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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、去り際に言葉を隠す

作者: 神西亜樹

 普段より静かである以外にはさして変哲の無い放課後の廊下を歩いている坂東蛍子が、こんなにも緊張しているのには勿論理由があった。彼女は今一つの大きな決意を胸にこの廊下を前進していた。

 人が友人を作ることに障害を感じなくなるのは幾つぐらいの歳からだろうか。大抵はせいぜい小学生の高学年か、中学に上がりたての内ぐらいだろうし、そもそも人と仲良くなることに障害を感じたことが無いという人も沢山いることだろう。人は社会で生きていく中で避け難く他人との交流の波にもまれ、その中で自然と関係を築く術を覚えるものなのである。しかしながら、この広く多様な世界にはさまざまな理由によってそういった能力を獲得出来なかった者も沢山いるのだ。例えば、本に夢中になり過ぎて空想に置き去りにされた善良な図書委員、藤谷ましろや、他人と嫌い合い過ぎて口を噤んだ不良転校生、桐ヶ谷茉莉花のように。世の中色々な人間がいる。だからこそ、友人関係というものが生まれるのである。

 坂東蛍子もそういった人種の人間だった。蛍子は昔から他人というものに根本的に興味が無く、その影響で友人関係の構築を避けて生きてきた。しかし女子高生なりの苦悩の時節を経たことで彼女の偏屈な考え方も少しずつ解されて柔軟になっていき、少女は十代も後半を迎える段になってようやく友というものに飢え始めていたのだった。幸い坂東蛍子は高校に入ってから二人の友人に恵まれていた。これは蛍子にとってはかなり良い調子であった――幼稚園で一人、中学で一人、高校で二人。完全に追い風が吹いてる、と蛍子は思った――ため、気を大きくした彼女は、この機運を持ち込んだ青い鳥が飛び去らない内に友人関係の輪を更に広げようと企んだのであった。

 現在蛍子には仲良くなりたい女の子が一人いた。真面目で誠実で、しっかりした女の子だ。その子の姿を見る度に、蛍子は自分と気が合うに違いないという根拠の無い確信を一人心の奥底で強めていた。しかしながら、蛍子にはその子と友達になる方法がさっぱり分からなかった。今まで友人になってきた相手は、全員が何かしらの対立関係から擦り寄ってきた間柄で、まっさらな関係から友人関係を築いたわけではなかった。友達って普通どうやったらなれるんだろう、と蛍子は思った。きっと何か大切なものを見つけないといけないんだ。相手の求めてることを自然としてあげられるような・・・そうでなくちゃならないはずだ。少し赤くなった陽光に窓越しに撫でられながら、坂東蛍子は自分の考えた友人の条件に首をかしげた。でもそういうことって、友人になってからじゃないと分からなくないかしら?

(・・・私はきっかけの部分が知りたいのに!)

 結局明確な解答を打ち出すことが出来ず、坂東蛍子はいつものように一度足を止めて少し肩を落とし、気を取り直して生徒会室の扉をノックした。


 扉を開けて入室してきたのは坂東蛍子だった。(ながれ)律子(りつこ)は誰が見ても、神が見ても不愉快そうな形に眉を歪めて相手を出迎えた。

 流律子は生徒会に属している自分に誇りを持っていた。小さい頃から生真面目で、正しくあることしか出来ず、それ故に堅物として疎まれがちだった律子は、いつからか自分でも気づかない内に自身の居場所を求めて生きてきた。当人が驚くぐらい勉学に熱心だったのも、怠惰に抵抗を持ったのも、全ては心を寄せられる場所を求めての努力の産物だった。そんな少女がようやく辿り着いた場こそ、この高校の生徒会だったのである。中学でのいい加減な舵取りとは違って、高校の生徒会は律子の羨望した規範と理念の世界をしっかりと体現していた。生徒会長は押しに弱いところはあったが誠実で度量が広い人物だったし、周囲の人間や教職員も生徒会にある程度の敬意を払い、正しいあり方を求めてきた。世界は未だに割り切れないことや腹立たしいことで満ちていたが、この生徒会室だけは正しい人と、正しいあり方で溢れている。律子はそのことがとても嬉しかった。やっと自分の存在を認めてもらえた気がしたのだった。

