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旧作 作者:hayashi

シーズン3 第1章「憎しみの連鎖」

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『平和と人権を守る教職員連合会』―ミスズ先生

「自白剤の使用条件のハードルを下げる法案やスパイ防止法が閣議決定されました。次の国会に提出され、審議されます。否決されるよう、皆さんも声をあげましょう」
 アサト・サハーは今日もテレビで声を大にして訴えていた。

 サハーの肩書は『社会問題を扱う研究者・ジャーナリスト』――ロマンスグレーの似合う細身の中年男性だ。テレビのワイドショーや討論番組にもよく登場し、コメンテーターとして活躍していた。
 この頃はよく激論を交わす相手であるルイ・アイーダの天敵としても有名になってしまった。

「自白剤を使用するなど、とんでもないことです。こういった人権軽視は、やがては国民への人権侵害につながります。今では街のいたるところに監視カメラがあります。警察権が強化されれば、やがて国民は国家から監視され、自由を奪われ、国家の犠牲になるでしょう」

「本当にその通りですっ。私たち『平和と人権を守る教職員連合会』もサハーさんの意見に賛同いたしますっ。皆、国家権力の恐ろしさを知らないのですっ。自白剤の使用はあってはならないことですっ」

 サハーの発言に頷きながら、『平和と人権を守る教職員連合会』の女性教員ミスズ・シマーも意見を述べる。
 ミスズ先生は、ショートカットでカワイイといったタイプの小柄な若い女性で、弾むような話し方をするのが特徴だ。

 番組制作者側としては、「自白剤使用に賛成」の立場をとるルイ・アイーダに賛同するコメンテーターが多くなってしまったため、サハーのほかに、ルイ・アイーダと対立の立場をとってくれる者を探していた。そこでミスズ・シマーに白羽の矢が立ったのだ。

 なお、今日のこの討論会には呼ばれなかったルイ・アイーダは、トウア国立大学歴史学科近代歴史研究室に所属する女子大生である。華やかな外見、巨乳にして童顔、それでいて知的。その理路整然とした話しぶりが人気を呼び、サハーと対立するコメンテーターとして大活躍していた。
 ちなみにルイは、学生時代からのセイヤとリサの親友でもある。

 そんな冷静なお嬢様のルイに対し、ミスズ・シマーは元気な庶民派というキャラクターで売り出していた。

 が、ルイのいない討論会は、サハーとミスズ先生がお互いの意見に頷きあうだけの少々退屈な番組になっていた。

「そもそも自白剤といっても万能ではないんですよね。自白剤は大脳上皮を麻痺させるだけです。脳の機能を低下させ、朦朧とした状態になるので、黙秘を貫くのが難しくはなりますが、妄想も出てくることもあります。ですから信憑性という点で問題があります。
 その上、眠ってしまうこともあり、かえって扱いが難しいのですよ。そして副作用として、中毒、廃人になる可能性がある恐ろしい薬です。断じて使用をするべきではありません」

 サハーの意見に、ミスズは同調する。
「治安を守るためといって、こういう人権無視が許されていいのでしょうかっ。本当に恐ろしいことですよねっ」

「不眠状態にさせて自白を促すやり方も基本的に許されてないのです。ましてやクスリを使うなどとんでもないことです」
「全くですっ」

 しかしアサト・サハーやミスズ・シマーの考えは、最近の治安悪化を憂えるトウア市民には今ひとつ浸透しなかった。『シベリカ工作員』の存在が疑われる今、自衛のために必要な法だと多くのトウア国民は考えていた。

・・・

「……どっちを優先するかだな。犯罪者の人権を守る代わりに、事件解明が遅れることを仕方ないとするか、それとも犯罪者の人権を無視し、事件解明を急ぐか……もちろん、犯罪者の人権も守り、事件も早急に解明することが理想だけど、現実はそうはいかないよな。理想を追い求めてたら、もっと大きい何かが犠牲になるかもしれない。それでも理想を追求する覚悟があるか、だな」

 このサハー氏とミスズ先生の対談を自宅のテレビで見ていたセイヤはつぶやいた。
 その隣ではリサもクッションにもたれ、寝ぼけ眼で相槌を打っていた。

 今日は待ちに待った休日。
 セイヤとリサは、ルッカー治安局長直属の『特命チーム』に入ってから基本的に遅番も早番も夜勤もなく、わりと規則正しい勤務をさせてもらえており、決まった休日に2人そろって休めるようになっていた。その代わり緊急で呼び出されれば、夜中であろうと非番の日であろうと飛んでいき、任務が終わるまで休みはない。
「いざという時、一番体を張ってもらうことになるから、無理が利く健康体でないと困る」と言うルッカー治安局長のもとで、治安部隊から独立した独自の勤務体制をとらされていた。書類仕事もあるが、訓練や座学の時間が主流となり、軍の方へ出向いて特殊部隊としての過酷な訓練をすることも多くなった。休日くらいはゆっくり休まないと体がもたないので、家でダラダラ過ごすのが定番になっていた。

