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第二章
魔に遭う:三
 大阪に到着した一行は、浜とは名ばかりの岸壁をよじ登り、三十人ほどが夜陰に紛れて疾駆する。さかいの賑やかな繁華街を避け、眠りにつこうとしている住宅街をすり抜けていく。
 大阪の地理に詳しくない廷兼郎は、彼らの通った後に従って、後から付いて行く。塀と言わず屋根と言わず、天草式あまくさしきの面々は物音を立てず進んでいく。その忍者さながらの身のこなしに、廷兼郎は素直に感心した。

 これが建宮たてみやの言っていた『身体を強化』する魔術なのか、訓練によって得た運動能力なのか、その両方なのかは廷兼朗の目にも判ぜられない。ただ、彼らと自分の身体的性能にそれほど差がないと言うことだけは確信した。
 天草式は天草式で、「何でこいつ魔術使ってないのに付いて来れんの?」と、疑念を通り越して恐怖染みたものを感じ始めていた。
 単に民家の屋根から屋根へ飛び移るのにも、脚力を増す、あるいは風を生み出し、それに乗って移動するなどの魔術を駆使し、着地後の音を外部に伝えぬよう、魔術によって空気の振動を遮断する。彼らは厳しい訓練を積み、さらに魔術によって身体の力を高めたり、体が発する音を消したりもしている。
 同じような動きで天草式に付いていく廷兼朗だが、魔術師である彼らから見ればあまりに異様である。一連の行為を、廷兼朗は魔術の補助無しにやってのける。しかし、その動作に目立った部分は見られない。天草式と同じように飛び、同じように着地し、同じように走っているだけに過ぎない。
 端からは同じ動作に見えるとも、その作用には大きな差が生じている。それはつまり目に見えない部分、身体の使用方法の差違を表わしている。

 全く変わらない動作だったとしても、そこに違ったイメージを持っていたりするだけで、その効果が違ってくる。初心者と熟練者の間に横たわる差は、型や技の精度も然ることながら、動作に対する理解やイメージでもある。ただ拳を突き出す動作も、漫然と拳を握って前に出すのと、踏み込んだ足から体重を軸足に移動させ、股関節を鋭く回転させ、下半身の出力を上半身へスムーズに伝達し、腰から上る力が体の真ん中、鎖骨の付け根の辺りから腕へ伝わるように発射するのとでは、恐らく速度、威力、リーチまでも違ってくる。
 目で見ることの出来ない自分の体のことをよく理解し、それに根ざしたイメージで体を動かすことで、目には見えない大きな差が生じる。
 常につま先を立たせる、いわゆる猫足立ちの態勢で、走るときに起こる衝撃を柔らかく吸収し、音を殆ど立てない。飛び移る際には腕まで使い、四点にバランスよく体重を振り分けることで消音を可能としている。
 人々の眠りを妨げぬよう、廷兼郎たちは細心の注意を払って目的地へと急いだ。

 白鳥陵に治定されている軽里大塚古墳は、多くの古墳と同じく周りに堀があり、湖の中に浮かぶ見た目となっている。その西方に辿りついた建宮は、軽く舌打ちをした。
「間に合わなかったか。もう白鳥陵に結界みたいなものが張られてる。馬鹿正直に突っ込むのは拙いのよ」
「しかし、猶予はありませんぞ」
「ああ。数ではこちらが勝っている。ここは押し切るのよな!!」
 結界がどうのとか言われてもまるで分からない廷兼郎は、とりあえず進軍するということだけ理解した。
 だが、次に建宮たちの取った行動は、彼の常識を遥か彼方にすっ飛ばして余りあるものだった。
 水音一つ立てず、彼らは湖面を走破していた。

「んんんーーーー!!」
 この場で大声を出すのは良くないと判断した廷兼朗は咄嗟に手で口を塞ぎ、驚嘆の声を押し殺した。
(水の上を走ってる!? どゆこと? 水蜘蛛でもあんな速くは無理だ。これも魔術か? マジで何でもありだな。てかここ宮内庁の管轄だから、無断で入ったらかなり拙いって!!)
 ちなみに水蜘蛛とは、水面を歩くための忍具のことである。
 そうこうしている内にとっとことっとこと、天草式は水面を走って白鳥陵へと向かっている。あわわあわわと右往左往する廷兼郎に構ってる余裕はないらしい。
 水の上を走るのは無理。ここで待つのも論外。結果として、真っ暗な夜の闇で底の見えない、薄く緑がかった湖へと身を投げるしかなくなった。
 覚悟を決めた廷兼郎は柵を乗り越え、湖面の淵に立つ。そしておずおずと、右足を差し出す。
「屁の突っ張りは……」

(右の足が沈む前に左足を出して左足が沈む前に右足を出して右の足が沈む前に左足を出して左足が沈む前に右足を出す!!)

