Her true colors-2
ああ。やっときた……。
こればっかりはアタシだけで楽しむのはもったいない。
先ほどまでの激昂は、すでにカガミの中からは完全に消えていた。むしろ、その激昂はメルディスへの恋にも似た、たまらない愛おしさへと変換された。嗅ぎ付けてあったこととは言え、ここまでその通りだと、いっそ清々しい。それに、無駄に裏切られるよりも、ドキドキ感やわくわく感があって、楽しめる。それでも、感情が昂ぶるとそんなことですら頭から消えてしまうのが難点ではあった。
なんにしろ、カガミはようやく始まる“一つ目”に期待で胸躍らせていた。鼓動の高鳴りが痛いほどだ。
その気配は徐々に大きくなってくる。
カガミはあまり面識はないが、雛罌粟 鏡という名のこの身体が、“鏡”というもう一つの嗜好が、それをよく覚えていた。
さぁ、“鏡”。起きなよ。右半分を使わせてあげるから。
消耗と、カガミの嗜好の大きさに潰されて眠っていた、眠っている“鏡”にそう声をかける。
ガクン、と右半身から一切の力が消えた。力の入らない右半身のせいで大きく身体全体のバランスを崩したが、何とか倒れるというみっともない醜態を晒すことだけは避けることが出来た。
右半身は、左半身に支えられるような状況にある。そのため、メルディスの目にはその姿が不可解極まりないものに見えた。
どうしたんですの?
思い、眉をしかめる。
現状での十分な回復はなされた。それをメルディスはなんとなくだが感じていたし、膝の歪な変色もひいていることは見えていた。あいかわらず左腕は酷い有様だが、おかしなことになっているらしいのは右半身。そことは関係がないだろう。
左腕以上に力なく垂れ下がっている右腕。
地に足がついているだけの右足。
光がなく人形よりも人形みたいな瞳の右目。
糸の切れた人形は身体の全てを猟奇的に投げ出すが、目の前のそれはそれとは質が違いすぎた。幾つもの人形を遣うメルディスですら、こんな状態の者は見たことがなかった。
だというのに、それほどだというのに左側は活き活きとしており、目に見えて喜びに溢れている。
不快で奇怪で歪で醜悪だった。
見るに耐えない。
半分ずつ生気と死気を放つ雛罌粟 鏡という身体。
それに隠れるようにして、メルディスとカガミのお目当ての少女が連れてこられるのが、あるいはやってくるのが、感じられる。
ひた、ひた。
と、裸足で歩くような音が、静謐なカテドラルに響く。
ぎち、ぎち。
という何かの音が、清浄なカテドラルを汚していく。
徐々に、雛罌粟 鏡という身体の半分に、生気が溢れていく。力が入っていく。
カガミはその気配に歓喜した。
鈴音の近づいてくる気配。
鏡が起きる気配。
そのどちらにも歓喜していた。歓迎していた。ココロが震えた。
メルディスは満足していた。
鈴音が予定通りつれてこられることに。
鈴音を人質として使うことで、鏡が本気になってくれるだろうということに。
そうして、それを完璧に自分が打ち砕く、そう遠くない未来に。
鏡に隷従を強いた後で、鈴音のココロを壊して自分のおもちゃにするのも、また面白いかもしれないなどと考えてすらいた。
裸足で床を踏む、適度な湿度と油分をもったものが、硬いものに張り付いては剥がれる音がする。
何かの音がする。幾つもの硬質的なモノが脈動するような、噛み合うような、そんなどこかで聞いたことのある不快な音がする。
――加えてもう一つ。
震えるような音がする。それは薄いものが一秒の間に幾百と往復運動をするような、それによって生じる、空気の振動する音。
完全に覚醒した鏡は、まず現状の理解に務めた。
半分だけ切り取られたような喪失感。それにと同時に、鋭敏になった全感覚器官。
共有、か。
そう諦念めいた思いを、心中で唾棄する。
まだ惑乱候との決着はついていないのか、と自分の状況と目の前にいる少女を見てそう思う。なにやら五体ほどの色取り取りの人形がいるが、武器を手にしていたり異様な気配を放っているから、惑乱候の武器なのだろうと仮定する。
鏡とカガミは二重人格、と言う訳ではない。それぞれに肉体の優先権などないし。記憶の欠如だって、知ろうと思えば容易に知ることが出来る。こうして、互いが同時に肉体に現れる事だって可能だ。
ならば、なんなのか。
それは、少なくとも鏡は知らないことだった。
ただ、わかっていることは、お互いに真逆に位置するというそれだけだった。
鏡は正しい現状認識のため、カガミの記録を見ようとした。けれど、そこで、気付いた。
明らかない異変に。異常に。
鏡がそれに気付いたことに気づかないふりをしながら、カガミはようやく気付いたか、と内心で楽しそうに笑った。
雛罌粟 鏡は歓喜の笑顔と驚愕に顔を染めた。
メルディスは、ただこの理解できない状況に困惑していた。
もしも、仮にここがカテドラルでなければ、メルディスの力が――惑乱候の力が弱まっていなければ、もっと早くにその異常に気づけただろう。いまさら、だが。
カテドラルに現れたのは峰岬 鈴音だった。
――かろうじて、そう確認できた。
今の鈴音は、本当に鈴音なのかメルディスには自信が持てなかった。
思っていた通りの鈴音の状態に、カガミは満足していた。
鏡は今の状況の理解の一切を放棄した。今すぐにでも鈴音のもとに走りたかった。けれど、半身が、カガミがそれを赦さなかった。
鈴音は誰の目にも明らかに、異常だった。そもそも、人の形をしていなかった。
艶やかな黒い髪は、それぞれが絡まり別個の生物のように勝手に蠢いていた。
白磁の如き白い肌は、所々色が不気味な色彩に変色し、歪な光沢を放っていた。
背には蝶のような翅が一対、淡い麟紛を放ちながらはばたいており、その下には、羽虫のような透明の薄い翅が空気を叩いていた。
右腕の上腕から手首にかけてまでに、甲虫の足のようなものがぎちぎちと厭な音を放ちながら蠢いていた。
左脚の太ももから爪先までと、右足の膝から足首は螺旋状の口吻や、ギザギザとした蟻のような口、他にも無数の虫の口蓋が厭な音を発しながら、開閉を繰り返していた。
そして、美しかった顔の左半分には幾種もの虫の複眼が混沌と張り付き、カテドラル内を睥睨していた。
人間だった部分は、ほとんど無かった。辛うじて、顔の右半分と左手だけは普段の鈴音の白いきれいな肌を残していた。
だが、逆にそれが歪で醜悪だった。
様々な音に埋もれながら、鈴音は歩きを進める。
――これが、蟲の蔵。その一部の顕現だった。
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