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18, 黒住

 黒住儀軋は辺りを見回して、広い場所だな、とただそう短絡的に感想を口にした。

 成田空港を全便欠航にさせることは不可能に近い業であったが、権力と人脈を駆使してなんとかそこまでたどり着いた。恐らくこれによって出る被害は全てこちら持ちだろうが、金でどうにかなる出来事なのであれば億単位の金額くらい投げ捨てることだって今の彼には出来た。

 欠便になったからと言って飛行機がシェルターに仕舞われるわけではない。整備士たちがこの期を利用して大幅にメンテナンスを行っているらしく、滑走路の中心に立っていてもあまり孤立感は感じれなかったようである。黒住はそれに舌打ちし、背広の胸ポケットから携帯電話を取り出した。おもむろに番号を押し、電子音が鳴る電話に耳をつける。


『こちら輸送班。何か問題でもありましたか?』


 事務的な男の声がガチャリ、という鈍い音と共にそこから発せられた。黒住は同じく事務的な声質でその声に返した。


「到着の予定時刻を述べろ」

『交通状態によりますが、二時間以内には間違いなく到着出来ます。都外まで逃走していたらしく、少々手間を取ってしまったので』

「最速で着いていつ頃だ」

『午後五時半辺りです』

「捉えたのは二人か」

『いえ、一人、夫の方は逃がしましたが、恐らく結束の固い奴らなので奪還を予測して誘導させます』

「拘束は厳重にしているだろうな」

『抜かりなく。手枷足枷指枷、それと強力な睡眠剤を使用しました』

「起床予定時刻は」

『六時過ぎにはなると思います。早朝に眠らせたので、そう長くはかからないかと』


 迅速な対応と予想以上の出来に黒住はふむ、感嘆の声を漏らした。


「成田空港の滑走路まで連れて来い。拘束は外すな。もし眠りから覚めたようだったら、手足の一本や二本折っても構わない。言うまでも無いと思うが、いたぶる様な真似はするな。それは下郎のやることだ。折るなら一思いに、いや、何も思わずに折れ」

『了解』

「到着を待つ」


 そう言うと、黒住は携帯電話の電源ボタンを押した。そして間髪いれずに再び番号を押し始める。こちらはまだ一度もかけたことのない電話番号だった。向こうが見慣れない番号に警戒心を抱いて着信を拒否するという場合が少なからず予測されるが、それならば端末を変えて再びコールすればいいだけのことと黒住は踏んでいた。

 聞きなれた電子音が鳴り響く。一度目、留守番電話サービスに接続された。これでは不在か拒否かがまだ分からない。留守電メッセージに、「黒住だ」とだけ入れて電話を切った。二度目のコールをかける。やはり主は現れなかった。留守電メッセージに同じ内容を入れて、また切る。三度目をかけようと思ったが、一度時間を置こうと判断して黒住は携帯電話を胸ポケットに戻す。

 成田空港の滑走路は人一人がそこに居座るにはあまりに広すぎる空間だった。手を伸ばして端から端まで届かないだろうかという幻想を一度持ってしまったら、夢ですら届かないような夢のループに陥りそうな恐ろしい感覚に嵌りそうだった。

 黒住には、昔そのような届くはずの無い夢があった。思い返せばあれが自分の青春時代と呼べるたった一つの思い出なのかもしれないと、今になってしんみりとそれに浸っていた。


「自分の言動には一切の嘘が無く、それでいて主に悪意で出来ている」


 それは黒住の声ではなかった。彼は自らの信条とする台詞の聞こえたほうに首を向けた。そこには見覚えのある銀色の髪の毛をもった青年が立っていた。


「五年も前の話だったかな、あれは。君がそうして悪意という名の正義を振りかざすようになったきっかけは」


 灰田純一。懐かしい顔ではあるが、確かそんな名前だったな、と黒住は思い出した。


「年上の人間に向かって『君』呼ばわりは好かないな。最近のガキは礼儀も知らないのか」

「それはすまなかったよ。僕は基本的に人を名前で呼ばない人種でね、性格上人のことは君と呼ぶことにしているんだけど、気分を害したなら『貴方』に変えよう」

「ふん、どうでもいいことだがな。それより何をしに来た。貴様がどうやって俺がここにいることを突き止めたのかは知らないが、貴様の仕事はここにはないぞ。無論これに嘘は無く、主に悪意で出来ている」

