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覆面企画推理用リンク集

サクラマウ

作者:たつみ暁
 千鳥が淵の桜は三分咲きだった。

 川べりに立ち、武道館の屋根に鎮座するタマネギを見やる。あの下では、天才秀才ともてはやされ、日本のエリートになるべき学生達が、輝かしい将来を夢見て、意気揚々と校歌を歌いあげているのだろう。
 僕も四年後、そうなるはずだった。

 サクラチル。
 滑り止め一切無し、本命一筋の大学から、驚愕の通知を受けた。

 あっけなくサヨウナラを宣告した教師達に、追い立てられるように高校から送り出され、浪人街道まっしぐら。
 悔し紛れにせめて、大学の卒業式が行われている武道館を遠巻きに見てやろうと、中央線に揺られ、こうして訪れた訳だが、自分の行動の無意味さを改めて痛感し、虚しくなってくる。
 早々に退散しよう、と踵を返そうとした僕の視界に、ふと、目を惹く人物が、入り込んできた。
 人気もまばらな中、一人、ベンチに腰掛けて、まだ満足に咲いていない桜を見上げている、白いワンピースの女の子。
 栗色の髪は肩口。瞳はくりくりしているが、薄く開いた唇の血色は、良くない。
 道ゆく人は、彼女を振り返る事は無い。彼女の存在に気づく気配も無い。
 それもそうだ。彼女の身体は、透けて見えたのだから。
 つまり、幽霊。
 僕はあまり驚かなかった。桜の名所などと云う、シーズンには大勢の人が集まる場所に、その手のひとが一人や二人居ても、ちっとも不思議ではない。
 幽霊ながらも可愛らしい外見に、思わず見入っていると、ふっと彼女の視線がこちらに向き、何度かまばたきして、笑顔になった。
『私の事が、見えるの?』
 彼女は立ち上がり、とととっと――実際には幽霊だから、足音など聞こえないのだが――駆け寄ってきて、がしっと、僕の両手をつかむ――実際には幽霊だから、触覚は無くて、ひんやりとした感覚が、手に伝わって来ただけだが。
『もう、見えてるんでしょ、聞こえてるんでしょ、無視しないで!』
 一人で話す怪しい男に見られるだろう事を危惧し、周囲の目を気にして様子を窺う僕を、まだるっこしく思ったのだろう、彼女は、ぷっくり頬を膨らませて睨みあげてくる。予想以上に小柄だ。
 仕方無く腹をくくって、
「見えるよ」
 と溜息を零しながら返すと、彼女は、ぱっと表情を輝かせた後、八重歯を見せて、それはそれは嬉しそうに笑った。
 年齢は、僕と同じくらいだろうか。笑うと余計に幼く見える。そう考えて、思い至る。この子は、そんなに若くして、命を散らしてしまったのだと。それに気づくと、胸の奥が、つきん、と痛んだ。
 だけど彼女は、僕のそんな気持ちにも気付かない様子で、喜々として告げる。
『嬉しい。私が見えた人、この十年で初めてなの』
「十年!?」
 その年月に驚き、思わず、周りの注目も気にしないで、素っ頓狂な声をあげてしまってから、肩をすくめる。見なくとも、向けられる白い視線が、痛い。
『そう』
 彼女は、それも我関せずとばかりに、ここから見える、長い年月で白い壁の塗装がくすんでしまった病院を、細くて綺麗な手で、指差す。
『私、十年前にあそこで死んだの。癌で』
 まるで他人の事を話すかのようにさらりと、彼女は言った。僕が悼む表情を見せてしまったのだろう、
『気にしないで』
 ぺろり、舌を出して、彼女はおどけてみせる。
『死んじゃった時は悔しかったし、哀しかったけど、もう、十年も経つと、そんな気持ちも薄れちゃうの』
 そして彼女は、ぐいっと僕の腕を引いて。
『ねえ、折角話せる人と会えたんだもの、少しだけ、付き合ってくれないかな』
「付き合う?」
 何に、と問う間も無く、彼女はまた八重歯をのぞかせ、小首を傾げてみせた。
『お花見デート』

 そうして僕らは、まだまだ満開に遠い桜の下を、二人、歩いた。
 傍から見れば、若い男が、彼女も居ずに一人、何をブラブラしてるのか、と怪訝に思うだろう。でも実際には、僕の左横には彼女が並び、一緒に歩いている。
『一度、男の子とこういう事、してみたかったの』
 と言う、彼女のたっての願いで、半透明の腕が、僕の腕に絡んで。
「彼氏とか、居なかったの?」
 つい、口をついて出てしまった疑問に、彼女はゆるゆる首を横に振り、
『居たと言えば居た、居なかったと言えば居なかった』
 と、ぽつり。
『幼なじみ、って言うのかな。お互いに好意は持ってたんだろうけど、どちらからも告白しない、友達関係。そのまま、私が病気になっちゃって、それっきり』
 心地いい、微妙な距離感を崩すのが、恐かったんだろうね。そう付け加える。
「今、どうしてるかとか、気になる?」
『なるよ。でも』
 訊ねれば、どこか遠くを見やって、彼女は言う。
『知らない方がいいんだと思う。きっと私の事なんか忘れて、他の誰かと幸せにやってるんだって、思ってた方が、気楽』
 それは確かにそう思う。死んだ人間を偲んで、いつまでも前に進めずにいるのは、とても辛い事だ。ならば、他の誰かを選んでも、笑顔でいてくれる方が、どんなに心休まるか。
『だけど』
 ふっと彼女は、寂寥感漂う表情を、顔に満たして。
『ずっと誰にも気づいてもらえない、振り返ってもらえないで、一人で桜を見る十年は、やっぱり寂しかったな』
 何と声をかけたらいいものか、上手い言葉を模索して、フラフラ思考を彷徨わせていると、色素のちょっと薄い瞳が、上目遣いにのぞき込んできた。
『私はもういいのよ。それより、キミだよ。こんなうららかな昼下がりに、一人でこんな所に来て。彼女とか居ないの?』
「居ないよ」
 自嘲気味に、僕は返した。
 名門大学に入ってエリートコースを進む事しか頭に無くて、我武者羅に勉強ばかりしていたら、人間関係をおろそかにし、恋人どころか、心を許せる友人すら出来ずに過ごしてしまった、中学高校時代を、彼女に語る。
 良い成績を取り、教師達の賛辞を受けて悦に入るしか、取り得の無かった、自分。

