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第11章

 だが運命は突然、わたしがまったく予期しなかった方向から変わりはじめた。わたしが翌朝、ホテルのロビーで綾香が清算をすませるのを待っていると――なんと、理一郎その人がアールヌーヴォー調の螺旋階段から下りてくるではないか!

「……理一郎っ!」

 彼があまりにも涼しい顔でわたしの目の前を通りすぎようとしたので、思わずわたしは彼の首根っこを掴んでいた。

「あんたっ、よくもわたしにあんなことしておきながら……けろっとして無視できるもんだわねっ!」

 理一郎は、なんのことやらまるでわからないという顔をしていた。そしてわたしのほうでもハッと気づいた。理一郎には右目の下に泣きぼくろがあったけれど――この男は、左の下にそれがある。ということは、つまり……。

「あの、わたし共の従業員が何か?」

 フロントのほうから、彼の上司らしき年配の男が姿を現すと、わたしはなんて言ったらいいのかわからなくて、口篭もった。よく見ると、理一郎のそっくりさんは客室係の制服を着ているし、清潔な真っ白いシーツを何枚か腕にかけている。

「申し訳ありませんが、お客さま。彼は聾者なのです。もし御用事があれば、わたしのほうで通訳いたしますが?」

「そう、なんですか」

 わたしはあらためて驚くとともに、理一郎によく似た男のことを見上げた。彼のほうでは、さっぱり事態が飲みこめないといったような、困惑した表情を浮かべたままだ。

「あの、この人、わたしの知ってる人によく似てるんです。もしかしたら兄弟かなって、そう思ったもんですから……」

 ロマンスグレイの上品そうな老紳士は、手話で彼と数分会話を交わすと、再びわたしのほうに向き直ってこう言った。

「黛くんには確かに、双子のお兄さんがおられるそうですよ。一緒に同じ孤児院で育ったということですが」

 やっぱり!わたしはその時、雷に打たれたようになって、もう一度理一郎の双子の弟のことをじっと凝視した。自分がレイプした被害者のことを思いだせないのだろうか?彼は相も変わらず涼しい顔をしたままだった。

「わたし、お兄さんのことで彼に聞きたいことがあるんです。筆談で構いませんから、仕事が終わったあとにでも少し時間をとってもらえないでしょうか?」

 すると、このホテルの支配人でもある老紳士は寛大にも、理一郎の弟に「今日は早退しなさい」と言った。わたしの切羽詰まったような表情を見て、よほどの事情があるに違いないと直感したからなのか、それともそこはかとなくロマンスの香りを感じて、聾者の彼に同情してのことなのか、そこらへんのことはよくわからない。

 わたしは事の成りゆきを不思議そうに見守っていた綾香に、「あとでまた説明する」とだけ言ってその場で別れ、ロビーのソファに腰かけながら理一郎の弟がやってくるのを待った。

 ホテルの庭では折しも、結婚式の予行演習なのかなんなのか、ウェディングドレス姿のモデルみたいに綺麗な花嫁さんと燕尾服姿の花婿さんが写真撮影しているところで、わたしは美男美女カップルのそのふたりがとても羨ましくなった。自分が家庭環境というものにあまり恵まれなかったせいか、わたしには結婚願望というものはない。子供なんて生んでもうまく育てられるかどうかわからなかったし、セックスそのものに関しても――性欲というものがまるでないというわけではなく、この先一生そんなことがなくても生きていけると自分では思っていた。

(だから、もし理一郎が心臓病のためにそれができないと言ったとしても、わたしは平気だっただろう。でも彼には信じることもわかることもできなかったのだ。あれだけ、わたしの精神性のようなものを絵の中に奪っておきながら――最後には肉体的な現実の問題をわたしを傷つけることで処理しようとしたのかもしれない)

 わたしがホテルの花壇の、あじさいの花の鮮やかな青さに目を留めていると、誰かが背中を叩いた。振り返ると、グレイの半袖のシャツに黒のジーンズという格好の理一郎の弟が立っていて――彼はホテルの出口、回転扉のほうを指さしていた。

