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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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4, 森野医院

 朝の目覚めは普遍的にやってくるはずだったのだが、まず私には普遍的目覚めというものがどんなものなのかを思考する必要がありそうだった。
 鳥のさえずりが目覚ましになるのか、はたまたカーテンの向こうから漏れる太陽のさんさんとした光によるものなのか、それともお隣さんがわざわざ起こしに来てくれるような漫画みたいなものなのか。
 どれにも当てはまらない今日の私の目覚めは、携帯のアラームかと思いきや、メールの着信音での目覚めだった。お気に入りの曲が数秒間バイブレーターと共に鳴りだし、置いていた机の上で五月蝿い音を立てた。

「朝っぱらから、誰よ全く……」

 しぶしぶ私は机の上に手を伸ばした。ベッドから勉強机までの距離は短い。手探りでニスが塗ってあるだろう、つるつるした卓上を掌が滑る。携帯のごつごつした感触は…無い。
 仕方なくベッドから身を起こして、ぼやける視界の中で射程距離を伸ばして手探りを再開した。そのうち、手に馴染んだ感覚を捉える。ピンク色の携帯を手にとって親指だけで画面を開いた。
『着信・灰田』と記されたものが三件ほどと、メールが四件。全て同じ送信者からだった。
 昨夜は携帯を確認しなかったため、昨日の夜中からメールと着信が溜まっていたようだ。とは言え、昨日は調子が幾分悪かった。たとえそれを確認したところで返信、もとい電話をしたかと言えば恐らくしなかっただろう。
 ……いや待て。
 私は寝ぼけた頭で、ある重要なことに気が付いた。一気に覚醒を催すほどの事実は、若干の恐怖を私に呼び込んだ。

 ――何故あの男が私の携帯番号とメアドを知っているのだ。

 無論、教えた覚えは記憶の片隅に散らばる残骸の欠片の一部分、なんていう遠い親戚の話をするような言葉を並べても見当たらない。間違いなく言った覚えはないし、携帯を見られたことすら無ければ、灰田は昨日知り合ったばかりの男なのだ。少し気味が悪い。
 電話をかけ直して問いだしてやろうか迷ったが、せめてもの抵抗のつもりで無視を決め込むことにした。今日は土曜日で休日。小学校低学年までは午前授業があったが、今では必要かも分からないゆとり教育とやらで完全休日。政府がお与えになったせっかくの休みをみすみすわけの分からない男のために費やす必要も無い。
 私の1日は至って普通に始まる。洗顔、整髪といったこれこそ普遍的日常の象徴。普段はやらない朝シャンと呼ばれるものもやってみた。思いのほかすっきりする。癖になりそうだった。
 朝食は簡単に、白米に味噌汁、加えて鮭でもあれば失われた日本の朝食に近づけたかもしれない。考えてみれば、日本の朝食は白米がベースだったはずなのに、多国籍文化だったか知らないが、いつからパンが普及し始めたのだろう。時折朝食に白米は当然だという意見を口にすると、友人からは「えっ?」という反応が返ってくる時がある。私からすればそっちのほうが大分異常だ。
 家族が私より数分遅れてリビングに降りてきた。奇異の目で私を一瞥すると、すぐに洗面所に入っていった。もはや声すらかけないのかと、自分のした奇行に改めて驚く。
 やはりそれもあの灰田のせいだ。こんな朝早くに起こしてくれて全く迷惑だ。
 洗面所から両親が戻ってきた。二人ともパジャマで、瞼を眠そうにこすっている。私の用意した朝食の前に座ると、私も同じくして席に着いた。

「頂きます」
「頂きます」
「……」

 まただった。
 何故かは知らないが、一気に食欲が失せて、本来口にするべき挨拶を忘れた。
 黙り込んだ私に、両親は不思議そうに聞いてきた。

「昨日からあなた少しおかしいんじゃない?何々、恋わずらい?」

 お母さんがニヤニヤして乗り出してきた。昨日もそれは考えたが、有り得ない。というより有り得て欲しくない。

「ならなんなのよ。病気かしら」
「食欲が無いみたいだな。腹痛とかはあるか?」
「ううん。お腹の調子は……」

 と言いかけて、考えてもみれば病気の可能性を何故考えなかったのかに気付いた。確かに腹痛は無いし、吐き気も間接痛も熱もないが、最近は病原菌渦巻く御時世だ。可能性を考えてみる価値はあるかもしれなかった。

