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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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29, 優等生の天才

 異変なんてものはもう何も怖くないと思っていた。白椿夫妻が目の前で死に、連続誘拐事件が起き、灰田純一が現れ、様々な世界が壊れていったのを目の当たりにしたのだ。これ以上、怖いものなど無いと思っていた。
 灰田は消え、就寝し、思いのほか良く眠れたその翌朝。リビングの光景に思わず悲鳴を上げたくなった。ボロボロにされたソファー。割れた食器。床に散らばるガラス。へしゃげた机。見る影も無い観葉植物。ノイズ音を撒き散らすテレビ。倒れている――両親。
 家庭という世界が崩壊しているのを目の奥に焼き付けた。光景がゆがむ。涙なんかのせいじゃなかった。単純に壊れているからだった。
 一撃だったのだろう。両親の身体に外傷は少ないように見えた。しかし、その割には血だらけだった。特有の鉄分の臭いが鼻に付く。ここまで臭いものだとは思わなかった。
 頭がふらふらする。足がもつれそうになるが必死に堪えた。ここで倒れてしまってはダメだ、最悪でも、あの男を――。
 破壊された部屋の中心で男は拳銃を手の中で遊んでいた。そういえば微かに煙の臭いがする。彼は煙草を吸わないだろうから、きっとあの鉛からこの臭いはするのだろう。まだ血の臭いのほうがましだった。

「……ざけないでよ」

 搾りだすような声だった。自分でも信じられないくらいの憤りを感じていた。何を、どういうふうに日常を過ごせばここまで理不尽な光景に出くわせるだろうか。
 しかしそこで私は自分自身の思考のおろかさに気付いて舌打ちした。もう、ショックよりも憤慨のほうが勝っている。そんな自分が一番おろかなんじゃないかとも思う。一度深呼吸をする。こんな状況で落ち着けというほうが無理だが、目の前の男はそれを催促しているように思えた。

「……これは、流石の私も貴方に向けて包丁を向けかねないわよ……黒住」

 信じて良いのか悪いのか、納得して良いのか悪いのか分からないが、そこには確かに彼の姿があった。見間違えようも無い。ミラーサングラスは光らなかった。彼がここにいて、彼が拳銃を手に持っていて、部屋は破壊されていて、家庭が壊れていて、このどこに接点が無いと言えるだろうか。私には無い。あったとしても、認めない。冷静さなどとうの昔に忘れてしまったように、黒住にたたみかける。

「灰田が昨日現れて、きっと私の世界は変わってしまったんだとは思ったわ。日常なんか、もうどこにも無いんじゃないかって。思えば、白椿さんと一緒にいることすら日常とは違うんだから。でも、でもね、流石にこれは無いんじゃない?」
「……貴様は、悲しんでいるのか?」
「……なんですって?」

 怒りはある。衝撃もある。だが――。

「貴様の家庭という世界が崩壊したことに腹を立てているのは確かだろう。だが、そこに両親の死という悲しみはあるのか?」
「そんなの……当たり前でしょ」

 苦し紛れにも聞こえただろう。だが、私自身どう答えて良いか分からなかった。悲しいのか、悲しくないのか分からなかった。でも、多分悲しいと思った。それはどういう意味での悲しいなのか、やはり分からなかったが。
 黒住は見れば異常な冷静さをかもしだしている。どこか遠くを見ているような視線に、拳銃を持った手は人形のように動かない。自分の犯した行為がまるでその腕の最後の仕事のように、終わった無機物のような雰囲気が出ていた。それでも彼が拳銃を床に落とさないのは何故だろうか。彼は首だけこちらに向けて言った。

「幻想だ……」

 死んでいるのではないだろうかと疑えるほど、気力の抜けた声だった。

「人を殺し、人が殺され、人が死んで……そんな世界に、悲しみが無いのは幻想だ。それは、ただ悲しみたくない人間が作り出した幻想世界だ」
「……」
「俺は優等生でも天才でも神でもないから分かる。本当の人間というものは、いかに自分を殺せたとしても、結局は悲しみ、後悔し、間違いを肯定し、成長していくはずだ。だがどうだ、世界は狂った。壊れた人間しか住めない、壊れた世界になってしまった」

