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セルフ・ディストラクション 作者:竹蜻蛉
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9, 悪意

 冗談ではなかった。
 やはり何故だか吐き気は収まらないし、風邪のせいなのか意識がふらふらとする。風邪薬を飲んで今はベッドの中であるが、これはもしかしたら昨晩よりも酷いかもしれなかった。
『黒住儀軋』。苗字の方はいいとして、とんでもなくネーミングセンスを疑う名前の男。とにかく服装が黒一色で統一されており、ミラーサングラスをかけて髪の毛をガチガチに固めていた。年齢は声と態度から察するに私より少し、いや大分年上なのかもしれないが、おじさんと呼ぶにはまだ若々しい部分があった。そして何よりも、あの身長。私も低い方ではないが、勿論男性には劣る。とは言え、あそこまで見下されるとあまり良い気分はしない。百八十五は間違いなくあった。
 あの後、当然ではあるが黒住から薬を貰ってはいない。見ず知らずの男が渡してくる薬など誰が相手でも有り得ない。確かに見覚えのある錠剤ではあったが、この腐りきった世間だ。いや、そうでなくても信用するに値するかと問われれば、一億円の契約があっても頷けなかっただろう。
 ――何よりも彼からは、悪意が感じられた。
 劣悪ではない。そういった卑劣猥劣と呼ばれるような不純の悪ではなく、純粋に悪意が満ちていた。たとえばあの場で私が薬を受け取っていたとしたら、恐らく薬を飲む私を見て、『そのまま突然化学反応が起きて死ねば良い』とか『喉に詰まらせてむせないだろうか』とか『私が薬を受け取ってすぐ捨てたりしないだろうか』のような、まるで悪意の無い純粋な悪意がそこに介在していたように思える。最悪でも、親切心なんていうのはまるで無かった。半ば好奇心に似たようなもので動いたと表現するのが最も型にはまる。
 だからあの状況で、あの男はこんなことを言ったのだろう。

「どうする。俺が持っている薬は先ほども言ったが嘘偽り無く貴様の吐き気や気だるさに効く薬だ。だが俺は悪意で貴様にこれを薦めている。それに嘘も無い。これら全てに虚言は含まれていないが、主に悪意で出来ている。故に現在貴様には俺を信用するか否かの選択の余地があり、俺はどちらに転んでもそれは結果なのだと見過ごそう。無論、これにも嘘は無い」

 相当嘘を嫌っているのか、発言するたびに自分の言葉の信頼性を強調していた。
 この男もやはり全く掴めない。何が目的が、あの場に居合わせたのか。
 恐らくは、それこそが『悪意』。

「俺は薬剤師の免許を持っているわけでもないし、医者でもない。だが、貴様が何故そのように苦しんでいるのか、その理由は分かる。これに嘘は無い。もう一度言おう、これら全てに虚言は含まれていないが、主に悪意で出来ている。故に現在貴様には俺を信用するか否かの選択の余地があり、俺はどちらに転んでもそれは結果なのだと見過ごそう。無論、これにも嘘は無い」 

 恐らくあの薬は本当に効く薬だったのだろう。あれを飲めばあのまま白椿さんとその後ショッピングにでも行けたかもしれないほど、即効性も効力もあるような薬だったと思う。
 だが結局、彼にとって薬は渡ろうが渡らなかろうが関係なかった。そういった迷いを生むこと、相手に疑心を作ること、薬を目の前にさせて、その信憑性を底上げしていって、私がそれを手に取らないのを知っていてやった行為。それが彼の悪意。
 無性に腹立たしかった。
 あの後、私はふらつく足を白椿さんに支えてもらって家に帰宅した。時は既に昼過ぎで、一体移動にどれだけ時間を食ったか分からない。何が原因で熱が再発してしまったのかはそれこそ全くの原因不明、因果も何もあったものではないが、恐らくは『灰田』の名だろう。

