優しい世界の歩き方 4
逃げた先は運が悪くも霊安室だった。出る予感しかしない。
六畳程の白く四角い部屋、まず目に入ったのは祭壇だ。白い布のかけられたテーブルには様々な仏具が並び両端に置かれたろうそくには炎が灯っていた。
祭壇の前にはやはり白い布のかかったベッド、おそらく遺体はこの上に置かれて安置されるのだろう。幸いと言うべきか今は何も乗っかってはいない。
(てっきり脅かし役のスタッフでも寝そべってるのかと思ったけど)
その方が分かりやすくて逆にありがたいのだが。
ぢりっ――…炎が揺れて白い蝋が一筋重力に逆らう事なく下に落ちる。
(!?)
梅吉は咄嗟に振り返り今入って来た扉のドアノブに手をかけた。
気が付いてしまったのだ。
両側に置かれた蝋燭は長いまま、おおよそ新品と言って良い長さがある。それに炎が灯っている。だとしたなら火が点けられたのはそう前の事ではない。
(だって、先端がまだそれほど溶けていない……)
それは、
「くそ!ひらけ!」
ガチャガチャと力任せにドアノブを動かす。押しても引いても扉は開かない。
(この部屋に誰かいる!)
――ガサリ。
布擦れの音が背後でした。
「誰か!誰かいないのか!?」
梅吉は扉をどんどんと叩いて叫ぶ。
ずずっ……ずず……ずずずず……。
床に何かを引きずりながら背後から何かが梅吉の近くに来ていることが気配だけで分かる。
恐怖で振り返る事ができない。見てしまったなら、認めてしまったなら、いよいよ自分の気がどうにかなってしまいそうだったからだ。
「誰か!鈴之助!千景!」
扉を力の限り叩き、ありったけの声を上げてそう助けを呼ぶ。力を入れて握りしめた手の平、爪が刺さって痛みを覚えるがそれがようやく正気を保させているような気がした。
背後の何はゆっくりとしかし確実に梅吉の背後へと忍び寄る。
梅吉がその拳で扉を三度叩くと一歩、また三度叩くと一歩と距離を詰めてくる。
ついには背中のすぐ後ろにそれの存在を感じた。
「……あぁっ」
するり、と首に手が回る。いや、果たしてそれが手なのかは分からない。怖くて眼球まで凍り付いて梅吉は動くことができなかったからだ。ただ、生暖かい何かが首の回りに纏わりついていた。
顔の真横に何かが居て、蝋燭の炎が、それが映し出す影が白い扉に映し出されている。
その影が、
(二つ、ある……)
自分と、あと
「――――っ!」
ぐっと、首に纏わりついていたそれは梅吉の首を絞めつけた。
ぢりぢりと徐々に力が込められている。舌が腫れあがって膨張しているような錯覚、眼球がせり上がって飛び出してしまいそうな感覚があった。
手足の先から冷たくなっていく。
(だめだ、しぬ)
死んでしまう。
本当に、
遊園地のアトラクションにしてはこれは絶対にやり過ぎだ。
背後の何かは確実な殺意を自分に向けている。
「コロシテヤル」
耳に絡みつくような、粘着質な声が一言だけそう言った。
ヒューと喉が鳴る。
血が、頭の上だけに集まってこのまま首を絞められたなら爆発してしまうのじゃないかと思った。
(ホントに――…)
もう、
そう諦めた時、
身体が吹っ飛んだ。
よく見れば目の前にあった筈の扉も一緒に吹っ飛んでいる。
ガシャーンと大きな音が聞こえたのは少し後、梅吉は床に倒れたのと同時だった。
「あー!いた!探したんだからもー!」
目の前には鈴之助と千景。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
一気に空気が気道に入り次いでに飲み込む事が許されずにたまった口の中の唾液も気道に入って梅吉は酷く蒸せた。
「あらやだ?風邪?」
そんな梅吉の現状など知る風もなく鈴之助は返事を待たず喋りかけてくる。
「すまない。扉が開かなかったから蹴破ったんだがまさか扉の前に人がいるとは思わなかった」
そして千景も千景でとってもマイペースに謝罪してきた。
(一人も嫌だが、この二人相手にしてるのもやっぱり疲れるな)
相変わらず咳き込みながら早々に再会を後悔しそうな梅吉だった。
(一人って言えば)
はたと気がついて後ろを振り返る。
「誰も……いない」
そこには誰の姿もなかった。ついさっきまで確かに自分は何者かに首を絞められ殺されそうになっていたのに。
「もーこんな真っ暗で楽しげな場所に一人で来るなんてずるいわよ!」
後ろで鈴之助がそうブーイングを飛ばしていて
「蝋燭の火が、消えてる」
さっきまで点いていた筈の明かりが今は灯っていなかった。
「なんで?」
それは、まさか、やっぱり
「本物って奴?」
上から下に血の下がっていくサー……と言う音が聞こえた気がした。
それから三人で、なんとか脱出して今は遊園地内のレストランに行く事になった。通されたのは窓際の4人掛けのボックス席。
店内は話声やウェイトレスの可愛らしく高い声が店内には響いていた。
梅吉が右の奥の窓側で通路側の隣に千景、二人に向かい合うように鈴之助が一人で座る。
「あーもー喉かわいたーちかげー私、コーラね」
注文を済ましドリンクバーを頼むと当たり前のように鈴之助がそう言う。
「何故、私がお前に持ってきてやらないといけないんだ。自分で持ちにいけ」
当然だが、千景はこれを拒否する。しかし、
