もしかしたら、ただ一筋の光を探して足掻いていただけかもしれない。
もしかしたら、それは幻想かもしれない。ただ若いから、むきになってそう信じ込んでいるだけかもしれない。
それでも今は、それでいいと思えた。後悔はしないと決めて、その手を伸ばしている。
その手を握り返されたならば、それに救われたと思った瞬間があったならば、それを妄信するだけだ。
自分が信じていれば、恐くない。自分を信じることを、恐れなければ、よい。
・・・・・・・・・・
静寂が、訪れた。
海辺の旅館であるが窓を閉め切っているので、外の音は遮断され、二人きりの部屋は冷房の人工的な音が微かに聞こえるばかりである。
早海が話した最後の本心を夢中になって聞いていた祇園が、ふと我に返ってみると、自分が男の膝の上で抱き留められ、その胸にぴとりと寄り添っている姿であることに気付いた。
自覚すると途端に恥ずかしくなるが、彼女が身をずらそうとしても、今度こそ逃すものかというように早海に抱き返されてしまい身動きがとれない。
部屋は涼しいのに、触れている部分は服の上からでも熱く感じられた。
――結局、両想いってやつに、なったのかな……。
この歳まで男性と付き合った経験が無い祇園は、こうした駆け引きをすることも初めてである。だからこの会話の結果を「そう」言ってよいのか分からず、何よりそんな簡単な言葉で済む関係なのだろうかと、今までの話から思ってしまう。
しかし、どのような想いから始まっていたとしても、結論的に早海の要求するものは「恋人関係」であるのだし、その想いの正体が「何」であろうと二人が互いを想い合っているという「双方向の関係」――つまりは両想いであることは確かなのだろう、と祇園は考えた。
その眼には今までと同様の、暗い色は残っていた。そして思い上がりかもしれないが、「祇園」を求めて頼っていることも、彼女には感じられた。それが女性としてなのか、家族の代わりとしてなのか、祇園にも分からない。
だが、迷惑だとか重いだとかは思わなかった。寧ろ「自分」を必要とされていることが嬉しいと彼女は思っている。
逆に早海を頼っても、彼もまた祇園を受け止めてくれることを、今までのことから知っているからだ。
決して彼女だけが彼のお守り役になっているのではない。祇園も彼の優しさに甘えてきた。
その、双方向の関係。寂しがり屋だからか、「おそろい」の孤独だった子供だからか。甘えることがよいことかは分からないが、彼女が求めるものと、彼が求めるものが一致していた。
少なくとも、二人はそう信じている。だから五年経っても諦め切れず、今、こうして分かり合えたことに安堵している。
祇園がもしも、今この気持ちに一生を賭けられるか、と問われれば、少し返答に悩むがどちらかしか答えがないならば、「是」と答えてしまうだろう。それくらい、この相手には救われた。
――うん。早海が、いいな。
祇園はその結論に達し、彼のTシャツに縋りついた。恐れはあるが自分を信じ、相手を求める勇気を出そうと決めた。
誰もがそうして迷ったり一歩踏み出したりして生きているのだろうと、ふと斯波研や友人の面々が思い出された。知らない土地まで一人で、緊張してやってきたからか、妙に彼らが懐かしくなる。
そして胸を張って笑って生きている彼らと同様、色恋沙汰であろうとそういう「勇気」が出せた自分を誇らしいものだと彼女は感じていた。
常に何処か自信のなかった祇園がそう思うことは珍しいことで、そんな想いにさせてくれた早海のこともまた誇らしいものだと思い、彼に感謝したい気分であった。
それでもこの先彼に裏切られることがあれば、絶望に叩き落されるのだろうが、そんな時でも自分自身を信じていられるくらい、強くなりたいと今の彼女は思っていた。
早海が父親とこの先、どのような関係を築くのか誰にも分からない。幼さゆえに無神経なことを言ってしまった過去も消せない。
親子関係の溝は大きいようであるが、それも支えてやりたいな、と祇園は思った。それは同情心だけではないだろう。
