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苦手な方はご注意ください。

ホラァ

薬指メアリー

作者: 雪麻呂

1.




「退屈だなぁ」

 窓を打つ雨に、男は舌打ちした。

 隣に寝そべる女が、物憂げに視線を流す。

「そう?」

「外は雨だし。テレビもつまんねぇし。なぁーんか面白い話ねぇの?」

「どんな?」

「どんなって別に……あ、悪ィ。ちょっと携帯……うん。あぁ。今? いや、仕事。マジで。1人だって。うん……わかってるよ。今度な、今度………」

 安ホテルの一室に、男の慣れた口調が漂った。

 いつものことだ。女は動じず、黙って天井を見上げていた。だいたいこの男は、社内でも有名な女たらしである。今まで何度こんなことがあっただろう。最初こそヤキモチを焼いて怒ったものだが、それも暖簾に腕押し。呆れるほど喧嘩を繰り返して、なにも変わらなかったではないか。もう、ほとほと疲れてしまった。

 そう。

 本当に……疲れてしまったのだ。

 電話を切った男が、ふと女の視線に気付いた。

「………」

「なんだよ。友達だって。そんな眼で見んなよ」

「………」

「なんだよ……」

「………」

「なんだよ!」

「ねぇ」

「ん」

 細い腕を伸ばして、女が男の髪を撫でる。

 女は少し間を置き、悪戯っぽく微笑むと、唇を湿らせて呟いた。

「……面白いかどうかは、わかんないけど」

 ひとつ、怖い話をしてあげる。






2.




 昔々、ある国の後宮に、メアリーという女官がいた。

 メアリーは平民の出身だったけど、美人で愛想が良くて、それは王様に気に入られていたの。眼の中に入れても痛くないほど寵愛されて。当然の流れとして、晴れて側室に迎えられたのよ。

 玉の輿でラッキーかしら?

 それが、喜んでばかりもいられなかったの。だってそうじゃない。一生懸命努力したわけでもなく、ただちょっと美人で、ちょっと気立てが良かった。それだけで運良く側室の座を射止めたのよ。同僚だった女官達が、果たして手放しで祝福すると思う?

 女の人生は生まれてから死ぬまでが戦場よ。男にはわからないでしょうけどね。みんな表面上は仲良くしてても、裏ではいつだって足の引っ張り合い。隙あらばライバルを蹴落とそうと必死なの。ましてや後宮よ。女ばっかりの世界。そんな中で共通の敵として認識されてしまったら……悲惨の一言しかないわ。ターゲットになった女子は、完全に孤立する。

 メアリーの侍女達は、彼女に嫌がらせをするようになったのよ。

 把手の取れかかったカップでお茶を出す給仕係。粗悪な化粧品を肌に塗りたくる化粧係。掃除係は持ち物を隠すし、髪結いはわざと櫛を髪に絡ませる。衣装係は、窮屈なドレスをあつらえる。

 1つ1つは、冗談で済むような他愛のないものだった。でも、それだって積もり積もれば、結構な重さになるわ。元々繊細で気の弱いメアリーは、すっかり神経が参ってしまったの。

 王は、メアリーが悩みを抱えていることに気付いて、なにかと心配したんだけど。彼女は、頑として理由を語らなかった。そんなことをすれば、告げ口しただの生意気だのって、もっと酷い苛めを受けるのは目に見えている。だから彼女は、これぐらいは仕方ない。そう思って、じっと我慢していたのよ。

