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第1章
第2話 二人の関係
 祇園にとってその少年は、絶対に「会ってはいけない」人物だと思っていた。
 でないと自分が「死んでしまう」と、思っていたからだ。
 

 それは今から五年前のこと……。
「祇園さん、一緒に帰りましょうよー」
 まだ声変わりしていない少し高い声が、中学三年生の祇園の後ろから聞こえてきた。と思うと、彼女より五センチほど背が低く、目の丸い可愛い顔立ちの少年がとことことついてくる。

「部活は……」
「テスト前だから休みです」
「あっそ」
 にこやかな彼とは正反対に、祇園は無表情のまま、彼の方を見もしないで冷たくあしらう。
 少年に対して祇園の風貌はと言えば、女の子といえども成長期は終わりその背は低い方ではない。顔立ちは悪くはないが色気もなく、黒く長い髪を一本の三つ編みにきっちり束ねた様は、成績が学年主席のうえに無愛想であるので、同年代の男子生徒からは一目置かれると同時に一線を引かれていた。

 しかしこの一つ年下の少年・白川早海は、
「つれないなあー。そういえばこの前の図書委員会ですけどねえー、太田のやつが……」
と彼女に対し臆することなく、聞かれもしないことをぺらぺらと喋りながら、自分を無視して歩いていく祇園と一定の距離を置き、お構いなしに後ろからついてくる。
 彼としてはこれで「一緒に帰っている」ことになるらしい。

 祇園はその話を聞き流しながら、何故こいつはこんなに自分に関わろうとするのか、と今日も不思議に思う。
 去年、中学二年生の時に、成績がよく素行も真面目であった祇園は、図書委員長を任せられた。同じ図書委員であった早海は当時一年生で、今よりも更に小さく小学生のようであった。
 そして二人は当番日が同じであることが多く、それをきっかけに話をするようになったのである。

 ――彼には母親がいないらしい。実は祇園にもいない。そして二人とも兄弟がいない。
 そのあたりのことは図書当番の時に話をしていて分かった。
 だから彼は自分に親近感を覚えるのだろうか、と彼女は自分に懐いている早海を見ては思っていた。

 そして一年後の現在、早海が図書委員長になったわけであるが、「相談」と称してこうしてよく祇園の前に現れる。
 中学生だと言うのに、このようにべたべたしていたら、普通からかわれたり、いじめられたりしそうなものであるが、この早海という少年はそういうことをされない不思議な男の子であった。
 まずその見かけがとにかく可愛い。小学生のようなあどけなさがありながら、性格も穏やかで明るく、そのくせ頭もよいので空気を読むのも上手い。よって老若男女問わず、誰からも好かれる雰囲気を作り出すことに成功していた。
 だからと言って決して女々しくもない。陸上部である彼は小柄なくせに足が速く、大会でも成績を修めているらしい。更には学校の成績も悪くない。
 しかしそれらを鼻に掛けることもなく、努力もしている。これだけ揃っていれば、隙もないと言うものである。
 
 祇園の場合、運動神経は特別よいわけでないものの、先程のとおり早海と同様成績はよく、だが口数が少ないので人にそれを自慢することなどはしない。よって、変に目立ったりからかわれたりすることはなかったが、逆に愛嬌もないため、早海とは正反対で特別人に好かれることもないのであった。
 だからどうしてこの子がこんな自分にこれほど懐くのかと、少女には理解しがたかった。

 図書委員会の話と部活の話とクラスの話を、今日もひととおりする早海をくるりと振り向くと、祇園は深いため息をついて言った。
「みんなに変な風に思われるから。私なんかにそんなに関わるな」
「えー。やですよー。おれ祇園さん、すきだもん」
「……」
 まるで天使のように眼をきらきらとさせてそう言う早海の言葉に、祇園はがっくりとうな垂れた。

 一体この言葉も何度聞かされたやら。最初はどきりとしたものだが、最近この子にとってこの言葉はきっと、カレーが好きとかそういうレベルなのだろう、と祇園は思うようになってきた。
 そしてやはり理解不能だった……。
「……知るか、バカ」
 祇園は口汚くそう言い残し、またスタスタと歩き出した。
「待ってくださいよー」
 少年はにこにこと笑いながら懲りずについてくる。

 自分にここまで懐いてくる早海に対し、どうしたらよいのか分からない祇園は、正直対応に困っていた。
 だが「もしかしたら」、一人っ子で父親の仕事が忙しい祇園にとって、こんな風に誰かが常に自分を気にかけてくれることは、嬉しいのかもしれない――?
 祇園はそう思いかけて、それを否定するように首を横に振った。

 もしかしたら、だなんて、そう思うと、その思いに囚われてしまう。だから祇園はそんな仮定は考えないようにしていた。
 「早海は『お喋りでよくわからん鬱陶しい後輩』だ」と、少女はそう思うようにした。
 だが、こんな穏やかな毎日がずっと続くような錯覚も、同時にまた起こしていたのだった。

 それは今ではもう、戻らない優しい日々のこと――。


 ・・・・・・・・・・


 そして舞台は五年後の、某大学の学食に戻る。

「それにしても。こんなところで会うなんて、奇遇ですねー。同じ大学だったんだ」
 アルバイトは先程の仕事で最後だったという早海は、あのまま昔話に突入しようとしていたが、あの場で話すのは光達の眼が気になり仕方なかったため、祇園は彼を引きずるように連れ出したのであった。
 じゃあ立ち話もなんだから学食でお茶でも飲もうと彼に誘われ、此処へとやってきた次第である。お茶と言っても自動販売機の紙カップの飲み物であるが。

