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第10章

「でも交際してたったの二か月で結婚とはねえ。しかも国際結婚。さすが綾香というか、なんというか……」

 わたしは鴨々川沿いにあるホテルのスイートで、六月も末のその日、一番の親友と語り合っていた。彼女はあと一週間もすれば婚約者の精神科医と一緒に、イタリアのミラノへ旅立ってしまうのだ。言ってみればこれは、女同士の最後の夜――というわけで、記念にふたりで熱く一晩中語り明かそうということになったのだ。

「時間はあまり関係ないのよ。だって二三回デートしただけでわかっちゃったもの。ああ、わたしたぶん、この男と結婚するなって」

「そっかあ。なんだか羨ましいな。式のほうは向こうで挙げるんでしょ?」

 わたしたちはダブルベッドの上にふたり寝転びながら、ナイトスタンドの淡い光に照らされて、互いに向きあったり、天井を見上げたりしながら、夜の闇の中へ話し声を滑りこませた。

「できれば由架理にもきてほしいって、そう思うんだけど。飛行機代とか、そんなのはわたしが持つから」

「そんなの駄目よーう」と、わたしは冗談で、隣の綾香に抱きつきながら言った。「あたし、イタリア語はおろか、英語もろくに喋れないのよ。空港でスリにあって泣きを見るのがオチだってば。第一、出席者のほとんどが外人さんなんでしょ?そんなの、気後れしちゃって絶対だめよ」

「んー……どうしても駄目?」

 綾香の長い黒髪からは、シャンプーのいい香りがした。さっき部屋に備えつけの豪華浴場で、互いに背中を流しあったのだ。彼女は女のわたしが惚れぼれするくらい、いい体つきをしていて――奇妙なことに、わたしは彼女の婚約者のジュゼッペさんに、思わず嫉妬に近い感情を抱いてしまったくらいだった。

「もちろんわたしだって見たいわよ、綾香の花嫁姿。でも流石にイタリアは無理よ。そのかわり、写真送って。我が家の家宝にするから」

「大袈裟ねえ」

 綾香はくすくすと幸せそうに笑った。その笑顔がなんだかとても眩しくて、わたしは思わず天井を見上げた。スイートルームだけあって、天井にもウィリアム・モリスの壁紙を思わせる、素敵な花とリボンの模様が一面に描かれている。

 わたしにとって綾香はずっと、手の届かないお嬢さまのようなものだった。何故わたしとこれまで七年以上も友達でいてくれたのか、不思議なくらいの。彼女が<運命の相手>と思える男性と巡りあって、その人と結ばようとしていることはとても嬉しい。本当に心から嬉しい。でも翻って我が身のことを思うと――少しばかり複雑な心境でもあった。わたしだって理一郎と、たったの二か月の間ではあるけれど、彼女と同じように<運命の相手>と巡りあったという感触を感じながら過ごしたのに……その結果はあまりにも酷すぎた。

 そのあと、わたしたちは中学時代にまで話を遡って――四時間ばかりも語り明かしただろうか。やがて深夜の二時近くにもなり、綾香の静かな寝息が隣から聞こえた頃、わたしは彼女に背を向けて、ひとり考えごとの世界に耽った。

 実は、綾香とお風呂で背中を流しあっていた時、彼女に言われたのだ。「あれ?由架理、背中の三日月型の痣がないよ」……わたしは自分でも鏡に背中を映して見たが、彼女の言うとおり、本来そこにあるべきはずのものはなかった。

「えーっ!ウッソー。何よこれ、なんでなんで?」と、わたしは茶化してその場をごまかしたけれど、本当はわかっていた。理一郎のあの、わたしの背中の痣に対する異常なまでの執着ぶり……こんなふうに考えるだなんて、少し頭おかしすぎだったかもしれないけれど、それでもやっぱりこう思わずにはいられなかった。

(彼が、<絵の中の世界>へわたしの三日月型の痣を持っていったのだ)と。

 わたしはその夜、隣で幸せそうな親友の寝息を聞きながら、ひとり忍び泣きに暮れた。その中には少し、無二の親友と遠く離れなくてはならないことへの悲しみも入り混じっていたには違いないけれど――それより、理一郎の自分に対する奇妙な愛し方のようなものが初めて理解できて、胸に悲しみが溢れた。

(もしかしたらわたしはあのあと、もう一度彼と話しあうために、あの水車小屋へいくべきだったのだろうか?いや、そうじゃなくて――やっぱりこれでよかったのだ。わたしは自分が犯されている間、涙目になって、訴えかけるような眼差しで「何故?」と彼に問いかけた。でも理一郎は終始一貫して、その問いかけに答えるのを拒んだのだから。今なら、少しだけ彼の気持ちがわかるような気もする……あの悪魔のような冷笑の裏側には、もしかしたら嫉妬の気持ちが隠されていたのかもしれないと)

 自分の処女を奪った人間が本当は誰だったのかなんて、どうでもいいことなのかもしれない、その時初めてわたしはそう思った。彼の双子の兄であれ弟であれ、よく似た兄弟であれ――とにかく彼は、自分に近しい人間にそれをさせたのだ。だからわたしも、あれが理一郎本人だったと思って、心の中に大切な恋の思い出として、あの二か月間のことをしまっておけばいいのだ。

 わたしは確かに、心から信頼し愛した男に自分の処女を捧げたのだと……。




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