(あの時と同じ格好だわ)

 この偶然の一致、ユングのいう共時性シンクロニシティのようなものに戸惑いを覚えつつもわたしは、彼と連れだってホテルを出、すぐそばの喫茶店に足を向けた。ちょうど理一郎が本屋でわたしに声をかけたのも、今日のような雨催いの日で――降りそうでいてなかなか降らなそうな鉛色の空を見上げ、わたしは今朝ホテルのTVで見た天気予報のことを思いだしていた。

(一日中曇りで、ところによっては一時雨っていってたっけ。なんとなく、喫茶店で彼と話しているうちに、雨が降ってきそうな予感がするけど……まあいっか。雨に濡れて歩くのも、嫌いじゃないし)

 理一郎の弟は、時々手話で話そうとしながらも、その度にわたしには通じないのだと思い返して、両方の手を空中分解させていた。そして横断歩道を渡った先にある、大きなゴールデンレトリバーが店番をしている喫茶店まできた時――デイパックからメモ帳とボールペンを取りだして、彼はこう聞いたのだった。

『本当に、ここでいい?』

 その文字にはなんとなく、彼の人柄のようなものが反映されていた。もやしみたいに細くて、几帳面に角張った文字……わたしは客引きをしているゴールデンレトリバーのマナちゃん(と首輪に名前があった)のよく手入れされた艶やかな毛並みを撫でつつ、態度でここで構わないということを示した。

 こんな愛らしい、潤んだ瞳の犬にモーションをかけられたら、誰だってこの店に入らずにはいられなくなるだろう。

 でも、彼の勤めるホテルの斜め向かいにあるその喫茶店では、手話以外の会話が基本的に禁止されていて――働いている従業員もみな、マスターの奥さん以外は聾者の方だった。

 どうやら彼はここへよく来るらしく、小ぢんまりとした店内に十数名いた客たちのほとんどと顔見知りらしかった。彼らと手話で軽く挨拶したり小突きあったりしてから、店の一番端っこ、カウンターから離れていて表通りに面している席に戻ってきた。

 そして可愛いウェイトレスの女の子とも、わたしには理解できない言語で会話をし――彼女は汚れのない雪を思わせる純粋な微笑みを頬に浮かべていた――自分だけ先に何か注文したみたいだった。これは直感だけど、たぶんコーヒーのような気がする。

『ここのオススメメニューは、コーヒーゼリーだよ。感動的に美味しいんだ』

「へえ」と、思わず声にだして言ってしまってから、わたしはいかにも手作りといった感じの、可愛らしい布製のメニューブックを開いてみた。

 朝のバイキングで綾香とお腹いっぱい食べていたので、そんなに重いものは食べたくなかった。それで、彼のいうコーヒーゼリーを注文してもらうことにした。

 店内のほとんどの人間が非言語コミュニケーションを交わす中で、なんだかわたしだけが浮いているように感じられるというか、異邦人として別の国に紛れこんでしまったような、そんな奇妙な錯覚があった。理一郎の弟はというと、そんなわたしの戸惑いを知ってか知らずか、デイパックの中から大学ノートを一冊とりだして、『兄さんのことで質問があればどうぞ』と最初の一行目に手早く書きこんでいる。

 ――あなた、名前なんていうの?

『黛 零一郎といいます』

 ――レイイチロウ君ね。で、聞きたいんだけど、あの人今どこで何してるの?今もあの水車小屋で、わたし以外の犠牲者をモデルにしてるってわけ?

 わたしの書いたこの文章を読むなり、明らかに零一郎は困惑した様子だった。戸惑いというよりも嫌悪の情さえ読みとれる顔をして、暫くの間顎に手をあて、考えこむようにしている。

『それは、どういうこと?兄さんは一年前に――あのあと間もなくして亡くなったんだ。心臓発作でね』

 今度はわたしが驚く番だった。心臓発作?しかも<あのあと>ということは、こいつやっぱり覚えているんじゃないか!

