電話ボックス
エヌ氏は上着の襟を合わせて頬を赤らめ白い息を吐きながらうつむいてその電話ボックスの順番を待っている。
ポケットの中にはエス子の電話番号が書かれた紙切れが大事そうにしまわれている。
エヌ氏の先番は初老の紳士で随分な長電話であったがエヌ氏には短く感じられた。
紳士は電話ボックスから出ると外の寒さに震えながら去っていった。
エヌ氏はエス子とは殆ど接点などなかった。一度、文化祭の委員で一緒になったときに互いの家の電話番号を交換したが、文化祭も終わると自然と話す機会も無くなり、番号の書かれたメモのみが残った。
エヌ氏はその中に入ると電話番号の書かれた紙切れを手に取り、片方のポケットから何枚かの十円玉を取り出した。その紙切れは安いノートの切れ端ではあるが、そこに書かれた丸く柔らかい文字を見るだけで、エヌ氏はエス子の横顔を思い浮かべることができた。
ダイヤルへ手を伸ばそうとすると、いよいよ逃げ出したくなった。
お父さんがでたらどうしよう。素っ気なかったらどうしよう。
そんな自分をおさえながら、震える指でダイヤルへ手をかけた。
そのとき、ドアの後ろに1人、順番待ちができた。
グレーのコートに身を包み、寒さで頬を桃色に染めた少女はうつむいて順番を待っていた。深刻な面持ちで少女は並んでいた。少女が手を入れているポケットの中には「×××‐○○‐△△△△ エヌ」と書かれた紙切れが、落ぬようにしっかりと奥へ押し込められていた。