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土竜

作者:異島工房
 4月も末の事で御座いますが、隣の部屋に岐部という、二十二ばかりになる青年が越して参りました。私が朝の十時ごろまでだらだらと寝床に寝転んでおりました所、暫くの間無人であったはずの隣から何やらガタガタとした大きな音と何人ばかりか人の声がするので、引越し業者だと思った次第でして、その後何日かすると見知らぬ青年が私の部屋を訪ねてまいりました。それでああこの人がお隣さんか、と思ったわけであります。彼が言うには、自分は旧帝大学の学生で、季節も変わり目、ここいらで心機一転したいとこちらへ越してきたとの事。淀みなく挨拶をし、清清しい面をしておりまして、私はそれがどうにも鼻持ちならず、寝起きで不揃いな髪を手で掻きながら、まあよろしく、あまり五月蝿くしないでくれよと感じの悪い返答をした所、彼は特に顔をしかめるようなこともせず、分かりました、といって軽く会釈をして帰っていったので、私は当てが外れたことについて少し拍子抜けしたことを覚えております。
 それから彼が再び私の部屋を訪れたのは梅雨時の中旬でしたでしょうか。それには多少きっかけが御座いました。私が外に出ておりますと、彼が丁度どこからか帰ってきまして、久しぶりに顔を合わせる機会となったのです。彼が高倉さんこんばんは、と来たものですから、私は無視するわけにもいかず挨拶を返すと、彼は実家から地元の旨い酒が届いたから、今夜一緒に飲まないか、というのです。四十も過ぎた男と飲もうというこの青年の言動に多少驚きました。しかし私も暫く人と話す機会を持ち得なかったもので、この青年を話し合い手にするのも悪くはない、と、私の部屋へ招くことにしました。それで彼はその晩右手に地酒を、左手にいっぱいの本を抱えて私の部屋にやってきたわけです。
 「へええ、整った部屋ですね。お仕事は何をされているんですか」
と、彼は臆面もなく初っ端聞いて来るもので、私はどう答えたものかと思いました。何しろ私はろくに働きもせず、資産家の両親から譲り受けた一部の財産を取り崩しては生きている屑虫のような人間であります。学歴もなく、その上思い込みの激しい性分で御座いますから、面立ち良く、肩書きも人並み以上にきらつく彼の前にありありと働いていないなどと直言しようものなら、以降彼と会話するにおいて、彼が私を陰ながらに見下しているのだ、と言う観念から逃れないだろうと思ったのであります。少し間を空けて、私は物書きをやっているのだ、と返すと、途端彼の目は輝くのであります。どうしたことかと思うと、私の目に彼の持ってきた本の方に目がいきました。彼が持ち出してきたのは自己啓発本とかいう書き物で、私も本屋行った時にはちらと目の端に入れはするものの、あんなものは三行で要約できることを数百ページに渡って引き伸ばしたもので、コルモゴロフ複雑性のひどく低いちんけな読み物だと勝手に思っていたものですから、そんなものを目の前の前途洋洋に思われる青年が持っていたことが私の卑屈なプライドを満たし、私は表情にこそ出さぬものの心臓をにんまりとさせていました。私はようやく彼と対等に酒を酌み交わす権利を勝ち得たのだと思いました。
 乾杯をして一杯を飲み干した所で彼は物書きとは如何にしてなろうと思ったのかと前のめりに聞いて来るもので、私は物書きでもなんでもないわけでありますから、はぐらかそうと思い、何故そのようなことを聞くのかね、なりたければなれば良い、その様なものじゃないかと答えると、彼はこのように言うのであります。
 「実は、僕は社会というものに全く押しつぶされそうなのです。僕は今大学四年生ですが、同級生はみな就活をしていまして、内定が出ている奴も少なくありません。ところが僕は、社会に出るなら自分の納得のいく形で働きたい、もっと簡単にいうなら天職につきたい、と思っておりました。そう思うものの、そう探せば見つかるものでもありません。天職などというものは仕事に就きそれをこなした結果としてなるもので、最初から天職だと分かった上で就くものではないということは私も頭の隅にありましたが、天職がめぐり合わせるまで転職を繰り返すような時間の無駄はしたくないという思いが僕に思い切って本気で就活へ足を踏み出すことをさせなかったのです。」
 「天職と転職をかけたのは、わざとかい。」
 「い、いえ、たまたまですよ先生。」
