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第5章
第29話 激情
 夏の夕暮れ時、薄暗くなった家の中で、一組の男女が身体を重ねようとしていた。
 玄関と離れているとはいえども、居間でこのまま行為に及ぼうとしている早海に祇園は慌てて、
「は、早海の親父さんが帰ってきたら、どーするんだよ……!?」
彼の息が首筋に掛かり、それにぞくぞくしてしまうことにどうにか堪えながら、そう口にするが、
「こんな時間に家に居たことなんかねえよ」
早海は低く、言い捨てるように呟いた。

 その口調はつまらないことを気にするなという意味か、子供の頃彼がそれに対して不満を抱えていたことを表しているのか、今の祇園には判断がつかなかった。
 そうした小さなことに気が付いたとしても、彼の手がいよいよ己のTシャツをたくし上げれば、混乱が先に立ち、何も考えられなくなる。
 ――本当にこの男に身を任せてよいのか、という不安はまだ祇園の中に残っている。
 しかしそのまま下着まで外されれば、もう何も覆い隠すものなどなく、柔らかく白いそれが解放される。全てを見られて恥ずかしいと思った祇園は慌てて胸を隠そうとしたが、その細い腕は難なく捕えられ、ソファの方に押し付けられる。
「見ないで……!」
 早海がどんな顔で己を見つめているのか、祇園にはとても見られない。顔を背けて必死に訴えるその恥じらいに赤くなった表情が、青年の劣情を益々煽っていることなど気付きもしない。
 早海はふっと笑ったような息を漏らすと両手に収まるそれに、優しく触れた。
 男の手の動きに、祇園の細い腕では叶わない。最初はその引き締まった腕を静止のつもりで退けようとしたがやがて力の差に諦めると、ただ顔だけを横に振った。
 本当は自分でも身体の内側に火が点いてしまったことを、認めながら。

 やがて、七夕の夜のように敏感な場所に触れられる。なぞられた瞬間、あの夜以上にびくん!と強く身体を反応させた。声が出かけて、祇園は口を押さえた。しかし彼は彼女の耳元で囁く。
「――声、出していいですよ。聞きたい」
 その淫靡な要求に、何もかもが初めての経験である祇園は狂いそうになる。現に下着は既に使い物にならないくらい熱いもので濡れ、繰り返し攻められるたびに、鋭く甘美な刺激が祇園の神経を震わせる。
 そのうえ薄明るい時間帯。口から手は退けたものの、唇を噛んで必死に喘ぎを堪える祇園の表情も、早海にじっくり見られているのだろう。
 彼女にとってはそれだけでも恥ずかしいというのに、果てにはそれに唇が押し当てられた。それだけでなく、舌も。
「――!?」
 未経験のそのひとつひとつの行為に、彼女の身も心も最早溶かされてしまい、今にもその快楽に理性を手放してしまいそうだった。
 どうしようも出来ずに、彼の頭に手を回す。しかしこれでは自分で押し付けて、彼にもっととせがんでいるようだと祇園は恥ずかしくなるが、何かに縋らないと壊れそうな心は耐えることが出来ないのだ。

 やがて淫らな吐息と声も、堪えることは不可能になる。呼吸と一緒に零れ出してしまうが、それでもよがる声を出したくないという思いと、快楽に溺れ後から後悔したくないと、祇園はどうにか最後の力を振り絞って口を開く。
「ずっと……私と、こう、いうこと、したかった、の……?」
 それは不安だから尋ねたというのもあった。早海はただ女を抱きたいがために、甘言を並べているだけではないかと。
 しかしそれには五年間という、余りに長い時間を彼は彼女に掛けていた。それに早海の外見と性格ならば、直ぐに性欲を満たせる相手の一人でも作れそうなものであると祇園は思っている。
 もっとふさわしい相手がいるだろうに、こんなところまで追いかけてこなくていいのに、広い大学で毎日探さなくてもいいのに――「自分なんかにここまで執着していること」。
 それが祇園には意外であり信じられないことでもあるが、逆に彼を信じざるを得ない根拠にもなっていた。

