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セルフ・ディストラクション 作者:白鳥準
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32, 黒住儀軋

 黒住の目の前には何も無くなった。血みどろの女も、最後に言葉を託した男も、口うるさい少女も。ただ虚しさだけが図書室に残り、吹いてもいないのに風が通り抜けていくようだった。掴んでいた拳銃が床に落ちる。黒住はそれを目にも留めない。
 思えばこの重みを手放したのはいつ以来だろうかと黒住は記憶を巡る。師である人物の意志を継ぐと決めてからこの方、手放したことは無かったかもしれない。人殺しをするたびに重くなっていく一発一発を詰めていき、いつしか重みを感じないまでに重くなっていったそれは、思いのほか床の上では音を立てなかった。そんなものだったのか、と黒住は毒づいた。
 身を翻して図書室を出る。と、長い廊下の先に見覚えのある人物が立っていた。

「貴方も……ここの人でしたか。黒住……」
「久しぶりすぎて忘れていると思っていたよ、儀軋」

 ほろっと零すような笑顔を見せたその人は、黒住の師、黒住此処だった。最後に成田空港で見た、あの日のままだった。お世辞にも若いとはいえない皺くちゃの肌にまともに整えもしないボサボサの髪、黒ぶちの伊達眼鏡。そしてやけに豪華に着飾られた不釣合いな服が印象的だ。見かけは気にするが、手入れするのが面倒くさいといった様子の身なりだ。老婆のようなしゃがれた声が彼女の口から発せられた。

「白椿を……解放してくれたんだろ? 良くやってくれたよ、儀軋。正直あたしは無理だと思ってたんだ。あんたはあたしたちみたいに異端じゃないからね」
「俺は、自分に嘘をつきました。一番嫌いな嘘を」
「良いんじゃないのか? 嘘をつかない人間はこの世にいない。あんたは真っ当な人間だったって証明された、ただそれだけのことじゃない」
「しかし俺は……黒住であること一度止めた」

 ふぅ、と此処は距離を取っていた廊下を黒住に向けて歩いてくる。そして目の前数センチまで来たところで立ち止まる。身長の差か、黒住は自動的に彼女を見下ろすような形になる。それがなんとも申し訳なくて、黒住は思わずひざまずいた。
 此処はその位置に黒住が来たことに思わず笑みを零し、優しく黒住の頭の上に手を置いた。

「あたしがあんたにして欲しかったのは黒住になることじゃない。それはもう諦めたって前に言っただろう? あたしがして欲しかったのはただ一つ、間違った世界に生まれたあたしたちの存在を白椿にも知ってもらうこと。そしてこの世界から連れ出してやること。そうだろう?」
「はい……」
「あんたは良く頑張った。どれだけ手を汚してきたかはあたしには想像出来ない。でも分かる。あんたは頑張った」

 数多の人を殺してきた。それが男であれ女であれ、老人であれ子どもであれ、人間であれ異端であれ。それは全て此処の後を継ぐための行為だった。彼女もまた数多の人の命を奪ってきた紛れも無い悪であったのだ。
 嘘という足を一歩一歩進め、真っ黒な階段を一段一段上がっていき、その頂上に見えたのはこの世界だった。そこで彼は、足を止めた。

「もうお帰り、儀軋。あんたの生活してた世界にさ」

 なんと魅力的な言葉だろう。黒住は思わず顔を上げる。その先には優しそうに微笑みかける此処の顔があり、すがりつきたい気持ちに駆られた。だが、黒住はあえてその気持ちを突き放し、立ち上がった。

「俺は、異端という階段の頂点を目指して、貴方という頂点を目指して今まで歩いてきた。しかし、もう限界を感じた。俺が立ち止まったのはまだ踊り場だったんだ」
「儀軋……」
「しかしその先に行く奴がいた。それもまるで苦労してないような、今までエスカレーターに乗ってやってきました。貴方は徒労でしたね、とでも言いたげな顔で俺を見下して、だ」