 私は終始無言だった。彼の言葉に我を挟んではいけないと思ったのだ。

「壊れてない人間はこの世界に住めば、壊れてしまう。だから殺した」
「どういうことよ」
「世界から追放したんだ。でなければ、世界は『異端』に満ちる」

 意味が分からない。ファンタジーの世界ならば理解も可能だったろうが、ここは現実だ。彼の言葉も現状も何も理解できない。それでも、冷静でいられる自分は間違いなく彼の言う『生き残れる異端』だからなのだろう。
 思考の川は、意外にもゆるやかに流れている。

「――だから、私の両親を殺した、ってこと?」
「そうだ」
「殺さなければ、異端になってしまうから?」
「そうだ」

 ……馬鹿くさくなってきた。早々に警察に連絡した方が絶対に早いだろう。私はため息すらつく余裕無く、電話に向かった。それを特に黒住は咎めはしなかった。自分の権力でも信じているのだろうか、その態度にも無性に腹が立った。
 家の電話の子機を手に取る。110を押して、電話の呼び出し音が鳴り始める。
 ……出ない。110番がどこに繋がっているのか知らないが、呼び出しに出ないとはなんという体たらくだ。何度かその後もかけてみたがコール音は一向に止まなかった。
 思わず後ろの黒住を見た。この男が成田空港の一件の秘密裏に出来たのは権力の力だと言っていたが、ならば警察を丸め込むことも可能なのだろう。あの余裕はそこから来ているに違いないと思った。奥歯を噛み締めながら、してやられた、と心の中で呟く。子機を置いて、リビングを出た。
 ならば、隣の家に行って大人を呼んできてもらう。証人にもなるし、これならば確実だ。靴を履いて、玄関のドアを開けた。
 ――瞬間だった。

「…………ぁ」

 か細い声を思わず上げてしまった。見た目、なんでもない光景。広がっているはずの日常。それはそこにあった。なのに、強烈な虚無感に襲われる。
 空が広かった。鳥は飛んでいなかった。道路は舗装されていた。車は走ってなかった。軒並みが連なっていた。人は中にいないようだった。
 私は駆け足になり、隣の家のインターホンを押した。しかし、予想通りというべきか、何度押しても反応は無かった。その隣の家、その隣の家と次々に近所を回っていったが、やはりどの家も扉が開かれることは無かった。
 まさか、と思う。私は無理矢理門を飛び越えて他人の家の庭に侵入した。ここまできてはもう自分を止められない。近くにあった物干しさおを振りかざして、ガラス窓を叩き割った。ガラスが飛んだ。言うまでも無いが、命は無かった。家の中に土足のまま入った。じゅうたんの感覚が新しい、掃除機をかけたあとのようだ。しかし、掃除機はコンセントに刺さったまま、その使い手はどこにもいなかった。キッチン、リビング、玄関、トイレ、どこにもいなかった。階段を駆け上がる。焦りのせいか、一度落ちた。二階にも誰もいなかった。土足で入ったためについた泥が落ちていても、もはや罪悪感は無かった。
 疲れ果てて庭に出る。割れたガラスの破片がやけに虚しく感じる。

「知っているか」

 目の前から低い声がした。顔を上げる気力も無かった。

「世界はいくつもある。銀河、という意味合いではない。次元の問題でもない。『世界』という意味でだ。神は何人もいて、争いあっている。だから小さな世界はそれより大きな世界に喰われる。そうして、世界は変わっていく」

 だからなんだというのだ、それで、私に何をしろというのだ。

「俺たちのいた世界は、喰われたんだ。だからそこに適さない『常人』は消えた。この世界の創造主が望む人間だけが残った」
「……でも、私の親は貴方に殺された。これはどう説明するの」

 自分でも驚くほど無機質な音だった。

「――因果だ」

 ――は?