「……だるい」

 熱のせいか、汗で着ていたシャツがべったりと肌にくっついて気持ちが悪い。これでは時間帯が昼なのに加えて、恐らく寝ることなど出来ないだろう。
 もう少しだけ、睡魔が襲ってくるまであの時のことを思い出してみることにした。




―――




 目の前に差し出されたカプセルを見た。
 私が昨日森野医院で貰ってきた薬と外見は完全に一致する。しかし、カプセル薬なんてものは見た目どれもこれも同じだ。信用するためには残り九十九パーセントは足りない。

「医者でもない、薬剤師でもない。……突然の親切を無下にしてしまうようで悪いんですが、拾ったものは食べない主義の人間なので」
「聡明な判断だ。もとより俺も貴様がこれを手に取るなんてことは毛ほども思っていない。これは単なる口実だ。……言わなくても分かると思うが、俺はそこの小娘に用事がある」

 そう言って白椿さんのほうを値踏みするような視線で見る。先ほどもそうだったが、身長が高いために軽く見下されているような気分になる。それもサングラスをかけているために効力が倍増。さながら感じの悪い兄貴といったところか。
 白椿さんはそれに気圧されることもなく、いつもの調子でそれに答える。

「あたしにですか? どーでもいいですけど、先輩が苦しんでるタイミングで話しかけてくるってのも嫌なおじさんですね。あ、それともあれですか、『むしろ狙った』んですか? これはいやらしい因果ですね因果」
「なあに、突然こんな俺みたいな人間が話しかけてきても貴様らは変質者か何かと勘違いして会話が終了。俺の行動原理は悪意が主であるが、それでも自分に不利な状況に働くことなどそうはしない。それは貴様も承知だろう? 『白椿』」

 黒住が白椿さんの名前を呼んだ。瞬間、白椿さんの表情が歪む。
 私はそこに横槍ではないが、白椿さんを助けるためにも、自分が知りたいことのためにも口を挟んだ。

「貴方は、白椿さんとどういった関係で?」

 すると今度はこちらにあの嫌な視線を向ける。

「どういった関係でもないし、貴様にはそもそも語る必要が……。ふむ、撤回だ。俺とこいつには何の因果もなかった。つまり、知り合いではない。俺が一方的に知っていただけだ」
「……ストーカー?」
「あのような屑同然の悪意と同様に扱うな。それに、ストーカーというのは大抵のパターンが知り合いである。小娘は俺のことを知らない。俺は小娘を知っている。この関係でストーカーという線は薄いと気付け。それに、ストーカーがこんなにのこのこと当人の前に姿を現すとでも?」
「無いわね。貴方はどちらかと言えば、ストーカーを追う側の人間に近い雰囲気があるわ。不動、炯眼、無関心、追求、戯言、故に真理。警察と近いわね」
「ふん。それは買い被りすぎだ。それを言うならば貴様のほうがよっぽど危険な目をしている。『値踏みしている人間を値踏みする』など、正気の沙汰ではあるまい」
「…………」

 睨みつけられたら睨み返すのは正気の沙汰だろう。それが私だ。
 ミラーサングラスの奥、全くこちらからは窺えない眼光が微かに光った気がした。それがこちらに向けられている間、白椿さんがため息と同時に言葉を吐く。

「それで、その擬似ストーカーさんはあたしに何のようですか? さっきも言いましたけど、先輩今熱出して苦しんでるんですよ。正直あなたに付き合ってる暇無いんですけど」

 白椿さんがこの男から逃げようとしていることは声の質の問題から一目瞭然だった。微かだが、本当に微かだが声が揺れている。何故なのかは私には分からないが、息を荒げるのを必死になって抑えているのを感じる。黒住はそれに当然気付いている。
 黒住は彼女を凝視する。先ほど私が目を点にして白椿さんに見られた視線とは明らかに違う、値踏みするような汚らしい目、それでいてどこか諦観していて、なのに出来損ないのアヒルの子がいつか更正するのを待ちわびている親のような目。実に複雑である。
 気付けばマクドナルドの店内にいる人たちは皆してこちらを遠目に見ていた。自分だけはあそこに関わってはいけないと彼らの細胞が疼いているのに、そこから目を離せない。ホラー映画が怖いのに、見ようとしてしまう人の性といったところか。しかし初めてそこで気付いたが、この視線はあまり良いものではない。奇異の物、まるで自分と違う何かを見ている彼ら。その標的となっている私は、吐き気を催すほどの嫌気にさらされた。オレンジジュースをこっそりと飲み干して、私は一息ついた。
 黙殺。
 ここは一体何処だっただろうか、とそんなもの思考するまでも無い。だが、だだっ広い草原の中心にでも立たされたかのようにここは静かだった。誰も話さない、黙殺する。
 その静寂を断ったのは、勿論黒住だった。