「レディーには優しくするものよ」
と、さも当然のように鈴之助は言った。
「「お前男だろ」」
思わず突っ込みを入れると千景と声が綺麗に重なる。
「し、しどい……こんな美女捕まえて」
顔を隠して泣き真似をする鈴之助だが、男のカッコをしている今はどう見ても美女には見えなかった。
「いいから行ってきなさいよーあんた通路側に座ったんだから、それがそこに座った奴の使命よ」
「お前だって通路側だろ」
「あたしは通路側じゃないもん。真ん中だもん」
子供の言い争いのような口論の末、結局千景は三人分のドリンクバーをとりに行く。
「スイマセン……おれ、私の分まで」
「いいさ、ついでだ」
千景は爽やかに笑って席を立つ。
結局梅吉の分までドリンクを取って来てもらう事になってしまった。
梅吉は自分で行くと言ったのだが、鈴之助が一人で待つのは嫌だとか女性には優しくすべきだとか言って結果千景一人行くはめになったのだ。
申し訳ない気持ちでその後ろ姿を見送っていると
「ところであんたさ、あの部屋で何があったの?」
千景の背中にひらひらと手を振っていた鈴之助はその姿が見えなくなった途端真面目な顔をしてそう聞いてくる。
(ああ、俺に話が聞きたかったから千景を外させたのか)
ようやく意図を理解して、梅吉は地下であった一切を鈴之助に報告した。
エレベーターが勝手に動き、そして動かなくなった事、エレベーターに何か居た事、鏡の中の少女の話。
そして霊安室で首を絞められた事。
「それで、首のとこ少し赤くなってんのね」
鈴之助は少し手を伸ばすと長く細い指先で梅吉の首を少し撫でた。
「でも、それはやっぱりおかしいわ。この世界で出る『本物の幽霊』なんて所詮データ、偽物の範囲を超える事はない。これは娯楽ゲームであって人殺しの道具ではないから脅かす事はあっても殺意を持って行動する事は絶対にありえないの」
おそらく、最初の二つはゲーム内にあらかじめ仕込まれたデータかあの遊園地の脅かし役だろう。けれど、
「誰かに一時的に憑依でもしたのかしら?そのハッカーは誰か特定の人物に成りすますんじゃなくてこの世界内のAIをハッキングして憑依して操るのかもしれない。場所的にきっと脅かす役のスタッフは居た筈、それをハッキングして操ったならあんたが襲われた理由も分かるわ」
ああ、それなら――と梅吉もある事を思い出す。
千鶴の家に行った時、飲んだ紅茶に何かが混入されていて梅吉は意識を失った。
しかし、千鶴が三郎がやったならあんなに焦って鈴之助に助けを求めるだろうか。
おそらく千鶴か三郎かそれとも紅茶を持ってきたメイドを一時的にハッキングして操り紅茶に何か薬物を入れたのだ。
「少し、分かって来たわね」
鈴之助が確信の笑みを浮かべる。
本当に少しだけれど、たしかに分かり始めた。
「じゃあ、俺、うっかり家の飯も食えなくなるじゃん」
しかしそれが本当なら、これから何も口にできない。
別に結局何を口にした所でデータしかないし実際に胃に食べ物が入るわけではない。しかしこの世界で出される食べ物は満腹中枢を刺激して空腹を満たす。ゲーム中でも時間が経てば腹が減る。
命には関係ないかもしれないが、ずっと空腹でいなければいけないなんて考えただけで耐えられそうもない。
いや、絶対に耐えられない。
それほど食べる事が好きと言う訳ではないが、梅吉だって人波に食欲はある。腹が減ったら何か食べたいと思うし、喉が乾いたら水分が欲しいと思う。それが全て禁じられるなんてゲームをクリアする前に空腹で頭がおかしくなっていると思う。
「それは大丈夫、ユーザーの自宅やその家族には二重のプロテクトが掛かってるから、それ破れるぐらいのハッカーならもう私も千景もとっくに乗っ取られて自我なんか保っちゃいないわ」
つまりはハッカーと言ってもそれほど凄腕でもないと言う事。
キャラクターのハッキングは今の所一時的にしかできないらしい。
その対象のキャラクターがモブに限るのかメインキャラもいけるのかは不明。
そして、
梅吉はそっと先ほど絞められた首をそっと触れる。
「相手は俺を本気で殺す気だ」
今日、本当に目的がはっきりした。
「じゃあ、ますます頑張って全キャラ攻略しないとね」
鈴之助は頬杖を突いてウィンクしながらそう梅吉に言う。
確かに、全キャラ攻略せずに誰か一人とのエンディングを迎えてしまったならその次点で梅吉にとってこのゲームは負けになってしまう。
隔離された世界で、さっきのように誰も助けに入ってくれない場所でもしさっきのような事があったなら、自分の命はどうなるか分からない。
勿論大人しく殺されるつもりなんてない。けれど今の自分はどうしようもなく女だ。体力も筋力も残念な事に女なのだ。
男性相手に力で勝てる気がしない。
「ちなみに、あたしは頑張ってる女の子がタイプよ」
悪戯っぽく鈴之助が言いった。
「はぁ?女の子ってお前オカマなんだから好きなのは男だろ」
投げやり気味に言えば
「違うわよー!私は女装家なだけで恋愛対象は女の子」
「へーどうでも」
言いかけて思い出す。
そして梅吉は最悪な気分になる。
(そうだった)
恐怖で忘れてたけれど。
(コイツも攻略対象だったんだ――)