とももう会えなくなるわけだし、だが彼には彼女がいるから自分にはどうにも出来ないし、でも会いたいし……。

 そんな答えの出ないことを悶々と考えているので、結論的に祇園はため息をつくことしか出来ない。
「こら教室戻ってろー」
 そこへのんびりとした男の声が響き、子供たちは素直に返事をしてばたばたと事務室から出て行った。
「……ゼミ長、大丈夫?」
 現れたのは同じくスーツ姿の、斯波研メンバーの弥栄であった。
 彼は縦にも横にもボリュームがあり、二十歳にして貫禄を持っているので、こういう服装になると親父くさくも見えるが、妙に似合っていると祇園は思っている。
「ありがと。多分、大丈夫……」
 休憩時間だからと言って気を抜きすぎてしまった。子供や弥栄に心配されてはいけないと、祇園は頬を両手でぱしんと叩いた。

 ここは小さな学習塾であるが、祇園が時給がよいアルバイトを探していた時に、弥栄に紹介してもらい勤めることになった。
 ちなみに彼女はここからの派遣で家庭教師のアルバイトもしていたが、学費以外に父親が仕送りを僅かなりとも送ってくれているので、週に何日か夕方働くほどで祇園の日々の生活費は賄えている。
 もっとも弥栄の方は弟が下に何人もいるらしく、塾で毎日アルバイトをする上に、土日は土方などもして稼いでいるらしい。

 それはさておき、なんとかカラ元気を出そうとしている祇園を心配そうに見ていた弥栄であったが、
「もしかして、……今日来てた人のことで?」
と鋭く突っ込んでくれるので、祇園は忘れようとしていた早海の顔を嫌でも思い出させられてしまう。
「ちちちち違う! 何の関係もない!!」
 しかし嘘のつけない彼女は、思い切り動揺しながらそれを否定するので全く誤魔化しきれていない。
 だが話したくない事情があるようなことは弥栄にも伝わってきたので、祇園をこれ以上追い詰めてはいけないと配慮したか、彼は黙った。

 そして祇園も話題を変えようと、わざと明るく話し掛ける。
「そーいや青井先輩が、明日だか明後日だかに来るから、常春堂のシュークリーム用意しとけってさ」
「そちらが土産に買ってこいよと言う」
 弥栄の人の良さを知っての青井の冗談半分本気半分の言葉だと、彼も祇園も分かっているので、二人して苦笑した。
 しかしそこでふっと真顔に戻ると弥栄は言った。

「でもゼミ長もそれ好きなんじゃない。買ってこようか」
 おそらく元気のなかった祇園を慰めるつもりで申し出たのだろう。
「ありがと……。弥栄氏って、いいヤツだねー」
 早海のストーカーまがいの攻撃と、青井への片想いの切なさに打ちひしがれていた祇園は、斯波研メンバー唯一の良識人であり、真面目で思いやりに溢れる青年の言うことに、内心では感動の涙を流していた。

 それこそ美幸にしろ、光にしろ、もちろん祇園にはない魅力があり刺激は受けるが、如何せん突っ込みを入れさせられることばかりであり……。
 トラブルメイカーの彼らを思い出し、また祇園が頭痛を覚えそうになった時、それを予見したかのように彼女の携帯電話のバイブが鳴った。

 着信の番号は、見たことが無い番号であった……。



 アルバイト中だったのでその電話は取らなかった祇園だが、嫌な予感がするまま今日の授業を終わらせた午後七時三十分。これから高校生の家に家庭教師に行くという弥栄に別れを告げ、中古の軽自動車に乗った。
 するともう一度、今度はマナーモードを解除した携帯電話の着信メロディが鳴った。
 ディスプレイには先程と、同じ番号が表示されており……やはり嫌な予感がする中、祇園は電話を取ってみた。

『今日はどーも』
 聞こえてきた声は、低くなったものは今日初めて聞いた、やたら爽やかな男の――早海の声。
「この電話は現在使われておりません。もしくは警察に通報します」
 祇園はあえて機械的な声でそう言い放った。完全に付きまといの域だな、コイツ、と祇園は怒りを覚えそうになったが――相手が『祇園さん、ひでー』と快活に笑い出すので、思わず毒気を抜かれてしまった。

