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耀紅のヴァイキャリアス  作者: イツロウ
空の支配者
38/51

【空の支配者】序章

 これまでのあらすじ

 ロボット同士が闘うスポーツ『VFB』、そのロボット『VF』のランナーになった結城は初参戦ながらも2NDリーグを制覇し、その上のリーグである1STリーグでも他のチームに負けず劣らずの活躍を見せている。

 その1STリーグの試合も残す所あと2試合、果たして結城はこのまま良い成績を残せることができるのだろうか。

 未だ謎に包まれている七宮の計画が進む中、結城はアール・ブランのVFランナーとして、その役割を精一杯に務めていた。

序章


  1


 海上都市の中央に位置するメインフロートユニット。位置的なものだけでなく、機能的にも中心的な役割を果たしているそのフロートユニットは、ワイングラスに似た形状をしている。

 また、そのフロートには都市と呼ぶに相応しい機能や施設が内包されている。

 それは発電所を始めとするインフラ設備、住民が安定して生活できる居住エリア、そして多くの住民や観光客で賑わっている商業エリアである。

 商業エリアはワイングラスで例えると台座の部分に位置しており、海抜数メートルの場所には様々な商業関連施設が集積している。

 その施設群はクモの巣状に張り巡らされている歩行路によって等間隔に区切られており、綺麗に区画整備されている。だが、建物の高さに統一性がないためか、建物を見上げる歩行者には雑然としたエリアだと思われがちである。

 また道に関しては、フロートユニットと海を結ぶ縦方向の道、そしてそれに交差するようにして横方向の道がある。

 縦方向の道は広めに作られており、その中央には路上電車が通っている。この電車はターミナルから中央エレベーターまでを繋いでいるので、移動にはかなり便利だ。

 お店に関しては、『商業エリア』と銘打っているものの、実のところは観光客向けの店が軒を連ねているだけで属性的にはかなり偏りがある。観光客向けのショップやレストランなどは、そのほとんどが大通りに集まっていて、そのおかげで普通よりも華やかに見えるのかもしれない。

 もちろん観光客向けの店ばかりではなく、エリア内には他にもいろんな店がある。

 ただ、そんな普通の店があるのは交通量が少なく大きな道から逸れた、いわいる目立たない箇所だ。

 目立たないという欠点に目を瞑れば、小規模な都市と遜色ないくらいの品揃えがあり、そこでは生活雑貨から家電、それにマイナーな本まで揃わないものはない。

 つまり、海上都市の住民にとっても便利な場所なのである。

 ……そんな商業エリアだが、実際結城はあまり足を運んだことがない。

 行ってもゲームセンターくらいで、普段は素通りしている。なので、大通りの風景しか知らず、目立たない場所に建っている店やビルについては全く知らない。

 ――そんな普段は足を踏み入れないような場所に結城はいた。

 そこは商業エリア内の中ほどに位置している撮影スタジオだった。

 撮影スタジオといってもそこまで大層なものではない。周囲のビルと外見の差はなく、中の構造も大して変わらない、小規模なスタジオだ。

 ここに来た理由はCMの出演を依頼されたからであった。

「CMかぁ……。」

 結城は一人、楽屋らしき部屋で物思いにふける。

 ……この話が決まったのはつい先日のことだった。

 いきなり化粧品メーカーがウチのチームのスポンサーとして名乗りを上げ、その条件として私を定期的に商品の宣伝に使いたいと要請してきたのだ。

 私が女のランナーなので、ファッションなどの女性向けの商品・サービスに関連した企業がスポンサーになることは想定していた。

 アール・ブランが1STリーグに昇格した際に、クライトマンのリュリュもそんな事を言っていたので、別にそんな企業がスポンサーになることに疑問は感じていなかった。

 しかし、それはそれ、これはこれである。

 スポンサーになってくれるのは嬉しいことだが、その宣伝に出演するとなると話は別だ。

(私なんかでいいのか……?)

 そのメーカーは化粧品業界ではそこそこ有名なメーカーであり、コスメに疎い私でもその名を知っているほどだ。かなり早い段階で世界展開しているらしいし、CMも世界中に配信されるに違いない。

 日本にいる知り合いに見られるかと思うと、恥ずかしくて堪らない。

 そういうこともあって私は最後まで出演を拒否し続けた……が、貧乏なアール・ブランがこんな絶好のチャンスを逃すわけもなく、結局ランベルトに説得されて出演するハメになったというわけだ。

 まぁ、『スポンサー契約金額』と『撮影時の苦労』を天秤にかけると、その天秤ごと地面にめり込んでしまうほど契約金額がケタ違いに多いので仕方がない。

 それに、スポンサーからの説明によるとCMはごく短く、出演も私一人だけなのでそこまで撮影に時間はかからないらしい。

 私もプロのランナーだ。ここまで来て逃げるわけにもいかないだろう。

 ……結城はそう決心して、結城は楽屋のクローゼットに吊るされた衣装に目を向ける。

(あれを着るのか……。)

 撮影開始時間までに着替えろと指示されているし、そろそろ考え事をするのは止めて着替えることにしよう。

 結城は一旦メガネを外し、それをブレスレットと共に化粧台の上に置く。そして、クローゼットまで移動して改めてその衣装を観察する。

 まず目に入ってきたのは短いプリーツスカートだった。色は明るい赤のタータンチェックで、生地も厚めだ。

 こんなに短いスカートを履くのは何年ぶりだろうか……。

 下手をすれば私の人生の中で一度も履いたことが無いかもしれない。

 少し恥ずかしいけれど、ランナースーツより恥ずかしい物がないことを知っているので、それを考えれば余裕で身につけることができる。

 結城は早速そのスカートを腰に巻き、続いて制服のスラックスズボンのベルトを緩める。すると、スラックスは床に落ち、難なくスカートを装着することができた。

 やはりスラックスとは違いって涼しい。……というかスースーし過ぎて落ち着かない。

(我慢我慢……。)

 そのヒラヒラするスカートの裾を手で押さえつつ、続いて結城はトップスに移行することにした。

 結城はとりあえず制服の上着を脱ぎ、クローゼットを見る。

 するとそこには肩だけが露出している特殊な形状の長袖シャツと、ブカブカの半袖シャツがあった。

 ブカブカの半袖シャツは袖口や肩口がかなり広いので、長袖のシャツと同じく自然に肩が出てしまうだろう。アクセントに赤いラインやマークがあるが、基本的にどちらとも色は黒い。ただ、半袖シャツは赤みがかった黒であり、それはアカネスミレの装甲を連想させた。

