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《『倉本藍の営業/日下渚の困窮』シリーズ一覧》

倉本藍の営業(6):Thanatos

作者: 賀茂川家鴨

倉本蒼「さあ、私と一緒に学を究めましょう!」

日下真奈花「あー、もう、この式がわかんない!」

倉本蒼「…………」

日下真奈花「わかんない!」

倉本蒼「ですから、ここをこうして……」

「調子はどうですか」

 学校の放課後、私はバタイユの本を読んでいます。自宅から持ってきました。

 私は倉本藍くらもとあお、高校一年生、肉体年齢十五歳、悪魔です。

 華奢な身体と長い黒髪、天才的頭脳と抜群の運動神経が取り柄です。

 胸がないのは愛嬌です。

「まあまあかな。バイトは休めって言われたけど」

 図書室で突っ伏しているのは、日下真奈花くさかまなか、私の契約者です。真奈花は金色の髪を縛り、左右に垂らしています。真奈花とは同級生、同じA組です。真奈花はハワイの帰国子女です。

「では、じっくりと勉強できますね」

「うーん、そう、勉強しないと……」

「ところで、真奈花は、本が好きですか?」

「さくっと読める本がいいな。小説とか、ラノベとか、軽いやつ」

「ふむ、そうですか」

 私は本を閉じて自宅に転送しました。真奈花は周囲を気にしていますが、私は人払いをしているので、ここには二人しかいません。真奈花の妹のなぎさは、一足先に、帰路についてしまいました。

「質問を変えましょう。学問や教養に興味はありますか」

「ない。生きるために必要だから勉強しているだけ」

 おやおや。別の意味で、渚と同じ考えです。

「もちろん、あなたがた人間は、実学主義の社会では、学問や教養がなくとも、まっとうに生きられるでしょう。一見して、幸福な生を送ることができるかもしれまぜん。しかし、私からすれば、知性的活動を放棄した知的生命体は、アレテーを失った、最も不幸な存在だと見えてしまいます。彼らは、スコラーを充足するどころか、スコラーそのものを知りません。虚無から生じた、知性も芸術性もないスペクタクルに耽溺しているのではないでしょうか。もっとも、スペクタクルに芸術性がないとする点においては、さまざまな異論があると思いますがねぇ」

 真奈花はぴくりと眉を動かしました。

「それの何が悪いっていうの。芸術に関しては興味ないけど……。そもそも、悪魔のくせに耽溺を否定するのはヘンだと思う」

 私は満面の笑みを浮かべました。

「バレましたか」

「誰かさんのせいでイヤでもそういう類の知識がたまっていくの」

「もちろん、真奈花のいう通り、悪魔としてはおかしな発言です。悪魔がアレテーを欲望として位置づけないことはおかしいです。また、悪魔が欲望にまみれた恋愛、熱病、そうしたものを否定するのは滑稽でしょう。ですが、私は真奈花と契約していますから、悪魔としての立場以外から……教育者としての視点を伝えなければなりません」

「ふうん。それで?」

「学問や教養に限らず、哲学や歴史など、あらゆる英知を養うことは、観念的であれ、理論的であれ、世界や真理を知ることにつながります。私が知的活動を勧める理由は、おおむねふたつあります」

「ふたつ?」

「はい。ひとつは、知的活動は知的生命体に与えられたアレテーですから、知的活動をする責任があるからです。そうでなくとも、知的活動は楽しいものです。何故、その楽しみを自ら放棄してしまうのでしょうか。もっとも、英知を蓄える機会がないというのであれば別です」

「ふうん。で、もうひとつは?」

「もうひとつは、そうした英知と向き合わなければ、いつしか大きな過ちをおかしたり、被害をこうむってしまったりするからです。理性は肉体を支配します。ですが、知性あっての理性です。また、ときに、悪意ある理性が社会を乱します。実践や観念にとらわれた単純な人間ほど簡単に操作できるものはありません」

