そうして、如何程の時間が立ったのだろうか。痛痒に埋もれ尽くした体が、何者かの手によって引き上げられる。
「廷兼朗! 私が分かるか、廷兼朗!」
その声と、手の力強さが、僅かに廷兼朗を覚醒させる。
「外、樹、さん……」
「喋るな。大丈夫だ。大丈夫だから」
何がどう大丈夫なのか、さっぱり分からないのだが、そんな必死な声で言われると、本当に大丈夫な気がしてきてしまう。
再び意識を手放して、廷兼朗はその身を外樹の許に預けるように弛緩した。
再び廷兼朗の意識が浮上してきたのは、心の不安を掻き立てるほどに白い部屋の中だった。
「ここ、は?」
「学園都市だ。君の容態が逼迫していたので、勝手ながらこちらに移送させてもらった」
声の方に首を巡らせると、そこにはやはりというべきか、外樹の姿があった。
「ようだい? ひっぱく?」
はて、何故そんな言葉を自分が、投げかけられるのか。廷兼朗にはとんと思い当たるところが無かった。
「ああ、そうか。夢じゃ、なかったんだ」
察しの悪い廷兼朗は、ようやく自分の身に何が起こったのかを思い出した。廷兼朗の様子が落ち着くのを待ち、外樹がゆっくりと顔を覗き込んでくる。
「何があったのか。聞かせてくれないか?」
「知ってるんでしょうに。外樹さんがここにいるのが、何よりの証拠だよ」
何を言っているんだとばかりに、廷兼朗が嘆息する。その不遜な物言いを、外樹も殊更に咎めようとはしなかった。
「聡いな、悲しいほど」
「あなたに誉められるのは、嫌いじゃありません」
「誉めていないよ。誉める言葉じゃ、ない」
「でしょうね。そういう顔だ」
嫌味を言うのにも疲れたのか、諦めを宿した顔を外樹に向ける。
「キコが、父と母を殺したようです。僕は現場を見ていないけど、多分、間違いない」
「そして君は、キコくんと戦った」
「そして、この様です」
そういって、廷兼朗は体に巻かれた包帯を、これ見よがしに晒す。
右腕螺旋骨折。左膝開放性骨折。さらに下顎粉砕骨折と、睾丸部破損。学園都市の医療技術によって、こうして喋れるまでに回復しているが、それも完全とは言い難い。
「今度は、外樹さんの話を、聞きたい」
一拍置いて、外樹は朗々と経緯を説明した。
出動要請からキコとの戦闘。その後、回復した後の追跡。廷兼朗を発見後、学園都市へと移送して今に至るまでを、外樹は簡潔に廷兼朗に伝えた。
そして一言、廷兼朗はぽつりと漏らした。
「へえ。怖いなあ、学園都市って」
その言葉が、外樹の心に澱の如く積もってゆく。廷兼朗の仕草の一つ、言葉一つが苦々しくて、重苦しい。
「私が、キコくんを元に戻してみせる。それがせめてもの、責任の取り方だ」
「責任かあ。可愛らしい言い方ですな」
外樹の覚悟がこもった一言を、嘲るような調子で軽くいなす。
「何が言いたい?」
応じてくれた外樹に、廷兼朗が体を向ける。これまでちらとしか視線を寄越さなかったのが、目も姿勢も真っ直ぐにしている。
「外樹さん。あなたは、キコに負けていないんだよ。だからそんな、おめでたいことを言えるのさ」
未だ満身創痍の体を持ち上げ、ぴんと背筋を立てて、廷兼朗は外樹を見据えていた。
「そして僕は、キコに負けたんだよ。だから俺が、キコに勝つんだ。あんたじゃない。俺だ! 俺なんだよ! 天羽根流を継いだ、俺がキコを殺すんだ!」
武術云々を抜きにすれば、大人しげでさえある気性の廷兼朗が、眉間にしわを寄せ、歯を剥き、外樹の喉元に食らい付くほどにじり寄る。
「お前なんかに、お前なんかにキコを任せられるか! 俺なんだよ! 天羽根流を継いだのも、あいつの兄なのも、あいつに負けたのも、全部、全部が俺なんだ!」
まるで支離滅裂で、見当違いで、的外れな言葉の数々が、的確に外樹を打ち据える。
それは今の外樹にとって、最適の攻撃だった。
「俺だけなんだ。俺だけが、キコを……」
廷兼朗の右腕が、ぼとりと重く落ちる。螺旋骨折の施術を終えたばかりの腕で、他人の胸倉を掴んでいれば当然そうなる。
右腕も、顎も、左膝も、股間も、熱く、熱くこの身を苛む。焼けて、蕩けて、焦げて、滅消してしまいたい。
(お前も、そうだったのか)