 それを彼女は口にして確かめた。ただまだひとつ、「何故自分なのか」という疑問だけは埋まっていないのだが。
 早海は祇園の胸の上で苦笑すると、上目遣いに彼女を見上げて答えた。
「まあ、ね。少なくとも、大学で会ってからは。――中学の時はガキだったし、祇園さんよりもチビだったし。せめて身体デカくなってからじゃねえと、かっこ悪いじゃん」
 あんなに優しく笑っていた彼が、以前から自分をそんな対象に見ていたことを、祇園は初めて自覚し、その胸がまた甘く疼く。あの笑顔の裏で、どれほど自分を求めていたのかを想像すると――本当におかしくなってしまいそうだった。
「で、でも、高校の時は、私のこと、忘れていたくせに。いまさら、し、信じろって言われても……」
 早海が顔を完全に上げ胸への刺激がなくなったことから、彼女は熱い息をつきながら、また疑問を投げかけた。早海は軽く溜息をつく。

「だからさ、中学の時はいくら好きでもガキだったし、そっちもチビチビ言うもんでコンプレックスもあったから、どうしようも出来なかったの。だから高校一緒に通いたいって言っただろ。……背でも何でも追い越すまで、一緒に居ればなんとかなると思ってたし」
 身体を起こすと手を祇園の顔の横につき、彼女を下に見下ろして敬語も使わずそう吐き捨てる早海を、怒っているのかと祇園は心配して見上げた。胸が剥き出しになっていることも忘れるくらい、彼の話に集中してしまっていた。
「そのくせ、そっちは俺のこと好きじゃねえとか言うしさ」
 その言葉に祇園は五年前の卒業直前を思い出す。不安と羞恥に覆われて、彼を、全てを拒絶したあの日のことを。
 ――覚えていたんだ、とやはり傷つけていたことを申し訳なく思いながらも、自分の存在が彼の胸に五年間ずっとあったことを浅ましくも嬉しく感じてしまう。
「だから余計にどうしようも出来なかった。腹立ったから高校入ったら、あと少し背伸びたら、またつきまとってやろうかと思ってたら、そのまま引越して居なくなってんだもんな。名簿見てショックだった」
 早海はそこでまた深く溜息をつくと、祇園を真剣な表情でじいっと見据えた。それは例の「陰」の空気が強く出ていると祇園は思い、眼には少々怯えの色が浮かぶ。
「嫌われて、何も言ってもらえないで。急に祇園――は消えるし、……あとは、思い出したくねーや」
 初めて名前を呼び捨てにされ、祇園の全身が何故か粟立つと同時に、自嘲的に笑い眼を逸らした早海が気になった。

 それはおそらく、あの可愛らしい笑顔から、この様々な表情を見せるようになった青年に成長するまでの空白の五年間。
 心配そうに彼を見上げたままの祇園に、彼は珍しく続けて攻撃的に微笑み掛けてきた。しかも、その手をスカートの中に侵入させ、彼女の柔らかな場所に不意に触れながら。
「人を『こんな気持ち』にさせといて、あんなひでえこと言っといて、さよならも行き先も言わずに消えちまった。そんなに俺ってどうでもいいのかって思った。――だからヤケになって、もう忘れちまおうと思った。嫌われてるんなら、仕方ねえだろ。つうか、忘れようとした。こんな気持ちにさせられるくらいなら」
 その時のことを思い出したくないと言うように、そして彼女への報復のように、早海は下着の上を指で強く擦りつけてくる。七夕の夜よりも、荒々しく、踊るように。
 祇園もその刺激に直ぐに反応した。彼の話に集中したいのに、その強烈な感覚には思わず声を上げて身体を弓なりに反らす。

 ――早海を傷つけていた。
 その罪悪感に祇園の心も痛んだ。どうすればよいのか、何をすれば罪が償えるのか分からなかった。
 「あるひとつの理由」から執着するようになった少女を失った少年は、身体が成長期を迎え、バランスがとれず精神的に不安定になる中で、大事なものに拒絶されそれを失ったことで、益々危うくなっていた。
「だから、あの頃のことなんて、思い出したくねえんだよ。毎日なんかイライラしてて――」
 忘れようと思い、一時、他の女を適当に選んだ高校生時代。早海はそれすらも思い出したくなく、そのことは決して口にせず、彼女を指で攻める方に神経を傾けると話を続ける。

「それでも、忘れられなかった。だから成長して、落ち着いたのか分からんけど、もう降参しよう、諦めて認めようって思った。祇園さんじゃなきゃダメなんだって。そう思ったら、無性に会いたくなった。嫌われたままでも、会ってスッキリしたかった。――それなのに、そっちはちっとも変わってなかった」
 彼が悩み、成長する間にも、その時よりは女性らしくなってはいたものの、ぶっきらぼうな仕草も少女のような純真さも時折見せる優しさも、大人になった彼女は何一つ、変わっていなかったのだ。まるで時を止めていたかのように。