「つまらないな。こうして出会えたのは偶然ではあったが、どのような人物か期待した俺が馬鹿のようだ。最悪怯えては悪いと予想してミラーサングラスまで着用したというのにこの体たらく。見るに耐えんな。そちらの病気の娘のほうがまだ『それらしい』というものだ」
「……っ!?」

 それを心外だというように白椿さんが黒住を睨みつけた。

「あんた、何なんですか? ちょっと下手に出てれば調子に乗りやがって、誰だか知らないけどあんたなんかにあたしの価値をどうのこうの言われる筋合いとか無いんですけど」
「怒るな小娘。怒声は好かない。そこには不純な悪意しか含まれていないからな」
「悪意悪意うっさい。あんたに向ける悪意が善だろうが悪だろうが関係ないっすね。突然現れた何なんですか? 人を中傷するだけして帰るつもりですか? 最低ですね、あんた」

 啖呵を切ったように白椿さんの軽い淑やかな雰囲気とは相反する言葉が次々に飛び出す。止まらない、完全に白椿さんは怒っていた。
 それを見て私は小さく舌打ちした。この男の意味するところの『悪意』の全貌が見えてきたからだ。
 白椿さんの口はべらべらと、崩壊したダムの水が流れ出すがごとく悪口という悪口が出てくる。もはや相手の容貌など全く関係の無いところまでにおよび、それを黒住は何食わぬ顔で聞き流している。既に白椿さんには興味が失せたかとも言えるように、彼女を視界にも納めていなかった。
 とりあえず私は彼女を止めるために会話に割って入る。

「少し落ち着きなさい白椿さん。この男には何を言っても無駄よ。冷静になりなさい」

 出来る限り冷たく言い放つ。案の定白椿さんはビクッと親に叱られた子供のような反応を見せて、しぶしぶと黒住に向けていた視線を外した。

「申し訳ない。子供をあやすスキルは残念ながら俺には備わっていないのでな」
「別に構いやしないわ。今のは貴方とは種類の違う威圧だから、やってることは変わらないもの」
「ふん、嫌味か。風邪で体力を失っているはずなのに大した度胸だ。どうだ、俺と共に世界に蔓延るクズどもを片っ端から豚箱に叩き込んでみないか?」
「そのためにはまず貴方を叩き込まないといけなさそうで、難易度高すぎてやる気が出ないわ。残念だけどお断りね」
「それは実に残念だ。勿論、これに嘘は無い」

 黒住はサングラスの向こうから一度だけ白椿さんを一瞥し、身を翻した。

「失礼した。この場、黒住儀軋が拝借。俺の行く先に再び縁が訪れないことをお互い祈ろう」





―――




 意識が朦朧としてきた。思い出すことを止める。
 汗で濡れた額を一度拭って、クーラーのタイマーを設定する。ピッ、という電子音が鳴り、それを合図としたように、今度は携帯のバイブレーターが音を立てた。
 これを見て今日は寝てしまおうと決心して、それを開いた。送信者を見ると白椿さんだった。名前を見ただけで、あの騒がしい様子が頭に浮かぶ。
『今日はどーもありがとうございました! また朝マック行きましょうねー。風邪は万病のおとなんで、早く治してガッコで合いましょう! では、本当にありがとうございました』
 女子高生とは思えない顔文字の一つも無い文面が、どうしてか寂しく見えた。


 
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