 此処は黙って黒住の言葉を待っている。弟子の成長を心から喜んでいるように。

「悔しいと思う。が、俺はこの先に進めないし進みたいとも思わない。だから、俺はこの踊り場でそいつの土産話を待つことにする」
「それは何故?」
「行く末を見たいからさ。創世者である、灰田が求めた結末のな」
「欲張りだね、行かないくせして結果を求めるのかい」
「レールを敷いたのは俺だ。その上を走るのは列車。人間は走れん」
「そうかい……」

 彼は一体なにを求めたのだろうか。壊れた人間の壊れた世界を創世した彼はどんな想いだったのだろうか。それを黒住は知りたかった。レールを敷く人間にもたどり着けず、レールの上を走る列車にもたどり着けない。『レールを敷きながら走る列車』のみに許される先を、彼は知ってみたかった。
 沈んだ廊下に二人の沈黙だけが蔓延る。その空気に耐えられなくなって、黒住は何か話題は無いものかと頭を模索し、一つの質問を思いついて口に出した。

「貴女は、どこに行くんですか? 奴らと同じ場所ですか?」

 白椿は消えた。どこに消えたのかは分からない。人間の世界という現世うつつよとはかけ離れた世界に生まれた彼らの行く先もまた、黒住の知りえないところだった。此処は自嘲するような笑みを浮かべて答えた。

「あたしは地獄に堕ちる予定だよ」
「……地獄、か」

 不思議と不可解なつっかえは残らなかった。むしろ妥当だろうと黒住は思う。

「あたしが殺し尽くしてきた人たち全員に土下座しに行くのさ。天国に行っちまった奴には悪いけどね、どう考えてもそっちには行けそうに無い。大体、『悪』を象徴する存在として生まれてきて天国に連れてってもらえるってのもおかしい話さ」
「同意します。だが、『生まれることの無かったはずの人間』を排除し、世界の均衡を保とうとした結末がこれというのも不遇な話だ。結果的に人を殺したことには変わりは無いんだが」
「そうさ。経過がどうあれ、破壊したものが何であれ、黒住はそういう立場だ。あたしたちは諸刃の斧、不要な木を切れば切るほど刃こぼれしていく。結果的な自己破壊。下らない、あてつけみたいな言葉さ」

 白椿と何ら変わらない。そう此処は重苦しい表情で最後に付け加えた。ふぅ、と一度ため息を漏らし、言葉を続ける。

「連日の連続誘拐事件、犯人あんたなんだろう?」

 黒住の瞳に一瞬同様の色が写ったが、すぐに諦観する。気付かれないわけが無いのだ、黒住の目指す師である彼女に。

「派手にやったねえ。あたしもジャンボジェット機に弾かれて無理心中とか考えた口の人間だからあんまり人のこと言えたもんじゃないけど、ものの数日で世界中の異端を片っ端から抹消していくとは思いつきもしないし、無謀ってもんだよ」
「灰田には妥協はしない。奴にどんな考えがあり、どんな望みがあるのかは知らない。だが奴が許されざる行動を取っているのは確かだ。それを許す理由が無い」
「それで異端を消した。で、罪悪感は?」
「――無い。無論、これに嘘は無い」

 はっきりとした口調だった。
 此処はその言葉に腹を抱えて笑い出し、涙目に言い放った。

「そうかい、それじゃあ、あんたも地獄行きだね」

 黒住も似合わない笑顔で答えた。

「喜んで」

 人を殺しても悲しまない世界。それが黒住は大嫌いで仕方が無かった。自分がそんな世界に足を踏み入れたことだけは、この黒住という姓名を受け継いで唯一後悔したことだった。自己破壊については異論など何も無かったが、その先にある結果が殺人という狂気的なものであり、言うまでも無いが常人である黒住にとってそれが後味のいいものであったはずが無かったのだ。
 人を殺したことに罪悪感が無いと嘘をつき、人が死んだことに悲しみを覚えないと嘘を付き、そうしていくうちに黒住の身体は自分に対する悪意へと染まっていき、嘘が本当になった。よって彼は、嘘をつかなくなった。
 大人になり、権力を手に入れ、黒住の目的は目前となった。そうしてそこまで来たところで、初めて黒住は気付いたのだ。自分が立っている世界がいかに狂っていたかを。