「つまり僕に仕事をさせないつもりだと? 別に構わないさ、貴方がやろうとしていることは禁忌に近いが、だからと言って僕に支障があるわけじゃない。自由にやっていいよ」

「なら何をしに着た。答えろ」

「別にここには用は無いさ。たまたま近くを通りかかったら成田空港が全行欠便だなんておかしな話になっていたから寄ってみただけ」

「なら帰れ。貴様は正直邪魔だ。失せろ」

「あれれ、酷い扱いだねぇ。ま、僕も自分がここにいるべきだとは思ってない。言われたとおりにするさ」


 灰田はやってきて早々帰れと言われたのが不服だったのか、少しだけ不機嫌そうにそう言い放つ。黒住に背を向け、視線を後ろにやった。


「貴方はそれでいいのかい?」


 問いだった。黒住にとってとても簡単な問いだった。彼も灰田に背を向ける。もはや用は無い、立ち去れと無言で言うように答えた。


「俺は、『黒住』ではないからな」


 灰田はそれに納得したのか、黒住の耳に彼の足音が入る。それはどんどんと遠くなっていき、次の瞬間には全く聞こえなくなった。

 黒住儀軋は自分の言った言葉を反芻する。『俺は黒住』ではない。

 ならばなんだというのだろうか。自分が持つ名前以外に自分を証明できる何かがあるのだというのだろうか。

 風が吹いていた。春先の風の感触は嫌いではなかったが、その優しい感触が人の手の温もりのようで、彼自身は受け入れるのを否定していた。自分は受け入れないのに、まるで自分を受け入れるように吹く風に対して少しだけ卑怯な気もしていた。

 黒住は自分は中途半端だと思っている。『黒住』の家は代々『悪意』で動く家系であり、善良な人々を、それも過度に世界にとって保守的な人間に悪さを働く知恵を授け、仲間を作り、主に裏の企業として動いていた面が多かった。それは麻薬であったり、悪質な風俗であったりした。時には依頼で人を殺すこともあったらしく、本当に世界の『黒い部分』を受け持っていた家系であった。先代の『黒住』も同じくして女性の身でありながらその身を悪意に染め、真っ当な黒住の家系として数々の任務や行動を起こしてきていた。彼女の名を『黒住此処くろずみここ』といった。実に女らしい名前でありながら、黒住儀軋にとって師匠のような存在であり、何よりも憧憬と、そして愛情で見ていた女であった。今は亡き存在ながら、黒住にとっては墓まで持っていく思い出の一つであった。

 成田空港は彼女の死場であった。普通でなかった彼女は普通でない場所で死んだ。今と同じように、彼女はある目的のためにこの広い場所選び、航空会社を丸ごとジャックして完全に乗っ取っていた。自分には出来ない芸当だな、と黒住は思う。彼は一般人が目を眩ませるような賠償金を払って実行しただけだ。借金でも作れば誰でも出来る芸当だった。それだけが現在の状況に置いての不満だった。

 時計を一瞥する。目標の到着まではまだまだ時間がある。黒住は再び携帯電話を取り出して、先ほどと同じ番号を押した。


 ――プルルル、ガチャ。


 その電話を待ちわびていたように、電話の主は黒住の予想を裏切ってその電話に出た。相手が用件は何だと黒住に聞く。黒住は一度息を大きく吸い込んだ。


「成田空港で、決着を着けてやる。俺の因果も、貴様の因果も」


 そのまま相手の返事を待たずに電話を切る。長らくして待った瞬間にしては、あまりにあっさりとした幕引きだった。いや、幕を引くのはまだ早い。

 黒住はさらに携帯電話を使用する。先ほどと違う電話番号、成田空港の入り口に配置されている部下への連絡だ。


「これから来る客人に伝えろ」


 黒住此処は死に際に彼に言葉を残していった。恐らくそれが彼女の望んだ遺言であり、意志を託された黒住にとって最も必要な言葉だったのだろう。

 彼はあまりに黒住として見るならば優しかった。常に人を気遣い、悪意を悪意にしか向けない義賊であり、弱気ものの助けとなるために悪意をとにかく働かせた。しかし、それは彼女で無くとも言ったように悪意とは程遠いワル知恵である。人一人を満足に殺すことの出来ない人間、殺すことに理由を求める人間には悪意は向かない。それを直そうと奮闘していたが、生まれつきの性格だから仕方が無いと結局は妥協されてしまった。

 

『悪意ってのはね、相手にとって悪いことをしようと考えることに他ならないのよ。それが相手にとって本当に迷惑かどうかは結果が決めること。だからもうあたしは諦めたわ。あんたは自分が悪いことをしていると思って全て行動しなさい。常に悪行を働いている気持ちを持ちなさい。一杯のコーヒーを飲むなら、そのコーヒーを飲めない人間にざまぁみろって毒を吐きなさい。そしてその想いに嘘をついちゃいけない。嘘をついたら、ざまぁみろじゃなくて『ごめんなさい』になってしまうからだよ。だから気をつけてくれれば完璧だ。だって、あんた、嘘が一番嫌いなんだろう?』


 彼女の言葉は矛盾しすぎていたが、それで『黒住の悪意』となるならば、それほど楽なことはなかった。だから黒住は頷いた。

 ――だから黒住はこう言った。


「俺の言動に嘘は何一つ無い。だが、その言動は主に悪意で出来ている」


 

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