 そんなメアリーだったけど、たった1人だけ、理解者がいた。王妃様よ。

 この王妃様というのが、また良く出来た女性だった。歳はいってるけど物凄い美人で、優雅で、気品があってね。誰にでも分け隔てなく優しかった。勿論メアリーにも。

 王妃は、平民上がりのメアリーを、それでも妹みたいに可愛がった。メアリーも、この王妃にだけは心を許して、本当のことを打ち明けられたの。

 慰めてもらったり、時に励ましてもらったり。王妃のおかげで、メアリーは、どうにか辛い苛めに耐えていたというわけね。

 その日もメアリーは、女官達の意地悪を王妃に話していた。

「泣かないで、メアリー。可哀想に……そうだわ。いいものをあげましょう」

 王妃は、泣きじゃくるメアリーの右手を取って、その薬指に指輪を填めたの。

 真っ赤なルビーの指輪だったわ。

 こんな高価な物、頂けません! 吃驚して首を横に振るメアリーに、王妃は優しく笑いかけて、こう言ったのよ。

「これはね、魔法の指輪です。この指輪に祈るといいわ。もう苛められませんようにってね。それで大丈夫。きっと指輪が願いを叶えてくれる。お守りですよ」

 メアリーは益々恐縮したんだけど……金のリングに、凝った華奢な装飾。キャンディほどはある大粒のルビーが、真っ赤に輝いて、自分の指に填まっている。一目でこの指輪を気に入ってしまったのね。

 女なら誰だってそうじゃないかしら。本当に綺麗な宝石というのは、魂を吸い取られるような魅力があるものよ。メアリーは純粋にその指輪が欲しくなった。それになにより、王妃の心遣いが嬉しかったもの。

 王妃から指輪を賜ったメアリーは、何度も何度もお礼を言ってね。絶対に外さないと約束した。それから、その夜は、指輪に祈りながら眠りに就いた。

 ……もう、苛められませんように。



 次の日。

 メアリーが目を覚ますと、なんだか後宮が慌ただしい。

 理由を訊いて、メアリーは驚いたわ。

 だって、あの掃除係が死んだっていうじゃない。

 掃除用具を取りに倉庫へ入って、突然倒れてきた重い用具入れの下敷きになって。頭が潰れてしまったんですって。

 なんてことかしら。

 なんだか自分が祈ったから死んでしまったみたいじゃない。

 いつも自分の持ち物を隠したり盗んだりしていた、あの掃除係が……

 ううん、そんなわけない。現実的に考えて、指輪が人を殺せるはずないじゃないの。偶々だわ。不幸な事故よね。メアリーは、ショックだったけれど、そう考えて気を取り直した。ちょっとホッとしていたのかもしれないわね。もう窮屈なドレスを着せられて、苦しい思いをすることもないんだから。

 可哀想だけれど、こんなこともあるんだわ。メアリーは、掃除係の死を偶然だと思い込むように努めた。

 ……でも、その3日後のこと。

 詰まった暖炉を調べていた煙突屋が、奥の方になにかが引っ掛かっているのを見付けて、後宮は再び大騒ぎになった。

 黒焦げになったそれは、当然、人相なんか見る影もないわ。けど、調べるまでもなかった。服装も体型も、なにより本人が行方不明なんだから。間違いない。

 化粧係だったのよ。

 さすがにメアリーは怖くなったわ。自分を苛めていた女官が、もう2人も死んでしまった。どうして? まさか……この指輪が? 本当に?

 誰かに相談しようか。彼女は迷った。でも駄目。もし自分が侍女達を殺したなんてことになったら、こっそり苛められる程度じゃ済まなくなる。下手をしたら裁判に掛けられて……

 そんなの絶対、嫌。だからメアリーは黙っていたの。偶然が続いただけよ。低い確率だけど、絶対に有り得ないとは言えない。そもそも事故なんだし、私は絶対に関係ない。私が悪いわけじゃないわ……

 けど、その頃になると、後宮に噂が立ち始めた。

 掃除係と化粧係は、メアリーに呪われたんだ。メアリーは、自分を苛めた女官達を残らず呪い殺すつもりなんだ、ってね。まことしやかにコソコソと囁かれるようになったのよ。

 悪い噂ほど本人の耳に入るものよね。廊下の角で、扉の向こうで。その噂を聞く度、メアリーは怯えたわ。掃除係と化粧係がメアリーを苛めてたのは、周知の事実だったから(知っていて止めないのもどうかと思うけど)。

 メアリーは、ビクビクしていた。自分が指輪に祈ったことを知っているのは、王妃様1人のはず。誰も知らない。第一、呪ったりしてないわよ。ただ、嫌がらせをやめてほしかったの。もう苛められたくない。そう思っただけなのに。

