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第4章
第19話 笹の葉、さらさら
 時は流れ、早海の誕生日まであと三日と迫ってしまったのだが、祇園はほとほと困っていた。
 確かに徐々に気になる存在にはなってきているが、ただ自分に言い寄るから気になるだけだろうと、彼女は頑なに思い続けており、それ以上考えようとはしなかった。
 だから、そんな相手と誕生日を一緒に過ごすことにはかなり抵抗があったのだ。
 しかし残念ながら七日の夜にアルバイトの予定はない。無理矢理予定を入れればよいのだが、何故か入れることも出来ずに居た。

 さてどうしたものか……と祇園は実験室で考える。怪しすぎる色と匂いの液体をガスバーナーで煮沸させ、もうひとつの謎の液体に注ぎ、ぼんっという爆発音を立てその煙や音を調べるという――何かの爆薬にでも使うのだろうか、という恐ろしい作業を斯波の指示通り行っているのだが、今日の彼女は突っ込むこともせずに悩んでいた。
 ――二人きりで七夕の、彼の誕生日の夜を過ごすなどと、なんと恥ずかしいことだろうか。
 七夕が誕生日だなんて、目のキラキラした、奴らしいなと中学生の時に思ったことを祇園は思い出した。
 でも七夕なんて一年に一度恋人が会うとかいやらしい日なんだからロマンティックでもなんでもない――、と心の中で毒づいた時、彼女は何かを思いついた。

 そして勢いよく机に手をついて立ち上がると、謎の液体が実験室の机に飛び散り、そこがじゅわっと音を立てて溶けていくことも気に留めず、用の済んだバーナーの火を止めて、斯波研究室に駆け込んだ。
 今日は光も弥栄も揃っている。相変わらずそれぞれに好きなことをやっているマイペースな彼らに祇園は、「ちょっと! 聞いて!」と突然提案をした。

 
 ・・・・・・・・・・

 そして七夕当日がやってきた。
 再三渋ってきた祇園が、「分かった。祝ってやる」と突然言い出して来たことに、早海は驚いていた。しかし彼女があっさり承諾したことと、呼び出された先が理学部棟前であることに、彼は既に嫌な予感がしていた。
「ほんとーに祝ってくれるんですかー?」
 まだ外は薄明るい夜七時。理学部棟の階段を昇りながら、不審そうな声を発する早海の前を歩く祇園は、「ああ」と短く答えた。

 二人が着いた先はやはり、斯波研究室――。

 祇園がドアを開けるとそこには、狭い研究室に小さめの笹竹が置かれており、
「よくわかんねえけど、たんじょーびおめでとー!」
と光や斯波がビールを片手に既に出来上がっていた。笹の下では弥栄が未だに飾り付けを行っており、美幸までもがビールを手にその輪に加わっている。
「喜べ、祝ってやろー」
と祇園は偉そうに後輩の彼にそう言ったのだが――、早海は珍しく引きつった笑顔で、言葉を失って彼女を見下ろした。

「ゼミ長」
 弥栄が祇園に声を掛け、用意しておいた短冊を渡す。
「ほい、プレゼント」
 祇園は更にその短冊を早海に渡した。
「願い事、全部書いていいから。この笹一つ分、早海のものだよ」
「……」
 たとえひくついていても笑顔は崩さない早海であったが、彼を見上げていた祇園は思わずにやりと微笑んでしまった。
 珍しく、そして今までの分――、彼女は「してやったり」という気分になっていた。


 ・・・・・・・・・・

 今は斯波研を卒業した上級生たちが、実は昨年も七夕に乗じた飲み会をしていたので、祇園はそれを思い出したのであった。
 大学の裏庭にあった笹を少々拝借し、細かい作業が好きで子供の遊びに詳しい弥栄に飾りの準備を頼み、光にビールを手配させ、面白そうだと興味を示した美幸と一緒につまみを用意すれば、「簡易七夕祭り」の完成である。
 一体何で祇園がそんなことを指示してきたのか分からないままノリで準備をしてきた面々であったが、ビールを開けてからようやく事情を理解したらしい。最早斯波研メンバーと化している早海に、とりあえずビールと短冊用のペンを渡し、
「兄ちゃんも難儀だなあ……」
と光は同情したように呟いた。

「まったくです」
 早海も大きく頷くと、やけくそのようにビールを開け、用意された短冊の前でペンを握った。
「つうか、ゼミ長ひでえよー」
 光がそう言いながら、祇園を横目で見ると、「同意」と言うように弥栄や美幸が彼女を横目で見て頷いている。

 ……な、なんで私が悪者にならなきゃいけないんだよー!

 その冷たい視線を浴びながら、してやったりと思っていた筈が祇園は居心地悪くなってしまう。しかし、二人きりは嫌だと思うものの、他に用事を作るなりして拒絶することもしなかったのは事実である。

 ――この前、パフェを奢ってもらって話を聞いてもらったからだ。

 祇園はその貸しを返したいだけだ、だからこうすることが一番いいことだと自分に言い聞かせて今日に至った。
 しかし斯波研の面々からはダメ出しのブーイングを受けてしまい、客観的に考えれば、早海が自分のことを本気で好きだった場合、確かに酷いよな、と彼女は自分でも思った。だが「彼」という人間自体は信頼していても、彼の自分への気持ちが信じきれていないので、二人きりになることはやはり恐いのである。
 そのくせ交際するかしないかの返事を先延ばしにして、このようなことをしているのも中途半端であり――。