「要らんですよおおおおお!!」
 腿力たいりょくの限りを振り絞って行った水面歩行は、どぱーんという盛大な水音と、よく分からない奇声を上げる結果となった。
 それでも優に五歩は進んでみせた廷兼郎を見て、「あいつ人間じゃねえよ……」と、その隣で湖面を走っていた天草式は、背筋に薄ら寒いものを感じていた。
 残りの距離は、仕方がないので泳ぐことにした。水音をこれ以上立てぬよう、日本古来の伸泳のしおよぎをしながら、急いで白鳥陵へと向かった。

 白鳥陵に張られた結界の中で、建宮たちは苦戦を強いられていた。その結界は今まで見たことのある術式ではなかったことに加え、術式の影響で魔術の行使が困難になっていた。
 おそらく術者の体に負担をかけ、魔力の流れを阻害しているのだろうが、対する真伝天草式しんでんあまくさしきの連中は同じ結界の中に居るにも関わらず、奔放に魔術を行使していた。

 建宮たちが一回魔術を成功させる間に、彼らは二回、三回と魔術を重ねて攻撃してくる。数では上回っているため、何とか均衡を保ってはいるが、突破口がないのも事実だった。
「いつの間にこんな術式を開発したのよ、菊池」
 建宮が毒づくと、ハルバートを構えた男は、先頭に立って天草式を威嚇した。
「おもしれーだろ。てめーら天草式の連中には百年経ったって出来ねー芸当だ。これこそ真伝天草式の力よ」
「笑わせるなよ。女教皇プリエステスの帰りを信じもしなかったチキン野郎が、吠えてんじゃねえ!!」
「……んだと?」
 バチリと、ハルバートの穂先から紫電が走り、辺りを照らす。
「忠犬ぶってんじゃねーよ! てめーらの頭はとっくに取れちまってんだ。いい加減に気付け!!」
 頭上に構え、斧部分を一気に振り下ろす。紫電を伴った斬撃を建宮はフランベルジュで受けるが、その刃を通して彼の体に電撃が迸る。
「あがあああああ!!」
 防御術式が組み上がらない。真伝天草式の結界が、建宮に魔術の行使を許さない。為す術もなく電撃に身を焼かれ、斬撃の威力で吹き飛ばされる。
「俺は信仰を行動で示す。待つだけが能のお前らとは違う!!」
 波打つ剣ごと両断せんと、菊池がさらに圧力を掛ける。

 電撃で痺れる体を奮い立たせ、建宮は抗う。
「俺たちだって、待ってるだけじゃないのよな。天草式を守ってんだよ。女教皇の帰る場所を守ってんだよ。逃げ出したお前と違ってな!!」
 屈しそうになる足腰を叱咤しったし、歯を剥いて菊池を睨み付ける。二人がカチ合わせているのは刃ではない。互いの信念、信仰そのものである。
 立ち上がろうとする建宮に、容赦なく電撃が見舞われる。力を失った体がかろうじて斧を防ぐが、足腰の踏ん張りは全く効かず、水際まで軽々とはね飛ばされてしまう。
 菊池は無理に追おうとはせず、ゆっくりと歩を進める。あまりに隔絶した彼我の差に優越を感じているのではない。相手が手負いとなったからこそ、確実に仕留めんがため、油断無く様子を窺っている。

「……確かに俺たちは、女教皇の帰りを信じられなかった。それは事実さ、建宮」
 菊池の口調から、先ほどまでの刺々しさが消える。代わりに、聞く者の心まで重苦しく沈む重圧が宿る。
「皆が皆、女教皇を信じ抜けるほど強くはないし、それを押し付けることの醜悪さといったら、語るに落ちる。だが、そういう奴らも救えないで、何が信仰か、何が宗教か、何が天草式十字凄教か!!」
 溢れる激情が紫電となって辺りに散る。菊池の目に宿るのは、自分の信仰一つである。他の一切合財、叩いて潰す覚悟の目だ。
 止めを刺すべく、菊池がハルバートを背負う。他の仲間は乱戦の只中にあり、建宮からの救援に応えられる状態にない。
「終わりだ、教皇代理。安心して逝け」
 フランベルジュを掲げたとて、寝そべる態勢では防ぎきれない。即座に叩き折られ、容赦なく建宮の肉は引き裂かれることだろう。
 断罪の鎌の如く振り上げられたハルバートを、防ぐ手立てはない。


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