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現代短編

霧の町で人を待ち

作者: コーチャー

 私は霧が嫌いだ。

 この町は、秋から冬にかけて深い霧に包まれる。その理由を化学の先生は、夜のあいだに地面が冷えて放射冷却が生じるためだと言っていたが、私にとってはそれは重要ではない。重要なのは、髪の毛である。

 私の家はこの町でも山よりの場所にあり、高校のある町の中心部まではバスに乗らなければならない。しかし、そのバス停でさえも私の家からは自転車で十五分の距離にある。この深い霧の中、十五分も自転車に乗ると私の猫っ毛はずっしりと水分を吸い込み、バス停に到着する頃には疲れ果てた主婦のようなボサボサになってしまう。

 だから霧が町を覆っている朝は、憂鬱な気分になる。

「朝からそんなにブルー振りまかないでよ」

「優子みたいな直毛サラサラ少女には一生理解できない悩みです」

 私が頬をふくらませて怒ると、優子は少し慌てたような顔で私をなだめた。同じように水分を吸っているはずの優子の黒髪は、乱れることはない。私は、神の無慈悲を恨みつつ、ハネた髪を少しでもなだめようと手櫛で抑えた。

「いいじゃない。私、佳乃よしのの髪好きだよ。ふわふわしてて猫みたい」

「どこが? 私は優子の大和撫子みたいな黒髪ストレートに生まれたかった」

「こんなの座敷童だよ」

 優子は胸の上まで伸びた髪をひと房掴むとため息をついた。そして、

「大学生になったら絶対、茶色に染めてパーマあてる。ユルフワ系になる」

 と、決意を述べた。

 優子と私は、いつもこのバス停で待ち合わせをして高校へ向かう。優子の家は私の家よりもこのバス停に近いがそれでも十分はかかるという。途中、交通量のある道路があるので今日みたいな霧の日は、車が見えず怖いという。

「あっ、バス来るよ」

「……、ホントだ。耳いいよね」

 霧でバスの姿は見えなかったが、遠くからエンジン音が近づいてきて来るのが分かった。しばらくするとヘッドライトの光がこちらを照らし、ようやくバスを確認することができた。霧の中で、信用できるのは耳だけなのだ。

「牛女の話、聞いた?」

 無事、バスに乗り込むと優子は、好奇心と不安を混ぜ合わせた瞳で私に尋ねた。

「あー、聞いた聞いた。三組の室尾が見たってヤツでしょ? ウソくさいよ。室尾ってお調子乗りだし」

「でも、同じ三組の小林君と森君も見たらしいよ。霧のなかに真っ赤なワンピースを来てる女がいるな、と思って近づくと、顔だけが牛になっていて口からだらんと舌を伸ばして笑うんだって」

 牛女は、高校で話題になっている噂である。

 霧の深い日に限って町に現れる半人半牛の化け物。その姿は、身体は人間で顔は牛と言われることもあれば、身体は牛で顔は人と言われることもあった。目撃者によってその姿が変わるのである。だから、最近では信じている人はあまりいない。

 噂が広まり出した頃、この話を祖父にしたことがある。私が牛女の特徴を述べると祖父は少し考え込むと言った。

「身体が人で顔が牛? ……、あー、くだんのことか?」

「くだん?」

「そう。人偏に牛、と書いて件。文字通り、人と牛だ」

「件ね。で、その件はなにかするの?」

「どうだったかな、ずいぶん昔に聞いただけだからな。何かして直ぐに死んだという話だった、と思う。話を聞いた時に随分と病弱な化け物だ、と拍子抜けした覚えはあるんだが」

 どうやら、件は病弱な化け物らしい、ということは分かった。しかし、具体的になにをするのかは分からなかった。祖父の話では大したことはしなさそうだし、病弱なのなら大丈夫だろう、と私はほっとした。怪談とか怖い話は苦手なのだ。

 

 その日は霧に加えて雨まで降っていた。

 私は盛大なため息をついて家を出た。雨に霧、私の天敵である湿気は最高潮。髪はおさまることを知らず、跳ね続けている。少しは私のことも考えて欲しいものである。

 傘差し運転でバス停にたどりつくと、優子はまだ来ていなかった。私は優子が来る前に少しでも髪の毛を整えようと手櫛やブラシを使って見たが劇的な効果は見られなかった。そんなことをしていると不意に赤いモノが視界の端に入った。

 優子が来たのかと振り向くと、そこにはいつの間にか赤い傘を差した女性が立っていた。傘で顔は見えないが、服装から二十代前半から後半の印象を受けた。手にもう一本黒い傘を持っているので誰かをバス停まで迎えに来たのかもしれない。