 私は人の話の腰を折るのが好きで御座いました。それにしてもこの青年は私をもう先生呼ばわりしております。私が物書きだといって疑いもしないのは、私の演技力と言うよりかは私の不精な性格が滲み出た見た目が、如何にも世間で言う所の小説家然としたところがあったからだと思いました。
 「それで、話の続きは。」
 「ええ、それで僕は色々と考えました。本当の自分、などというものは本来存在しないだろうと思いながらも、この心理的苦境を乗り越えるためなら何か手がかりがあるかも知れないと、恥ずかしながらこのような本も買って読んでみたのですが、どうしても素直に読めず、書かれている事を本気に出来ませんでした。」
 彼の持ってきた地酒は大層というほどではなきにしろ美味しいものでしたから、私は彼が話すのを聞きながら自分で彼の持ってきた酒を注ぎました。彼は構わず話し続けました。
 「僕はだんだんと、自分が社会でやっていくだけの精神を持ちえていないのではないか、と考えるようになりました。僕の回りの友人はそもそもそんなことを気にしていないように思われたのです。僕は文学部の人間なのですが、例えば経済学部の友人たちは堰を切ったように銀行や商社になだれ込んでいきます。彼らにも中高生の頃には多種多様な夢があったように思うのです。でも彼らは躊躇いなく同じような道を目指していく。僕は違和感を覚えずにはいられませんでしたが、彼らにとっては普通なのです。人生の設計の仕方が僕の物と根本的に違っている様に思いました。僕の考える人生への意味付けは、まさに何をなしたかという、夢や運命を現実化する個人史によって行われるものです。それに対して彼らは予め人生を一つの建造物のように考えていて、与えられた時間のなかで最大限自分自身が満足のいくよう資金、余暇、家族について計画を考え、それを実行するのです。
 僕にはどちらが社会を構成するに適応された思想なのが明らかなように思えました。そこからは色々手を出してみたのです。音楽家になれはしないかと思い、丁度ピアノも習っておりましたもので作曲が出来ましたから、ゲームや、映画なんかに使えそうな曲を幾つか書こうとはしたのですがどうにも書きあがらず、じゃあ作家にでもなろうか、と思ったのですがやはり書き上がらない。そうこうしていると、どうも八方塞がりとでも言うか、何か未来への道が全て閉ざされたように感じてしまって。そうしたところ先生は物書きだというではないですか。これには驚きました。そんな人は今までに一人も出会わなかったので。これはどうやってその道を見つけたのか聞くしかないと思いまして、先程のような質問をしたのです。すみません、話が長くなってしまいました。」
 そこまで言ってから彼はようやく自分の酒に二口目をつけました。
 「ふむ、君の話はどうも架空の人生を生きているような口ぶりに聞こえるな。」
 「それは現実にそぐわない考え方をしている、と言う意味でしょうか。」
 「いや、そうじゃない。君の考え方は極めて現実的だよ。君の考え方は人生の悩みに直面した人間のものといっていい。所謂全うな自己実現に関する悩みであって、君はまだそのトンネルの中に居るのだよ。僕が架空の人生といったのは、君の語り口に関する問題だよ。君はいますらすらと自分の半生を私に語って見せた。だが流暢過ぎる。他人の人生も含めてね。プラトン化なんて言葉を使った人がいたけれども、人生の捉え方が法則的なんだよ。例えば君は経済学部の友人がみな銀行や商社に行くと、わざわざ学部を強調して話したけれども、世の中には経済学部じゃなくてもそういうところに行く人は多いだろうし、その様な人たちは君の考え方の枠外に生きていて、それぞれ異なる半生が、ドラマがあったはずなんだ。それを君は人生に対する思想の違いと言ってすべて自分とその他大勢の他人という視点で切り分けてしまっている。こういうのは人生を法則化しているというのだ。天職の話はここに当てはまらないかもしれないと思っているだろうが、君の話しぶりからは人間は天職を見つけるものだという先入観の匂いがする。
 まず色々と先入観を取り払ったほうがいいんじゃないだろうかね。」
 そう偉そうに良いながら、私の心模様はいささか複雑でありました。この自分より明らかに高い位置に居るであろう青年が、隠された悩みに苦しんでいるところに私はさらに上から助言を与えたもうたのです。年齢の差から言っても殆ど説教と言って良いような物で、この歳になると気持ちよいものです。ただその一方で私の後ろ髪を引くのは、私も何処かでこの青年と同じように悩んだろうな、と言う思いであります。