 それにも関わらず今まで汗ひとつ見せずに涼しい顔をしていたのかと思うと、わたしはふつふつと怒りがこみ上げてきて、アンティーク調の茶色いテーブルごしに、思いきり彼のことを睨みつけてやった。すると零一郎はわたしの側からノートを自分のほうへ戻し、少しの間考えこんでから、ボールペンでこう書きこみをした。

『誤解しないでほしいんだけど――君があの時の人だと気がついたのは、支配人と話をして、スタッフルームに戻る途中でのことだったんだ。最初は本当に君が誰か、まるでわからなかったんだ。それで廊下を歩きながら一生懸命思いだそうとして、ようやく気がついた。裸の時と服を着てる時では、全然印象が違うものだね』

 よくもしゃあしゃあと……もしもこいつの耳が聞こえていたとしたら、なんのためらいもなく「この、性犯罪者!」と叫んで拳骨でぶん殴ってやるのに。理一郎の弟はまるで、自分はあの時とても正当な行いをしたとでもいうように、悪びれたところが少しもなかった。

 ――あんた、自分の言ってることわかってるの?あの時あんたはわたしのことをレイプした、そうでしょ?

『君はそう思うの?』

 すぐに答えとともにノートが返ってきて、わたしは頭の中が混乱した。理一郎がもうこの世の人でないということもショックだったし、だんだん訳がわからなくなってきて、泣きたい気分になってきた。

 運ばれてきたコーヒーゼリーは確かに彼の言うとおり感動的だった。ワイングラスを大きくしたような鉢の中にコーヒーゼリーがあり、その上に薔薇の花の形をしたアイスクリームがのっているのだ。わたしはその白い花びらを一口食べて、それから口元を覆った。そのくらい美味しかったからというわけではなくて――今目の前にいる男が理一郎その人だったらと想像しただけで、泣けてきて仕方なかった。もしそうなら、聞きたいことが山ほどあったのに。

 零一郎の友人らしき客の何人かが、こちらの様子をじっと窺うように見ている。それと、コーヒーとコーヒーゼリーを運んできてくれたさっきの可愛らしいウェイトレスさんも。もしかしたら彼らはこう思っているのかもしれない。零一郎が軽い気持ちでつきあった女を泣かせていると。

『感情の相違だね。僕はてっきり君が、すべて知っているものとばかり思っていたのに』

 わたしが泣きやむのを待ってから、零一郎は静かにそっと、ノートを差しだした。感情の相違?何を言っているのだろう、この男は。わたしたちはあの時まで、お互いに会ったことさえなかったというのに。

 ――すべて知っているって、どういうこと?

 なかなか話の先が見えてこないことに苛々しながら、わたしはあえて短くそう質問した。

 対する彼は、時々考えこむようにしながら、

『つまり……僕は兄さんからこう言われたんだ。兄さんが描いた君の肖像画を何点か見せてもらって、もし気に入ったらどうかって。彼女は自分の病気のことも知っているし、了解もとってあるから大丈夫だって、そう誘われてね』

 零一郎の律儀な、もやしのような細い字を目で追ううちに、わたしは魂が震えてくるのを感じた。そしてそのあと、何故か不思議と奇妙なおかしみがこみ上げてきた。実際には理一郎の描いた絵ほどわたしは美人じゃなかったから――彼はさぞがっかりしたに違いないと思ったのだ。

『正直に言っていいわよ。あんたがわたしのことをすぐに思いだせなかったのって、そのせいでしょう?あの時あの部屋は薄暗かったし――人は視覚で受けとったものを脳で修正して見ているっていう話だから、あんたはあたしのことを大幅に脳で修正して記憶の中に収めちゃったのよ』