 その時に早海が感じたものは、絶大な安心感と純粋なままだった彼女への愛しさ。
 それに加えて密かに胸の内に抱いた、どこか憎悪にも似た、熱い激情。

「しかも、呑気に他の男のこと好きになってやがるし。付き合ってたり、既に誰かにヤラれてたら、マジでどうしようかと思った」
「っ! やめて……っ!!」
 その瞬間、激白に併せるように上から何か敏感なものをきつく摘まれ、祇園の腰が跳ね上がった。それにはさすがにバランスを崩し、ソファの上から転げ落ちそうになる。早海はそれを抱きかかえると、彼女の身体を起こし、自分の座った上へと腰掛けさせた。そして後ろから無防備な姿の彼女を再び抱き締める。
「お、怒ってる……?」
 乱暴な所作と口調の早海に、少々恐れを抱いた祇園は、恐る恐る後ろの彼に問い掛けるが、
「別に。――ようやく付き合ってるっぽくなってきたから、いいけど」
その声もどこかぶすりとしたものであるが、抱き締めてきた腕は意外に優しく、彼女を痛めつけるようなものではないだろうと、祇園はほっとしていた。
 そして彼のやるせなかった激しい気持ちを初めて聞かされ、申し訳なさに胸が痛むと同時に、やはり「好きだから」という小さな言葉ひとつでは足りないのであろう、本当の「理由」が気に掛かった。

 そこまで彼が自分を求めるよう駆り立てたものは、何なのか。
 寂しさ――?そして自分は、そこまで自分を想ってくれた彼をどう想っているのか。

 祇園の答えが出ないまま、彼の中で五年分の我慢や鬱屈、彼女への思慕、そして憎悪に近いようなものすらが、強い征服欲へと形を変えて、彼女の身体を徐々に陵辱していく。勿論、いつものような彼女への絶対的優しさだけはどこかに残し、彼女の反応を確かめてやりながら。
「本気で嫌なら、そう言ってくださいよ」
 最後の気遣いを言い残すと、彼はスカートの中から彼女の下着をずり下ろし、細い足を滑らせて床へと落とした。
 そして遂に直接、後ろから触れてきた。反対の手は彼女が先ほど感じていた、小さな胸へと宛がう。
 祇園は再び悲鳴のような声を上げ、彼女は早海の胸に後頭部を押し付けた。
 しかしソファの背凭れも更に後ろにあり、頑丈な腕で抱きかかえられているので、彼女はどうにも逃れることが出来ない。彼の魔手から、胸が壊れそうな刺激から。

 正直、自慰とまではいかないが、七夕の夜以降、時折思い出しては祇園の身体は火照り、その部位を触りそうになっては手を引っ込めていた。しかし今はそんな生易しい刺激の比ではない。激しいそれに、初めての深い快感を味わされている。――彼のたった二本の指により。
 そんな風に「はじめて」の相手となってしまえば、絶対に彼が忘れられなくなる。早海のことだけを考えてしまいそうになる。それすらも彼の企みなのだろうか。
 それは本当の愛なのか、ただの刷り込みや性欲なのか、頭の中も一緒に掻き混ぜられている祇園には分からない。
 分からないことが不安で泣きそうになるが、それ以上に享楽により別の意味で泣かされそうになっている。

「ふぁっ!!」
 やがてあらぬところに指を入れられ、初めての異物感に祇園は驚き、腰を引く。
 しかし彼女の身体の準備は整っていたことと、彼の所作も優しいものであったことから、痛みはなかった。そのまま感じたことのない魅惑の世界に突き落とされる。
 しかしそうした祇園の反応を、視線で、指で確かめるたびに、早海は嬉しそうな、そして辛そうな熱い溜息をついた。
 最早羞恥も飛び、素直に悶えていた祇園であったが、早海が彼女の身体を横に向けたので、彼の方を恥ずかしくも至近距離で見上げることとなった。しかし既に理性を粉々にされている彼女は、それを逸らすことなく真っ赤な顔で見詰め返した。
 じっと互いの瞳を見ていた二人は、やがて再び唇を重ねる。
 自然に互いに舌を動かし、絡め合う。早海は祇園の唇を吸った後、手は動かしながらも唾液に濡れた口を離し、そのまま彼女の眼を覗き込む。

 そして遂に彼からの口から、祇園の中で封印していたあの言葉が――紡がれてしまった。

 至近距離で、動物のような息の中。あの日、彼女の心を砕いた言葉を。
 魔法のように。彼女を壊し、そして新しく思い通りに構築するように。

「――もしかして、俺のこと、好きになってくれました?」
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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