 私の場合、彼と同じように悩みつつもそれをこの時まで特に思い出すこともなく悩まずに居られたのは、私が社会に出ずとも十分に暮らしていけるというその安心のせいでした。私は六畳間の土竜だったのです。社会に出て日の光を浴びずとも地の中でやりたいことをやりたいときにやれば何とか人生というものをやれていました。そこらの三流大学をあと1年で卒業するとなった時、私も就活に晒されたわけですが、時代のせいもありましょうか、何故他の人間と同じようにしなきゃいけないのだ、私は私だと、就活に汗水流すそこらの同期を私は鼻で笑っておりました。当時は就職氷河期と言われていて、何とかして会社で働くための切符を手にせねば、といった雰囲気でありましたから、当時の私は完全な時代の反逆者と言っても良かったでしょう。こんな時代に就職をしないという選択をするのは割り合い狂気の沙汰でありましょう。
 事実私の両親が私に甘い資産持ちでなければ取りうる選択ではなかったと思っております。私が両親に、自分は働く気などないと告げると、彼らは私に、分かった、しかし延々と私らが面倒を見てやるというのも可笑しな話だから、それでは十億ほどやろう。そこらのサラリーマンの生涯年収よりかはあるから、好きに使いたまえ。以後一切援助はしない、と言うのであります。それで私は十億円ほどの金を手に入れて大学を卒業し、今の六畳間のアパートに住むようになりました。
 私は浪費をするつもりは全くありませんでした。三つの銀行に三億ちょっとずつ預けて、私は利子だけで生活する様になりました。金融危機のときも多少生活は苦しくなりましたが、その頃は株などやらなかったので死ぬような思いはしませんでした。流石に利子だけで食えるようにはなりませんでしたが、それでも十億はあるわけですから、それを取り崩しながら、結局一度も働かぬまま現在まで私は生きてきたのであります。
 そうするとおかしなことに、大学生の頃に考えていたあの、人生の意味とはなんであろうか、というような思いがいつの間にか渇き切って湧いてもこないということに気がついたのです。好きな時間に起きて、パソコンをいじったり本を読んだり音楽を聴いたりして、好きな時間に眠りにつくといった生活を繰り返しているうちに、自分でも私はそういうものなのだ、という以上のことを感じることがなくなってしまったのです。
 私は人生の意味を考えることを止めた代わりに、私は実際問題として生きているのかどうかを考えるようになりました。自殺とは自分を殺すことだと、誰かが言っていたように思いますが、私にはそうは思えなくなっていました。自殺と言うのは、先に死んでいる自分に肉体を合わせる単なる修正作業にすぎないというように感じられました。そう閃いたとき、とても鮮明で文学的憧憬を抱いていたそれまでの死に対するイメージは途端魚の腐ったような臭いを放ち始めるのです。私は作品としての自殺を考えたことはありましたが図ったことはありませんでした。自殺を経ずして私は完璧な死体となることに成功したのであります。それをはっきり知覚してからというもの、いつしか喜怒哀楽を喜怒哀楽として感じることのなくなっていた自分自身に気がついたのであります。哲学的ゾンビの話が頭をよぎりました。私は喜怒哀楽を表現する事は出来ますが、それを感じることはできなくなったのです。
 今目の前にいる青年は、私の二十年前の姿そのものに思えました。彼は私に若き日の私の悩みを久しぶりに思い起こさせたのです。ただ私にはその悩みを今の悩みとして感じるだけの心をもはや持っていませんでした。このまま彼を私のように生きる屍にしてやろうとも、自分のようにならないよう警句を鳴らさなくてはならないとも考えませんでした。それから青年が二杯目の日本酒を飲みおわるまで、私は物書きとしての自分の話を一切しないまま青年と取りとめもなく今は記憶の屍骸と成り果てた『二十代の人生』の話をしつづけました。彼は来たときよりも笑顔で帰っていきましたから、私は何かためになるような話ができたのかな、と思いました。ついぞ私が無職であることは打ち明けることなくその夜は終わったのであります。青年が部屋を去ってからふと窓の外をみると、久しぶりに快晴の夜空、月が昇っているのが見えました。卑屈な土竜の上にも悩める青年の上にも、平等に月は昇るのです。ですが私には何もない虚空であのような高い位置にある青白い月が、かの青年であるかのように思えてなりませんでした。