 付きまといと言えども、一応相手は中学校時代の後輩で、思い出したくない特別な思い出などもある仲で……そういったことからやはり嫌悪感や恐怖心は不思議となかった。
 彼女は寧ろこのやりとりが懐かしいとさえ思っていた。もちろんそんなことは、認めたくないのだが……。

「ってなんで電話番号知ってるわけ!?」
『あれから斯波研行って伊藤さんに聞いてきました。教授自らお茶も淹れてくれましたよ』
「勝手に仲良くなってんじゃない!」
 あっけらかんと言うこの順応性の高すぎる後輩に、祇園は車の中と言うこともあり電話口で怒鳴りつけた。
 そして祇園の予想通り、面白がって早海に電話番号を教えたであろう、伊藤光に対しては明らかな怒りを感じる。

「光に変なこと、言ってないよね……」
『昔の彼女とか?』
「そういうありもしない話!」
『言ってませんよ』
 早海の言葉に祇園はほーっと安堵のため息をつくが、
『あ、でも、俺が居た時に橋之江さんが来て「あらまあさっきは」ってことになりましたけどね』
その後の言葉に彼女はハンドルに頭を打ち付ける。

 光と波長が似ている同じ美幸のこと、早海を光にどう紹介したか想像つき、だからこそ余計に光も自分の電話番号を教えてやろうと思ったのかもしれない……、と祇園はハンドルに頭を置いたままふるふると震えていた。
 斯波研になどもう恥ずかしくて行きたくもない。本当に弥栄の買ってきてくれるシュークリームだけが、明日の彼女の癒しとなりそうである。
 祇園は大きなため息をつくと、まるで少年のように頭をばりばりと掻いた。

「ったく! 目的は何なんなんだ……私に恨みでもあるの?」
 思わず昔のように乱暴にそう言うと――、相手の声色が少し変わった。
『目的、ね……』
 そのまま黙られてしまい、祇園は少しどきりとする。

 ……本当に恨まれているのだろうか、とすら思わされた。
 そして彼女は、五年前のことを思い出してみる。二人の間には何もなかった筈だった。何も……。
 そうなる前に、祇園は彼から離れたのだから。

 ――だが、もしかして、そのことに気付かれていた――?

 「もしかしたら」と一度思いついた仮定は、祇園の胸へ投石のように、嫌な予感の波紋を作る。

 突然、自分の前に現れた、彼の真意は何処にある――?
 それが本当に恨みだったりした時、自分はどうすればよいのだろうか。

 祇園は早海の優しさは本物だと昔からどこかで信じていたが、相手の顔が見えない今、少しばかり不安になりひやりとしていると、彼は急にまた明るい調子に戻った。
『ところでメシ食べました? まだならこれから――』
「結構」
 しかし軽いことを言われてしまうと、反射的に切り捨ててしまうのが祇園の性分。惚れてもいない女にそんなことを言う男は、尚更気に食わない。
 祇園は思わずそのまま電話も切った。節約にもなるので、家に帰って自炊して食べるつもりでいたからだ。

 またどっと疲れ果て、帰ろうかと祇園が思った時、再び彼女の携帯電話が鳴った。今度はメールの受信である。
 見るとそれはやはり早海からで、『それじゃまた。気をつけて帰ってくださいね』と一言だけ書かれていた。おそらくアドレスを登録しておけという意図なのだろう。
 さてどうしたものかと思いながら、祇園は何度ついたかわからないため息を吐き、携帯電話を閉じた。


 ・・・・・・・・・・

 祇園は母親を小学生の時に亡くしている。それから家事をして父親を助け、二人で生きてきた。
 彼女の父親は、斯波に少し似た男だった。明るく、自由奔放で、好奇心旺盛に行動する。それは仕事においてもそうだった。
 祇園が中学を卒業する頃、彼は栄転だと言って県外の支所に転勤となった。父親は娘の高校進学を考えて住む場所は県内に留め、職場に近い県境の小さな町としたが、それでもまだ子供である彼女にとっては、とても離れた町への引越しに感じていた。