『そうかもしれないけど……でもやっぱり君は、とてもチャーミングな人だと思う。兄さんが愛した人だけのことはあるよ』

 ――愛?果たしてあんなものが本当にそうだったのだろうか?わたしは自虐的に微笑みながら、ノートに言葉を書き連ねた。

『ようするに、あんたもあたしも騙されてたってことね。あのインチキ詐欺神父に。もういいわ、わかった。あの時のことはなかったことにしてあげる』

 わたしはそこまで書くと、ノートを彼に返し、財布から千円札を一枚とりだしてテーブルの上に置いた。コーヒーが四百円でコーヒーゼリーが六百円だったから、それでちょうどだと思った。席を立とうとすると、客引き係のマナちゃんがちょうど店内へ入ってくるところで、わたしのほうに尻尾を振りながら体を擦り寄せてきた。零一郎はその間にドアのほうへ先まわりすると、怒ったような顔をしてノートを指差している。

『なかったことになんかできない!』

 その時の彼の顔の表情は、わたしが理一郎の中に見出したいと思って、最後まで見ることの叶わなかったものだった。あんな冷たい微笑ではなく、もっと怒ったような嫉妬に狂った顔をしてくれていたら――野良犬に残飯を与えるように、他の男に自分の体を投げ与えたのだとは、わたしも思わなかっただろうに……。

 零一郎は感情が高ぶるとすぐに瞳に涙が滲んでしまう体質らしく、そのどうしていいかわからない必死の形相のようなものを見て、わたしは彼から携帯のメールアドレスを聞きだすことにした。『詳しいことはまたメールで』ノートの最後の行にそう書きこんだ。すると彼はほっとしたような顔をして、「ボクはシゴトにモドルケド」と、別れ際に声にだしてはっきりと言った。「ゼッタイにレンラクしてクレ」

 零一郎のその言い方はどこかたどたどしくはあったけど――声色があまりにも理一郎に似ていて、わたしは帰り道で胸を刺し貫かれたかのような、甘い戸惑いを感じ、また一度は忘れてしまいたいと思ったあの瞬間のことを思いだして、体が熱くなるのを感じた。

(そっか。「こんなのいやっ!」とか、「やめて!」とか叫んだわたしの声は、あいつの耳には聞こえてなかったんだ……しかもあの、絶頂に達した時の獣じみた叫び声……あのあともしわたしが気を失うように眠りこんでなかったら、あの兄弟は一体どうするつもりだったのだろう?)

 わたしは最初にメールで、そのことを零一郎に聞いた。ソファの上で目が覚めた時、わたしの体の上にはガウンの他にもう一枚、黄色いタオルケットのようなものがのっていた。そしてまわりに人の気配などは一切せず、鳥の鳴き声だけが窓から響いていたのだ。

『あんた、あれって絶対完璧にヤリ逃げってやつでしょ?じゃなかったら、どっちか片方が残って事態の説明をしてくれてもよさそうなもんじゃない?』

 時刻はその日の午後八時半。わたしは洗い物を片付けながら、ダイニングテーブルの上に携帯を置いて、零一郎からの返事を待った。今日は和久が遅番の日で、閉店までいる友彦さんと一緒に帰ってくるということだったから――今斎藤家にいるのはわたしひとりだけだった。ふたりが帰ってきたら軽く食事できるように支度はしてあるし、あとは屋根裏の自分の部屋にこもって、零一郎からのメールを待つことにしよう。

 わたしがそう思って階段を上っていくと、和久の部屋の前あたりで携帯が二度鳴った。零一郎からだった。

『あの時、朝のミサと聖体拝領をすませて戻ってくると、君は消えていたんだ。兄さんは「これでいいんだ」なんて言ってたけど、僕は納得いかなかったから――もう一度きちんとした形で直接会って彼女と話をしたいと言った。そしたら兄さんは、「もしもう一度ユカリがここへきたらね」と言った。でも君はあのあと、あの水車小屋へはこなかったんだ』

 わたしは狭い屋根裏の部屋でそのメールを読むと、ベッドの上に倒れこむようにうつぶした。あんなことのあった翌朝に礼拝に出席していただって?あの兄弟はふたりそろって頭がどうかしてるんじゃないかと思った。

