目の前の侵入者は、どうやら命令を忠実にこなしているようであった。見敵と同時にサプレッサー付きのサブマシンガンで制圧射撃を慣行しつつ後退。その繰り返しである。
学園都市には一個師団相当の戦力を脳内に宿す学生も珍しくない。そんな暴力的理不尽と出会った場合、まず逃避することを前提として行動しなければならないのは至極当然の判断である。
軍人や傭兵などの戦闘を生業とする者であればこそ、その摂理を違えようとはしない。英雄的行動爆発の結果として自分の中身をぶちまけるのは稀有なことではないと、身に沁みて会得しているのである。
目の前の男の行動からは、そうして厳格さと無機質さが匂い立つ。堪らず腹の底が熱くなり、廷兼郎が興奮を覚えるほどに、濃い匂いである。
その傭兵が、単なる人間に過ぎない廷兼朗を確認してさえそのように振る舞うということは、廷兼郎のパーソナルデータを十分に把握しておらず、能力者である可能性を吟味しているということだ。
全くもってポジティブではない要素だ。ばら撒かれる弾幕を曲がり角でやり過ごしながら、廷兼郎は軽く嘆息する。
まずは銃を持たれている時点で劣勢は明らかだ。拳との間合いの優劣など口にしたところで気勢が萎えるばかりである。それに地理条件も、発見された今となっては不利に働く。廷兼郎の目付けと体術を持ってしても、この限定的な空間で全ての銃弾を避けきるのは不可能だ。十か二十は交わせても、その間に詰めるにはあまりに廊下が長すぎる。それでいて一発でも当たれば死傷は確実だ。
このまま付かず離れずで弾切れを待つか。こちらが相手の弾倉を確認していない以上、不確定だろう。各所に備えられた監視カメラと網丘からの連絡で、相手の挟撃などを食らうことはまずないだろうが、それにしても深追いして他の連中に合流され、反撃に出られたらこちらのほうが危うい。
(早く決着をつけられないなら、退くべきだな)
次の一手が通らねば、大人しく諦める。とりあえずはそうと決め、頭の中で手筈を整える。
そのとき、コンクリートの壁をずたずたに削り取るほど殺到していた銃撃が収まった。不意の静寂が、飛散したコンクリートか銃弾の欠片かの匂いを増す。廷兼郎はぎゅっと血が巡るように錯覚するほど耳孔に集中し、音を探る。走る靴音も、銃撃も聞こえない。作戦の成功率が僅かに上昇した瞬間、彼は動いていた。
銃撃の方向からおおよその位置を勘で決めて、背後にあるドアの横の認証端末に素早くカードを照らすと、開くと同時に身を滑り込ませた。
装弾子を取り替える僅かな隙を衝かれるものとばかり踏んでいた坂代は、肩を空かされる形となった。
一つ向こうの曲がり角からは、一切の動きはない。忍び足で迂回しているとすればむしろ好都合である。進行速度が遅いほうが、対処の選択肢は増える。それによほど離れなければ、この廊下内では反響してしまう。
今は、それさえもない。じっと身を竦ませているとしか思えないが、坂代は不思議とそのような妄想を抱くことが出来なかった。
さきほど現れた学生と思われる若い男の見せた体捌きは、世界的なトップアスリートと比べても遜色ないものと、僅かな邂逅で分からせるほどに隔絶していた。
五メートルほど離れて会敵したと同時に放った秒間二十発を誇るサブマシンガンが僅か十ほどを消費した時点で、坂代の目前に迫っていた。ちなみに最初の五発は目標を見失い、一拍遅れてから屈んで避けられたのだと気付くほどであった。ほぼ静止した状態から一気にギアを上げる瞬発力。そして銃弾さえ見切る動体視力。壁さえも足場にして駆け回る平衡感覚。そうしたものを底上げする能力と言うのならば、十分に納得できる。
まともに狙いをつけてやり合おうとしていれば、確実に間合いに捉えられていただろう。きちんと制圧射を怠らずにいたからこそ、ここまで退却できたのだ。
とはいえ坂代は、焦燥や危機感といった単語を思い浮かべはしなかった。先ほどの青年は動きこそ普通ではないが、超能力が跋扈するこの都市における脅威としては、むしろ大人しい部類だろう。やりこめるのは不可能ではない。先ほどの邂逅で手応えを得た坂代は、警戒を解かずに曲がり角の奥へ引っ込んで背を壁に預けて休む。
じんわりと腰の辺りが熱い。走って逃げているときに痛めでもしたのかも知れないが、いちいち気にかけているほどではない。空手流の息吹で呼吸を整え、再び逃げる方向を見定める。ついでにサブマシンガンの調子も確かめて――
どすんという大きな音が、自分の間近から響いていた。まず敵の接近と結びつけたが、それはすぐに否定された。自分が眺めている景色を見れば、理由が瞭然だったためだ。