 不安で不安で堪らなかった。食事も喉を通らなくなったメアリーは、暗い顔で塞ぎ込むようになった。王様も王妃も、そんなメアリーをずいぶん心配して理由を訊ねたんだけど。メアリーは、やっぱり、黙ってたのよね。

 こんな話をしたら、王様や王妃に嫌われるかもしれないじゃない。そうなったら、誰がメアリーを守ってくれるのかしら? 元々メアリーを快く思っていない女官は、たくさんいるもの。袋叩きにされて、身体1つで後宮から追い出される事態になりかねないわ。王様の側室から、一気に乞食よ。メアリーは1人で悩んで、思い詰めていった。

 だけどね。

 本当に心底怯えていたのは、給仕係と髪結いと衣装係。この3人だったのよ。

 彼女達は、掌を返してメアリーの機嫌を取り始めた。そりゃあもう、これでもかって具合に。いい気なもんよね。今更なによ。腹も立ちそうなものだけど、それでもメアリーは安心したの。彼女達が自分を苛めなければ、なにも問題はないんだから。

 嫌な思いをしたけれど、これで終わり。苛められなくなる。もう大丈夫。

 すべて終わったのよ……



 そう考えられるようになった、5日後のこと。

 衣装係と給仕係が、死んだ。

 水車の歯車にスカートの裾を挟まれた衣装係は、巻き込まれて身体中の骨がバラバラに。給仕係は、浴槽で熱湯に沈んで、シチューみたいにグツグツ煮えていたんですって。

 最後に残った髪結いは、土下座してメアリーに泣き付いた。お許しください。助けて。死にたくない。命だけはどうか。どうか。

 メアリーは困った。そして混乱したわ。どうして? 終わったはずじゃないの?

 助けてくれと言われても、自分に出来ることなんて、ない。許すも許さないも、そもそもメアリーは、初めからなにもしていないのよ。強いて言えば、指輪に祈っただけ。王妃に貰った、真っ赤なルビーの指輪にね……。

 確かに普通じゃない。こう次から次へと女官が変死するなんて、なにかが起こっていることは間違いないわ。でもメアリーには、なにがどうなっているのか、さっぱりよ。わかっているのは、この髪結いも、後宮中の女官も、メアリーが彼女達を呪い殺したと思っているという事実。

 泣き喚く髪結いをなんとか追い返して、メアリーは1人考え込んだ。

 どうしよう。どうしたらいい?

 よっぽど王妃に相談しようと思ったわ。だけど、そんなことを言われた王妃は、どう思うかしら。王妃はメアリーを心配して、こんな高価な指輪をくれたのよ。まさか呪いの指輪だなんてケチを付けるの? 王妃がメアリーを可愛がっていることはみんな知っていたから、王妃の耳には、まだ例の噂は届いていないらしい。それを自分から、渦中の本人が申し出るなんて。

 駄目。駄目。駄目だわ。王妃に嫌われたら、後宮に自分の居場所はないのよ。

 メアリーは、ただただ不安な時間を過ごした。

 ルビーの指輪が、なにもかも知っているように、キラキラと赤く輝いていた……。



 その夜。

 井戸から死体が上がった。

 髪結いだった。

 彼女の自慢だった長い黒髪が、釣瓶と一緒に、細い首へ巻き付いて食い込んでいた。



 メアリーの中で、なにかが爆発した。

 今まで押さえ込んできた感情。それこそ、苛めを受けていた頃から抱えていた疎外感、孤独、恐怖、罪悪感、焦燥、寂寥、憂鬱。怒りにも似た激しい衝動が、身体の中を駆け巡って、頭をグチャグチャに掻き回した。

 メアリーは指輪を外そうとした。だけど、どうしたことかしら。いくら引っ張っても捻っても、ビクともしない。抜けないの。抜けないのよ。指に吸い付くようにピッタリと填まったルビーの指輪が、どうやっても外れない!


 指輪を外して! 誰か! 指輪を! 指輪を!


