山の翁
5・山の翁
山深い人里離れた山中にたった一人で暮している老人がいた。風変わりな爺で小さな畑を耕し、片手間にロクロを引いて暮していた。名を晴蔵という。小一郎と伊予乃介が彼の小屋に厄介になって一ヶ月が経とうとしていた。
始め、転がり込んできた小一郎に老人は聞いた。奇兵が幕兵を助けて何をするつもりだ?
小一郎は、策がある。だが、奴が断わるなら無理強いはせぬ。奴の気持ちにまかせるつもりだ。と、答えた。老人は深くは詮索しなかった。
この一ヶ月、小一郎は出来得る限り、というよりも、これ以上ないほど、伊予乃介の世話をやいた。彼は二発の弾丸をあびていた。一発は大腿に当り肉を裂いていたが、弾は貫通していた。もう一発は左胸にあり一番下のあばらを折りそこに留まっていた。これは医者が必要だ、と思ったが、もとより望むべくもない。短刀を火であぶりよく殺菌し、傷口に焼酎を噴きかけ、弾をほじくり出した。伊予乃介はよく堪えた。次ぎに折れたあばらだが、どうしたら良かろう、小一郎は老人に聴いた。傷の様子を覗きこんで言うには、指を突っ込んで元通りの場所に引っ張り出すしかあるまいとの答えだった。ふむ、と小一郎は頷き、伊予乃介殿、一度は死んだ命とお思いくだされ。そう大声で怒鳴ると、間髪おかず、へし折れたあばらに小指を引っ掛け、もとあったと思われる場所まで引っ張りあげた。これには伊予乃介も悶絶し意識を失った。死んだか?一瞬小一郎は不安になり呟いた。いやいや死んではおらぬ。それよりも、よう肺を傷つけずに済んだものじゃ。もし傷つけておれば、今頃血を吐いて悶え苦しんでおるじゃろう。そうなっておらぬのが無事な証拠じゃ。老人の言葉を聞いて小一郎はほっと安堵した。じゃがこれからが大変じゃ。三日から五日が山場じゃろう。なによりも安静にのう。老人はそう言うと畑仕事に出ていった。
小一郎は丁寧に包帯を巻きながら、先刻短刀で弾を穿り出したときの、昨今の武士とは思えぬ伊予乃介の気丈ぶりを思いだした。こいつはとんでもない強い男かもしれんと。
それからの彼は、それこそほとんど付きっきりで看病した。始めひどい熱が出た。夜通し額の手ぬぐいを替え、寝着を替え、汗を拭いてやり、常に清潔な包帯と取り替えてやった。また、水は必ず一度沸騰させたものを人肌位まで冷まして与えた。
老人の言った通り、五日を過ぎると熱が引いてきた。意識はまだ朦朧としていたが、粥くらいなら少し口にする事ができるようになった。爺、貴重な米を済まぬ。小一郎が言うと、老人は、なぁに、と気にする風もなかった。小一郎が詫びたのは、老人が普段芋しか食べていなかったからだ。米がどれほど貴重な物か察しがつく。勿論小一郎も芋しか食べさせてもらえない。
老人は薬草を何種類も山から取ってきた。これはよく煎じて飲ませなさい。これはすり鉢で擦って傷口に塗りなさい。と、一つ一つ教えてくれた。
ある日の夕刻、小屋の外に出て小一郎はびっくりした。小屋の裏側に数え切れないほどの狸が集まってきているのだ。老人は芋を放りながら、こやつ等は餌付けしとるでのう、毎晩こうして餌をやるんじゃ。と言った。餌といっても、ここでは人間様の食い物と同じ物である。思わず勿体無くは無いか、と聞いた。すると老人は、なぁに、時々火縄で撃ってご馳走になるでの。御互い様じゃ。そりゃ、一匹撃つとしばらくは寄りつかんようになるが、そのうちまたぞろぞろやって来る。
なぁ、思わんか?こやつ等は民の姿と同じじゃ。痛い目を見てもいつしか忘れてしまう。
「晴蔵じぃ、おぬしは何者だい?なかなかうがった事を言う」老人の言葉が逆の意味だと小一郎には判った。「なぁに、ただの陶工さね」晴蔵は軽く答えた。
翌朝、囲炉裏端で眠っていた小一郎は、人の気配に目を覚ました。ふりかえると、伊予乃介が布団の上に身を起している。意識ははっきりしている様子だ。ここに来てから初めてのことである。目があって何とはなしに沈黙してしまった。
「名を聞いて・・・なかったな・・・」
「小一郎だ。・・・町人ゆえ性はない」そして、寝ている老人をあごで指し「晴蔵という、親切なじじぃだ。ここは彼の小屋だ。」
伊予乃介は布団の上に居ずまいを正し、小一郎殿、こたびは誠に・・・と言いかけて臥おれた。まだまだ起きてはいかぬ。寝ておるが良い。小一郎はそう言って彼を横にならせた。
「すまぬ」と伊予乃介は言う。
「なぁに」と晴蔵の口癖を真似た。「そうだ、喉が乾いてはいぬか? 水を持ってきてやろう」そう言って湯冷ましを急須に汲んできて与えた。
「いろいろ聞きたい事はあろうが、まずは寝ることじゃ。あばらがつくのに一月はかかる。心配せずとも語る時間はたっぷりある。故に、今はまだ何も考えずに養生することじゃ」
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