牙使い
3・牙使い
時は少し戻り、小一郎の部屋である。じっと身を潜める彼の耳に、大勢の人間が足音を忍ばせて蠢く音がかすかに聞こえてきた。来たか、一瞬で体がこわばり緊張する。耳の横の血管がドクドク脈うち物音が聞き辛く苛立つ。焦りながらも、静かに動き、部屋の両の入り口にたっぷりと先程持ってこさせた油をまいた。畳に襖に染み込ませる。やがて足音は部屋の外で止まり、大勢の人間の息を潜めている様子が手に取るように伝わってきた。
行灯の火をそっと畳にうつした時、彼の心は平静を取り戻していた。燃え広がる炎を前に、拳銃をかまえた。
ワッと時の声があがり、燃えさかる襖がガラッと開かれた。その瞬間、飛びこんできた人影に立て続けに弾を撃ち込んだ。続いて開いた障子の向こうにも撃ち込んだ。計十二発で、九人倒した。「上々」と呟くと、両肩の三日月をとばし、さらに踏み込んできた四人を倒した。その間わずか数十秒、強いとみるや襲撃者たちはたじろぎ一瞬ひるんだ。その隙をのがさず炎をまたぎ廊下へ躍り出た。踏み込むと同時に左右の敵に三日月をとばす。いずれとも敵の顔面を割り、血が迸る。小一郎は雨戸を蹴破ろうとした、そこへ大刀を振りかざした男が奇声を発しながら向かってきた。すかさず二本の奇兵刀を抜き、大刀に対峙するかまえをとった。すなわち、逆手、俗に言う女子握りではなく、順手で、だが刀の峰が敵の方を向くようにかまえ、振り下ろされた刀を、交差させた二本の奇兵刀の峰で受け止めた。勿論、力任せに打ち下ろされた刀をこの小刀で受け止めきれるとは思っていない。器用に手首をひねると、ものの見事に敵の太刀筋は体の右側へ流れた。間髪おかず、鍛えに鍛えぬいた右足で地を蹴り相手の懐にとびこみ、がらあきになった腹へ右の奇兵刀を突き刺した。次の瞬間には左足を軸に敵の背後に廻りこみ、前にのめった敵の喉を左の奇兵刀で掻ききった。廊下の襲撃者たちは手が出せず小一郎を遠巻きにして動くことができない。その様子を睨みつけながら、小一郎は雨戸を蹴破った。ところがなんと、外には無数の松明がゆれ、村人たちが庭を埋め尽くしていた。くそっ、小一郎は呻くと、抱えた男の体を庭の下へ投げ捨て、自らも飛び降り、即座に銃を構え「死にたくないやつは退けいっ」と叫んだ。勢いに気圧されて松明がさっと退いた。その様子を見るやくるりと身を翻し、縁の下へ逃げ込んだ。暗闇のなかで銃に弾を込めながら、退路を探して駆けた。
また時は遡り、伊予乃介のほうである。銃声が轟くと同時に、千鶴が飛び起きてきた。
「案ずるな、心配は要らぬ。おじさんが守ってやるゆえ」雨戸を少し開け外の様子を窺った。小一郎のいる離れを松明が取り囲んでいる。「小一郎殿、切り抜けられいよ」そう呟やくと、千鶴を抱き上げ静かに庭の暗がりに降り立った。この様子からすると、狙いは千鶴ではない、すれば敵は奇兵である。小一郎の身が案じられたが、まずは千鶴を安全な場所へ逃さねばならぬ。
ところが意外と容易く、屋敷の外へ出ることができた。しかも、「お武家様、こちらでございます」暗がりから声が聞こえた。闇を透かしてみれば小作人の大男、作蔵である。「この馬でお逃げください。ご家来様は残念ですが助かりますまい。さあ、早く」と言って馬を差し出した。
「なぜ助ける?」伊予乃介が問うと、
「お武家様は悪い人じゃあない。わしには分かります」と答えた。
「主人に罰を受けよう?」
「ばれなきゃあ平気でさぁ」
「ならば今ひとつ頼みがある。この子をしばし見ておいてくれ。奴を助けに戻るゆえ」
「いや、それは困ります。そうしている間に見つかったら・・・」
つむじ風の如く黒い人影が、屋敷の裏門から飛び出してきた。小一郎だ。追っ手の松明をぞろぞろ引き連れ。
「作蔵ぉっ!なにをしておるっ!」と庄屋が叫ぶ声が響き、同時に疾風のごとく、小一郎が合流した。「この馬はなんだ?」作蔵は問いに答えるどころではない。
「あちゃあ・・・ばれた」蒼くなった作蔵に、「そなたも付いて参れ」と声をかけ、伊予乃介は千鶴を抱いて馬に跨り駆け出した。後を小一郎、作蔵が追う。程なく追っ手の姿は闇に消えた。
駆けながら小一郎は、馬はぬしが用意したのか?と作蔵に聞いた。
「へい、そうでございます」
「なぜだ? なぜ、われらを助ける?」
「へい、お二人とも悪い人には見えなかったので。皆は幕兵に違いないから討て、上吾野の意趣返しだと言っておったのですが・・・。それよりも、良くぞご無事で切り抜けられたことで」作蔵はてっきり小一郎は助からぬと思い込んでいたようだ。
「襲ってきたのは何者だ?奇兵隊本隊ではないな?」
「へい、頌隣隊と申す一隊でして、主にはこの辺りの若い衆が多くおります」
「ならば気の毒なことをした。幾人かの命を殺めた」
「・・・仕方のないことで」
「それに牙を残してきた。俺が奇兵であることがばれただろう」
「へっ、ご家来様は水戸藩士ではございませんで?」
夜が明け始めていた。萩はもうすぐそこである。
4・噂
鮎沢伊予乃介と名のる水戸藩士と、その家来の噂はひそかに諸隊の間を駆け巡った。鬼神のごとき銃と牙の使い手、二本の奇兵刀のみで大刀と渡り合う。碁盤ヶ岳から降りてきた。天狗の化身ではないか?と言う。噂はとうとう、真の奇兵隊、つまり高杉を中心とする奇兵隊本隊の幹部の耳にも届くところとなった。山県狂介である。彼は面白がった。幕兵になりすまし、何事か事を成さんと謀るものあり。どうするつもりか? 成り行きを見守るか。傍らにいた赤根武人に聞いた。「確か赤根殿が銃を二丁与えたやつが居ったな。」赤根は記憶を辿りながら「ええ、確か、前は花火職人だか鍛冶屋だかで、それまでさわった事もないくせにめっぽう銃の腕の良いのが居りました。名は小太郎だったか、弥太郎だったか」「うむ、そやつかもしれん」それにしても、と彼は思った。どうにも何か引っかかるものがあった。それは噂の主ではなく同行者の方である。水戸藩士で、鮎沢伊予乃介という名。どこかで聞いた覚えがある。しかしどうしても思い出すことはできなかった。
|