ゆったりと首を巡らせて辺りを窺うと、立っている人間はいなかった。意識のあるなしが違うだけでもスキルアウトの面々は一様に倉庫の冷たい床に寝転がっている。
一先ず呼吸を置いて、廷兼郎は調息する。
銃を持ち出されたときは冷や汗をかいたが、それを覗けば至極安全に事は運んだ。命に関わる重傷者は皆無。この人数を相手にして、それは奇跡的な数字である。
ギネスに登録されてもいいくらいだと得意になっている廷兼郎は、壊し忘れのトイボックスを踏み砕いて回る。
それが終われば、このまま居座る理由も無い。とりあえず救急車と警備員へ連絡するために、廷兼郎は携帯を耳にかけながら倉庫の引き戸に手を掛け――、そこで動きを止めた。
首筋の悪寒に逆らわず、即座に右の踵を跳ね上げた。廷兼朗の耳元を、何かが力強く通り過ぎる。
踵にぐっと堅いものが当たり、そのまま薙ぎ倒す。しかし手応えとしては腕で防御されたものだった。廷兼朗は僅かに下がって体勢を整えて構える。
微かな月明かりを頼りに気配を探ると、そこには最初に殴り倒したはずの黒尽くめの男が立っていた。
「死んだふりか。すっかりだまされたよ」
わざと飄げた口で言うと、男はふっと軽く笑った。
「きっちり後ろ回し叩き込んでおいて、よく言うぜ」
男の廷兼郎に劣らず、軽い調子であった。その最中につつと、暖かに耳を伝う。確かめるまでもなく、それは血であった。廷兼郎はそれを拭い、ちろりと舌で舐めあげた
どうやら男が後ろ手に隠しているのは、刃物の類か。
先ほどの体捌きを見る分には、相当体術に自信があるとみていいだろう。最初に殴り倒されたことは、三味線を弾いていたらしいので当てにならない。
右手に持った短棒を中段に置き、足運びを右構えにする。
互いに機先を制しかねて、じりじりと僅かに立ち位置を変えるばかりの膠着が続く。男は常に武器を後ろに隠し、廷兼朗の短棒はぴたりと男に正中に据えられている。
決め手無し、となれば、動かねば状況を制することはできない。
すうっと床を舐めるような足運びで、廷兼朗が前に出る。男はその動きに目を見張るが、すでに間合いは短棒のもの。下からの払い打ちで男の顔面を狙う。
そのとき、廷兼朗の脇腹が頭より、心よりも迅速に反応した。びくりと縮こまった腕は短棒を外し、二人の腕が錯綜する。
短棒の影になる位置から、男は左手を突き出していた。その掌には、いつの間に持ち変えたのか、先ほど廷兼朗の側頭を掠めた得物が握られていた。
互いに会心の一撃を外し、即座に後ろへ下がる。二人とも動揺を隠せなかったが、その程度を論ずれば、廷兼朗の方が上であった。
男が持っていた武器は、最初に持ち出していたバタフライナイフとは似ても似つかない代物であった。鏃のように尖った刃と、柄には羽根が三カ所から生えていた。
掌に収まる槍。投擲にて放つ矢。日本が生み出した握り短寸武器の傑作。
「打根、とはな。恐れ入る」
正直な感想が、廷兼朗の口から漏れていた。
男も、自分の武器を言い当てられようとは思わなかったのだろう。僅か上擦った声で答える。
「勉強してるな。こんなの、普通は分からんぜ」
「それを言うなら、普通は使わないだろ」
男はまた打根を後ろ手に隠し、牽制するように左手を突き出す。廷兼朗はその手を短棒で払いに行く。
男は左手を引きながら踏み込んで、右脚を跳ね上げる。上足蹴りが低まった廷兼朗の頭を掠めるが、構わず踏み込んだ。狙いは当然、ちょうど目の高さにある股間である。
間もなく左の掌底をまっすぐ突き出し、柔らかな睾丸を掌が押しつぶし、男が苦悶の声を上げて倒れ込んだ。
しかしそれは、廷兼朗も同じであった。
その左肩には、大振りのダーツのようなもの――打根が突き刺さっていた。
しゃがんだ態勢だったので把握できなかったが、恐らくは右の蹴りで体を回し、相手を下段に誘うと同時に遠心をつけて近距離から打根を投げ放っていたのだろう。
「ぐ、ぬあ!」