「保険証渡すから、今から病院行ってきなさい。悪くなってからじゃ面倒だから」

 そう言って酷く年期のありそうな保険証を手渡してきた。更新とかしてるんだろうか。



 病院の名前は森野医院といって、名前の通り鬱蒼とした森林の中にある病院だ。空気が良いとかなんとかいい訳をつけて、院長が建設したらしい。ちなみにデザインも院長のものだとか。そのおかげか何か知らないが、安らぎの空間だか、そんなことで雑誌に取り上げられているくらい名の知れている病院でもある。
 だが、問題が一つだけあった。
 森の中というだけあって、その道のりが普通と比べると険しい。病人に対して安らぎの前の試練とでも言いたいのか、全く持って皮肉な場所に立てたものだと思う。
 険しいというのは、一般的に見れば『道路が舗装されていない』ということを言うのだろうが、私にとっては何よりも『森』という存在自体が険しい。
 優等生を気取りたい私にとって、最も自虐すべき弱点がある。それが『虫』だ。
 六本足の昆虫だろうが、それ以外の害虫だろうが、あの小さなフォルムに収まるグロテスクさといったら、言葉にしたら四百字詰め原稿用紙十枚は書けそうなほど。無数の網状の眼球に葉脈のような羽といい、何故あんなにも醜い形に神様は想像してしまったのか、敵ながら同情したい。
 そんな悪魔の形相を浮かべる未知の生命体が蠢く森林。季節は春先で、ちょうど活動を始めた虫たちが空をひらひらと舞っている頃だ。
 ああもう、考えただけでも虫唾が走る。大体何なのだ、動物に分類すらされないくせして稀に毛が生えてはいるし、無駄に毒を持ち合わせているくせものはいるわ。地球上に無脊椎動物よりも速く誕生したからと言って調子に乗るのもいい加減にして欲しいものだ。世界で最も生物の種類と数が多いとされているとしても、私は屈するつもりは全くない。
 大体虫を好いている人間の気が知れない。
 ぶつぶつぶつぶつ……。
 頭の中で無限の愚痴をこぼしていると、目先に白い建物が現れた。清潔感漂うとは言い切れないツタの伸びた看板に『森野医院』と乱雑な筆書きで記されていた。この病院が名高いと言ってしまうのならば、大学病院には神でも住み着いていそうだ。
 カランカランと引き戸の上に取り付けられた来客を知らせる鈴が鳴る。まるで風鈴のような音で、ここに来るといつも季節を間違えそうになる。
 中はとんでもなく殺風景かつ自然的で、ログハウスと名付けるのが良いのではないだろうかと思う。だが、客足はちらほらと見え、伊達に雑誌で紹介されただけではないようだ。

「すいません、診察受けたいんですけど…」
「はい。では、ここに具体的な症状と質問にお答えいただいて、診察の時に持っていってください。保険証はお持ちですか?」

 私はお母さんから手渡されたそれを、看護士に渡した。その代わりに、下敷きと用紙をもらって青い椅子に座る。用紙には適当に『食欲がない、風邪っぽい』とだけ書いて、後のわけのわからないアンケートには全て『いいえ』で答えておく。
 そのうち自分の名前が呼ばれた。
 診察室に入ると、優しそうな女性の医師が白衣を着て、椅子をくるくると回している。カルテを見ているようだったが、私の書いた用紙に別段特筆すべき点はない。見るだけ無駄ですよと言いたくなったが、それを喉の奥で堪えた。
 診察は簡単に、聴診器を当てられて喉の奥に棒を突っ込まれただけだ。……なんだか言っていて変に思える。
 喉の赤さと心臓のリズムで一体何が分かるのだろうかと思うが、医師の判断には抵抗できないのが日本人の性だ。私もいちいち路地をうろつく不良に声をかけるほど勇気のある人間じゃない。

「多分風邪ですね。春先は体調を崩しやすいですし」

 定番になった言葉だ。最近はこれが有名になりすぎたせいで、何かと理由をつける医者が多いが、この病院はまだ典型的タイプのようだ。多分、とか付け加えている点は保険なのだろうか。

「食欲が本当に全く湧かないんですけど、それはどうしたらいいんでしょうか?」
「風邪のせいで胃が弱ってるだけだと思いますよ。一応整腸薬と風邪薬出しておきますね」

 診察室を出ると、昼間に差し掛かってきたせいかご老体の方々がちらほらと姿を現していた。これはどうやら嫌な病気をいただきになる前に撤退したほうが良さそうである。
 薬局と病院が一貫してあるこの施設で、三種類ほどの錠剤の説明を軽く受け流しながら聞き、私はさっさと帰宅することにした。



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