 かっこ良く言うと『赤鉄』が妥当だろうか。……私が赤系統色のVFに乗るランナーであることを踏まえ、配色もいろいろと考えられているようだ。

 それにしても、どうやってこんな色を出しているのか……。結城は疑問に思いつつも上着に続いて制服のシャツを脱ぎ、それらのシャツに袖を通していく。

 細身の長袖シャツを、ボタンを掛け違わないように上から順に留め、それに続いてブカブカの半袖シャツに首を通すと上半身のセットは完了だ。

 ブカブカの半袖シャツに関しては視線を下にむけて調整するのは難しいので、結城は楽屋にある鏡を見ながらその位置を微調整することにした。

(このシャツ、結構短いな……。)

 鏡の前でこうして見ると、まるで丈の短いケープのような感じだ。そしてその赤はプリーツスカートの模様と調和している。やはり色合い的なバランスも重要のようだ。

 あと、半袖のシャツは胸元を隠す程度までしか丈が無いため、腰のラインがしっかり強調されていた。長袖の黒いシャツが私のサイズにぴったりで、しかもブカブカのシャツとの対比によっていつもより腰が細く見える。

 この組み合わせは今後も参考にしよう……。

 鏡の前に立ったついでに結城は髪の様子も見る。

 栗色の髪は着替えやすいように後ろでまとめている。……が、撮影時には何も付けないでストレートヘアーでいくらしい。首を通すものは全部着れたし、癖にならないうちに早めにゴムをほどいておこう。

 結城は後頭部に手を回して髪ゴムを外すとそれをスカートのポケットに突っ込んだ。そして手櫛で髪を整えつつ次に履くべきものに手を伸ばす。

 次はソックスだ。

 ソックスは太ももの中程までを覆う、いわいるオーバーニーソックスだった。これも赤っぽい黒色で統一されており、履き口付近には赤の二重のラインが輪っか状にデザインされていた。

 結城はいそいそとそれを足に通して、着替えの最後を締めくくる靴に目を向ける。

 クローゼットの下に鎮座していたのはひざ下くらいまでの長さのブーツであり、その形状は少し細めのスリムなものであった。

 ブーツにはたくさんの金属製のベルトがあしらわれていて、かなりメタルチックな印象を受ける。また、他にも硬そうな素材がつま先までバランスよく配置されており、特にブーツの底のヒール部分はかなり重そうだった。

 その見た目通りブーツは重く、結城は慣れないながらも頑張ってそれを履く。

(……よし。)

 これでクローゼットは完全に空になり、結城の衣装チェンジは問題なく完了した。

 全てのものを身につけた所で、結城は化粧台に避難させていたメガネを顔に、黒いブレスレットを左手首に装着しなおす。

(これくらいは付けてても大丈夫だろ。)

 そして、ブレスレットを手でいじりながら改めて大きな鏡の前に立った。

 ……これだけ統一感があると、鏡を見ていても気持ちいいものだ。

 全体的にスポーティーで若者的な感じではあるが、深い赤を基調としたデザインのおかげで大人っぽく見えないこともない。この状態だと街を歩く今風の若者が目一杯お洒落しているように見える。

 そういう絶妙な部分を上手く出している、と結城は素人ながら思っていた。

 ポーズを取ってもバランスが保たれているし、さすがは化粧品メーカーのコーディネーターである。

 あと、自分で言うのも何だが、この衣装は私のスレンダーな体に似合っていると思う。というか、ブカブカな半袖シャツがあるのは私の体型を考えてのことなのだろう。おかげで胸元にあまり違和感は感じられない。

 CMと聞いて、もっとお姫様的な格好をさせられるのかと思っていたのだが、恥ずかしい思いをしないで済んだので良しとしよう。

 このくらいなら誰に見られても恥ずかしくない……と思う。

(……もうそろそろ時間だな。)

 この後に待っているのは撮影ではなく、撮影のためのメイクだ。スポンサーは化粧品メーカーなので衣装よりもこちらの方に力を入れてくるだろう。

 本格的な化粧をさせられるかと思うとワクワクする。

 そんな風に思いながら時計を眺めていると、予定よりも数分早く楽屋のドアがノックされた。

 それに続いて女性の声が聞こえてくる。

「ユウキ選手……着替え終わりましたか?」

「あ、はい。」

 ドア越しに聞かれ、結城はすぐに返事をする。

 すると、間を置かずに楽屋のドアが開かれ、部屋の中に3人の女性スタッフが雪崩込んできた。

 その全員がツールボックスのような物を抱えており、楽屋に入るやいなや大きなテーブルの上にそれらを置いた。ツールボックスは年季が入っており、後から入ってきた2名はそれらを慣れた手つきで展開させていく。……アシスタントだろうか。

 ぼんやりとその様子を眺めていると、一番年上であろう女性スタッフが私に指示してきた。 

「それじゃあこのままメイクしていきますから、メガネを外してそこに座ってください。」

「はい……。」

 結城は指示されたとおりにメガネを外し、化粧台の前に座る。

 するとさっそく年長の女性スタッフが私の脇で膝立ちになり、顔に手を伸ばしてきた。

「真っ直ぐ前を見ていてください。すぐに終わりますから……。」

 化粧台の上にはいつのまにやら仕事道具が所狭しと並べられており、年長の女性スタッフはそれに何度も手を伸ばしながら私の顔に何かを塗りたくっていく。メガネを外したせいでそれが何か確認できないが、わざわざ調べることもないだろう。

 しばらくされるがままになっていると、不意に左手を握られた。それに反応して結城は目を左に向ける。すると、そこにはアシスタントの女性スタッフがいた。

 結城はそれが握手か何かだろうと思い握り返す。しかし、握り返した途端に控えめの笑い声が聞こえてきた。

「……あの、ネイルケアしますので指を伸ばしてください。」

「……。」

 とんだ勘違いをしてしまった。メイク中の相手に握手を求める人間がどこの世界にいるだろうか……。

 視界の外にいるせいでアシスタントの表情は見えないが、笑われているに違いない。

 そんな恥ずかしい失敗を情けなく思いつつ、結城は謝罪の言葉を述べる。

「すみません……。」

 そしてすぐにアシスタントから手を放し、指を揃えて手の甲を上に向ける。すると、アシスタントの女性はこちらの手を軽く握り直し、そのまま指の先までホールドする。固定した所でネイルケアが始まり、結城は爪にくすぐったい感触を覚えた。