「因果を作る必要があった。誰かがこの世界で死を体験することによって、どこかを破綻させなければならなかった」
「……何よそれ。さっきと言ってること違うじゃない」
「嘘をついた」
「……そう」

 意外だったが、彼も思うところがあるのだろう。

「宣言しておく。この世界が壊れたとき、貴様の両親は必ず戻ってくる。この発言に、『嘘は無い』」

 悪意が、無かった。もう諦めたほうがいいのだろうか。この世界はとっくにおかしくて、私たちはとっくに壊れていて、そう認めるのがいいのだろうか。

「私の親は……死んだんじゃないの?」
「違う。追放しただけだ。言っただろう。悪意とは常に他の悪意に向けられるべきなのだ。貴様は悪じゃない。悪いのは、世界を喰らった神だ」
「分からない、分からないのよ。ここが現実で、それを信じて良いのかダメなのか、何も分からないのよ」
「ならそれでもいい。夢でも構わない。だが、破壊しなければ夢から覚めることは出来ないんだ」
「……誘拐事件は、これが結末?」
「恐らくはな。一晩にしてすべて消え去るとは俺も思わなかった。失態だ、許せ」

 どうすればいいのだろうか……。
 親を殺したこの男の言葉を信じて、わけのわからない話を信じて、ついていくのか?
 本当に両親は死んでないのか? あれだけの血を流しておいて、『追放』なんて二文字で納得して良いのか?
 私は優等生だ。こんな、馬鹿みたいな話に付き合っている暇なんて……。

「白椿を助けに行かなければならない」
「……え?」
「やつは恐らく神の目には邪魔に写るだろうから、消される可能性がある。今や、よりどころを得た彼女は、神にとっては、な」
「……」

 ――もう、いいや。
 どうでもいい。優等生だとかなんだとかいっていた時期もあったが、所詮そんなのは嘘だ。私は私以外に有り得ないのだから、私でいればいい。

「……行きましょう」

 最初、私はなんだったのだったか。
 昔、私は何かが出来た。だが、隣にいた子がそれを私より上手く完成させた。だから私はそれを超えようと頑張ったが、やはり一歩足りなかった。そうして私は次のものに興味を持ち始め、それでも上手く出来た。だが、また違う隣の子が私より上手く完成させた。私はまた頑張ったが、やはり超えることは出来なかった。
 だったら私はすべてのもので二番になろうと勤めた。それでも構わない。一億もいる人間の中で、私は常に二番ならば不満は無い。そうして学校では、常に五番以下を取り続けた。運動も、勉強も、趣味も。私に出来ないことは何も無かった。本当に、何も無かったのだ。
 それを世間ではどういうのか知らないで、私は優等生を気取った。ずっと、そうだと思っていた。模範となり、他人を下に置ける人間だと思っていた。
 しかし、その技術を真似できても、『私を真似ることは不可能』だということに私は気付かずに進んでいた。どれだけ遠くに進んだだろうか。知らないうちに、闇の底にいた。

 ――そんな幻想を、抱かされそうになった時期があった。

 だが、私はそれでも優等生だった。ここだ、ここなのだろう。灰田純一が私に眼を付け、私がこの世界にいられる理由というのは。
 自分が異端か異端じゃないかと聞かれれば、勿論異端だと答えるだろう。天才と世間から呼ばれる分類は例外なく異端なのだ。他と違って桁違いの能力を持つ人間は異端に違いないのだから。
 ならば、私は何だったのか。言われるまでも無い。
『優等生の天才だった』。
 だから私は黒住と歩こう。この世界を壊した馬鹿を殴りに行こう。
 そして、私が救おうじゃないか。それが、模範となる答えなのだから。

「先に宣言しておくわ。天才はね、どんなに努力しても、優等生には適わないのよ」

 もうどうでもいい。誰かが死ぬなら死ねば良い。誰かが助かるなら助かれば良い。その間、私は私でいればいいだけの話なのだから。それが、『優等生の天才』という異端の考えだ。

 
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