キコがくれた痛みに、問う。返ってくるのは痛み以外の何ものでもないが、今はそれで廷兼朗には十分だった。
熱い痛みを感じる度に、それとは違う熱さが、廷兼朗の中に醸成されていく。
それは滾る心である。ただし、決して快活なものではない。まるで爛れた傷口か、熟れすぎた果実のように不細工な熱。暗く熔けて、ねっとりと体の底を這う、醜い熱。およそ血の繋がった妹に向けるべきではない、背徳の熱。
「君が、キコくんを倒すのか」
廷兼朗の熱に、外樹が冷ややかな水を差し向ける。
ぎっときつい視線を返すが、そのような脅しを受け取る外樹ではない。
「君に、キコくんを倒せるのか?」
もう一度右手に力がこもるが、びくりと肩が上がっただけで、それ以上動くことはなかった。
「無理だな。君では、キコくんは倒せない」
「今更、手心を加えるとでも?」
「負けたのに手心とは、大した聖人君子だな」
今度は外樹のほうが辛辣な言葉を掛ける。しかし正論であるため、廷兼朗が口を挟む猶予は無い。
「精神的なことは君次第だ。私が口出しすることではない。私が言えるのは、実質的な手段のことだ」
「実質的な、手段?」
「少し予定と違ったが、君がそういうつもりなら、好都合かもしれない……」
外樹の話に合わせたように、一人の女性が病室に入ってきた。
彼女はいつぞや学園都市を案内してくれた、網丘楊漣だった。
「そろそろ、私の話かな?」
「ああ。ちょうど話そうとしていたところだ」
入るなり網丘は、廷兼朗の傍らに座る。
「お久し振りね。廷兼朗くん。話は大方聞いたよ」
「それで、お話と言うのは?」
「飲み込みが早くて助かる。私が受け持っている計画『対抗手段』に、参加してくれないか?」
突然のことで頭が働かないのか、廷兼朗はきょとんとした顔を網丘に向けていた。
「概要を説明しようか。『対抗手段』というのは――」
書類を片手に話そうとした網丘を、廷兼朗は手をかざして制止した。
驚いた様子の網丘は、そのまま廷兼朗が口火を切るのを待っていた。
「細かなことはいいです。今の頭じゃ、まともに考えられない。だから、一つだけ答えて下さい」
自分でも頭が働いてないことを自覚しているようで、廷兼朗はとりあえず落ち着くため、深めに呼吸する。
そして一つだけ、網丘に尋ねた。
「強くなれますか?」
「それは、あなた次第よ」
網丘の毅然とした言葉に、廷兼朗はくつくつとした薄ら笑いを返した。
「当たり前の答えだ。普通すぎて、つまらない」
一頻り笑い終えると、ふうと気が抜けるような声を上げた。
「だけど、正しい。どうしようもないくらい、正しいよ」
自分の言葉に感極まったのか、不意に廷兼朗の目から、涙が溢れて零れ出した。
「……強くなりたい。強くなって、またキコに会いたい。もっと、もっと強くなりたい。強く、なりたいよ」
一度流れてしまうと、それは止めることが出来ず、涙と一緒に、整えられる前の感情が噴出してくる。
「キコ、キコ、キコ……」
廷兼朗の、知恵遅れの妹。いつまでも子供で、手が掛かる妹。ずっと面倒を見て、守っていくはずだった妹。
何のことはない。廷兼朗こそが、キコに依存していたのだ。妹の自立を願っていたなどと、言える口ではなかったのだ。
キコの面倒を見る代わりに、自分はキコを見下しながら慈しみ、心の平衡を保っていたのだ。
何て、何て卑しい。兄だなんて、もう言える身分じゃない。
(そうだ。俺はもう、兄じゃない)
字緒キコの兄は、根来の家で死んだ。ここにいるのは、ただの字緒廷兼朗なんだ。
もう兄じゃない。妹でもない。ただ一人の人間として、字緒廷兼朗として、たった一人の字緒キコと向き合う。
それが妹への、対抗手段だ。
第四章終了です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
次章のテーマは、『恋』です。こういう華やかなテーマも取り込んでいくべきかと思ったので、挑戦してみることにしました。
お楽しみいただければ、幸いです。
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