 そのすぐ後には別のアシスタントが私の背後に立ち、髪をセットし始める。これだけの人に囲まれると、何だかセレブになった気分だ。

 結城がそんな豪華な気分を味わっている間も作業は淡々と進められていった。


 ――数分しないうちにメイクは完了し、アシスタントはツールボックスを片付けていく。

 “すぐに終わる”と言われたものの、化粧品の宣伝なのにこんなに簡単でいいのだろうか。

「……あの、これだけですか?」

 そう言いつつ、結城は鏡に映る自分の姿を今一度確認する。

 メガネを掛けていないせいもあってか、自分の顔はメイク前と全く変わらない。辛うじて唇が赤みを帯びていることは判断できた。

 目を細めながら自分の顔を観察していると、ようやく年長の女性スタッフが応じてくれた。

「大丈夫です。細かいところは撮影しながら調整しますし、撮影さえすれば後は修正なり編集でどうにでもなります。」

「そういえばそうか……。」

 現在の映像修正技術を以てすれば、少しくらいの肌の色の差は問題ないということらしい。

 そうなると下手にメイクするよりも下地だけ載せている方が修正が楽かもしれない。

 こちらが納得して頷いていると、道具をしまい終えたアシスタントが楽屋から退出していった。

 年長の女性スタッフもそれに続く。

「それではスタジオまで案内します。こちらにどうぞ。」

「よろしくお願いします。」

 ドアの辺りから声を掛けられ、結城は化粧台の前から離れてドアの方へ急ぐ。

 そのまま結城は女性スタッフ達の後を追い、撮影スタジオまで移動した。


  2


「おーおー、嬢ちゃん可愛いぞ。まるでモデルさんだな。」

 スタジオに入ってすぐに聞こえてきたのは、私を誂うような掠れ声だった。

 メガネを外しているのでよく見えないが、このオヤジ声は間違いなくランベルトだ。

「ランベルト、来てたのか……」

 スタジオ内には照明が幾つもあったが、それが向けられているのは撮影のために用意されているセットだけであり、それ以外の場所はかなり暗かった。

 ランベルトはその暗い部分にいたため、視力の落ちている結城はすぐに発見することが出来なかったのだ。

 目を細めて声を発した人影を見つめていると、その人影からまたしてもランベルトの声が聞こえてくる。

「そんなに睨むなよ。まだ悪口は言ってねーぞ。」

 目を細めたせいで睨んでいると勘違いされたらしい。

 そのセリフのお陰でランベルトの場所が特定できた結城は、さらに近づいて今度こそ本当の意味で睨みつける。

「これは見え難いからこうなっただけだ……。というか、ヤジ飛ばすだけなら今すぐ帰れ。」

「何をどうしたらあれがヤジに聞こえるんだよ……。褒めてやってるんだから文句言うなっつーの。」

 そう言いながらもランベルトの目は笑っており、珍しい格好をしている自分を見て存分に楽しんでいるようだった。

 カメラで撮られていないだけましだと思うことにしよう。

(なんでわざわざ笑いに来るかなぁ……。)

 ……この撮影の話が決まった時、『一人で撮影に行く』とランベルトに宣言したはずなのだが……。やはり私の様子を見に来たようだ。

 これから先ランベルトにずっと見学されるかと思うと、ただのCM撮影なのに何故か晒し者にされている気分になってしまう。 

 ランベルトの真正面でわざとらしく溜息を付いていると、今度はチーム責任者のみならず、女子寮の同居人の声まで聞こえてきた。

「……ほんと、メガネ外した上に化粧すると別人だな、ユウキ。」

 どこでこの話を聞いたのか、当たり前のようにツルカもスタジオ内にいた。

「ツルカも来てたのか……。」

 他にも誰かいないかと思い、結城は周囲に目を光らせる。……だが、この2人以外に知り合いはいないようだった。

 この2人はともかく、諒一が来ていないのがせめてもの救いだ。

 ああ見えて諒一はカメラ小僧だし、このCMがVFと関係あると分かると、スタジオ内にカメラマンがもう一人増えてしまうことだろう。……というのは建前で、本音を言うとただ単に恥ずかしいだけだ。

 諒一に見られながら撮影をするという状況には耐えられそうにない。

(でもCMで流れるなら同じ事か……。)

 そう考えると、私の目の届かない場所で密かに映像を見られるよりも、この場で直接見られたほうがいいのかもしれない。

 ……こんな感じで思考がこんがらがるほど結城は緊張していた。

「はい、それじゃ撮影はじめまーす。」

 急にスタジオ内に大きな声が響いた。

 その間延びした声はスタジオの隅々似まで届き、心地よく反響する。

 その声は女性のもので、声のした方を見ると首からメガホンを下げた女の人がいた。

 年は30を越えたあたりだろうか、その女性は現場を統括している人らしく、彼女の周りではスタッフがせっせと機材の準備を進めていた。

 メガホンの女性はスタッフに準備を任せて、こちらに近づいてきた。

「初めましてユウキ選手ー、よろしくお願いしまーす。まずは雑誌掲載用と商品掲載ページ用の写真を何枚か撮りますからねー。」

「こちらこそよろしくお願いします。」

 私が返事をしてもメガホンの女性は何も言わず、スタジオ中央の照明が当てられているセットを指差していた。

 すぐそこに移動しろということなのだろう。

 せめて撮影の心構えくらい説明して欲しいものだが、少し聞いた所ですぐにそれを実行できる自信があるわけでもなかった。

(当たって砕けろ、か……。)

 結城は黙ってその指示に従うことにした。

 ふと背後に目を向けると、ランベルトとツルカは既に壁際に置かれたパイプ椅子に座ってのんびりしていた。ツルカなどは私に向けて気楽に手を振っている。

 立場が逆ならどんなにいいことだろうと思いつつ、結城は照明の当たる場所に移動する。

 そこに出ると、照明だけでなくカメラのレンズも向けられた。カメラを向けられるのは勝利者インタビューで慣れているはずなのだが、こういった改まった空間で向けられると気持ちが落ち着かない。

