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第一章
匹夫之優:三
「ここが、訓練場ですのね」
 訓練場は警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントの訓練を行う施設である。銃の試射場や戦闘訓練用のホールに加え、最新のフィットネス機器も取り揃えており、警備員アンチスキル風紀委員ジャッジメントならば無料で施設内の機材を利用できる。
「ここは初めてですか」
「似たような施設は風紀委員ジャッジメントの研修で利用しましたけど、こちらの施設は初めてですわ」
 戦闘訓練用ホールの前の控え室に付くと、白衣を着た科学者が何人もたむろし、白井たちを出迎えた。

「君が白井黒子くんだね。初めまして、網丘楊漣あみおかようれんだ。この施設の責任者をしている」
 妙齢の女性が代表して白井に挨拶し、釣られて白井も差し出された手を握り返した。
「廷兼郎と模擬戦を行うんだってね。着替えるなら、あっちの更衣室を利用してくれ。他にも何か要望があるなら、今のうちに言って欲しい」
「いえ、要望はありません。今すぐ始めてもらって結構ですわ」
 白井の勇ましい宣言に、網丘は感嘆の声を上げた。
「さすが風紀委員ジャッジメントだ。気風きっぷが良い。それじゃ、がんばってね」
 称えるように肩を叩き、網丘は他の科学者と共に控え室を後にした。何故施設の責任者が自分に挨拶をしたのか、その答えはホールに入ってからすぐに判明した。
 ホールの二階に当たる強化ガラス張りの部屋から、数人の科学者がこちらを伺っている。その中に、先ほどの網丘楊漣も見える。

 突発的な模擬戦の申し入れだったのに、何故そんな準備が整っているのかは分からないが、要するに模擬戦で白井の能力判定を行うのだろう。
「気にしないでください。白井さんが珍しくって、舞い上がってるんですよ」
 ガラスの方を指差し、廷兼郎が言った。明らかに舞い上がっているのは彼のほうだが、白井はそんなことをいちいち忠告する気は無かった。
 ホールは三十メートル四方、高さは5メートルほど取ってあり、広々とした空間である。十メートルほどの距離を置いて、二人は対峙している。
 見渡す限りの白い床と壁に囲まれ、遮蔽物は皆無である。この環境では、自身を移動させる大能力《レベル4》の空間移動テレポート能力者の白井を妨げるものは何も無い。壁にめり込まぬよう気をつけていれば、このホールのどこへでも一瞬で移動可能だ。
 これでは勝負にならない、というのが白井の正直な感想だった。
「何か、ハンデを付けたほうがよろしいんじゃありません?」
 白井は酷薄こくはくな笑みを浮かべながら、廷兼郎に助言した。せめて武器を持つなど、そうしたことをしなければ模擬戦にさえならないだろう。
「そうですね。ハンデか、何がいいかな……」
 廷兼郎はごそごそと自分の服を探り、ポケットから一枚のハンカチを取り出した。そして何か思いついたようで、ハンカチを折り畳み、両目を塞ぐ形で顔に巻きつけた。
「これならハンデになるでしょう。どうですか?」

 廷兼郎の返事に、白井は絶句した。廷兼郎は白井にハンデが必要だとして、目隠しをして戦うことを宣言した。
 レベル4としての白井のプライドは、廷兼郎の気遣いによって粉々に打ち砕かれた。
 頭にかあっと昇った血のおかげで、むしろ思考がまとまってすっきりする。目隠しがしたいのならすればいい。そのまま地面に這いつくばってしまえばいい。
「いいですわよ。最高のハンデですわ」
「よかった。それじゃ、始めましょうか」
 廷兼郎がゆるりと構えを取った。それが開戦の合図となった。

 太ももに用意してある金属矢ダーツを使うことも無い。背後へ空間移動テレポートして一撃を加えれば終わりだ。
 三次元から十一次元への演算が終了すると、白井は十メートルの空間を一瞬で移動し、廷兼郎の背後に現れた。
 このまま後頭部を思い切り蹴りつけて、昏倒させて押さえ込めば終わりだ。
 空間移動テレポートの直後に白井が見たのは廷兼郎の頭の後ろではなく、彼の横顔だった。驚愕する間も与えず、彼の放った後ろ回し上段蹴りは白井の肩口に命中し、女子中学生の体を真横にすっ飛ばした。
 回避のための空間移動テレポートも間に合わない、まさに丁度のタイミングで廷兼郎は後ろ回し蹴りを放っていた。予め来ることが分かっていなければ、到底掴めないタイミングだった。

