Her true colors-3
なんなんですの?
メルディスの思考は纏まることなく同じ疑問が頭の中を何度も周る。
書き上げた台本は完璧だった。多少のアドリブはあったが、完全に台本通りな舞台などつまらないだけだし、予想の範疇を越えるものではなかった。
けれど、現状。圧倒的有利な局面。覆ることのない優位性。メインアクトを盛り上げるための最後の出席予定者の出現。あとは大切な人を人質にされ、ようやく本気になってくれるだろう鏡を、完膚なきまでに打ち砕くだけだった。――その筈だった。
つれてこられるはずだった鈴音は、自らの足でここまできたようだった。お出迎えのために向かわせたお人形達の姿は、そこにはなかった。
なのに、全てとはいかなくとも数人のお人形達がいることは感じられる。操り糸が――惑乱の能力がすぐ傍に彼女らがいることを知らせている。
ではどこに?
見渡すも答えは何処にもなかった。
鈴音の歩みはゆっくりとしている。一歩を踏み出すたびに、湿った貼りいつくような音が響く。
硬質的な音や空気の振動する音。粘着質な湿っぽい音が、聖域を急速に汚していく。
鈴音の顔に現れている混沌とした複眼は、何かを探すように機械的にカテドラルを見回している。対して、鈴音自身の菫色の瞳には光はなく、死人のそれのように濁っている。
鏡はそんな状態の鈴音を、早く走りよって抱きしめてやりたかった。今の彼女は、蟲たちに意識を奪われている。ココロを閉ざされている。自分が、鏡やカガミではなく、鈴音にとってのみ存在するキョウが、彼女の意識を取り戻させねばならない。彼女は、今の状態を絶対に望んでなどいないのだから。
けれど、そんなつまらなくなることを、カガミが赦すわけがなかった。カガミは、動こうとする半身とは真逆に、たとえほんの僅かであろうとも動く気はなかった。幾度となく鏡からはそれに対する抗議の意思が感じられた。けれど、それを完全に無視するため、カガミは思考を、思うことを止めていた。カガミはただ哄っている。
唐突に、鈴音は歩みを止めた。まるで、電池が切れたかのように。
せわしなくそれぞれがバラバラに動き回っていた複眼が、一人の人物に固定される。虫の目のことなど誰にもわからなかったが、それは凝視しているのだと、感覚的に理解できた。
――直後。
鈴音の姿は消えた。
いや、そう見えた。消えたように。けれど、それはただ視認不可能な意識の外に、認識できないだけの速さで移動しただけだった。
刹那。鈴音はメルディスの目の前に移動していた。鈴音は――鈴音の複眼は、メルディスを舐めるように、食い入るように至近で凝視する。
メルディスはそれに対し咄嗟の反応が遅れた。息を飲み、口からはひっ、という小さな音が漏れた。それは、突然目の前に現れたからか。それとも恐怖からか。メルディスにはわからなかった。
考える時間など与えられなかった。
いきなり、メルディスの身体が吹き飛んだ。
思考が混乱し、全く理解できないうちに突如吹き飛ばされたメルディスは、その速さのままに長椅子に突っ込み、長椅子を破壊し、壁にぶち当たると倒れた。
鏡はそれをただ見ているしかなかった。
カガミは哄ったまま。ただ、待っていた。
人間より多少強い程度の肉体強度しか持たぬはずのメルディスは、ふらつきながらも立ち上がると、愕然と鈴音の形をした異形を見つめた。その、傍らには盾が砕け、両腕は破れて、豪華で上品なしつらえだった緑のドレスの引き千切れた、緑の人形、盾のエスメラルダが倒れていた。それは、まさしく糸の切れた人形。こわれたおもちゃ。動く気配はなかった。
メルディスは、エスメラルダの盾と、白の人形オブディの壁衛魔術により、辛うじて軽傷ですんでいた。どちらか片方でも欠けていれば、見るも無残な死に様を晒していただろう。
愕然としていたメルディスの表情に、怒りが表れる。
「ルビルム、サフィニア鈴音さんを殺しなさい! オブディは二人の援護及び防衛を! ディムドゥは鈴音さんが動けぬよう書に登録されている全ての魔術を持って拘束に当たりなさい!」
顔を怒りから真っ赤に染め、思念だけで事足りるはずの命令をメルディスはあえて口頭により行った。
それを受け、それぞれ命じられた任を果すべく行動を開始する。
剣と槍を構え、斬り、貫かんとする赤と青。それを、補助魔術により援護する白。自らの魔導機関に登録されている魔術から、最も早く強いモノを検索し複数同時の擬似詠唱を開始する黒。
鏡はそれを見て、やめろ! と叫ぼうとした。
鈴音の身を危惧してというのも勿論ある。けれど、それ以上に、その行為に意味がないということをよく知っているからだった。いや、無意味ですめばまだいい。状況がより悪くなる可能性すらあった。――その可能性のほうが圧倒的に高かった。
けれど、鏡の口から声は出なかった。
出せなかった。
カガミが、出させなかった。
雛罌粟 鏡という肉体の優先権を得る方法は一つ。
一方よりももう一方が、より強い欲望を持つこと。
現状において、鏡よりも、カガミの愉しみたいというシンプルな欲望と狂気の方が、遥かに勝っていた。
かといって、鏡の鈴音に対する思いが弱いわけではない。その思いは筆舌に尽くしがたいほどに強く、重い。けれど、狂気に抗う鏡と、狂気に浸されているカガミ。その差は尋常じゃなく深い。
そもそも、雛罌粟の一族は狂気の一族。その血は鏡にも流れており、それはとても濃い。矛盾した鏡よりも、血に忠実なカガミが優先されるのは当たり前だった。
ただ、傍観するしかない鏡。右半分は自由になるといっても、それだけでは意味がなかった。
カガミは哄い、ただ待っていた。
そうしている間にも、人形達と鈴音の戦闘は始まっていた。
物質強化の魔術により、精度と硬度を格段に上げた己と武器を持って、鈴音に斬りかかる赤と青。物質強化と並行して、赤と青に防衛用の障壁を即時展開できるようにしている白。両腕に光輪――疑似詠唱用の術式を展開し、異なる二つの攻性魔術を同時に行使する黒。
鈴音は右腕の幾つもの甲虫の足で赤と青の攻撃を受けている。強化された武器によりそのほとんどが切り落とされていくが、鈴音にそれが効いた様子まったくない。どころか、切り落とされた足は新たに生え変わり、その数が減っている様子はない。
黒の放つ水系魔術と光輝系魔術による拘束と攻撃の魔術が、幾つもの水飛沫や光を放ちながら鈴音を襲うが、全ての水は足に現れた幾つもの口が呑み込み、光は蝶のような翅から舞上る麟紛に遮られ、全く意味をなしていなかった。
メルディスは目の前のその現実が信じられなかった。
およそ信じられるものではなかった。
冗談にしても、悪夢にしてもありえないことだった。
物質的なものも、魔術的なものも、一切効かないというそんな外れたモノが存在していることが、信じられなかった。絶対にありえないことだった。
異形と人形は動きつづけている。
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