 セットの中央でおどおどしていると、メガホンの女性から指示が出される。

「こっちに笑顔どうぞー。」

 その後に有無を言わさずフラッシュが焚かれ、結城のぎこちない笑顔がフィルムに焼き付く。こんなのでいいのだろうかと思う暇もなく、結城はどんどんフラッシュを浴びせられる。

「ハイ笑って笑ってー。」

 緊張のせいか、笑顔を作ろうとするも、どうしても不自然な笑顔になってしまう。

(あれ……? 笑顔ってどんな表情だったっけ……)

 最終的に結城は混乱し、笑顔とはかけ離れた微妙な表情をカメラに向けてしまった。

 そんな事をしていると、とうとうメガホンの女性から駄目出しされてしまう。

「笑顔足りませーん。というか、ぎこちないですねー。……もっと自然にお願いしまーす。」

(いきなりそんな事言われても……。)

 メガホンの女性の間延びした喋り方に苛立ちを覚え、どうしていいか分からなくなった結城はカメラに向けて言い訳してみる。

「そう言われても、こっちはこんなの初めてで緊張してるんだし……」

 こっちがムスっとした瞬間にもシャッターを切られてしまったが、それは指示外の事だったらしく、メガホンの女性はカメラマンをメガホンで軽く叩いていた。

「仕方ありませんねー。とりあえず目を閉じて楽しいことを思い浮かべてくださーい。」

「楽しいこと……」

 結城はすぐさま目を閉じて深呼吸する。

 その間、先程までやかましかったシャッター音はピタリと止んでいた。

 ……目を瞑るだけでも気持ちが落ち着くものだ。

「後で修正できるとは言っても、表情までは修正できませんからねー。自然な笑顔が欲しいわけなんでーす。」

 メガホンの女性の言うこともよく解る。

 向こうも仕事で撮影しているのだから、こちらも全力でその仕事に協力するべきだろう。

(ふぅ……。)

 落ち着いた所で結城は言われた通り楽しいことを思い浮かべる。

 それは七宮の乗るリアトリスをこてんぱんに叩きのめす場面だった。

「ヒヒ……」

 その結果、口元がニヤリとなってしまい、凄みのある笑顔になってしまう。

 もちろん、そんな笑顔をCMで使えるわけがなかった。

「全然だめでーす。何を想像しているのかは聞きませんが、別のことをお願いしまーす。」

 そう言われても殴り始めた拳は止まらず、結城は想像内でひたすらリアトリスを痛めつけていた。

 こうなると私のニンマリとした笑みも止まらない……。

 メガホンの女性は諦めたのか、壁際に待機しているランベルト達に助けを求めていた。

「見学者さーん、何かユウキ選手が喜びそうなことってありますかー?」

 声につられて結城も壁際を見る。すると、ランベルトもツルカも口元を押さえていた。しかし、そこを隠した所で体は小刻みに震えており、爆笑しているのがバレバレだった。

 メガホンの女性の質問に対し、まずツルカが答える。

「そうだな……リョーイチとか?」

「それは誰ですかー?」

 当然の疑問に対し、今度はランベルトが解説する。

「リョーイチは……まぁ、嬢ちゃんと長年連れ添ってる恋人みたいなもんだ。」

「なるほどー。それじゃあその恋人のことを想像してくださーい。」

 もはや訂正する気も起きない。そう思いたければそう思うがいい、と結城は半ばヤケになっていた。

「真面目にやれよ……。」

 諒一のことまで持ち出されるとは思ってもいなかった結城は、閉じていた目を開いて撮影セットから離れようとする。

 一旦時間を置こうかと考えての行動だったが、私の言葉が聞こえていたのか、それはメガホンの女性によって制止されてしまった。

「ユウキ選手こそ真面目にやってくださーい。これは仕事なんですからねー。」

 『仕事』というワードを聞いて、結城は自分の立場を再認識する。

 今、悪いのは諒一の話を持ち出している彼女ではなく、自然な笑顔をカメラに向けられない自分なのだ……。

「すみません……」

 結城は踵を返し、セットの中央まで引き返す。

 そして、指示された通りに諒一のことを思い浮かべた。

(諒一……諒一……。)

 私にとって諒一は面倒見のいい兄のような存在だ。諒一も私の事を妹のように思っているに違いない。

 数年前までならばこんな関係でも十分満足できていた。

 しかし、そんな関係のままで大人になるつもりはない。

 私は私で色々と諒一のことを考えているのに、諒一は相変わらず私を妹のように扱っている。それどころか、弟として扱われている可能性もあるかもしれない。

 せめて女として扱って欲しいものだ。

(なんかむかつくな……。)

 もっと言うと、年から年中仏頂面なこともあまりよくない。

 普段見せないからこそ笑顔に価値がある……というのは詭弁である。どう考えても毎日笑顔を見られる方がいいに決まっている。

 ……そんな感じで色々と不満なことを考えていると、先ほどのリアトリスの空想と混ざってしまったのか、結城は空想の中で諒一を殴り始めてしまう。

(あー……。)

 殴り出した拳は止まらない。

 しかし、VFのように殴る対象の破壊シーンが思い浮かばず、結城は弾力性のあるぬいぐるみを殴っているような感覚に陥っていた。

「あ、恋人の名前が出ただけで表情が和らぎましたねー。いい笑顔ですよー。」

(あれ? 今、私笑ってるのか?)