「難しすぎてわかんない」

「面白そうでしょう? だから、哲学をし、学問をしましょう」

「いや、だから、わかんないって……」

 満面の笑みで真奈花の机に手をつきます。

「では、私のことばを理解するために、まずは勉強をしましょう」

 真奈花は腕の中に顔を埋めてしまいました。

 なんだか前にもこのようなやり取りをした気がします。

「眠いから、やだ」

「まあ、そう言わずに。パフエ代を奢りますから」

 と言って、一〇〇〇円を真奈花のポケットに忍ばせました。

「やってやらないこともない」

 真奈花は急に背筋を伸ばして、鋭い眼光を光らせています。

 やはり、欲望に忠実な人間ほど御しやすいものはありません。



 ぐったりした真奈花を支えながら、お互いの自宅に着きました。

 私と真奈花はアパート暮らしですが、お互いすぐ隣の部屋に住んでいます。

「あー、疲れた……。いま、何時?」

「午後六時ですね」

「うぇ……じゃあね。渚、ただいまー」

 自宅のドアの前に着くと、真奈花はそそくさと自分の部屋に入りました。

 さて。

 私は自宅の扉を開き……振り返ります。

「おやおや」

 見覚えのある冴えない男が立っていました。

 以前お会いしたときよりも痩せています。

 見ただけで疲れているのがわかります。鬱病一歩手前でしょうかねぇ。

 男は、私の作成したパンフレットをシワができるほど強く握り締めていました。

「あの……悪魔、ですよね。願いを叶えてくれますか」

「はい。ただし、願いに見合った対価をいただきます」

 にっこりと微笑むと、男はぴくりと震えました。

 男が名刺を出すので、受け取りました。私は名刺をその場で生成しようとしますが、男はやんわりと断りました。ふむ。連絡先はパンフレットに書かれていますからね。

「どのような願いですか」

「その……。上司が、あの女が、許せなくて、ですね」

「上司の方が許せない、と。それで、私にどうしてほしいのですか」

「どう、って……」

「具体的に、どのような願いを叶えたいのかおっしゃって下さい。あまりにも抽象的な願いは、あなたにとっても私にとっても不幸しか招きません」

 顧客の皆様には、最大限の満足をして下さらなくてはなりません。

「あの上司を消してやりたい」

 男が何を言おうとも、私は笑顔を崩しません。

「ご自分で、ですか?」

 いつもより敬語を意識しています。

「でも、できません。罪を犯す気にはなりません。でも、左遷されたままだと、納得いきません……」

「転職はお考えですか?」

「そんなこと、できません。ほかに才能が、ないから……」

「ふむ」

 大方、男は、自分に才能がないと思いこんでいて、転職や、左遷の取り消しを考えられないようです。そのため、何とかして上司に復習したいのでしょう。

 男の考えが分からないふりをして、小首を傾げます。

 いかなる手段をとるかは、顧客の皆様の自由ですから。

「ですから、その……上司から〈欲望〉を奪ってほしくて」

 欲望を糧とする悪魔に、欲望を奪えといいますか。悪魔よりも悪魔ですねぇ。

「承知しました。お受けいたしましょう。では、この契約書に、上司のお名前と、ご自身のお名前をお書き下さい」

 と、パンフレットの裏面を差し出します。

「あ、はい」

 男は所定の事項を記入し、私がそれを確認します。

 私は契約書に手を翳し、魔法をかけます。

「はい。契約完了です」

「え、対価は?」

「もういただきました。契約も遂行しましたので、ご安心下さい」

「はあ。そうですか。これで、上司が金の亡者でなくなるといいのですけれど」

 ……どうでしょうかねぇ。

「ところで、奪った〈欲望〉はどうしますか。差し上げましょうか」

「いや、いらないです……あんな上司みたいになりたくないので」

 うーん、残念ですねぇ。

「承知しました。またのご利用をお待ちしております」

 お辞儀をすると、男も礼で返しました。

 男は半信半疑で帰っていきましたが、おおむね満足してくれました。



 私は自宅のベッドに転がりました。

 欲望の喪失……ですか。欲望をErosとするなら、より実利的で残忍なビジネスマンに近いてしまうのではないでしょうか。

 あるいは、欲望を生への欲求とするなら……ふむ。

 ともあれ、私は対価を手に入れました。

 本でも読みながら、少しのんびりしますか……。



 小一時間ほどして、どんどん、扉を叩く音がしました。

「教えて!」

「勉強ですか?」

「似たようなもの!」

 真奈花が喚いていますので、手伝ってあげましょうか。

「わかりました」

 私は読みかけの本をベッドに置いて、扉の外側へとテレポートしました。

 目と鼻の先に、目をまんまるにした真奈花がいます。

「びっくりさせんな!」

 怒られてしまいましたが、私は笑みを崩しません。

「どこが分からないのですか?」

 真奈花は小さくため息をつきました。

 月に照らされた真奈花の金髪が、微風に揺られて広がります。

「うん。実は……」(了)

倉本蒼「初期のボードリヤールを思い出します。自己否定している気分ですね!」

日下渚「お腹が空いたのです」

倉本蒼「トマトベーコンサンド、食べますか?」

日下渚「いただきます」

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