 それから何度も彼とは一緒に飲む機会がありました。いつも話の種を持ってくるのは彼でした。二回目以降の彼は一切物書きについての私には触れませんでした。ある時彼は自分が好きな音楽の話を始めました。クラシックを聴くというので、私が何が好きかと問うと、マーラーが好きだといいました。私はマーラーは昔から嫌いだったので、その旨伝えると、彼は、そうなのですか、僕は先生もお好きかな、と思っていたのですが、と言いました。私にはこの青年が、私に自分と似たものを感じているかもしれない思いました。彼は徐徐に六畳間の土竜の世界に巣食われ始めているように見えました。だんだんと頬はこけ始め、最初にあった時はきれいに整っていた髪も、会うごとに乱雑になっていきました。ある時彼が、彼女と別れたと言い出したので、私は君に彼女がいたのか、と返すと、彼は悲しげに笑いながら、そうですね、僕に恋人は居なかったのかもしれません、と呟くように答えました。
 最後に彼と飲んだのは、彼の卒業も近い年も変わった2月頃であったと思います。彼の様子を見るに、おそらく卒業後のことは決まっていないのだろうという察しはつきました。酒は私が用意するようになっていたので、私は棚に置いてあったウィスキーを取り出すと、徐に話し始めました。よく考えると、私から話を彼に振ったのはこれが初めてではないかと思います。
 「卒業旅行には行かないのかい。」
 「ええ、どうもゼミの奴らとも顔を合わせ辛いですし、他の友人にもどうも・・・キューバに行かないか、と誘ってくれた友人が居たんですがね、断っちゃいました。お金ないよ、なんて言って。」
 「キューバねえ、良いところだとはよく聞くね。」
 「そうですかあ。行けば良かったかなあ。」
 彼はいつもより早く酒を飲み干した。
 「先生、今まで色々と話してくださって有難う御座いました。僕なんか若いのと飲んでて先生が気を悪くしていないと良いのですが。」
 急にそんなことを言い出すので、私は彼が自殺でもするのかと思いましたが、流石にそれは出来すぎだろうと思いました。それに彼が私に似ているだろうという事もこの思いを裏打ちしていました。既に死んでいる人間の自殺という奇妙な構造に気づけばまずありえない選択肢だからです。
 「何処かに引っ越すのかね。」
 「そうなんです。来春からは実家の石川に帰ることになります。今までお世話になりました。こんな深い話をこれだけ歳の離れた人としていたというのは中々できない経験だったと思います。そういえば先生の書いたものを結局一度も見せてもらったことがなかったですね・・・それだけが残念です。」
 私はここへ来て冷たいものが背中を流れるのを感じました。今まで青年と心情的にも対等に話ができていたのに、ここで私が物書きではないと暴露するのは全てを泥たまりに打ち捨てるような行為であります。彼とこうして飲んで話す機会がなくなるだろう、という事についてはあまり感慨もなかったのですが、彼が真実を知り私の卑屈さを目にし、失望のまま遠方へと去ることは、事ここにいたって到底許せる事態ではなくなっていました。
 「そうか・・・今渡せるようないい手持ちがなくてね。君が旅立つまでには用意できると思うから、それまで待ってもらうのはどうだろうか。」
 「それはうれしいですね。3月半ばには帰りますから、出来ればその時までにいただけたらうれしいです。」
 青年が私のペンネーム等聞いてくれなくて良かったと思いました。青年はついぞ私の名前を知ることはなかったろうと思います。この約一年間、彼はずっと私の事を高倉さんと呼び、私は彼のことを君と呼んでいました。私も彼の名前を知りませんでした。彼が私の物書きとしての話に興味を持ったのも最初くらいでしたから、私のやっている事自体にはあまり興味が無かったのでしょう。あえて彼を同類と定義して彼の心情を分析してみるとするなら、彼は結局の所私に、もっと言えば他人に関心のない人間だったのです。きっと親の誕生日も覚えていないような人間でございましょう。彼は自分の中でしか他人を位置づけることが出来ない人間だったのです。
 しかし、いまや事態は私に何か書くことを要求していました。青年に結局何も渡すことなく彼が石川へ旅立ってしまえば、結局はごまかせなかったことと同じになります。私は心情的に対等だった人生唯一のこの青年を他の人間と同じように卑屈な心で接せねばならなくなることに恐怖心を抱いていました。青年が去ってから、私は何か書かなければならない、という思いに駆られました。形式に関しては、製本された状態で渡すよりかは、ワープロ書きをそのまま原稿だといって渡したほうが、特別感があるだろうと思い、これでごまかせるだろうと、それほど難しいこととは思っていませんでした。しかし、書く方に関してはいよいよ難儀な立場に追い込まれていました。いざ机の前に腰を落ち着けてパソコンを前にしても、何も書く内容が思い浮かばないのです。ネットに何かつらつらと書くような経験はしておりましたが、いざ正式な書き物となると、全く何が正しいものか分かりませんでした。色々な類の書物に手を出しては居ましたが、読んだからと言って書けるわけではないのだと痛感しました。