 気付かぬ間に笑顔がこぼれていたらしい。

 目を開けるとすぐにシャッター音がして、それから何枚撮影されても結城のスマイルはキープされたままだった。

 空想とはいえ、仮にも恋人である諒一を殴って笑っているとはどういうことだ。

(……それでいいのか、私。)

 それを自覚しても笑顔が崩れることはない。

 しばらく笑顔を撮影されると、メガホンの女性はそれに続いて別のポーズも要求してきた。

「それでは……、はい、今リョーイチくんがあそこから笑顔で手を振ってまーす。ユウキ選手もそれに応じてくださーい。」

(また諒一か……)

 メガホンの女性は諒一の有用性について価値を見出したらしい。遠慮無く仮想の諒一を使っていた。

「ゆっくりイメージしてくださーい。」

「……。」

 まるで諒一をエサのように扱われ、文句を言いたい結城だったが、これも仕事だと思い込むことでなんとかそれを我慢する。

(く……。VFランナーがこれしきのことで狼狽えちゃだめだ……。)

 吹っ切れた結城は満面の笑みを浮かべ、誰もいない空間に向けて手を振る。

 ついでにつま先でぴょんぴょん跳ねたりしてアレンジも加えてみた。

「いいですよいいですよー。最高でーす。こんな笑顔ならリョーイチくんもイチコロでーす。今彼は心を撃ち抜かれてまーす。」

 なんだかんだ諒一のことを言われながらも、メガホンの女性に褒められて悪い気はしなかった。あの褒めっぷりを見ると、自分がモデルとしての才能があるのではないかと錯覚しそうになってしまう。

 それほどメガホンの女性の褒め方が上手いとも言えるだろう。

「どんどん行きましょー。次は椅子に座ってもらったり、小物を持ってもらいまーす。」

 そんな感じでメガホンの女性からの指示は耐えることなく、それからしばらくの間、結城はひたすらカメラからフラッシュを浴びせられていた。


 ――撮影が開始されたから何分経っただろうか。

 立ち位置を変え、ポーズを変え、小物を変えて色々と撮られ続けていた結城だったが、不意に今まで淀みなく聞こえていたシャッター音が止んだ。

 ひと通りの撮影が終わったということなのか。カメラマンはカメラのレンズを下に向け、後処理をしているようだった。

(終わった……のか?)

 スタジオ内の時計を見ると、撮影を始めてから長針が半回転もしていた。

 あっという間の30分に結城は驚く。VFBで時間を忘れることは多々あったが、まさか写真撮影で同じような感覚になるとは思ってもいなかった。

 物足りなさを感じていると、メガホンの女性が声を掛けてきた。

「だいぶ表情も自然になってきましたねー。じゃあ次は別の映像を撮っていきまーす。」

 やはりこれだけで終わりではなかったらしい。

 ……しかし、しばらく経っても指示どころかカメラが向けられることもなかった。

 その原因は機材スタッフにあるようだった。

「……あの、準備が要りますんで時間ください。」

 機材スタッフは大きなカメラの側面のパネルを開けて、何やら作業をしていた。トラブルでもあったのだろうか。

 メガホンの女性はそんな機材スタッフに声をかける。

「どのくらいかかるー?」

「10分でセットできます。」

「……じゃあ短いけど休憩にしましょー。」

 そう宣言された途端、スタジオ内の空気が緩み、端々から溜息やぐったりとした声が聞こえてきた。

 結城もセットから離れ、ツルカ達がいる壁際に行くことにした。

 壁際のパイプ椅子には2人の姿があったが、ランベルトは足と手を組んだまま頭を垂れ、熟睡していた。

 そんなランベルトの頭を眺めながら結城はツルカの正面まで移動する。

 ツルカも眠いのか、重そうな瞼を必死に持ち上げつつも、私を労ってくれた。

「ユウキ……撮影長かったな。とりあえずお疲れ様。」

「うん。でもだいぶ慣れた。」

 あんなに恥ずかしかったのに、慣れとは恐ろしいものだ。

「なあツルカ、どうだった……ん?」

「……。」

 一言発しただけで眠気に耐えられ無くなったらしい。ランベルトと同様にしてツルカも眠りに落ちてしまっていた。

(何しに来たんだこいつらは……)

 スタジオ内は暗いし、撮影中も最低限の会話しかなくとても静かに保たれている。その上、天井が高くて空間も広いのでなかなかに涼しい。

 この状態で眠くならないのは無理というものだ。

 起こすのも可哀想だと思い、結城は休憩中ツルカの寝顔をぼんやりと眺めていた。


 ――10分もしないうちに撮影は再開され、結城は再びセットの上で指示を待っていた。

 大きなカメラの準備も整っており、レンズは私に向けられている。

「今の調子だとすぐに終わると思いますよー。」

 メガホンの女性は機嫌良さそうに言うと、早速次の撮影の指示を始める。

「まずはその椅子に座った状態から始まりまーす。そこから気だるそうな感じで立ち上がってー、化粧台まで移動しまーす。」

 そう告げられ、結城は改めて用意されたセットを見渡す。

 照明で照らされた範囲には背もたれ付きの椅子と、上品な化粧台が用意されたいた。それ以外に大きい道具は設置されていない。

 メイク同様、後から映像を編集して小物などのグラフィックを追加するに違いない。

 セット内を見渡している間も、メガホンの女性からの指示は続く。

「次はその上に置いてあるリンゴを顔の高さまで持ち上げまーす。」

(りんご……?)

 よく見ると、化粧台の上にリンゴが一つ置かれていた。

 結城は試しにそれを手に持ってみる。手触りはすべすべで重みもある。顔に近づけて嗅いでみると、みずみずしい果物の香りが鼻に届いてきた。……どうやら本物みたいだ。

 そのリンゴを手の上で転がしながら結城は次の指示を待つ。

「次のシーンはリンゴに軽くキスしてくださーい。」

 そんな事くらい簡単だ。

 結城は余裕の表情でリンゴの表面に唇を押し当てる。するとリンゴ側に薄く赤い色が付いてしまった。普段は使ったとしてもグロスなので、自分がCM用にルージュを使っていたことを失念していたようだ。

 リンゴの表面についたそれを袖で拭いつつ、結城は次の言葉を待つ。

「それで、最後はカメラに向かって『大好きだよ』。これで終了でーす。」

「案外短いんだな……。」

 頭の中で秒数を数えてみても、せいぜい15秒がいい所だ。さっき撮った写真と併せて引き伸ばしたとしても1分以下だろう。

 その短さに関して、メガホンの女性はコメントする。

「そうですねー。でも、短いぶんだけ妥協しませんからねー。頑張りましょー。」

「わかりました……。」

 何回も撮り直される覚悟が必要かもしれない。

 さっきよりも長引くな、と思いつつ、結城は最初の指示通りに椅子に座った。

 