 もう半狂乱になって、メアリーは叫んだわ。侍女が声を掛けても、聞こえちゃいない。大声で指輪を外してと喚き続けるだけ。侍女達もメアリーの物凄い気迫に押されて、取り押さえることも宥めることも、近付くことさえ出来ずに、ただ遠巻きにオロオロするだけだった。

 そのとき、錯乱したメアリーの眼に、テーブルの上の果物ナイフが映った。

 メアリーはそのナイフを取って、右手の薬指に突き立てた。

 彼女の指から、血が飛び散った。誰かが叫ぶ。メアリーは、やめない。ごりごり、がり。声一つ上げないで、黙々とナイフを動かし続ける。缶切りみたいに。眼は見開いたまま、真っ赤に染まってゆく指を見詰めてる。顔は蒼白で、口元が泣き笑いの形に歪んでる。肉が千切れて骨が見え始めても。彼女は執拗に指を抉り続けた。

 ギチギチギチ……ぷつ、ぶつ。

 聞くに堪えない音がしばらく続いて、

 ぶつん!

 一際大きな音を立てて、メアリーの薬指が、床に転がった。

 指輪が外れたわ! 外れた! 叫んで高笑いして、メアリーは意識を失った。

 ようやく我に返った女官達が慌ててお医者さんを呼んで、その場はなんとか収まった。現場は血の海、それは酷い有様だったけど、メアリーは右手の薬指を失っただけで命に別状はなかったんですって。

 不幸中の幸い……と言いたいところなんだけどね。

 メアリーは、看護の女官がちょっと目を離した隙に窓から飛び降りて。

 結局、その日のうちに死んでしまったのよ。

 王様と王妃は、身も世もなく悲しんだわ。盛大な葬儀を催して、とっておきの綺麗なドレスを着せて。メアリーを丁重に葬った。

 それでそのとき、彼女が切り落とした指を繋いで、せめて生前の姿にもどしてやろうとしたんだけど……不思議なことに、メアリーの薬指は、あのルビーの指輪と一緒に消えていた。

 何処を探しても、見付からなかったの。



 しばらくして、王妃の様子がおかしくなった。

 今の今までボーッとしていたのに、突然ソワソワして。なにもない空間を指さして叫んだり、涙を流したりする。かと思えばケタケタ笑ったり、急に怒り出したり。気分がコロコロ変わって、周りが付いていけないくらいなのよ。

 優雅で上品で、滅多に感情を表さない王妃だったから、みんな戸惑ったわ。可愛がっていたメアリーがあんな死に方をしたのが、よっぽどショックだったんだろう。王様や侍女達は、そう不憫に感じて、そっとしておくことにしたんだけどね。

 それにしたって王妃の奇行は、日を追うごとに悪化していく。

 遂に王妃は床に就いたきり、まともに食事も摂らなくなってしまった。心配した王様が、一流のお医者さんを呼んだり怪しげな魔法使いを雇ったり、あれやこれやと試したんだけど……王妃の具合は、一向に良くなる気配がない。それどころか、症状は酷くなる一方なの。彼女は見る見るやつれて、衰弱していったわ。



 メアリーが死んで、20日目のことだった。

 その日も王様は、王妃の好きな薔薇の花束を持って、彼女の部屋を訪ねた。

 そしたら、いつも青い顔で床に伏せっている王妃が、今日はベッドに身体を起こして、静かに窓の外を眺めてるじゃない。体調が良いのかと思って、王様は喜んで王妃に近寄った。


「薬指が来るのですわ」


 振り返った王妃が、いきなりこんなことを言ったものだから、王様はキョトンとして脚を止めた。

 なんの話なのか、意味がわからない。

 見詰めていると、王妃の肩が震え始めた。

 寒いのかしら。手を差し伸べた王様の顔が、たちまち凍り付いたわ。

 笑ってる。

 王妃は、笑っていたのよ。


「メアリーの薬指が、わたくしを探して這い回っています。えぇ……最初は遠くにいたのですよ。見間違いかと思うくらい。けれど、あれは近付くものですわ。クネクネと。まるでそう、尺取り虫のよう。床を、壁を、天井を這い回るのです。でも可笑しくってよ? なかなかわたくしを見付けられない。だって眼がないんですもの!」


