傾国の王女PDFで表示縦書き表示RDF


今作は春野 天使先生が主催しました企画、
「プロットリレー」参加作品になります。
原案:AYAKA先生
傾国の王女
作:弥生 祐


 
 その日、国土の三割に面した海は泣き、縹渺(ひょうびょう)とした大地には悲しみの風が舞ったという。
 
 シルベスタ王国という国家があった。二百年の歴史を誇り、蘭麝の香りに包まれた高い文化を持つ豊かな国だ。
 あった、と過去形でいうのは、つい先ごろシルベスタ国民いうところの蛮徒である隣国レンの兵士たちによって、王都ハルノンが占拠され、王国の象徴であった王城が炎の中に潰えているからである。
 まだ他の都市は侵攻を受けていないものの、武断の国レンに対して、シルベスタ王国はもうすぐ亡びの時を迎えるであろう、というのが大方の見方であった。

 ハルノンより南に数十キロ、王国第二の都市である港湾都市アヤ−カへと続く山中に、人目をはばかりながら進む一組の男女がいた。
『ちょっと待ってよロイ。ねえ、もう疲れたし、足が痛くて歩けないよぉ』
 手をひくロイに悲痛な声を投げかけるアナマリア。どこか甘えるように頬を膨らますものの、確かに体力は底をつきかけていた。
『もう少しで山のふもとにつけます。すればアヤ−カまで残り僅か。あとほんの少しの辛抱にございますれば、お手をひく無礼、お許し下さい』
 ロイと呼ばれた青年は丁重に答えながらも、歩む速度を緩めようとしない。シルベスタ王族最後の生き残り、アナマリア王女の手をひきながら、ロイはもう片方の手に持つ長剣を振るい、山道に張り出す小枝や葦の類を切り払って進んでいる。

『もうやだったら。のどが渇いたし、足が痛いし、とにかく疲れたの!』
 勢いよい言葉と共に掴まれていた手を振りほどき、アナマリアは傍らに聳えていた樹木にもたれかかった。
 上下する華奢な肩に応じて、まとうドレスも小刻みに揺れる。細かな刺繍が施された上質な絹のドレスも、重ねる逃避行にあっては埃と泥にまみれ、典雅さを失っていた。

『お疲れとは思いますが、アナマリア様。一刻も早くアヤ−カにて王女様の無事を各地に知らせ、各都市に散らばる兵を集めねばなりません』
 
 レンの予期せぬ侵攻により一敗地にまみれたとはいえ、シルベスタ各地に兵士は残存している。それらを王女の下で集結させ再編成すれば、まだ戦える。

 ――そうだ、兵を集めてそれから…… それからレンに対して、反攻す……る?
 
 これから先の行く末を思案した時、ロイは苦笑している自分に気がついた。
 つい先日、王城を攻め落とされた際の、高名なシルベスタ騎士を幾人も草を刈るが如く打ち倒したレン兵の勇猛さを思い出したのだ。王都ハルノンを瞬く間に席巻した叫喚の渦。抵抗らしきこともかなわなかった残照はまだロイの目の奥に毒づいている。
 
 シルベスタはこの数十年間、他国との間に戦火を伴う機会がなかった。長く続いた平和のせいで、戦いの経験ある騎士が皆無だったことは敗戦の一因であろう。ロイ自身、騎士として叙勲を受けた後、すぐに幼かったアナマリア王女付きの職を与えられたため、この度の王都での戦いが初陣だった。
 
 集めてどうするというのか。兵数の問題ではない。質の問題が大きすぎたのだ。

 ――兵を集めて…… それで、勝てるのか? 
 
 まぶたの裏に焼きつく精強なレン兵。まして指揮しているのは近隣に狂皇子と呼ばれて恐れられる、フランシス=ザカーではないか。
 陽も差し込まない深い緑林の中で、アナマリアにほどかれた指先をロイは呆然と見つめていた。


『ねえ、ロイ。あたし考えたの。このままアヤ−カじゃなくて、西のヤヨイ渓谷に向かおうよ。ね、そこで二人で一緒に暮らすの』

 アナマリアにすればアヤ−カには行きたくなかった。せっかく二人きりになったのだ。この状況を利用して、あくまで主従の気持ち以上を持ってくれないロイを振り向かそうと画策していた。
 
 初めてロイを目の当たりにした時の感動を、アナマリアは昨日のように思い出せる。新たな騎士叙勲を授ける式において、王の傍らで息をするのも忘れて見とれたのだ。
 丁寧に刈り込まれ、眉の上で整えられた赤茶色の髪。その下で伏せる褐色の瞳はくすぶる太陽のようで、薄い唇から紡がれる声質は、さほど大きくないのに凛として低く響き渡り、対象を射抜く。 
 アナマリアはすぐに父に懇願して自分付きの騎士にさせた。
 それから十年、ことあるごとにロイを誘惑、自分を愛させるために篭絡しようと知恵の限りを尽くしたが、自分ではなく国に対して忠誠を誓うロイを振り向かせられないでいる。