 ――こちらの心配をよそに、化粧台まで移動するシーンは5回撮り直しただけで済んだ。シーンの時間自体が短いせいか、何回撮り直されてもあまり苦にならないものだ。

 そのままリンゴを持ち上がるシーンも難なくこなし、続いて結城はリンゴにキスをするシーンに突入する。

 ……だが、そこで躓いてしまった。

「押し当てるだけじゃダメですよー。もっと色っぽくお願いしまーす。」

「したこと無いのに色っぽいも何も……」

「なにか言いましたかー?」

「何でもないです……。」

 どうやら普通に押し当てるだけではダメらしい。

 “色っぽく”と指示されても、果物相手に色っぽいもクソもない。

 その後、色々試行錯誤しつつリテイクを繰り返していると、とうとうメガホンの女性から聞きたくない言葉が聞こえてきた。

「それじゃあ今回も空想のリョーイチくんを有効利用しますよー。」

(やっぱりそうなるか……。)

 現場にいない時まで諒一に頼らざるを得ない自分が情けない。

「はい、そのリンゴをリョーイチくんだと思ってくださーい。」

 何とも投げやりな指示だが、結城は言われたとおりにリンゴの表面に諒一の顔を思い浮かべ、そのまま唇を近づけていく。

 さっきまでは何とも無かったのに、意識した途端に恥ずかしくなってくるから不思議だ。

「く……」

 羞恥心を最大限に感じつつも、結城は何とかリンゴに唇を触れさせる。……しかし、そんな空気に耐えられなり、あろうことか結城は普通にリンゴをかじってしまった。

 小気味の良い“シャクッ”という音が周囲に響き、“しゃりしゃり”という咀嚼音がそれに続く。

「あははー。食べちゃいたいくらい好きなんですねー。」

 メガホンの女性が冗談めかして言った途端、スタッフから失笑とも取れる乾いた笑い声が聞こえてきた。

 結城はそんな声を耳にして泣きたい気分になる。

(やってしまった……。)

 そんな風に落ち込みながらも結城はリンゴを食べ続けていた。

「はい、撮影用のリンゴも数に限りがありますからねー。食べずにキスしてくださーい。」

 すぐに新しいリンゴが用意され、食べかけのリンゴは回収されてしまった。

 そして、間を置くことなく撮影が再開される。

(うぅ……くそっ!!)

 このまま馬鹿にされ続けるわけにはいかない。

 結城は意を決し、耳を真赤にしながらもリンゴに軽く唇を触れさせた。

 飽くまでキスするようにやさしく、愛情を込めて……。

(何か、女子中学生のキスの練習みたいだな……。)

 男子中学生の場合はリンゴではなく、アイドルのポスターか何かだろう。

 そんな下らないことを考えつつ、結城はそのまま数秒ほど唇をくっつけた後、余韻を残すようにしてゆっくりとリンゴから顔を離した。

「いいですよー。やれば出来るじゃありせんか、完璧でーす。」

「ふぅ……。」

 メガホンの女性に賞賛され、結城は安堵の溜息を付く。

 ……実の所、さっきまでのキスとあまり変わりはないように思えるのだが、プロの目から見れば大きな差があったらしい。

 それが何かは理解し難いが、彼女が完璧というのなら完璧なのだろう。

「はい、次で最後でーす。最後まで気を抜かずに行きましょー。」

 安堵したのも束の間、次は短いながらもセリフを喋らねばならない。今まで黙って撮影されていた結城にとっては全くの未体験ゾーンである。

 ……結城はリンゴを手に持ったまま、そのシーンに挑む。

 結城はカメラに目線を送り、若干上目遣いで、これまでの人生で口にしたこともないようなセリフを喉の奥から搾り出す。

「だ、大好きだ、よ……。」

 猛烈に照れくさい。このままこの空間から消え去りたい気分だ。

 そんな思いをして言ったセリフにも関わらず、メガホンの女性には認められなかった。

「不自然極まりないですねー。文頭に『リョーイチ』を追加しましょー。」

 メガホンの女性は味を占めたのか、初っ端から諒一を当たり前のように利用してきた。

(……諒一め、恨みはないが今度会ったら覚悟しておけよ。)

 やり場のないやるせなさを諒一に向けていると、結城はふとあることに気が付いた。

「そういえば、セリフ変更してもいいんですか……? だったら『大好き』をやめて別のセリフに差し替えて……」

「大丈夫でーす。名前の部分はカットしますから問題ありませーん。」

「ですよね……。」

 自分の思慮の浅さに呆れ、とうとう結城は無駄に抵抗するのを止めることにした。

 そもそも、ランベルトもツルカも眠っているのだから尻込みする必要なの無いのだ。

 今後公開されるであろうCMに関しても、こちらがその話題を避け続ければ恥ずかしくも何とも無い。変に意識するから無駄に恥ずかしいだけなのだ。

(よし……いくぞ!!)

 意を決した結城は気合を入れ直し、躊躇うことなくカメラに向けて満面の笑みを放つ。

「諒一、……『大好きだよ』。」

 自分でも信じられないような色気に満ちた声が出てしまった。変に意識したせいで過剰に浮いた声になってしまったようだ。

 自分の声に驚いていた結城だったが、スタジオ内のスタッフは結城以上に動揺しているらしく、メガホンの女性もカットの指示を出すのが遅れていた。

「あ……はい、オーケーでーす。最高でしたー。」

(やっと終わったか……。)

 全てのシーンが終わり、スタジオ内からまばらな拍手が巻き起こった。

 その拍手のすぐ後にカメラの上部に付いているランプが消え、それ続いて私に向けられていた照明の電源も落とされる。

 すると、逆光で見えなかったカメラの向こう側の様子がはっきりと見えるようになった。

 その方向に何気なく視線を向けると、うっすらと人影が見えた。

「……?」

 動きまわるスタッフの中、その人影だけは入り口付近から微動だにしていなかった。

 次の撮影予定の関係者だろうか、肩には大きめのバッグを掛けている。

「お疲れ様でした。これ、楽屋に忘れていたメガネです。どうぞ。」 

「どうも。」

 丁度良く結城はアシスタントからメガネを受け取り、早速それを顔に装着してメガネ越しにその人影をよく観察する。

 すると、ドアを明けた状態で固まっている諒一の姿が確認できた。

「なんだ諒一か……。」

 撮影が終わるタイミングで来るなんて間の悪いやつだ。

 あの様子だと、CMの撮影も最後のシーンくらいしか見ることができなかっただろう。

 最後のシーンしか……


 ――見られた!!?