 大丈夫、お前なら出来る。
 先生はお前に期待しているんだ。
 頼むぞ、我が校の栄誉の為に。

 根拠の無い励ましの言葉。

 お前なら大丈夫だと思ったのに。
 今年こそはと期待したんだがなあ。
 正直、失望したよ。

 不合格を聞いた途端、手のひらを返した態度。

 今ならわかる。誰だって良かったんだ。僕でなくとも、一流大学に合格出来れば、誰でも。
 大人達は、子供の将来の為じゃないんだ。自分の評価を上げる為に、子供の尻を叩いてたきつけて、その気にさせて。自分の名誉に役立たなければ、はいそれまで、の縁。
 期待に添わなかった子供が、その後どうなろうと、興味は無くて。
 だから僕は今、誰にも顧みられない。蕾のままの桜のように、誰の興味を惹き付ける事も無く、広い世界の中、ぽつねんと、そこに在るだけ。
 何も無い、人間。
 そう言ったら、彼女はぎゅっと、僕の手を握りこんできた。
『何も無いなんて、無いよ』
 やっぱり実際にはその感触は無くて、力を込めたつもり、という様子が視界に入ってきただけだが、何故か心持ち、伝わる感覚に熱がこもった気がした。
『キミが積み上げてきた人生が、あるでしょ。一回の失敗くらい気にしないで、周りがとやかく言おうと気にしないで。やりたい事、諦めないで』
 はっと振り向けば、真摯な瞳がまっすぐに見つめている。
『今は落ち込むだろうけど、人生終わった訳じゃないんだから、いくらでも、取り返しきくよ。頑張って』
 人生終わっちゃった先輩からの、アドバイス。そう冗談めかして、彼女はまた八重歯を見せる。でも、その笑みに自虐っぽさは無く、思わずつられて笑い返していた。

 その後も僕らは、桜並木を眺めながら、ゆっくりと並んで歩き続け、会話を交わした。
 趣味や好物、彼女が好きだった芸能人の現在、流行の今昔比べとか、とにかくそんな、とりとめの無い話題。
『誰かとこんな風に話をするの、すごい久しぶり』
 彼女は、とても幸せそうに笑った。
 僕も、嫌な気分ではなかった。他人とこんな他愛無い話をするなんて、今までの受験地獄には無かったから、新鮮な気持ちだ。
 これまでの、勉強勉強しか頭に無くて、息詰まって荒んでいた心が、洗われていくようだった。

 傾き始めた太陽が、武道館のタマネギを赤く染める頃、その下から、袴姿やスーツ姿の学生達が、ぞろぞろと出て来た。
『今日はありがとう』
 彼女はふっと、絡めていた腕をほどき、一歩、下がる。
『この十年で、一番楽しい時間だった。もう、充分』
 逝ってしまう。
 殆ど直感で、僕はそう感じた。
『またどこかで会ったら、今度は……』
 最後まで聞き取る事は出来なかった。待って、と言う暇も無かった。彼女の姿は、あっという間に夕暮れに溶け、伸ばした手は、空を掴んだ。
 しばらくの間、彼女が消えた場所を見つめて、立ち尽くす。
 何時間も一緒に居たのに、結局、名前さえ聞かなかった。お別れの言葉も満足に言えなかった。後悔に、顔を伏せ、苦笑ひとつ。
 そんな僕の頬をさあっと撫でて、少し冷たい夕方の風が吹き抜けてゆく。
 すると。
「おい、見てみろよ」
 道行く誰かが、驚きの声をあげた。どよめきは次第次第に広がる。俯いていた視線を少し上げると、誰もが桜の木を指差して、すごい、すごいと交わし合っているのがわかったので、顔を上げ、そして、目を瞠った。

 桜が、満開だった。

 ただ一本だけ、僕の立っている目の前、そこで彼女が消えた桜の木、一本だけが、あっという間に蕾を開き、鮮やかな桜色の花弁を、惜しげも無く披露していた。
 まるで彼女が僕へ残してくれた、奇跡みたいに。
『頑張って』
 彼女の励ましの声が、聞こえたような気がして、空を仰ぐ。
 今なら、頑張れるような気がした。
 失敗の上に、経験を積み重ねて、前へ進んで行けるような気がした。
 そうだ、まずは、高校時代馬鹿正直に校則を守ってせずにいた、アルバイトでも始めてみようか。僕は思い立つ。
 少しは社会に出て。人間関係を築いて。友達の一人か二人も作って。趣味の一つも持って。勉強以外の事にも、情熱を注いでみよう。充実した人生を送ってみせよう。
 彼女の分まで。
「やってみるよ」
 口の中で小さく呟くと、さっきよりも強い風が、満開の花びらを吹き上げて。

 黄昏の中、桜色が、僕へのエールのごとく、舞っていた。

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