早海が傍に居てくれたことに安心出来たように、頼っているばかりでなく彼を支えてやりたいと、この相手だからこそ思うのだ。
祇園はそんなことを考えながら早海に寄り添っていたが、彼も同じように両想いになれたのか疑問に思っていたようで、遂に動きを仕掛けてきた。身体を起こされ、確かめるように顔を覗き込まれる。
先程伝えたので、早海には祇園の気持ちは伝わっているだろう。瞳がまた、それを物語っている。
見詰められてどぎまぎしてしまい、祇園は顔を背けた。身体は相手の腕に閉じ込められたままに。
この状況で、「そういうこと」にならない、という選択肢などないのだろうが、それに流されてもいいと思う彼女が、祇園の中で確かに存在している。逆にこんな想いの中で結ばれたらどんな気持ちになるだろうと、本能的に期待している部分もある。
何かに心を奪われることを恐れていた少女時代。「それ」もただの生殖行為で、呆気ないものだろうと斜に構えていた。
しかし行為自体は三大欲求や種の保存の為であったとしても、相手のことを肉体を通して知りたいと、自分の身体ひとつで自己主張してみるのも、一度きりの人生、悪くないかなと今の祇園には思えた。早海とならば大丈夫だろうという、信頼もあった。
「私のこと、好き?」とありきたりながら確かめようとも祇園は思ったが、今の話からすれば単純に頷いてもらえない可能性もあり、余計に混乱しそうである。相手の所作や自分への態度から、それも含んだものであると思うしかないのだろう、と彼女は判断した。
実際のところ、そんな二文字では表したくないと思うほど、早海の中では深い感情であるのだが、そこまでは彼女もまだ理解していない。
しかし、それはこれから時間や様々なものを重ねていく中で気付いてやり、理解していくのだろう。今の祇園にはその覚悟が備わっていた。
「本当にいいですか?」と言いたいように、早海も黙って苦笑している。
もっといつものように甘い言葉でぺらぺらと語り掛けてくるかと思ったが、本性を現した彼は意外なほど静かなものだった。
余分な言葉も無く、祇園の肩を引き寄せ顔を屈めると――、彼女の唇を、万感の想いを込めて奪ってくる。
それを受け止める祇園も、「幸せ」だと自然に感じた。そんな自分に、呆れてしまいながらも。
想いを交わした上で、初めて身体を重ねられる。
それは十九と二十の男女にとって、初めての経験であった。
・・・・・・・・・・
今までとはまた違った意味合いで、祇園の胸が期待に高鳴っていた。
敷かれていた柔らかい布団に押し倒され、衣服が全て剥ぎ取られる。現れた肌を、早海の指が辿る。
頭もぼうっとしてしまい冷静になどなれないが、その一瞬一瞬は、尊いものであると彼女はぼんやり感じていた。
ただの肉欲だと言われようとも、それでもこれだけ胸の震えるセックスは二度と経験することはないのではないか。二人共に、そう思っていた。
赤い刻印を刻み込んでいく。同時にそれを、相手の心と、自分の心にも刻む。
互いに相手へと腕を回す。もう二度と離さないでと祈るように。
それを抱き返されることを期待して。そしてその願いは、叶う。
――あたたかい。
身体のぬるい温度と匂いに、自分も相手も生きていることを実感する。
心が解放されているからか、感じる場所を刺激されれば、祇園の口から高い声が自然に溢れ出す。もう、我慢出来ないと思った。
単なる快楽以外の何かに突き動かされ、まるで麻薬に漬けられたように、心を狂わされている。恋の魔力とは、恐ろしいものである。
声を出してはならないと戸惑う彼女に、「部屋広いし。聴こえても明日には帰るんだし」とあっさり言うアルバイト生の早海。この時ばかりは彼に蹴りのひとつでも入れたくはなったが、そんな理性も直ぐにかき消されるような、身も蕩ける行為が続行される。
心を相手に解放するから、身体も好くなるのだということを、祇園はこの夜覚えた。
今までの彼女はそうすることに抵抗があったが、この悦びはこれから「大人」になりゆく特権として思い切って飛び込んでしまえと、ひとつの殻を破った結論にもこの時達していた。