 待て待て落ち着け。

 私は何と言っただろうか。諒一は何を聞いたのだろうか。

(『諒一、大好きだよ。』……。)

 あの距離なら間違いなく聞こえている。

 よりにもよって一番聞かれたくない相手に、一番聞かれたくないセリフを、最悪のタイミングで聞かせてしまったらしい。

 諒一も諒一で入り口付近で固まって微動だにしていない。

 絶対に私のセリフを聞いて困惑しているに違いない。

(えーと、えーと……まずは説明だな、うん。)

 混乱している頭で結城は必死で考え、とりあえず説明をするべく諒一に駆け寄った。

「諒一!!」

 私が声を掛けると、諒一は驚いたようにバッグを床に落として身構えた。……やはり、かなり動揺しているようだ。早く誤解を解かなければ。

「ちが……さっきのは違うぞ。あれは撮影のアレで、ほら……アレだ。」

 まるで説明になっていないが、私が必死で訴えると諒一はそれに無表情で応えてくれた。……が、それは落ち着いた物言いではなかった。

「なるほど、アレだな。アレなら仕方ない。」

 これはまだ確実に勘違いしている反応だ。

(いや、待てよ……)

 普段の諒一なら、私がいくら『大好きだ』なんて言っても適当にあしらうだけだろう。

 しかし、今は何故か動揺している。相変わらず無表情だが微妙なしぐさでそう判断することができる。……こんな風に諒一が動揺しているのはいい傾向なのではないだろうか。

(こっちがちゃんと女をアピールすれば、諒一も私を女として扱ってくれる……?)

 私の告白まがいのセリフに動揺してくれている方が、無関心そうに聞き流されるよりもマシなのかもしれない。

 ただ、こちらの恥ずかしさはハンパではなかった。

 変に艶っぽい声を出してしまったし、よくよく考えれば今は普段は見せないような女の子っぽい格好もしている。

 意識してしまうと途端に恥ずかしくなり、結城は諒一から離れて背を向けてしまった。

 しかし、背を向けた所で問題は解決しない。

 先ほどの先走ったようなセリフは本音であっても聞かれたくないセリフだったし、きちんと『撮影のために言わされた』と説明しておかねばなるまい。

 そう心に決めたものの、背を向けてしまった今、結城は振り向くタイミングを掴めないでいた。

(どうすれば……。)

 2人で黙りこくって相対していると、その緊張した空気を打ち砕くようにしてツルカの眠たげな声が聞こえてきた。

「なんだ、ユウキ……もう撮影終わったのか?」

 そのツルカの言葉をきっかけにして、結城は再び諒一と面と向かう。

「諒一……」

 続いて、誤解を解くべく説明しようとしたが、諒一の微妙な表情を見て何を話したらいいか、全て頭から吹っ飛んでしまった。

「さ……さっきのは忘れろ、いいな!!」

 結局誤解を解けないまま、結城の足は自然とその場から逃げるようにして、スタジオの出口に向いてしまう。

 すると、遅れて諒一が反応してきた。

「結城、今のは……」

「……。」

 しかし結城は諒一の呼び止めを無視し、撮影用の衣装を身に付けたままスタジオから逃走してしまった。

 猛スピードで通路を走り、階段を飛び降り、商業エリアの細い通りに出る。

「はぁ……はぁ……。」

 スタジオから出て結城は自分の心拍数が有り得ないほど高くなっていることに気がつく。

 それを“今全速力でダッシュしているからだ”と無理矢理こじつけ、結城は行き先もわからぬままスタジオのビルを後にした。


  3


 ボクが目を覚ますといつの間にやら撮影は終了していた。

 それと同時にユウキはスタジオから出ていき、一向に帰ってくる気配はない。

(何か用事でもあったのか?)

 それにしたってリョーイチを置いたまま帰るなんて珍しい。というか、いつの間にリョーイチはスタジオに来ていたんだろうか。

「お疲れ様でしたー。ユウキ選手にはサイコーだったと伝えておいてくださーい。」

 眠気覚ましに目をこすっていると、いきなりメガホンを持った女性から声を掛けられてしまった。確かこの人は現場を仕切っていた人だ。

 その言葉はランベルトに向けられたのかとも思ったが、隣に座るランベルトは目を瞑って俯いており、未だ夢の中だ。

 話しかけられてもランベルトが起きる様子はなく、仕方なくツルカが受け答える。

「うん、わかった。ユウキには後で伝えとく。」

 すると、メガホンの女性はランベルトではなくボクに顔を向け、続けて話してきた。

「あと、衣装の件ですけどー……」

 そのセリフを聞いてツルカはつい先程の記憶をたどる。

 ユウキはリョーイチと少し言葉を交わした後、そのまま出て行ってしまった。あの焦りようと、未だに戻ってこないことを考えると、着替えないまま帰ってしまった可能性もある。

「あ、今すぐ追いかけて脱がせて……。いや、きちんと洗濯してからのほうがいいか。……とにかく、ちゃんと返却するから待っててください。」

 ツルカは慌てて対応したが、それは取り越し苦労だったようだ。

 メガホンの女性は別に問題ないといった口調で話す。

「いえ、衣装はそっちで処分して構わないみたいでーす。あの衣装はユウキ選手に合わせて作ったものらしいので、ユウキ選手が着るのが一番自然だと思いますよー。」

「そうか、なら別に慌てて追いかける必要もないか……。」

 去っていったユウキの事も気になるが、それよりも気になるものがある。

 ……それは撮影されたユウキの映像だ。

 眠っていたボクも悪いが、広告映像が完成するまで待っていられない。

 ツルカは無理を承知でメガホンの女性に頼んでみることにした。

「ところで、撮った映像見たいんだけど……いいかな? ボク、眠ってて全く見てなくて……。」

「それなら、ちょうどあっちで確認作業中でーす。覗いてみるといいですよー。」

 そう言ってメガホンの女性はスタジオの方を指差す。

 すると、何やら大きめのモニターにスタッフが集まっている光景を確認することができた。

「ありがと。行ってみる。」

 短く礼を言い、ツルカはパイプ椅子から立ち上がる。そして、小走りでそのモニターが見える位置まで移動した。

(お、見える見える。)

 ツルカは少しスタッフの集団から距離をとって、その映像を眺める。

 モニターの画面には秒数やら何か特殊なマークやグラフなどが表示されている。多分撮影用のモニターなのだろう。

 映像の中でユウキは化粧台からリンゴを取り、それを口元に当てていた。

 格好も動作も普段とはまるで違うため別人に見える。……可愛さもいつもの4割か5割増しだ。プロにメイクされた上にプロに撮影されると、人はここまで印象を変えることができるらしい。

 そんな風に思いつつ映像を見ていると、あっという間に最後のシーンに突入した。

 モニターにはユウキの顔のアップが映し出されており、それと同時に映像内のユウキの口が艶かしく動く。

『諒一、……大好きだよ。』

(な、なんでリョーイチ!?)