「地獄なんて生易しい。今まで俺がいた世界に比べればむしろ優遇されてるというものだ。もう、殺さなくて済むのだからな」
「ははっ、殺すのと殺されるの、どちらが辛い? っつってね。馬鹿げてるよ、本当に」

 此処は何かを懐かしむような穏かな視線をどこともなく向けて、微笑していた。
 うん、と背伸びを一つ、老人の身体には立ち話は堪えたのだろう、気だるそうに肩を回しながら身を翻して黒住から少しだけ距離を取る。 

「さて、あたしはもう行こうかね。現世の未練は全部あんたが背負ってくれるみたいだし、年よりは若いもんに任せてさっさと逝っちまうとしようか」
「そうですか……。師よ、最後に問うて良いだろうか」

 背中を止めることは無い。黒住は送り出す気持ちを込めてそれを言う。

「俺は、貴女の背中に、追いつけただろうか」

 目指したものは遥か遠く、加えて次元も違った。それでも黒住は目指さねばならんと自分を戒めて追ってきた。時には胃液を吐いた。時には血を啜った。そうして汚れていく中で、一歩近づいた気になった。しかし思い返すとまだまだ足りないことに気が付いて、もっと手を伸ばした。手を伸ばすたびに、普遍から遠ざかっていき、自分を見失った。そうするたびに、師に近づいていった。
 けれども師はいなかった。死んでいたからだ。目指す目標の形を失くした黒住は、自分の中での最高の悪を定めて走った。それが師に近づく道かどうかなど全く分からないまま、血の雨の中を突き進んだ。
 問いを投げかけた。自分はこれでいいのだろうか、無駄な殺生を繰り返しているだけで、何の結果も得られていないのではないだろうか。黒住の悪意に近づかず、犯罪者への道を辿っているのではないだろうか。しかし思いを振り切って、自分に嘘をついた。
 安心感を得られたのはつい最近の出来事だった。白椿を追っていた先で見つけた一人の女学生。一見して普通の学生で、黒住は単純に『異常だ』と感じ取った。その学生が口にした言葉を思い出す。

『――貴方は、正義を振りかざす悪意なのね』

 それはまるで、師の言葉のようだった。そして次の一言で自分を定められたのだ。

『貴方みたいな人間ということね』

 それはつまり、白椿と、灰田と似ているということだ。追ってきた道は間違いではなかった。今思えば、黒住はあの女学生に感謝してもしきれないほどの言葉を貰ったのだ。恐らく皮肉だったのだろう、女学生は黒住を毛嫌いしているように思えたからだ。しかしその一言で、黒住は自己破壊を完遂したと自信をもって言えるようになり、師に近づいたと胸を張れるようになったのだ。
 そして今、たどり着いた道の上に師の背中があった。

「――ごめんなさい」

 此処は謝った。しかし黒住は黙っているだけで、口を挟む気など毛頭も無かった。師の言葉を待つ。

「あたしは寂しかっただけなんだ。白椿が、孤独で苦しんでいて、あたしが孤独なわけがないだろう? 黒住には仲間が沢山いるなんていうのは嘘さ。本当は孤独で、孤独で仕方が無いんだ。人を殺すなんて有り得ない芸当をしているのに誰も攻めないし、何も起きない。いっそ警察に捕まって牢屋にでもぶち込まれた方がましなくらい虚しかったんだ、誰とも関れないってのはさ」