『あんたたち、ちょっと頭がどうかしてるんじゃない?はっきり言うけど、あんたたち兄弟がやったことは立派な犯罪よ。それなのにまあ、その翌朝にはけろっと「神よ、憐れみたまえ」なんて言って祈ってたっていうの?信じられないわね、まったく』

『仕方がないよ。三つ子の魂百までっていうやつで、呪われてるんだから……パブロフの犬と一緒で、条件反射みたいなものなんだ。そんなことより、もっと大切な話をしよう。兄さんが死ぬ何日か前に、僕に言っていたことがあるんだ。もしこれから先偶然どこかでユカリと出会ったら――その時まだ彼女が独身で、誰のものでもなかったら結婚するようにって、そう言われたんだ』

 やっぱりこの兄弟、ちょっと頭がおかしいというか、どうかしてるとわたしはメールを読みながら思った。それで、茶化してやるつもりで『あんた、わたしと結婚する気なんてあんの?』と書いて返信してやった。そういえば理一郎も零一郎と似たようなことを言っていたっけ……神の祝福は呪いと表裏一体だとかなんとか。

『もちろん、ある。ユカリがどのくらい兄さんの能力について知っていたか、僕にはわからないけど――兄さんは預言者で、時々未来を言い当てることさえあったから、僕は兄さんの遺言に聞き従わなければ、呪いを自分の身に招くことになると思う』

『ねえ、その呪いって何よ。ちょっと大袈裟なんじゃない?たぶん理一郎は良心の呵責か何かから、死ぬ前にそんなことをあんたに口走っただけよ。そんな預言なんて信じてないで、わたしよりももっと可愛い女の子と結婚したら?』

 ――今日、喫茶店で会ったあのウェイトレスの女の子みたいな、と書きかけてやめた。これは女としての直感だけど、なんとなく彼女は零一郎に気があるのではないかと、そんな気がしたのだ。

『兄さんは医者からずっと手術を勧められていたんだけど、先の見える人だから自分の寿命についてもたぶんわかってたんだろうと思う。僕はユカリと一度関係を持ってから、休みの日には必ず兄さんのアトリエへ遊びにいった……もしかしたら君がきているかもしれないと思ったから。そしてあのあと一か月もしないうちに――ユカリを描いた絵の前で冷たくなって死んでいる兄さんの遺体をブラザーのひとりが発見したんだ。兄さんの死に顔はとても安らかなものだった。もう何も思い残すことはないって、そう言っているみたいだったよ』

 わたしはそのあと暫くの間、枕に顔を伏せて泣きじゃくった。わたしは実際には理一郎が死んでしまってからも――彼はまだ生きていると信じきっていたのだ。今からもう八か月以上も前に彼は亡くなっていただなんて……突然わたしは自分も理一郎と一緒に死ぬべきだったのではないかとそんな気がして、誰に遠慮するでもなく大声を張り上げて号泣した。

『あんまり突然でびっくりするかもしれないけど』と、一時間くらいしてから、零一郎から再びメールがきた。『僕はユカリと結婚したいと思う。もちろん僕には耳が聞こえないというハンディがあるし、その上安月給でお金もなければ、頼れる身内もひとりもいない……でもユカリのほうで頭の隅のほうにそのことをちょっと覚えててほしいんだ。もし仮に今ユカリに好きな人がいたりつきあっている人がいたとしても、最後には結局、兄さんが言っていたとおりになると思うから』

 わたしはそのあと、零一郎に何も返事をしなかった。わたしだって、頼れる叔父と従兄がいなければ、零一郎と似たようなものだった。彼がもし肉体の孤児であったとしたら、わたしは精神の孤児のようなものだったから……そしてふと思い至った。精神の孤児と肉体の孤児が結ばれたとしたら、一体どうなるのだろう、と。




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◇オリジナル小説サイト『天使の図書館』
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