 眼に涙を溜めて、身体を捩って。そんなことを言いながら大笑いするの。

「気をしっかり持て! どうしたのだ!」

 王様が、王妃の頬を掌で包んで、上向けた。

 すると王妃は、ふと真顔になってね。王様に深々と頭を下げて、こう言ったのよ。

「陛下に申し上げておきたいことがございます」


 5人の女官達の死。

 それは全部、王妃が口の硬い家来に言い付けてやらせたことだったの。

 掃除係。化粧係。衣装係。給仕係。髪結い。自分を苛めていた女官達が奇妙な死に方をすれば、きっとメアリーは怯え、恐れ戦くだろう。彼女が苛められていることは周知の事実だったから、後宮には、噂が立つに違いない。メアリーが怪しい。メアリーがやったんだ。そうなれば、益々メアリーは追い詰められてゆくはず。

 それこそが、王妃の狙いだったの。

 王妃は初めから、すべてを計算した上で、メアリーに指輪を贈っていたのよ。

 ただメアリーを痛め付けて、苦しめるためだけに。


 悪びれる様子もなく淡々と語る王妃に、王様はゾッと寒気を感じた。

 不運な事故が続いただけだと思っていた女官達とメアリーの死。それが仕組まれた『事件』で、しかも首謀者が最愛の王妃だったなんて。信じられない。なんてことかしら。

 王様は身体が震えて、ハッキリと悟ったわ。

 自分が、王妃に、未だかつて経験のない恐怖を感じていることをね。

「そ、其方達は、姉妹のように中が良かったではないか。其方は、あれほどメアリーを可愛がっていたではないか。それなのに………慎ましく優しい其方が……な、何故……いったい何故、そのような恐ろしいことを考えたのだ……?」

 王妃は王様に微笑んだ。

 それは以前と変わらない、優雅な、美しい笑顔だったそうよ。


「だって大嫌いだったんですもの」


 自分だけが被害者のような顔をして、図々しく纏わり付いてくる。

 あの子が被害者だと言うのなら、わたくしはどうなるのかしら?

 最愛の陛下を平民の小娘に寝取られたのよ。

 どんなに悔しく、惨めだったか……その気持ちが、あの子にわかって?

 いいえ。これっぽっちもわかっていない。わかろうともしませんでしたわ。

 わたくしが、どれほどの苦労をして今の地位に就いたか。あの子は。

 知りもしないで。

 ただ己の保身のためだけに、わたくしに取り入ろうと必死。

 それが見え見えで、鬱陶しいったらありゃしない。泥棒猫のくせに。

 何度、張り倒して足蹴にしてやりたいと思ったことか……。

 なにが腹立たしいってね。

 あの子は、自分でそれがわかっていなかったのよ。

 私は可哀想な悲劇のヒロイン。そう思い込んで疑わなかった。

 女官達の不幸を喜ぶくらいの器量があれば……別に死ななくて済んだものを。

 あの子ったら。

 最後まで、馬鹿で独り善がりで。


「偽善者、だったのですわ、ねぇ……」

 最後まで聞けずに、王様は部屋を飛び出した。

 その日の昼頃、シーツを取り替えに来た女官が、王妃の死体を発見したわ。

 泣き笑いみたいな顔で、両手を組んで。寝間着も綺麗に整えられていた。

 それで、どういうわけだかね。

 あのルビーの指輪が、キラキラと輝きながら、ポツンと床に落ちてたんですって。






3.