 事態が急変したのは、私が悩み始めてから2週間ほどたった日の事です。私はいつものように朝の10時近くまで惰眠を貪っていたのですが、どうも隣が五月蝿い。彼に初めて会った時から岐部君の部屋は静かだったので、こんな事は初めてでした。私はどうしたのかと思い寝床から身体を起こし、寝巻きのままで外に出ると、外には警察が来ておりまして、慌しくしておりました。
 私は瞬時に全てを理解しました。彼は自殺したのだと。
 警察の方の一人に、私が何かあったのですかと訊ねますと、予想通り、この部屋の住人が自殺したようです。との答えが返ってきました。それから彼と面識があるかや、彼について最近変わったことはなかったかなどと訊ねてきましたので、私は思ったように答えました。どうやら暫く連絡がなかったのを心配した友人が訪ねてきたところ、これはおかしいということで、大家に連絡して鍵を開けてもらうと、睡眠薬を過剰摂取した彼の亡骸に、蝿が止まっているのを見つけた、とのことでありました。
 私はかつてなく昂揚していました。やはり彼は自殺するつもりだったのだ、止めるべきだったのだ、という思いは全く湧かないといって正しく、代わりに私の心を席巻していたのは、私が緩やかに彼を殺したのだという錯覚に近い狂熱でありました。六畳間の土竜、生きる屍でしかなかった私が、他人を死にまで追い詰める一端を担うという、考えうる限り他人の人生に与えうる最大級の影響を与えたという事実が、彼を助けられたかもしれないという善人の思想に入り込む余地を与えませんでした。自分の部屋に戻ってから、暫くの間私はとりとめもなく部屋の中をぐるぐる回っていました。自分の心臓の音を自覚したのはこれが初めてでした。戸惑いすら覚えていました。死人が生き返った時、当人が、しばらくその状況を理解できないような感覚に近いと思います。張り付いたような笑みも、悲しげな全く悲しみのない顔もしませんでした。ただ私の顔は許容範囲を超える感情の湧出に反応しきれず、結果として憮然とした表情を生み出しました。ふと涙がこぼれました。これは死者への悲しみなのでしょうか。私への喪失感なのでしょうか教えてくれる人々はもはや私の周りに居ませんでした。
 それから私はパソコンの前に座って、一気にこの文章を書きました。何かを書くということはこのような衝動によるのだということ、そして私は決して物書きで食っていくことは出来ないことを知りました。このような衝動を得るのにあれだけの経験をしなければ文章一つ書けないのですから、当然でしょう。しかしパソコンに向かってこの文章を書く私は明らかに、それまでとは違う私でした。本当の自分、などという概念を信じないのは彼も私も同じでしたが、私という存在の形象が変容する事はそれとは違います。
 8月に、初めて遠出をしました。彼の葬式に出ることはかないませんでしたが、彼の遺品にあった日記から、私との仲を知り、葬式を済ませた後私に彼に会ってやってほしい、という旨の手紙が来たのです。
 彼の墓は海に面した小高い丘の上にありました。彼は曇りがかった御影石になっていました。彼が自殺を決意した理由、あるいは彼はそもそも決意的に自殺を選択したのかは分かりませんでした。彼の声が聞こえるか、などと彼の墓前で考えたりもしました。しゃがんで線香を立てて、静かに手を合わせた後、私は立ち上がる前にそのまま彼の墓石を見上げました。彼は何も言いませんでした。彼はどこにもいません。ただの石でした。特に卑屈さを感じることはありませんでした。


 その後私は二十年以上を過ごしたかの六畳間を引き払い、家財道具も一切合財処分しました。身一つで私は空港に向かいました。キューバに行くためです。ある人間が、それまでの自分から急に全てを変えることは出来ないでしょう。事実私が両親から受け継いだ資産はクレジットカードという形で手元に残っています。しかし、今までのようにただ老後までを無為に過ごそうという気持ちは全く残っていませんでした。狂熱のままに、生も死も、何も難しいことを考えず、ただひたすらに人生を生きてみようと今では思っています。
 キューバに土竜はいるのでしょうか。行って確かめてみようと、私は旅券を握って税関へと歩き始めました。

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