 だからこそ、流律子は坂東蛍子のことが許せないのである。

 文武両道、才色兼備の坂東蛍子は校内でも飛び切りの有名人だった。入学当時からその才気と美貌によって三学年を席巻した蛍子の勇名は、二年になっても一向に衰えることなく、一つの権力のように形を持って校舎の隅々に染み込んでいた。彼女がいれば皆が振り返ったし、手を差し出せば何だって手に入った。そしてそれはこの生徒会も例外では無かったのである。

 坂東蛍子は人を惹きつけるだけでなく、人を統べる才能をも持っている人間だった。人前での素行がよく何にでも結果を出す蛍子は教師達からの受けも良かったし、空いた時間に生徒会の仕事を手伝っている彼女のことを生徒会長もすっかり信頼していた。そのような時間と承認を経たことで、いつからか校内には一つの暗黙の了解が蔓延していった。“次期生徒会長は坂東蛍子を置いて他にいない”という了解である。律子はそのことにどうしても納得することが出来なかった。一年時から所属している自分や他のメンバーの努力を否定されたような気持ちになったからだ。いや、そんなことは建前で、本心ではようやく見つけた自分の唯一の居場所を略奪されたような気分になったからである。律子は坂東蛍子の魔の手から自身の安息を守るため、彼女に果敢に挑戦した。しかし身体能力は勿論のこと、努力してきた学業においても蛍子には掠り傷一つ負わせることが出来ず、流律子は今に至るまで完敗し続けているのだった。時折律子は自分の行いに虚しさを感じることがあった。生徒会にも知られずにやっている努力が実を結ぶことはこの先も一切望めそうに無かったし、そもそも生徒会の面々も坂東蛍子のことを好意的に見ていたため、律子は蛍子との秘めたる戦いにおいて誰の理解も感じることが出来ず、高校以前の孤独な世界に自分の心が追いやられつつあるのを感じていた。

 自分が何をやっても、どんなに積み重ねても、誰も自分を見ていない。今こうして生徒会室に一人残って雑務を片付けていることだって、誰も知りもしないんだ。

「そこに置いておいてください」

 律子はプリントの山を抱えて立ち尽くしている蛍子を一睨みした後、そっけない調子で指示を出した。坂東蛍子は微笑んで穏やかに頷くと、机の端にプリントを積み上げ、内容物毎に整頓した。その仕草やそつの無さが律子の感情を尚のこと逆撫でするのだった。

 私が何をしたというんだ、と律子は思った。いったい私が貴方に何をしたというんだ。何の怨みがあって、貴方は私の見つけた大切な居場所や、費やした日々や、抱えた思いを奪っていくんだ。貴方は誰からも承認され受け入れられて、孤独と逸れて、もう何もしなくても何でも手に入れられるのに、それでも飽き足らず私の物に手を伸ばすのか。誰も見ていない、何も持っていない私の最後の砦にまで。

「えっと、じゃあ、行くね」

 坂東蛍子が頼んでもいない仕分け業務を一通りこなし終え、扉のほうにゆっくり歩み寄りながら律子に声をかけた。律子は特に言葉を返さず、小さく頷いた。坂東蛍子は私に接する時は他の人間とのそれと違う態度をとる、と律子は思った。何というか、気兼ねするような一歩引いた態度だ。きっと私の敵意を警戒しているのだろう。

「あ、あのさ!」

 扉に手をかけた体勢で蛍子は再び部屋の方へ振り向いた。律子は仕方なく作業の手を止め、面倒そうに蛍子と目を合わせた。

「あ・・・と、とも・・・いつも遅くまでお疲れ様!」

「・・・え?」

 思いもよらない言葉をかけられて流律子は呆けた小動物のような顔をした。

「え?だって、部活帰りとかに生徒会室だけ明かりがついてたり、よく見るし・・・違った?」

「い、いえ・・・」

「うん・・・えと・・・じ、じゃ!」

 坂東蛍子はそう言うと勢いよく扉を開き、早足で暗い廊下に消えていった。律子は一人になってからも暫く同じ体勢で立ち尽くしていたが、ステンドグラスが千年かけて液状に垂れ下がっていくようにゆっくりと腕を下ろし、書類のファイルを机の上に置いた。

「・・・・・・」

 流律子は何かを読み取ろうとするかのようにジっと机の木目を見つめながら、卓の縁に指を這わせ、何度も繰り返しなぞった。


「もう少しで言えたのにーー!」

 坂東蛍子は顔を真っ赤にして、頭をぐしゃぐしゃと掻き回しながら誰もいない廊下を全力疾走していた。

「いくじなしーー!!」

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