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絵描きと少女

作者: 関口 太郎

 子供の頃から絵を描くことが好きだった。

 クレヨンや色鉛筆で、庭に生えていた色とりどりの花や図鑑に載っていた生き物の絵を夢中になって描いていた。そんな少年時代を経て、私はいつしか画家になりたいと思うようになった。

 自分が書いた絵を他人が見て、賞賛し、感動する。そんな職業に憧れた。


 しかし、私の力では人の心を動かすような絵を描くことは出来なかった。三十歳までは働きながら絵を描き続けていたが、仕事の忙しさと自分の力の限界を知り、次第に筆を執ることは少なくなっていった。

 それから数十年。仕事を終え、時間を持て余すようになった私は再び絵を描き始めた。

 肩から下げた鞄に道具を詰め込み、キャンパスを脇に抱えて気の向くままに散歩をする。やがて自分の気に入った風景を見つけると、そこに腰を落ち着けてその風景をキャンパスに映し出す。これが今の私の日課になっていた。


 今日は、子供の頃によく遊んでいた桜並木のあった川沿いにキャンパスを構え、手ごろな石に腰掛けて絵を描き始めた。

 川と言っても水はもう流れておらず、桜の木も一本残らず枯れ、撤去されてしまった。雑草が好き放題に生えた野原で、残っている崩れかけた石造りの橋だけがそこに川があったことを物語っている。私は、自分の記憶の中にある風景と、今見ている風景の差に若干の物悲しさを感じながらキャンパスに色を重ねていった。


「おじいちゃん、なにしてるの?」

 絵を描き始めてから二時間ほどが経っただろうか。太筆で白と青色を混ぜ合わせ、空の色を生み出していたところに背後から声を掛けられた。振り向くと、七、八歳ほどの女の子が首を伸ばして私の背中越しにキャンパスを覗きこんでいた。

「私はね、絵を描いているんだよ」

 私はそう言って少し体をずらすと、女の子にキャンパスの全体像を見せた。

「えー。でも、この絵おかしいよー」

 不思議そうな顔をした女の子はそう言って小走りで私とキャンパスの間に回り込むと、私の間違いを指摘するように得意げな表情でキャンパスの一部分を指差した。

「こんな木、生えてないよー」

 少女が指差したのは桜の木だった。花は咲いていないが、いくつもの細長い枝をもつ焦げ茶色の幹が向こう側の川沿いに何十本も描かれている。

「本当にそうかな?」

 私は少しいたずらっぽい笑みを浮かべ、女の子の子に問いかけた。そして、キャンパスをずらして女の子に川向うの景色を披露する。


「あれっ!?」

 女の子が驚いた様子で、キャンパスと景色を何度も見比べている。

 それはそうだろう。川の向こうには、あるはずのない桜の木が何十本と並んでいたのだから。

「ちょっと待ってね」

 そう言ってキャンパスを元に戻すと、私は細筆を手に取り桜の木に花びらを描き込み始めた。その様子を女の子がじっと見つめている。

「ほら」

 全ての木に花びらを描き終え、キャンパスをずらす。すると、そこには色鮮やかな桜並木が広がっていた。一面桜の花が咲き誇り、風に乗って小さな花びらがこちらの方へ飛んでくる。同時に、春の匂いが鼻の奥をくすぐった。

「すごいすごい!はなさかじいさんみたい!」

 女の子は大声ではしゃぎながら川向うの景色を見つめ、両の目を爛々と輝かせている。そしてこちらを振り返り、もっともっとと私の右手を掴んでせがむ。


「そうかい?じゃあ、次はどうしようかねえ」

 辺りを見渡すと、ちょうど老朽化した橋が目に入った。私は筆を手に取ると、ねずみ色の絵の具を筆に付け橋を描き始める。

 途中女の子と他愛ない会話をしながら、一時間ほどでその橋は完成した。私の記憶の中にある、真新しい石造りの橋だった。

「おじいちゃんすごいね!なんでも出来ちゃうんだもん」

「私は別に凄いことなんて何もないよ。ただ、絵を描くのが好きなだけさ」

 あたしも!と言って女の子が笑う。そんな無邪気な笑顔を見ていると、私もつられて笑みがこぼれてしまう。


「じゃあ、今度は川を描こうかな」

 もう一度筆を持ち直すと、今度は昔そこに存在した大きな川を描いていく。日の光を受けてきらめく清流。その中を泳ぎまわる魚たち。次第に川のせせらぎが聞こえてくると、女の子は完成を待たずに川の方へ駆けて行ってしまった。

 川を描き終える頃には、女の子は裸足になって夢中になって水遊びをしていた。それを見て、最後に遊んでいる女の子の隣に三羽のカモを描き加えた。

「カモさんだー!」

 どうやら気に入ってくれたらしい。ばしゃばしゃと水しぶきを上げながら、逃げるカモを捕まえようと楽しげに走り回っている。


「楽しかったー!」

 女の子は裸足のまま川の中から上がってくると、桜の花にも負けないような笑顔で私の方へ向かってきた。

「もっと描いて!」

 私の右袖を引っ張り、更に描くように催促する。しかし、私は左手を女の子の頭に添えこう言った。

「ごめんね。今日はもう時間がないんだよ」

 西の空は、女の子の頬のように紅く染まり始めていた。残念だが、今日はそろそろ帰る時間だ。

「もっと!もっと!」

 女の子が私を逃がすまいと必死に右腕にしがみついてくる。その目にはうっすらと涙が溜まっていた。私は少しの罪悪感に駆られながらも、私はゆっくりと女の子を右腕から離した。

 それで理解してくれたのだろう。涙目のままだが、女の子は静かに一歩後ずさった。


「また、絵を描いてくれる?」

「うん、もちろんだよ」

 女の子が静かに小指を立てた左手を差し出す。私はそっと、その小指に私の小指を絡ませた。まだ若い柔らかい指と、皺だらけの指が重なる。女の子の指はとても小さく、そして温かかった。

 ゆびきりげんまん、と二人で唱えてから指を離す。私にも少しばかり名残惜しさがこみ上げてきたが、女の子に悟られないように平静を貫いた。

 片づけを始めるために腰を浮かすと、はしゃぎ疲れたのか私が座っていた石に女の子が座り片づけの様子を静かに見守っていた。


 筆とパレットを絵の具が散って汚れないように鞄にしまう。そして、桜や橋、川、そして女の子が描かれたキャンパスに布をかぶせて脇に抱えた。

 顔を上げると、そこには雑草が生えた野原が存在しているだけだった。咲き誇っていた桜の木も、たくさんの魚が泳いでいた川も、元気に笑っていた女の子も、全て消えてしまった。

 私は鞄とキャンパスを抱えると、夕暮れの中一人家路についた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 読んでいて情景が浮かんで来ました。女の子はどこから来たのでしょうか。綺麗で切ない作品だと思いました。
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