そして、彼に溶かされていく。あの、中学生までを過ごした土地に、二人で行った日のように。
初めて通された、早海の家での出来事を思い出す。しかし今日のこれには、その時以上の感慨がある。
ちなみにあの日彼が家に祇園を通したのは、勿論彼女に自分を理解して欲しかったということもあるようだが、中学生の時、祇園の言葉で涙を零すことになったあの暗い家で、彼女を犯したくなったという濁った願望があったことを、後に聴かされることになるのである……。
・・・・・・・・・・
そんな思いを胸に、どれくらいの時、愛撫されていたのか。
初めて異性の前で生まれたままの姿となった祇園が、早海に散々屠られ、痙攣しながら縋りつき、本性を暴かれ――それこそ放心状態にされた後、遂に彼女の身体が彼の欲望を叶える瞬間がやって来る。
「恐い……」
眼の前を過ぎる大きな赤い影に、祇園は不安を素直に零した。痛みを伴うことと、自分が自分でなくなりそうなことが。
早海は一呼吸置いた後、どうしたいのかと落ち着いて祇園に尋ねてきた。そんな彼を、祇園の方が驚いて見上げる。
――今度こそ、結ばれたいだろうに。得意の適当な甘言を囁き、自分の恐怖を麻痺させてしまえばいいのに、何故そんな無骨なことをするのだろうか。逆にそんな風に優しくされるほうが、ほだされてしまうではないか……。
早海の心配そうな顔に、祇園は苦笑してしまいそうになった。そして恐怖も和らいでいく。
彼はとんでもなく不器用か、策略家のどちらかだろう。――いや、どちらもかもしれない。しかし、自分に無いその部分も彼女には愛しいと思われた。
その一線を超える勇気くらい自己責任でなんとかしよう、と祇園は決めた。もう観念して欲求と彼に身を任せようと、不安や貞操観念など砦になっているもの全てのものを、彼女自身の心の中で壊していく。
固い彼女がそう決断する瞬間を、早海はずっと待ちわびていた。「いいよ」と彼女の濡れた唇が動くところを、切ないほどの表情で彼は凝視している。
その顔を見上げる祇園には、「もしかしたら」の言葉に心を揺らがせたという中学生の純真な少年が重なって見える気がした。
しかしその幻影は一瞬のことで、その後、祇園の脚を押し広げ、彼女が少しでも苦しまないよう配慮しながらも理性をかなぐり捨てて暴走し始めた彼は、「男」として認識された。
そして、「その時」が訪れる。
「いたい……っ!」と、祇園は正直に悲鳴を上げてしまう。体験したことの無い痛みであるからだ。
それでも愛しい相手がそれを何よりも望んでおり、それを自分の身が叶えていることをやはり幸せに思う。苦しくとも、他の人間とは為し得ないことをしている。他の人間とはここまでの気持ちにはならない。それもひとつの愛情の形であり、自己顕示のひとつであるのだろう。
行為の最中であるが逆に痛みから逃れたい一心で、本懐を成就し興奮した早海に腰を揺すられ唇を吸われながら、祇園はこの痛みを別のものに変換しようと、懸命に考えていた。勿論、無理矢理そう考えたわけでなく、自然と心に浮かんだことなのだが。
――痛かった。それでも繋がったまま一糸纏わぬ早海と抱き合い囁き合う瞬間は、これまでの人生には体験したことの無い、至高の瞬間であると祇園には思われた。それは相手も同じであると、彼女の名を呼ぶその表情と声色から信じたかった。
互いの身体は別々のものなので、感じることは痛みと快感という男女では間逆のものだが、「本能」という部分でひとつになっている。そしてこの瞬間をこの先も何度でも重ねられるよう、永遠に続くよう、それこそ若さゆえの思い込みでも幻想でも――途切れそうな意識の中、願っていた。
それが互いに抱いている願いであることに、まだ二人は気付いていなかった。
それを互いに口にし合えば、簡単に叶うのだということに気付くのは、もう少し先のこと――。
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◇拍手&簡易メッセ◇
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