「ただ、サハー氏の言っていることも間違っちゃいない。国家権力への警戒は必要だ。でも、今の時代は『国に治安を守ってもらうこと』が皆にとっての最優先事項だよな。国にちゃんと守ってもらいたいなら、ある程度、国に監視され、自由が制限されるのも仕方ないのかもな」
 セイヤの感想は続いていた。

「でも、この頃、サハー氏とルイが討論するってこと、なくなっちゃったよね。サハー氏がルイを避けているらしいけど」
 合いの手を入れるようにリサがつぶやく。が、その内容はいまいちかみ合ってない。

「ちょっと前なら世論は諸手を上げてサハー氏に賛同していただろうに。ほんと、世間の空気は変わったよな……こんなフラフラしている世論っていうやつが国の運営に影響を与えるとしたら、けっこう恐いな……」

「サハー氏はルイの天敵としてケンカ討論するから面白いのにね。サハー氏だけじゃインパクトないよね。こんなんで視聴率とれるのかしら」

「シベリカ工作員の疑いがある被疑者への自白剤使用のハードルが下がれば、事件解明への糸口になる可能性は広がる。自白剤は万能ではないけど、ひとつの方法であることは確かだ。そのうち、もっと有効なクスリ、あるいは有効な使い方が開発されるはずだ。原則使用禁止の今の状態では開発もできない。自白剤が使用できるよう今国会で通して欲しいよな」

「サハー氏のお仲間みたいなミスズセンセっていうのが最近、出てくるようになったよね。番組側もルイのライバルを育てて、いずれルイとバトルさせて、視聴率稼ごうって魂胆ね」

 セイヤもリサもお互い頷き合いながらも、会話はズレまくっていたが、気にすることなく、それぞれ思いのままを口にしていた。
 そのうち、サハー氏とミスズ先生の対談が終わり、番組は次のテーマへ移っていた。

「さて、今日の夕食は野菜たっぷりカレーにでもしようか」
 ようやく眠気から覚めたのか、リサは立ち上がって大きく伸びをした。

 そう、セイヤの好物は、カレーとかハンバーグとかグラタンとかシチューとかオムレツとか唐揚げとか……いわゆる『お子様が好むメニュー』だと、とても喜ぶ。
 地下鉄中央駅爆破事件の後、一時は肉が食べられなくなり、特にハンバーグなどは論外だったけど、今は美味しく食べられるようになって、これらお子様メニューも復活したのだ。
 セイヤは8歳で家族を失ったため、そういった『子どもが喜ぶ家庭料理の定番』を目一杯食べられなかったからかもしれないとリサは思いやり、栄養バランスを考えながら、時間のある休日にはそういったお子様メニューを用意することにしていた。

「じゃ、買い物、行くか」
 今夜はカレーと聞いて、セイヤも元気が出たようだ。結婚当初は甘口を好んだが、今はリサと同じ辛口でいけるようになった。

 ちなみにセイヤが『甘口カレー派』の時は、「甘口なんて邪道よ」と言いながらもリサは甘口のルーを使い、セイヤの分をよそった後、そのカレー鍋に唐辛子を入れて、グツグツ煮込んでから自分の分をよそっていた。

 また、ジャガイモを入れるか入れないかでも議論になったことがある。リサはカレーにこだわりがあるようで『ジャガイモを入れない派』だった。セイヤとしては栄養バランスを考えれば、ジャガイモはあったほうがいいという意見だった。

 結局、「そんなにジャガイモが食べたいなら、ポテトサラダをつけようよ」ということになり……リサから「ジャガイモの皮むき、よろしくね」とセイヤは手伝わされ、「ついでに茹でて、こねて、きゅうりも切って、塩で揉んで、マヨネーズと一緒にあえてね」と『ついでの範疇』をはるかに越えたお願いをされ……いつの間にか『ポテトサラダ』はセイヤの担当になってしまった。
 手先が器用なセイヤは包丁さばきもなかなかのものだったので、リサもついつい頼りにしてしまうのである。
 セイヤとしても、リサと並んで台所に立つのも悪くはなかったし、ほかの料理にも挑戦してみたいと思うようになった。

 二人は近くのスーパーへ買い物に出た。木々の葉がやわらかい黄昏の陽を浴びながら、サラサラ音を立てていた。
 新緑が美しいこの季節、昼間は初夏の陽気に包まれるが、夕方になれば涼しくなり散歩するのに気持ちの良い気候だ。

 日増しに治安が悪くなっていくトウア社会の暗雲を感じつつも、まだそこそこ平和な日々は続いていた。
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