 余りにも攻撃が正直すぎたと、白井は反省した。背後を取れば勝ちなどと、誰でも考える。蹴りを食らったのは、その安易な考えを読まれたからに過ぎない。だからこの被弾はまぐれに近い。
 そもそも相手は目隠しをしているのだから、あえて背後から攻撃せずとも、真正面から掴んで投げてしまえばいい。そして金属矢で動けなくするなり、参ったと言うまで投げるなりすればいい。
 今度は廷兼郎の正面に空間移動テレポートし、彼の左手首を掴んだところで、白井の腹には左膝頭が深々と刺さっていた。
 一瞬、自分の身に何が起こったのか分からなくなった白井は、思考を白色に変えてしまっていた。相手の体を空間移動テレポートさせることも、掴みから態勢を崩して投げることも、一切間に合わせない膝蹴りであった。

「う、げはあ……」
 胃の内容物を戻しそうになるのを必死に堪え、足でその場から離れる。咄嗟の空間移動テレポートが使えるような状態ではない。
 今のは先に手首を掴んだのがまずかった。それでこちらの居場所を知らせてしまい、カウンターを食らってしまった。
 離れたところで息を整える白井をじっと待つように、廷兼郎が見つめている。
 見えているのか、とも思ったが、荒くなった息が聞こえて居場所が分かるのだと考え直した。

 後ろも駄目。前も駄目。それならば、人体の完全な死角である頭上から攻める。そこなら背後と違って回し蹴りを食らう心配はない。
(食らう心配はない。それはもっともですが……)
 ここで白井は気がついた。予想されていたとしても、それはおおよその場所であり、白井が仕掛けタイミングまで分かるはずが無い。だがこれまで二度、廷兼郎は空間移動テレポートしてきた白井に対して絶妙なタイミングで迎撃を行い、成功している。これは場所に加え、白井が空間移動テレポートするタイミングを把握しているからに他ならない。

 何故空間移動テレポートのタイミングがバレているのか、それが分からなければこの男には勝てない。
 やはり本当は能力者で、恐らくは読心サイコメトリー系の能力者なのだろう。対象に触れずに把握するというのはかなりの高位能力だが、それでも穴はある。
 息の整った白井は、演算速度を一気に高め、能力を開放した。
 右横に現れたと思ったら次は後ろ、今度は斜め上、かと思えば十メートル近く遠い場所に現れたりと、白井は矢継ぎ早に空間移動テレポートを繰り返した。
 立て続けに空間移動テレポートを行い、相手を混乱させる。こちらの消耗も激しいが、読心を試みればそちらの演算が追いつかなくなるはずである。その隙を突く戦法だ。
 端から見れば分身でもしているかのようで、白井はここへ来て空間移動テレポートのラグをさらに縮めていった。

 途中までは追えていた白井の動きも、最早把握できないと諦めたのか、廷兼郎は目線で追うのをやめた。そして構えを解き、腕も足も半端な位置に置いて佇んだ。
 これほど移動の速い相手には、前面に対しての構えは意味が無い。前後左右のどちらにも対応できるよう、腕も足も自分の動かしやすい位置に置く、内野手のような構えが比較的有効である。
 雀の涙ほどの違いだが、その違いを怠る者に、能力者の制圧など夢のまた夢である。

(脳天、がら空きですの!)
 腕は先ほどよりも低い位置にある。防御が遅れる。こちらの攻撃が入る。
 渾身の空間移動テレポートで頭上を取り、白井は全体重を足裏に乗せて、廷兼郎に向けて落下した。
 軽いとはいえ、女子中学生の全体重で頭から踏みつけれれば無事ではすまない。悪くすれば首の骨がずれてしまうが、模擬戦中の事故ならばそれも致し方ない。
 廷兼郎の頭を踏みつけることに、白井は何の躊躇いも見せなかった。必殺の手応え、ないし足応えを、白井は夢の中でいつまでも待ち続けた。


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