「よく降りますね」

 女性が言った。若い声だった。

 私は髪の毛と悪戦苦闘していたのを見られていたのかと思うと赤面する思いだったが、「そうですね」、と答えた。

「雨って好き? 嫌い?」

「私は嫌いです。ほら、見ての通り猫っ毛なんですぐにはねちゃって」

「それは残念。私は好き。だって雨が降らないと傘って差せないでしょ。せっかくお気に入りなのに。あと、雨が降ってるとあの人を迎えに行けるから」

 女性ははにかんだように笑うと、手に持った黒い傘を揺らしてみせた。私はといえば、これは惚気けられたなぁ、と思い彼氏のいない我が身を嘆いた。それから何気ない会話を女性と続けていると携帯が鳴った。


『ごめん、寝坊した。遅刻する』


 優子からのメールは簡潔な内容だった。旅は道連れ、とはよく言ったもので高校までの短い道のりであっても相方がいないというのは寂しい。しばらくして、霧の向こうからバスがやってきた。私がバスに乗り込むと、女性が黒い傘を差した男性と歩いているのが遠目に見えた。相方がいるのというのはやはり、羨ましい。



 それからしばらくした深い霧の日、私はバス停で優子を待っていた。

 しかし、バスが発車する時間になっても彼女は姿を現さない。何度か携帯にメールを入れたのだが返事は帰ってこなかった。諦めて、バスに乗り込もうとすると後ろから声がした。

「ちょっと待って」

 そこには赤い傘の女性が立っていた。その姿に私は違和感を覚えた。それは傘のせいである。今日は濃い霧が出ているが、雨は降っていない。いくらお気に入りの傘であっても差す意味はない。私が首をかしげていると彼女が言った。

「お友達のところへ行ってあげて」

「お友達って優子のことですか?」

「そう、早く。そうじゃないと、あなたはとても後悔するわ」

 私たちが話しているとバスの運転手が「行ってもいいかい?」と少し怒ったような口調で言った。私が頷くと、バスは扉を占めると霧の中へ消えた。

「なんですか? 優子がどうしたっていうの?」

「いいから、早く行って!」

 いきなり、彼女が声を荒げたため、私は気圧される形で優子の家の方へと向かった。

 霧が深く、見通しが悪い。どうして、こんな霧の中を優子の家に行かなければいけないのか。もう、バス停に戻ってやろうか、と考えていると道路の真ん中に黒い塊が見えた。霧のせいでよく見えないが塊は確かに動いていた。

「い……たい。痛いよ」

 それは聞き覚えのある声だった。

 私は、慌ててその黒い塊に近づいた。そこには大破した自転車と傷だらけで倒れた優子がいた。

「優子! どうして」

「……あ、佳乃。迎え……に来てくれ……たの」

 そういうと、優子は気を失った。

 あとで分かったことだが、優子はバス停に向かう途中、車に轢かれたのだ。彼女を轢いた犯人はこの近くに住む主婦だった。轢いたのが怖くてそのまま逃げたのだと言う。

 優子は発見が早かったため命を取り留めた。しかし、私が迎えに行かなければ優子の命は危なかった。あのとき、彼女が言ってくれなければ私は優子を見つけることもできず、後悔し続けることになったに違いない。

 次の日、私は一言お礼を言いたくてバス停の前で待っていたが、彼女は姿を現すことはなかった。代わりに遠くで葬列が山に向かっていくのが見えた。ひとつ間違っていれば私は今日、優子の葬列に加わっていたのだと思うとぞっとした。

 彼女に会えぬまま、数日が経ったあるとき、祖父が私に言った。

「前に話した件の話だが、なにをするのか思い出したよ」

 正直、いまは件のことなどどうでもよかったが、祖父は私に有無を言わせず話を続けた。

「予言だ。件は予言をして死ぬ。件は予言をするために産まれて、予言を終えると死ぬ。そう言う化け物だ」


 私は雨の降る霧の日、また赤い傘の女性がバス停に立つのではないかと期待するが未だに見ることはできていない。彼女が一体何者であったのか。死んだのか生きているのか。件だったのか、違うのかそれはずっと霧の中なのだと思う。

 だが、私は件の人を待つ。 

 

霧にまつわる面白い作品を読んだので感化されて書いてみました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 件が、伝承通りであれば「頭部が人、身体が牛」であるところを、「頭部が牛、身体が人」と前置きして、ちょっと滑稽な妖怪の印象を思い浮かべたところで、「傘で顔を隠した人」を登場させてゾクッとさせ…
[良い点] いくつか作品を読ませていただきましたが、非常に文章力が高いと感じました。小説家になろうにはもったいないくらいです。 一人称での心理描写の書き方、心情への移動の仕方など、とても勉強になりまし…
[良い点] 拝見させていただきました。 ”だが、私は件の人を待つ。” って表現がすごく、グッ!ときましたw [一言] 件っていう妖怪がいたんですね・・・ こんなにいい妖怪なら会ってみたいような、み…
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