 声にどもりが生じてきた。肩が黒住からでも分かるくらい上下している。

「仲間が欲しかった。誰かあたしが死んでも覚えてくれている人が欲しかった。だからあんたを見つけたとき、こいつをあたしと同じ人間にしてやろうって思ったんだ。老人にありがちな悩みだろう? 笑ってやってくれ……。今更だとは思うけど、あたしはあんたに対してやっちゃいけないことをしちまったんだ」

 此処は必死で謝罪していた。自分の欲望を抑え切れなかったことと、黒住を『普通』から遠ざけてしまったことへの罪悪感から、止め処ない涙を流していた。

「あんたがそうやって苦しんでいたとき、あたしは後ろで笑ってたんだよ。あんたに面倒なもん押し付けて死んで、満足してたんだよ……」

 押し付けたものは重く、大きい。此処が今で考えれば、有り得ないほどのものを押し付けてしまったと後悔している。その様子が、黒住にはぼやけて写っていた。
 ――らしくもない。
 黒住は思わずそう呟いていた。

「らしくもない。貴女らしくもない。貴女は黒住だ、常に悪意を向け、悪いことをしてればいい。俺に自分の重圧を押し付け、のうのうと暮らしているが良い。それが貴女だろう」
「それでも、あたしは謝らなきゃならないんだよ……関っちゃいけなかったんだよ、あたしたちは」
「――言うな!!」

 此処がビクッと身体を震わせるほどに大きく黒住が叫んだ。拳を握り締め、歯を食いしばり、言葉を繋ぐ。
 気持ちは痛いほどに理解できた。一体何度黒住自身が挫折しそうになったかなど数え切れないほどの領域にあるほど、孤独の痛さを理解できた。だからこそ、彼はその発言が許せない。

「俺は貴女に確かに救われた。命だけではない、生き甲斐も貰い、道しるべを貰い、生きていく理由を貰った。それを全て間違いだと言うのか。ふざけるな、俺は、確かに貴女の後を追って良かったと思っている。これで良かったのだと、心の底から思っている! 貴女に利用されていようがなんだろうが関係ない、俺はそうして、拠り所を得られたのだから……」

 孤独だったのは此処だけではない。黒住もまた、孤独だった。
 しかしそんな中に現れた女性が黒住此処であり、彼にとって最初で最後であろう敬愛する人になった。その背中を追って、何の後悔があろうというのか。その人物に重荷を背負わされて、何の不満があろうというのか。

「貴女の望みは俺が叶えよう。俺が死ぬまで、俺は貴女のことは忘れない。決して、忘れない。……だから、今度こそ安心して行って下さい、黒住」

 黒住は耐え切れなくなって俯いた。懐からサングラスを出して、日も出ていないのにかけた。何かが、溢れないように。

「――そうかい」

 そして、此処は決意したように言う。背中は今だ黒住に向けたままで。

「じゃあ、あたしは先に地獄でパラダイスを満喫してくるとしようかね。弟子にそれだけ想われてるって知って、あんたのお願いを聞かないわけにもいかないだろう」
「いつか必ず、後を追います……」

 その弟子の言葉に満足し、此処はついに歩き出した。
 一歩歩く音を聞くたびに、黒住は一つの思い出を思い出す。
 黒住此処に拾われたこと。
 黒住此処に育てられたこと。
 黒住此処の姓名を襲名したこと。
 黒住此処の後を追っていた時のこと。
 そしてそのすべてが、今解放される。
 優しい、とても優しい声だった。その発言は一体誰に向けた悪意だったのだろうか。此処自身なのだろうか、それとも黒住にだろうか。それとも、悪意自体なかったのだろうか。
 生き甲斐を与えてくれた人物の最後の言葉。しかと、心に刻み付ける。

「お疲れ様。あんたはあたしの後をしっかりと付いてきてくれた。安心していいぞ、あんたは、あたしの最高の家族だ」

 そうして、笑顔だけ残して、黒住此処はこの世から消え去った。その後を追うように、黒住は、一人涙を流した。

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