服を通してさえ返しまで深く刺さった打根を、周りの肉ごと抉り取る。金属光に反応して左肩を窄めたので、顔面に刺さることがなかっただけでも幸いである。肉のこびりついた打根を上着にしまい込み、廷兼朗は男の様子を確認するために近づく。
睾丸を押しただけなので死んではいないだろう。問題は、すぐに立ち上がってこれるかどうかだ。
スキルアウトに所属しているものには、武器兵器に精通しているものが少なくない。超能力に対抗するには、やはりそうしたものを頼むのが安全であり、手っとり早い。だが、まさか打根などという武器まで扱えるとは、廷兼朗も考えさえしなかった。
彼だけが特別なのか、それともスキルアウトでそうしたものが流行っているのかは分からないが、率直に言ってこんな武器で超能力者に立ち向かうなど正気の沙汰ではない。
「俺が言えることでも、ないか」
血の溢れ出す肩の傷を、とりあえずは布で縛る。ぬめる血を払いながら男の顔がのぞき込めるほどまで近づいたとき、廷兼郎の顔面を何かが射貫いた。
「はっ!」
遅れて響いたかけ声とともに、激しく床を滑り、廷兼朗が後方へ退く。
すかさず廷兼朗がいた位置に、誰かが降り立つ。着物を着崩したような前衛的服装が、狭い窓から入る月光で僅かに輪郭を浮かび上がらせる。街中であったなら、目は引くものの近づきたくはない類の人種だ。
「半蔵様、大丈夫ですか?」
廷兼朗は、自分の手に握られたものをしげしげと見つめる。それは毬栗を扁平に裁断したような形をした、いわゆる車手裏剣と呼ばれる投擲武器である。
打根に手裏剣と、妙に時代がかった武器の登場に、廷兼郎は訝しい思いを禁じえなかった。
「勝手に出てくるな。郭」
忌みしくつぶやいた半蔵の手には、またも打根が握られていた。郭が手裏剣を放っていなければ、かわりにこちらが廷兼朗に放たれていたことだろう。
「ていうか、何なんですか? この男」
「研究所からの回し者だ。今さら俺たちが邪魔になったらしい」
何なんだというは、廷兼郎も問いたいところである。目の前の男女が放つ雰囲気は、若者が有するものとは一戦を画しているような気がする。
暗がりでも分かるほどの恨めしい視線が、廷兼朗に向けられている。そこには廷兼朗にも分かりかねるほど感情が込められていた。むしろそのおかげで、先ほどの手裏剣打ちを防ぎ得たと言えるだろう。明確な殺気に掛け声もつけてくれるなら、この暗がりでも比較的容易に回避できる。
「スキルアウトを潰す気でしょうけど、そうはいきませんからね」
「ここで息巻かれても困るな。俺は依頼されただけだから。研究所に一矢報いたいのなら、相手は俺じゃない」
「なら、見逃してくれるのか?」
「そうだな。見逃そう。だから俺に背中を見せろ」
当然、二人は背中など見せもせず、得物を取って構える。廷兼朗も避けたときの姿勢のまま、ゆっくりと地に伏せていく。
四足の型。天羽根流の中では最速を誇る遊撃の構えである。
「あんた、半蔵っていうのか?」
「……それが、どうした?」
若干気に触ったのか、軽薄な調子が少しばかり影を潜める。それを弄うように、廷兼郎は低まった体をゆっくりと巡らし、暗がりへと逃げていく。
「いやなに、俺も忍術を少し齧っていてねえ。半蔵なんて聞くと……なあ? 期待しちまうのが、人情じゃないか」
「知るか。勝手に言ってろ」
「そうかい。ぜひとも見たいねえ、服部半蔵の槍捌き。
徳川殿は良い人持ちよ。服部半蔵、鬼半蔵。渡部半蔵、槍半蔵。渥美源吾は首切源吾ってか」
戯れ歌の終わる頃、廷兼郎のすっかり闇の中へと姿を隠しきっていた。
「さあさ、鬼半蔵。得物が打根でも槍となれば十分だろう。それとも六尺槍じゃないと不満かい?」
「ぐだぐだ抜かしてねえで、仕掛けたらどうなんだ?」
「それじゃあお言葉に甘えて、忍術合戦といこうじゃないか」
さも嬉しそうな声が、暗い帳に木霊する。不良たちの呻きを満たした倉庫のなかで、再び戦端が開かれていった。
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