 雨の音が、しばしの静寂を埋める。

「……っだよ、それ。つまんねぇ」

 せいぜい強がって言い放ち、煙草を手に取る。火を付けて煙を吐きながら、男の背中には、何故かじっとりと、嫌な汗が伝っていた。 

 なんだろう。この既視感は。

 俺は、この話を知っているような気がする。

 だけど、いつ何処で? 誰に聞いたのか。思い出せない。

 思い出せない……

「ねぇ。どう思う?」

 女が腕を組んできた。

「どうって?」

「この話。いちばん悪いのは、誰だと思う?」

 言われて、男は正直に答えた。

「そりゃあ王妃だろうよ。人殺しじゃん」

「ううん、違うわ。王妃は可哀想な人よ。誰も彼女を助けてくれなかったじゃない」

「じゃあ……メアリーを苛めてた奴等か?」

「それも違う。確かに彼女達も悪いけど。いちばんじゃないの」

「なんだよ」

 女の回りくどい言い方が癇に障り、男は顔を背けて眉を寄せる。

 と、そのときだ。女が満面の笑みで、声を張った。

「王様よ」

 男の心臓が跳ね上がった。

 理由はわからない。が、その言葉を聞いた途端、頭から血の気が引いた。

「ど、して……?」

「だってそうでしょう? 王様が王妃の気持ちを汲んで、彼女を気遣っていれば、こんなことにはならなかったのよ。すべての原因を作ったのは王様。鈍感な王様が、王妃とメアリーを殺したんだわ。だから、いちばん悪いのは……」

 女が見詰める。その顔は笑っている。

 今度は、眼を反らすことが出来なかった。金縛りのように身体が動かない。

 口の中が乾いていた。無意識に握った拳は汗でぬかるみ、気付けばシーツまでがじわりと濡れている。それなのに、寒い。後頭部から背中に掛けて、まるで氷を押し付けられたよう。吐く息までが……冷たい。

 嫌な予感がする。

 なんだ、この……不安は。焦りは。

 長くなった灰が落ちた。


 ピロロロリロリ! ピロピロピロリ!


 間抜けな着メロが響き渡り、男はハッとして枕元を見た。

 友人からだった。

 男は安堵した。誰かに縋り付きたい。そんな心境だったのだ。汗を拭い、煙草を揉み消して、電話を取った。

「もしも」

「おい! うちの課の佐藤と、お前んとこの鈴木が死んだぞ!」

 友人の興奮した声が耳に飛び込んできた。

「……………は?」

「だから、死んだんだよ! 佐藤がビルの屋上から飛び降りたって。自殺だぜ! 死んだのは昨日の夜らしいけど、今朝になって発見されたんだと!」

「………」

「それで、鈴木は事故! 駅前の交差点で、信号無視の車に撥ねられたって。2時間前の話だぜ? ビックリしたよ! 警察から電話掛かってくるんだもんさぁ」

「………」

「お前、佐藤と仲良かっただろ? なんか聞いてねーか?」

「………」

「あいつ、なんか社内で苛められてたんだって? よく鈴木が相談に乗ってやってたじゃん。死んじまうくらい神経病んでたのかなぁ。けど、その鈴木も事故ってさぁ。ヤバくね? うちの会社、呪われてんじゃねーの?」

「………」

 男の手から携帯が落ちた。

 なにを。こいつはなにを言っているんだ。

 男は目の前の女を見詰めた。

 女は笑っている。

 経理課に鈴木は1人しかいないじゃないか。

 その鈴木は、此処に、いるじゃないか。

 ほんの1時間前に待ち合わせて……

「でさ、佐藤の通夜が今夜9時から、鈴木の方が10時」

 女は笑っている。

 雨の音がする。

 そういえば、去年のボーナス、あいつにルビーの指輪を買ってやったっけ。

 ほとんど停止した思考の中、男は、ぼんやりといつかの女を思い出した。

「経理課からは、お前が出ろってさ。黒スーツ用意しとけよ! こっちは吉田が……おい、もしもし? 聞いてんのか? もしもし? こら? 電波悪ぃのかな……」

 早口に捲し立てる友人の声が遠ざかる。

 女は笑っている。優雅に美しく。



 ……ねぇ、メアリー。

 あなたを殺したのは……

 誰?









     了




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[良い点] すっかりファンになりました♪ まずはホラーを読ませていただいてます。 『薬指メアリー、読んだ事ある!!』 お邪魔するの二回目でした…Σ(゜Д゜) 前に読んだ時に感想書いとけ!! …
[一言] 現実と作中の物語、二つのお話が巧みで面白かったです。 淀みのない文章で一気に読めました。これって読者が感情移入するのにとっても大切ですよね。勉強になります。 と言いつつ、読むのに夢中になって…
[良い点]  童話って、おどろおどろしい雰囲気が、たとえ優しい話であったとしても、にじみ出でているんですよね……。グリム童話も怖いですし。大人よりも子どものほうが恐ろしいと思う、今日この頃。  話が脱…
2013/09/06 22:43 退会済み
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