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認めたくない現実
 「どうして、どうしてこんな事に……」
 母の変わり果てた姿に杏はただただ嘆いた。
 今宵は満月。月が満ちれば満ちるほど陰の気は弱まる。逆に陽の気は強くなる。それなのに、漆黒の姫は満月を嫌うことなく闇に溶け込んでいった。あれは、相当の力を持っている証拠だ。
 気が付けば、杏の手は母の血で赤く染まっていた。それを見て、杏は酷く怯えた。昔の、あの出来事が鮮明に蘇る。
 ――私は、守れない……大切な人を!
 その場で杏は泣き叫んだ。家中にも、森中にも響き渡るような声で。
 風が悲しみの叫びを運んでいく。誰かに伝えようともしているように。深く、悲しく。
 そんな声に引き寄せられるようにして、ふいに人影が杏の後ろに現れた。彰だ。
 彰は涙を流す彼女と、その母の姿を見て全てを察した。無意識に表情が歪む。
 「そうか、お前もやられたのか」
 「えっ……、もしかして、彰もなの?」
 驚いて杏は泣きじゃくりながら聞いた。彰は杏に背を向けて、小さく頷いた。
 彰の家族も呪術一族の末裔だ。力ある者としてあれが狙わないはずがなかった。彼の家族は兄と父の二人。母は随分前に他界している。
 同じように、二人は大切なものを一瞬にして奪われてしまった。平凡だった日々が遠く感じた。
 「……部屋を片付けよう。それから、お前の母さんも手厚く葬ってやらないと」
 「嫌、私は嫌。こんなの、嘘よ。何かの間違いでしょう?」
 「どれだけ現実逃避したって無駄だ。それくらい、頭の隅で分かってるだろ」
 冷たく言い放ち、彰は血などで汚れた部屋を片付けに入る。札を取り出してぶつぶつと呟く。
 すると、何処からともなく水が湧き出て何もかもを洗い流した。その水は幻惑のように消えていった。
 赤に染まっていた畳も綺麗になり、ここで惨劇が起こったことなど分からなくなった。
 残された布団を杏が押入れへと入れた。もうこの布団が使われる事は二度と無いだろう。この部屋もしばらくは使わない、いや使えない。ここにいればきっと今日の事を思い出して自分を責めてしまうだろうから。
 漆黒の姫。あれは自らそう名乗った。そして、まだ血が必要な事も告げていった。きっとまた何処かに出没するに違いない。
 ――私は絶対に許さない!
 杏は強く拳を握り締めた。



 あの日から三日経った。花が植えられた庭には一つ、墓のように土が盛り上がっている所があった。そこへ杏はかつて母が好きだった白百合の花を供える。
 墓前で手を合わせ、目を瞑って杏は母の冥福を祈った。自分にはこうしてあげることしか、出来ないから……。
 しばらく彰とは顔を合わせていない。ずっとこの三日間修行を休んでいたためであった。母の事を思うとどうしても修行する意欲が湧かなかったのだ。
 認めたくないけど、これは現実。覆る事の無い真実なのだ。なら、それを受け入れていかなければ。
 そして、母の無念をこの手で晴らさねばならない。
 「お母様の無念、必ず晴らしてみせます。この手で」
 勢い良く立ち上がり、杏はスクールバックを持って家を出た。そう、学校だ。
 いくら呪術一族と言えど学生であるのには変わらない。勉学に励むのもまた一つの修行とも言える。
 杏と彰の通う霜月学園は公立のレベルが平均より少し高めの学校だった。レベルの低い人間が居ないので、呪術を馬鹿にされる事がない。まさに、もってこいの環境だ。
 しかし杏にとっては彰の居ない学校が一番いい環境であると言えた。彼はやたらと学校でも付き纏うので、付き合っていると勘違いされてしまうのだ。
 おまけに私服登校が可能なので、時々可愛らしい服を着ると彼氏に要望されたのとかどういう風の吹き回しとかいろいろと妄想されてしまうのも、杏には困りものだった。とにかく、彰は誤解を招く疫病神になり兼ねないのだ。
 「おい、今日から来るんだな」
 いつも通り、声をかけられ杏はつんとした態度で彰の言葉を無視した。
 急に彰は顔を覗きこみ、そっと杏に耳打ちする。
 「もう泣いていないんだな」
 その言葉はまるで子供をなだめる様な言い方だったので癪に障り、杏は怒鳴り気味で言った。
 「いつまでもめそめそ泣いていられないわよ!それより、またあいつが出てきたら永久に封じなきゃ犠牲者が更に出るわよ」
 「野放しにしておく気は元から無いさ。俺が冷静で居られるのも時間の問題だったりしてな」
 彼の瞳には明らかに怒りが込められていた。恐らく、彰も許せないのだろう。
 気持ちは確かに同じ方向にあった。だが、杏は彼に協力するつもりなど全く無かった。
 これ以上、大切なものを傷つけさせない。たとえ、自分の身にある全ての力を使い果たしたとしても。
 「漆黒の姫はまだ力ある者の血を求めているの。学校とかにも霊感を持つ子だって居るから注意を払わないととんでもない事を引き起こしかねないわ」
 呪術一族の末裔である彼らは霊感能力にも優れていた。奇妙な気配、いわゆる霊の気配を感じ取ったり、その姿を目で見ることが出来たりする。もちろん、祓う事も可能だ。
 それを生業にして一族は栄え、今も末裔が存在するのだから。
 横断歩道を渡り、もうすぐ学校に着く……――。
 そう思った時、突然周りの景色が動かなくなった。まるで古びた写真のようにセピア色に変色し、動く気配も感じ取れない。
 異変に二人は立ち止まり、辺りを見回す。先程まで何でも無かったいつもの街が、道が、全く別のように見える。
 こんな事を仕掛けてくるのは、やはり。
 三日前に聞いた笑い声が耳に響き渡る。この声はやはり、漆黒の姫。
 「その通り」
 杏の考えを読み取ってか、漆黒の姫は言った。
 と、二人の目の前にあった景色が歪んで、彼女は姿を現した。前日と変わらぬ、不気味な笑みを浮かべて。
 言葉よりも早く杏の手は札を掴み、それを彼女目掛けて投げた。しかし、何かの壁に阻まれて、札は彼女まで届かずに地面へ落ちる。
 「そなたらの力は我に及ばず。こんな子供騙しは通用せぬ」
 子供騙しなんかじゃない。先程の札は先祖代々伝わってきた秘伝の札なのだ。陰の気を封じ込める霊祓いの。
 漆黒の姫は自分の力を見せつけ、満足したように言った。
 「そなたらの世界にある、学校と言うものは実にいい。うってつけの血が溢れかえっておる。さあ、誰の血を飲もうか迷うものじゃ」
 「ふざけるな!」
 再び杏が札を投げつける。だが、やはり彼女に届く事は無かった。
 「早くしないと学校が血染めになるぞよ。どうする、呪術師どもよ」
 彼女は甲高く笑い、歪んで消えていった。それと同時に周りの景色も元に戻る。車が、信号が、歩いている人が動き始める。
 最後に言った言葉。彼女は本気だ。本気で血染めにしてしまうだろう。
 そうなってしまう前に何とかしなければ……!
 「行くわよ、何としてでも学校まで巻き込むわけにはいかないんだから!」
 「もちろんだ!」
 それを合図に二人は学園へ走っていった。


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