「ハルカ、久し振りね」
以前と変わらない、ナツメの顔と声。やっぱり中学の頃と比べれば少しは若さが消えているけれど、彼女を構成する顔の基本的なものは何一つ変わってない。あたしは、思わず頬がほころんだ。
「何ニヤニヤしてるのよ、ハルカ」
本人は自覚が無いんだろうけど、ナツメはちょっと口が悪い。そこも昔と変わらない。
あたしは、頬をほころばせたまま続けた。
「いや、『変わってないな〜』って思って」
「何よ!もう」
ナツメは不服そうに唇を尖らせる。昔から、ナツメのこのしぐさが好きで、よくナツメをからかってたっけ。あたしは、ナツメの頬をぎゅっと両手でつまんだ。これは、中学時代にあたしたちが挨拶代わりにやっていた、二人だけの決まりごとだ。
「何よ・・・。」
心なしか恥ずかしそうにナツメはつぶやいた。
「でも」あたしは、同窓生がガヤガヤとひしめき合う、ホテルの大部屋を見渡した。「みんな、変わってないわね」
「そう?」ナツメは言った。「あそこにいるミサラギ君なんて、印象変わったじゃない?」
ナツメが指すほうを見ると、まだ27歳だというのに、見事にMハゲになっているミサラギ君の姿があった。
「た、確かに」 あたしたちは顔を見合わせて笑った。
今日、あたしは中学時代の同窓会に来ている。
27歳、という正直「何でこんな時期に」という同窓会。どうやら旧交を深めるフリをして、女の子とお近づきになりたいヤツが企画した同窓会らしいのだけど、旧交を「普通に」深めたいあたしにとってはありがたい。
会社を寿退社して主婦をやってるあたしにとって、旧交だろうがなんだろうが、深めとくに限るのだ。・・・暇だから。
「でもさあ」ナツメは恨めしそうに言った。「ハルカはいいよねぇ。もう結婚してるんだもん。あたしも、だれかに養ってもらいたいわね」
肩でも凝ったのか、自分の肩をぐるぐると回すナツメに、あたしはズバッと言ってやった。
「でも、夫のパンツ洗うのって、けっこう億劫よ?」
「はは、そういうモンかもね」 ナツメは冗談に笑うかのように軽く笑った。あたしは冗談で言ったつもりじゃないんだけど。
夫のパンツを洗う、って、口で言うのは簡単だけど、実際にやるとけっこう億劫な作業だ。
パンツという汚物。それを処理する事。気が滅入る。
まだ結婚する前だったら、恋人が自分で洗濯してるか、恋人の親が洗濯している。とにかく、あたしじゃない人が、恋人のパンツを処理していたのだ。それが「結婚」という節目を期に、「彼氏」は「夫」に格上げされる。そして、夫の排出する汚物の処理が、仕事としてあたしの両肩に乗っかってくるのだ。
これを億劫と言わずに、なにを億劫と言えばいいのか。あたしはため息を吐いた。
「あらぁ、幸せな人がため息吐いちゃだめよ」 とナツメはあたしの真意を測れないのか、イタズラっぽく言った。
はは、「幸せ」っていうけどさ、その幸せは夫のパンツを洗わないことには享受できないものなのよ?ていうか、結婚って、お互いの我慢の上に成り立った「幸せ」なのよ?そこらへん、分かって言ってるの?
そうナツメに言いたいあたしだったけど、結婚に薄甘い「幸せ」を夢見ている子に、あえて真実を教えることもあるまい。
あたしは喉まで出かかったそれらの言葉を飲み込んだ。
「あれ、ハルカちゃん、久し振り」
あたしの後ろから、不意に声が飛んできた。
「あれ?サキヤマ君!ひさしぶり!」あたしが答えるより早く、ナツメはその声に答えた。
「・・・ああ、ナツメさんも、ひさしぶり」後ろの声は、思い出したように、ナツメに言葉を投げる。
「・・・久し振り。サキヤマくん」
あたしは振り返った。
あたしの視線の先には、中学校当時の雰囲気のまま、大人になったサキヤマくんが立っていた。中学生当時からあった、人懐っこい顔も健在だった。そして、あの頃と変わらないかっこよさも健在だった。
「・・・・・うん、久し振り」サキヤマくんは、以前と変わらぬ笑顔をあたしに見せた。
サキヤマくん。あたしが中学校時代に好きだった人。いや、「初恋の人」と言ってもいい。彼は昔から利発で、人にも優しかった。それに、かっこよかった。
あたしは、そんな彼を遠巻きに見てキャーキャー言っていた一人だった。
サキヤマくんの顔を見て、なんとなく当時の甘酸っぱい気持ちを思い出した。
あの頃は、彼のことが好きで好きでしょうがなかった。いつも彼のことばかり考えていた。彼とデートする、っていう妄想を膨らませて、一人ニヤニヤしたこともあったっけ。告白しようかとも思ったけれど、結局出来なかった。そんな甘酸っぱい記憶が、あたしの頭をよぎる。
別に、未練があるわけでもない。でも、なぜか心を締め付ける。「初恋」という言葉が、あたしの心を締め付ける。
でも、なんでだろう?なんで、こんなに「初恋」って言葉が甘く響くんだろ?
サキヤマくんの顔を眺めながら、家に溜まった洗濯物、さらに言えば億劫で億劫でしょうがない夫のパンツの処理について考えているうちに、あたしは気づいた。
『初恋』という言葉がこんなにも甘く響くのは、きっと「自分の気持ちに責任がないから」なんだな、って。
あのころは、好き好き好き、その感情だけあれば良かった。それが受け入れられようが受け入れられまいが、別に「好き」ってだけ言ってれば良かった。自分の好きっていう気持ちを、ただ守り続けてれば良かった。
でも、今は違う。
人のことを「好き」って言ったからには責任がふりかかる。
それは例えば、「稼ぐ」っていう責任かも知れない。「育てる」って責任かもしれない。「共に生きる」っていう責任かもしれない。「好き」であるからには、その「好き」な相手のために自分をある程度犠牲にしなきゃならない。だから今は純粋な「好き」なんてない。「好き」の裏に「責任」があるんだ。重く重く、憂鬱な「責任」が。
「ど、どうしたの?」サキヤマ君は、黙りこくったあたしの顔を覗き込んでいる。
あたしは、サキヤマくんの顔をしばし眺めてから、何かにさよならを言うように決然と言った。
「サキヤマくんのパンツは、洗濯できないや、無理」
「は?」
サキヤマくんが首をかしげると、ナツメが取り繕うように言った。
「この子、さっきから『夫のパンツ』がうんぬん言ってるのよ!」
夫、というところにアクセントが露骨についていたのは、あたしの気のせいかどうか。
あたしは、悪趣味ながらも、昔、サキヤマくんに恋してた頃のあたしに聞いてみたいな、ってふと思った。
アンタ、アイツのパンツ洗う覚悟ある?って。
ナツメとサキヤマくんがどうしたわけか意気投合しかけている横で、「昔のあたしは、今のあたしの出す意地悪な質問に、なんて答えるんだろ」と、腕を組んで考える、そんなあたしであった。
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