天井が高い。床が近い。視界が、低まっている。
素早く下に目をやれば、予想の通り、彼の腰が落ちていた。まるで脳梗塞にでもなったかのように、下半身の感覚が忽然と失せていることにようやく気がつく。しかし坂代は呻き声一つ上げず、自由の利く上半身で警戒する。
何をされたか分からずとも、敵の攻撃を受けたのは確実だ。遠隔地から攻撃する類の超能力とすれば、テレキネシスかテレポートがまず上がる。テレキネシスで人体の構造ごと破壊するほどの力を背骨に集約させて神経を断絶させたのか。テレポートで異物を神経内に混入されたのか。
いずれにしても何らかの兆候があってもいいはずだが、記憶を浚ってもとりあえず見つからない。
「う、うん……うげえ」
というより、思考が満足に定まらない。とうとう吐き気まで催し、腕さえも満足に上がらない。腰の辺りから広がるじんわりとした熱が頭にまで至り、脳を茹で上げているかのようだ。
頭痛、吐き気、眩暈、思考力の低下、記憶の混濁、集中力の傷害、体の痺れ、平衡感覚の喪失――まるでパンチドランカーにでも掛かったようなである。
それでも頭上に掛かる影が何であるかくらいは、今の彼の頭でも察することが出来た。
「どうも、お久しぶりです」
坂代の様子をどこかで窺っていたような間の良さで、廷兼郎は音もなく現れた。せめてもの抵抗にゆるゆると上がる銃口は素早く左足で踏みつけられ、それを軸足にして右の下段回しが顔面に叩きつけられる。壁と足とに挟まれた頭部は衝撃を逃がしきれず、鼻梁が破れるほどにずれて血を噴き出す。
渾身の精神力で意識を繋ぎとめる坂代を一顧だにせず、無造作に髪を引っ手繰って顔を上に向かせる。相手が無抵抗なのをいいことに、目を無理やり開かせて瞳孔を探ったり、口の中を見たり、頚動脈の脈拍を測ったりとやりたい放題である。
「振動自体は微弱だったけど、長く送れたからかな? これほど顕著に出るのか。やっぱり振幅よりも伝達時間をそもそも工夫したほうがいいか。でも結局は打撃だからな。引っ付いてたら関節技と変わらなくなっちまう」
反駁を期待しない独白が空しく廊下に響く。一方的に聞かされる坂代の口は痺れきっている。まるで虫を弄う子供の無邪気さで坂代の体を調べる廷兼郎は、次第に顔つきを綻ばせていった。
「いやあ、さすが職業軍人ですなあ。素晴らしい体をお持ちだ。ん? これって――」
そういって廷兼郎が坂代の首筋から取り出したのは、小さなマイクだった。ならばと耳の裏を探ると、骨振動スピーカーのパッチが剥がれ落ちてきた。
ならばと廷兼郎はマイクとスピーカーを引ったくり、自分で身に着けてしまった。
「いいの使ってますねえ。もしもし、隊員のかたですか? 私、あなたがたに襲われている者ですが、どなたかいませんかあ?」
「能力者というのは総じて大胆だな」
「お? 意外にお早い返事ですねえ。てっきり無視されるものとばかり思っていましたが」
「子供の諧謔に付き合うくらいの甲斐性はある」
「そんなこと言って。時間稼ぐのが目的でしょうに」
「聡いな。そういう能力なのか?」
「気分が良いですなあ。しかし、何でも能力に絡めるのはいけませんよ。ましてや無能力者を相手にそのお世辞は、ねえ」
「ほお。恐ろしいな。学園都市はそういうのも研究しているのか」
隊員の一人と思われる男と続く会話が、危うげな調子で続く。
「ところで、そろそろお帰りでしょうかね?」
「そんな頃合かな、もう」
「どうでしょう。ここらで一つ賭けに出られては?」
男が何も言わないので、廷兼郎は自分のペースで話を進める。
「訓練に使うホールがありますので、そこまでご足労願います。そうしたら、二人の隊員はお返ししますよ。私自らが」
「何が狙いだ?」
「そんな、何でもを聞きたがる子供じゃあるまいし。もっと捻ってくれなくては萎えてしまいますよ」
「余裕だな。楽しいか?」
「いいえ。楽しいのはこれからです。軍人さんとは話すより、戦うほうがずっと楽しい」
骨振動スピーカーからノイズが走り、通信がそれきりになる。
「さてと、聞こえていましたね。網丘さん、手筈のほうを頼みます」
「段取りはついているのか?」
「まさか。勝負は水物ですので――」
奪ったスピーカーとマイクを振りほどいて投げ捨てながら、廷兼郎は不遜な調子で言った。
「勝算なんて、あるわけない」
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