 その衝撃的な音声にツルカは度肝を抜かれてしまう。

 ユウキの音声は意外に大きく、遠くで眺めているボクでもはっきりと聞き取れた。

 そこで映像は終了したが、その時にスタジオの端の方から何かが床とぶつかる音が聞こえてきた。

 その甲高い金属音に驚き、音の発生源を見てみると、倒れたパイプ椅子を慌てて拾い上げるリョーイチの姿があった。

(なるほど……。)

 どうやらリョーイチは、椅子を片付けている時にあのユウキの声を聞いて驚いてしまったようだ。いくら撮影とはいえ、あんな声であんなセリフを言われると動揺するのも当然だ。

 そして、そのリョーイチの反応を見て、ユウキが慌ててスタジオから出ていった理由もわかってしまった。

(リョーイチにこれを聞かれてスタジオから逃げたってわけか……。)

 ボクは、メガホンの女性がユウキに笑顔作らせるためにリョーイチの名前を使ったことを知っているけど、途中から来たリョーイチは全く事情を把握できていないはずだ。

 傍から見ると面白い展開ではあるが、かと言ってこの事実をリョーイチに知らせないまま放置しておくのも可哀想だ。

 ツルカは挙動不審にしている諒一に事情を説明するべく、再び壁際へ戻ることにした。


 ――ひと通りの説明を終えると、リョーイチは落ち着いた様子でパイプ椅子に座った。

 表情からは読み取れないが、多分安堵しているのだろう。その喋り方もいつも通りの静かで明瞭なものだった。

「じゃあ、あれは撮影のために仕方なく言わされていただけであって、結城の本心ではないんだな。」

 確認するように言われ、ツルカは何度も説明したことを何度も繰り返して言う。

「そうだぞ、リョーイチの来たタイミングが悪かっただけだ。……あれは撮影でも最後のセリフみたいだし、それに、あれより前の写真撮影の時もユウキの自然な表情を引き出すためにリョーイチが使われてたんだ。……もう納得したか?」

 言わされていたとはいえ、ユウキの本心に近いセリフであることは間違いない。

 しかし、そんな余計なことを喋るつもりはなかった。

 リョーイチはようやく納得したようで、別のことについて質問してきた。

「それで……撮影はどうだったんだ?」

「んー……色々トラブルはあったみたいだけど、ボクは途中から寝ててあんまり見てないな。でも、CM見れば上手くいったことが分かるだろ。」

「それもそうだな……。」

 リョーイチはそれっきりボクに詳しいことを聞いてくることはなく、椅子に座ってぼんやりとしていた。やっぱりユウキの告白紛いのセリフが気に掛かっているみたいだ。

 そんな珍しい諒一を見て、ツルカは誂ってみることにした。

「リョーイチ、かなり動揺してたよな。……もしかして、ユウキを見て不覚にもドキッとしたんじゃないか?」

「……。」

「図星なんだな?」

「……。」

 リョーイチは否定も肯定もしないでボクの言葉を無視していた。

 そんな反応にツルカは結城と諒一、2人の可能性を見出す。

(これは意外と脈あり……っていうか、だらしない下着姿よりも、ああいうお洒落な服のほうがいいんだな。……いや、むしろあのセリフのせいか。)

 このままダラダラとした関係が続くのではないかと危惧していたが、これなら心配いらないみたいだ。

(どうして他人の色恋沙汰ってこんなに面白いんだろうな……。)

 それが近しい者同士なら尚更面白い。

 無言のまま椅子に座るリョーイチをニヤニヤ眺めていると、スタジオ内に動きがあった。

 見ると、スタッフが撤収作業を開始させたようだった。もうちょっとゆっくりしてもいいのに、忙しい人達だ。

 それを受けて、ツルカも自分がやるべきことを行うことにした。

「ほらリョーイチ、ユウキを追うぞ。」

 リョーイチはボクの掛け声に一瞬遅れて返事する。

「ああ、そうだな。あんな状態だとまたトラブルに巻き込まれかねない。」

 そう言ってリョーイチは携帯端末を取り出し、当たり前であるかのように、画面にユウキの端末の位置を指し示すマップを表示させる。もうユウキの逃走癖には慣れているらしい。そのバッチリすぎる対策には感服させられる。

「さすがリョーイチ。今ユウキはどこにいるんだ?」

 リョーイチに寄りかかって携帯端末の画面を詳しく見ると、ユウキの居場所を表すポインタはこのスタジオで点滅していた。

 ひいき目に考えても、ユウキがこのビル内に留まっているとは考えられない。

「携帯端末、楽屋に置きっぱなしにしてるみたいだな……。」

「……。」

 ボクが大方の予想を言うとリョーイチもそう思っていたらしく、黙ったまま項垂れていた。

 そうやってリョーイチは視線を下に向けたまま携帯端末をポケットにしまい、パイプ椅子から立ち上がる。

「まだ商業エリア内にいることを祈ろう。勢いで船に乗らなければいいが……。」

「じゃあとりあえず近くを探すか。」

 行き先が決まった所で不意にランベルトの声が聞こえてきた。

「ん……? 撮影終わったのか?」

 撤収作業でスタジオ内がざわつき始めたせいだろうか、ようやくランベルトは眠りから覚めた。

 まだ眠たげに欠伸をしていたが、ツルカは問答無用でその腕をつかむ。

「ちょうどよかった。ほら行くぞランベルト。」

「なんだなんだ?」

 ツルカは目を覚ましたばかりのランベルトを引き連れ、スタジオの出口に向けて歩き出す。

 そして、諒一と共に商業エリア内を捜索することにした。

 ここまで読んで下さり誠にありがとうございます。

 次の話では1STリーグのチーム『クーディン』のVFランナーが登場します。全く目立っていないチームですが、その実力が気になるところです。

 今後とも宜しくお願いします。

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