 ……確かに、私ってひどいのかもしれない……。

 そう思った祇園は罪悪感に胸をズキズキとさせながら、誤魔化すようにビールを煽る。あっさりと皆と馴染んで話している早海を睨みながら、そもそもこんな風にいきなり言い寄ってきたこいつが悪いんだと、祇園はとりあえず八つ当たりのように彼自身の所為にしていた。
 その視線に気付いたように早海が突然振り返ったので、祇園はどきりとしてビールを咽そうになってしまう。しかし彼の口からは、そこでとんでもない言葉が出てきたのだった。

「じゃあ、そこまで言うなら、この短冊に、全部祇園さん絡みの願い事書いてもいいワケですね?」
 そこで彼はいつもの笑みに変わり――と言ってもどこか悪意のある意地悪そうな笑みであったが、それを浮かべて、遂に逆襲に出てきた。
「祇園さんとケッコンしたいとか子供は三人がいいとか、祇園さん可愛いとかむしろ今すぐ子供欲し」
「だあああああー!!!!!」
 祇園は持っていたビールを手放す(それを弥栄が受け止める)と、早海の減らず口を止めるべく、セクハラ発言を書こうとした短冊とペンを一気に取り上げた。

「えー。全部俺が書いてもいいって言ったじゃないですかー」
「そーゆーのは、ダメっ!!」
 口を尖らせる早海と顔を赤くする祇園の言い合いを外野は尻目に、
「なんだかアツいねー」
「窓開けよっかー」
と呆れたように動き始め斯波はと言えば、「じゃあ後は若い者で楽しんでねー」と戸締りを頼んで帰っていった。

「ってまあ、俺ばっかり書いても仕方ないですし。皆さんで書けばいいんじゃないですか?」
 しばし仕返しに祇園を苛めていた早海であったが、やがて本当にいつもの笑顔に戻ると祇園の手から短冊とペンを取り戻してそう提案した。
 短冊は確かに十枚以上あったので、それもそうかと早海に短冊を渡された面々は、童心に戻って何事か書くことにしたらしい。
 「はい」と祇園もにっこりと笑った早海に短冊を渡された。結局彼のペースに乗せられてしまったな……と彼女は彼を上目遣いで睨みながら内心悔しく思っていた。
 それにしても、と祇園は短冊に視線を移す。

 ――願い事……とは言うが、一体、今の自分が願うことは何なのだろうか。
 少し前ならば、彼女もこんな風に迷いはしなかっただろう。
 適当に勉強して、卒業して、就職して――。こんな風に仲間とも遊び、密かに恋もし、その相手に少しでも会えたらいいなとそれくらいのことしか望んでいなかった。このように深い関係を求める相手が現れるとは、彼女は思っていなかったのだ。
 そうなった今、自分は何を望むのか――。

 祇園がもう一度、自分をここまで悩ませておいて呑気に笑っている早海を横目で睨んだ時、
「なんか賑やかだなー」
と聞き慣れた声が突然したので、その胸がどきんと高鳴った。卒業研究の為にこの時間まで残っていたのだろうか。振り向けばそこに、青井と露花の姿があった。
「今年もやってんのかよ」
苦笑する青井に、光がビールを差し出そうとし、「今日は車だからいーや」と彼はやんわり断ったが、美幸に渡された短冊とペンは受け取った二人。
「卒研終わりますようにって書いとくか」
 就職も決まっている彼は、そう言って露花と笑い合っている。

 そんな二人をじいっと見ていた祇園であったが青井が、「で、結局斯波研入ったの?」と早海に笑いかけたので、自然とそちらの方へと視線を移動させた。
「いや、バイト忙しいんで、やめときますよ」
 首を振る彼を、祇園はぼんやりと眺めていた。青井たちの仲睦まじい姿を見ると、やはり何処か寂しい気持ちはあるが、以前と比べて心が恐ろしいほど落ち着いている。
 それは以前感じたあの、女としての「優越感」によるものだろうか――。
 そんな祇園の視線に気付いたように、早海は彼女を振り返った。楽しげな喧騒の中、ふと視線を交わした二人だが、祇園は彼のその視線が全てを見透かしているような気がして、落ち着かないように眼を逸らしたのであった。
 

 二時間ほどして食べ物も尽き、宴を終わりにすることにした。光はこれから店の七夕イベントに行ってくる、といかがわしい店のアルバイトへと出かけていった。
 発起人の祇園は、美幸と二人で茶碗などを片付けていた。実験室のシンクで残った飲み物を流しながら、ふと美幸に問い掛ける。
「……渡くんの方はいいの?」
 七夕だからと言ってデートをするカップルも居ないだろうが、それこそカップル向けのイベントを行っている店もあるのだし、自分達と過ごしていていいのだろうか、という意味で祇園は若干心配になったのであった。しかし、

「うん……。――やっぱね、しばらく距離を置くことにした」

手を止めて少し哀しそうに笑いながら美幸は言った。
「……」
「全部、話しちゃった」
 絶句している祇園に向けて、彼女は苦笑した。その内容は、森との関係に決まっているだろう。
「別れるの……?」
 声を潜めて祇園が尋ねると、美幸は首を傾げる。
「さあ。そうなるかもしれないけど、今は気持ちが整理出来ないから、しばらく距離を置きたいって言われたよ。……さっさと別れちゃえばいいのにね、こんなことしたんだから」
 彼女はそう言って自嘲的に笑う。

 美幸が彼に全てを話したのは、彼女なりのけじめや、謝ることも出来ない森の家族への罪滅ぼしのつもりなのだろうか、と祇園は想像していた。
 それは美幸と渡が決めることなので、祇園には何も言えないし言うつもりもないが――、このように切っても切れない、常に誰かを求めてしまうという「男女の業」というものをその言葉からなんとなく感じていた。
 そしてそれは、片想いの相手から、自分を求めてくれる相手へと心が傾いてしまっている祇園自身にも繋がる言葉のような気がしていた。

  

◇拍手&簡易メッセ◇

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