 しかし母親を、妻を亡くしていた二人は、互いを一人にはしておけないと思っており、祇園も大人しく父親に従ったのである。
 新しい土地での高校生活は、それなりに順調であった。彼女は身を持ち崩すことなく、友達も作りながら家事も勉強も両立させ、その隣の県の国立大学に無事合格した。
 祇園が高校を卒業すると同時に、今度は父親は全国を飛び回り始める。もう彼女も大人になり独り立ち出来ると父親は判断し、彼女もまた自分の生き方を探している父親の自由にさせてやりたいと思っていた。

 そして二人は住んでいた借家を引き払い、祇園は大学の近くにアパートを借り、父親は現在、再びの転勤で沖縄の何処かの島にいるらしい――という次第である。
 こうして別居はしているものの、父親は娘にたまに会いに来ており、学費もしっかりと払ってくれている。
 高野親子は決して仲の悪くない父娘であると言えた。

 そういった訳で一人暮らしをしている祇園は、今日もアルバイトを終えて六畳一間のアパートへと戻ってきた。

 ――今日一日で、色々なことがあった。就寝前、布団の中に膝を立てて座り、祇園は今日の夢のような、衝撃的な出来事を思い出す。
 もう二度と会うことの無い……寧ろ、「会ってはいけない」と思っていた男が彼女の前に現れたのだ。その偶然に、非常に驚いていた。
 会えただけでも驚いているというのに、彼は五年間の空白があるにも関わらず、その事実を無視してあの頃と変わらず祇園と接しようとする。
 この五年間、互いに何も連絡を取らず、互いを必要とし合わなかったというのに。

 それどころか彼は今、「特別な既成事実が欲しい」などと言い、祇園に対し何かを求めているようであった。

 彼の――早海の目的は一体何なのだろうか。
 自分みたいなつまらない女をからかって、何が楽しいのだろうか。
 祇園はそう不思議に思っていた。

 それは五年前にも思ったことではあるが、此処に来てまた同じことが起こるとは、彼女にとっては予測不能なことであった。
 青井への片想いだけでも思い悩んでいたのに、これ以上の厄介ごとで悩まされることが、非常に煩わしく感じられる。
 しかし早海に聞いても軽い答えしか返ってこず、解決にならない。祇園に好意を持っているような素振りを見せるが、今見せているそれは多分、彼の「本心」ではないのではないか、と彼女は直感していた。
 ――だからと言って、嘘をつくような男でもないと信じているのであるが……。

 そんなことを考えながら、祇園は六畳間に敷いた布団の上にそのままごろりと横たわり、豆電球の明かりを見上げる。
 そう言えば、彼も母親が居ないと言っていた気がすることを思い出した。「おそろいですね」と出会って間もない中学生の時に言われたのであった。
 同じ大学で、同じようにアルバイトをして、彼の家も自分の家と同じ境遇なのだろうか……。ふとそんな風に想像してみた。しかし、

 ――あれ?そうだったっけ……?なんか、そうじゃない気がする……。

 そこで彼女は何か古い記憶を思い起こしかけた。短い会話だったので余りよく覚えていないが、何か彼とそんな話をしたような気がしていたことを。
 自分の家のような状況は、早海の家には当てはまらないと、何か遠い記憶が彼女にそう知らせていた。
 些細なことなので思い出せないが、何か、とても、悲しい話だったような――。

 ……思い出せない。だけどそれは、今日見た、あの、

 『祇園さんが……、変わってないから、だろーな』

 そう、あの切ない笑顔に似た感じの……。

 彼との忘れたい思い出がたくさんある中、祇園にとってそのことは当時の彼女にとって取るに足らないことであったのか、あまりよく思い出せなかった。
 しかし何であの男のことをこんなに考えねばならないのか、もう考えるのをやめよう、と思った彼女はそれを再び忘れ、眠りにつこうとした。
 明日光を何と言ってとっちめてやろう、また早海は自分の前に現れるのだろうか……と、困ったように眉を寄せて。

 この、彼女の記憶から欠落している、大したことはないと思っていた思い出が、全ての始まりになっていることなど知らないまま、祇園は呑気に眠りについた……。

◇拍手&簡易メッセ◇

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