『ヤヨイに行こうよ。あそこなら人目につきにくいし。ね、決まり』 

 ヤヨイ渓谷で身を隠すのも良き手かもしれない。アナマリアの真の思惑には気づかないロイだったが、このままアヤ−カを目指すにも不安を覚えた。レンがシルベスタを侵攻したのも、理由の一つに海がないからだと推測している。国土の大半を砂漠に占められているレンにとって、豊穣な海からもたらされる資源と産業を生む黄金の鶏アヤ−カは、ハルノンを陥としたレンが、次に手に入れることに疑いの余地ない都市だろう。
 国の未来を憂うロイからすれば、アヤ−カで王女の下、兵を挙げても勝てる可能性は薄い。それよりは王女を隠し、血統を守り、いつか捲土重来を迎える日のために、逃げ続けることを主眼におく行動をした方が良いのではないかと考えたのだ。

『……分かりました。ではヤヨイ渓谷に向かいましょう。とにかく山中で夜を迎えますのは危険です、早く先を急がなければ』
『え〜無理、歩けないもん』
『アナマリア様、辛いのは分かります。ですがもしフランシスの追っ手に見つかりましたら、かの狂皇子の酔狂たる嗜好、ご存知でございましょう』

 レン国皇太子フランシス=ザカー。世に喧伝される狂皇子の所業はアナマリアも知っていた。
 フランシスを初めて目にする者は、その女性と見まごう線の細い体躯と白皙の肌、黄金を溶かしたような金髪の中に、著しく欠落する性の衝動が巣食っているとは信じられないという。
 
 美しいと聞き及ぶ美女をさらっては、自分に(かしず)かせ、下働きをさせ、傷ものにした後、配下の屈強だが野蛮な男共に下賜する。口伝でも自分の身を侮蔑するようなことを聞くと、草の根を分けても探し出し、激昂する自らの手でくびり殺す。戦化粧に用いるのは殺した人間の血であり、猛々しく彩られた自らを地上の誰よりも美麗だと誇っているのだという。
 文化的に劣るレンを蔑むシルベスタであったが、とにもかくにもその武力と狂フランシスを恐れ、侵攻を受ける前までは多額の金銭、財宝を年度毎に贈る外交策により懐柔させてきたのだ。
 アナマリアとて苦心した父や大臣たちをよく知っている。何よりもレンが侵攻したきっかけに自身が絡んでいたことだったのだから、フランシスを嫌悪する感情は人一倍だった。

『じゃあ、抱いてよ』
『はっ?』
『ロイが抱きかかえて歩いてよ』
『いや、それは、そんな。アナマリア様。恐れ多くも……』
 付随の臣であるロイからすれば、王族の方に触れるなど手をひく程度が限界で、無理な注文である。

『いいから抱く!』
『は、はい。では、失礼ながら……』
 仕方あるまい、非常時なのだ。まして幼い頃から自由奔放に育ったアナマリアの性格を知るロイは、断る術を知らなかった。
 うやうやしく礼をとりながらロイは小柄なアナマリアの腰に手をあてがえ、胸の前に持ち上げる。アナマリアは両手をロイの首に回し、間近で更なる命令を下した。

『それとこれからアナマリアじゃなくて、マリーって呼ぶこと』
『そ、それは』
『言ってくれなきゃ、耳たぶ噛んじゃうよ』
『は、はい。ご、ご命令とあれば、では、マリー様』
『(う〜ん、様はいらないのに)』
 
 眼下の国が亡びの日を迎えんとしても、昇る陽は沈む。それが世の理であり、人の営みだけが逃れることなどかなうわけもない。

 人目につかぬよう山中の獣道を進むロイであったが、細身のアナマリアとはいえ人間一人を抱えるには体力の限界があった。騎士の証でもある無骨な金属鎧は逃避行のためにとっくに脱ぎ捨てていたものの、この数日満足に寝てもいないのだ。
 
 ましてや道中、ことあるごとに……

『あ、あの、マリー様。く、首筋に息を吹きかけるのは、いえ、少しお顔を逸らせて頂けませんか』
『どうして?』
『その、くすぐったくて、あ、いえ、耐えられないわけではありませんが』
『じゃあ我慢なさい』
『は、はい』

 万事がこの調子で、肉体はもちろん精神的な疲労に蝕まれるロイ。それでも王女の気分を損なうわけにはいかない。自分の生命がある限り、シルベスタ王国の未来のため、これからは労苦を友として歩まなければならないのだから。

『あぅ、マリー様、舐めないで、あっ、吸ったりもいけません。あぅ』
『もう、逃げちゃ駄目。ちゃんとしっかり抱きしめてて』

 身悶えるロイは今更ながら突如として侵略してきたレンに対し、新たな怒りを覚えた。自分がこのような羽目に陥ってるのも全て、あのフランシス=ザカーのせいなのだ。

『も、もう少し御身体を離してしがみつけませんか』
『無理です』
『その、そろそろ降ろさせて』
『駄目です』
『マリー様』
『イヤです』

 アナマリアは我ながら上手く事が運んだとほくそえんだ。レンが侵攻するきっかけとなった一枚の書状。美姫と誉れ高いアナマリアに求婚してきたフランシスに対し返礼した手紙に、罵詈雑言の嵐が綴ってあったなどとは、息を絶え絶えにするロイに知る由もなかった。

『(国さえなくなれば、きっとあたしだけを見てくれるはず)』

 シルベスタという国がある。二百年の歴史を数えた国は、一人の王女によりその歴史に終止符を打とうとしていた。
 澄み切った空が悲しみの色をたたえる。だがそんなことは恋する王女にとって何の痛痒も感じないことであった。


ファンタジージャンルに設定したけど合ってるんでしょうか?
自分でよく分かりません(汗)













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