 学生達でざわめく午後の構内にて……いつもと同じ風景の中、五年前に別れたきりのあの小さな少年と今一緒にいるということが、祇園は不思議でたまらなかった。
 第一、二人の出身中学は隣の県にあり、祇園はその土地から離れて此処で一人暮らしをしているのだから、尚更中学時代の知り合いがこんな場所にいることに違和感があった。
 そう思いながら、祇園は今度はココアをずずっと啜り、眼の前の青年をちらりと見る。

 人懐っこい眼はそのままだが、身体は大きくなっているし声は低いし、なんとなく面影はあるものの、どうにも祇園の中のあの男の子とイメージが合わない。
 ――だがこれは、あいつ本人なのだ。
 祇園が黙って彼を見ていると、早海と眼が合ってしまい、彼女は慌てて逸らした。

「祇園さんは、変わってないっすね」
 早海はコーヒーを口にし、目を細めて笑った。
「背も伸びてないしな」
 祇園はつっけんどんにそう言った。実際そのとおりであり、彼女は顔立ちが大人びていたのもあり、当時も高校生などによく間違えられたものであった。

「でも、やめたんですね」
 何が、と祇園が再び上目遣いで彼を見ると、
「三つ編み」
と早海は彼の日焼けした首の後ろを叩いた。確かにあれは小学校時代からの彼女のトレードマークではあった。
「あんなダサいのしてられるか」
 祇園はぶすりと言った。

 当時の色気のなさは彼女も自分で認めるが、流石に高校、大学と経て友達に刺激され、考え方が成長する中で、頑なだった「女性らしくあることへの抵抗」が少しは和らいでいた。それでも同世代の女性に比べれば、淡白な方ではあったが。
 とりあえずその黒髪は肩まで短くし、量も多かったので薄くした毛先に、軽くウェーブを掛けている。さすがにもうきっちり縛った三つ編みで、ということはない。
 研究室にいる時は二つに分けていたそれも今は解き、愛用の白衣も脱いできた。

 しかし祇園のその言葉に、短く笑うと早海は言った。
「うん、綺麗になった」
「……」
 ……このヤロウ、と祇園は早海を睨んだ。
 こういうことをあっさりと言えるこの口は昔と全く変わっていない。
 あの頃はまだ声も高く、可愛い顔をしていたからちょっとくらいこんないやらしい言葉を言われても気にならなかったものの、こんな生物学的に「成体」となってから軽々しく言う台詞ではない……と彼女は頭が痛くなりそうになっていた。

 そんな昔と変わらない相手に、ため息をつきながら祇園は言った。
「そういうこと誰にでも言ってんじゃないよ」
 相手の姿はあの頃と全く違うものの、会話の流れが同じであるので、久々の再会であったが、祇園の口調も五年前と同じ、歯に衣着せないものに戻ってきていた。
 しかし早海はきょとんとした顔をすると、あっさり言い放った。

「誰にでもなんて、言ってませんけど」
「……!!」
 ――のおおおおお!!こんの天然タラシがあああ!!!
 そのセクハラまがいの言葉に、祇園は発狂したいようなイライラに見舞われていた。

「お前、なあ! いい加減――」
と、赤い顔をした祇園が机に手をついて立ち上がった時、
「何騒いでんのよ」
数冊の本に紙カップの紅茶を持った一人の女性が偶然通りかかり、祇園に声を掛ける。

「どしたの? もしかして、痴情のもつれ?」
 いくら一般的な女性らしさを身につけたと言っても、この祇園が斯波研メンバー以外の男性と仲良く二人きりで会ったりしないタイプであることを、この通りすがりの女性――祇園の友人・橋之江美幸はよく知っている。
 だから珍しいと思ったのかもしれないが、いきなりその発想はないだろう、と祇園はがくんとうな垂れる。
 だがそんな彼女を蚊帳の外に、早海同様人当たりがよく、順応性の高い美幸は、どうもどうもと呑気に彼と頭を下げ合っている。

 ちなみに美幸は祇園と同じ学部と学科になる数少ない女子だ。
 触らぬ神に祟りなし、と彼女は斯波研には所属していないが、誰とでも仲良くなれる女性なので斯波研メンバーとも顔馴染みであるうえに、こういう言動をするあたり彼らとも気が合っているのである。
「赤の他人! ちょっとした昔馴染みだって!」
 美幸に向かって、慌てて叫ぶ祇園だが、
「そーなんですよ、昔の彼女」
一方の早海は更にとんでもないことを言い放ち、再会一日目にして彼女は彼に殺意すら覚えそうになる。

「そうなんだー。この子そういうこと何も話さないから」
とあっさりと信じる美幸と早海は再びにこにこと微笑み合い、勝手にそういうことにされてしまっている。
「なワケないだろー!!」
 実際に彼を殴るわけにもいかないので、祇園は必死に訂正するしかない。
「まあまあ照れちゃって」
 美幸も本気なのかどうなのか、笑いながら祇園の肩をぽんぽんと叩いた。

「照れてない! っつうか、早海、お前、一体どーゆーつもりだよ!?」
 もうらちがあかないと、自分をひたすらからかう青年を祇園は睨みつけるように振り返る。
 しかし座ったまま彼女を見上げている青年は、慌てることも臆することもなくこう言った。

「いやいい機会だから、本当によりを戻そうかと思って」
「……!!??」

 ……付き合ってもいなかったのに、何言ってんの、コイツ!? 私に何か恨みでもあるのか!? 恨まれるようなこと私した!? と、突然現れた青年の謎の宣言に、祇園はただただ愕然とするばかりであった。

 そこそこに平穏だった筈の彼女の毎日が、足元から崩れていく予感がしていた……。

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