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アラベスクに問え! 作者:一瀬詞貴

三、晴れた蒼の章

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それぞれのアラベスク(4)

「新鮮さが命、って訳でもねぇし」
 寮に戻ると間髪入れずにアルバートは作業場に向かった。
 ガラス容器にハッグの壺の中身を注いで、げんなりする。予想はしていたことだが、壺の中身は目の冴えるような〈蒼〉などではなかった。
 緑みのにぶい黄色の液体……所々灰黄緑の粒が浮かぶのが尚更気持ち悪い。
 発する甘ったるい臭気も相俟って、アルバートは頭を抱えた。
 鼻に小切れの布を丸めて突っ込んですら、辛かった。
「どうすりゃ蒼くなるんだ? っつーか、蒼になったとしても、この臭いはいかんとも……」
 明礬(ミョウバン)、茶葉の出しがら、炭、尿素、果実の皮……あらゆる消臭方法に思いを馳せ、アルバートが思惑げに鼻声で一人ごちていれば、
「何ですか? この臭い」
 隣室から戸惑った様子のヒューズが顔を覗かせた。
 声に振り返ったアルバートは、彼の目元が赤く腫れているのに気付いたが、それには触れずに答える。
「ああ、ハッグだ」
「ハッグ? って、これが?」
「そう。これが」
「なんか…………凄い色ですね」
「ああ」
 近づいてきたヒューズはガラス容器の中を覗き込むと訝しげにした。
「蒼く、なるんですか」
「多分」
 二人の視線が物言わず液体の上に落ちる。
 やがて、「うっ」と呻いて沈黙を破ったのはヒューズだった。
 彼は暫く何か考えるようにしていたが、口元に手をやると顔を逸らした。
「すいません、ちょっと外でやって貰えますか?」
「……そーするわ」
 アルバートは素直に頷いた。
 長時間、この臭いと格闘し、そろそろ嗅覚が馴れるはずだと思えば、そんなものは希望でしかなかった。
 アルバートはガラス瓶に蓋をすると、ヒューズと共に窓と言う窓を開けてから庭に出た。
 吹き抜ける清風を全身で感じながら、鼻穴を目一杯膨らませて胸に外気を吸い込む。
「あー……生き返る」
「…………ですね」
 室内の作業場は魅力的ではあったが、昼間の寒さは到着当時よりも随分和らいでいたし、臭いが寝室にこもるよりもずっとましだ。横に並んだヒューズも同じ気持ちに違いない。
 その時、バンッと玄関の扉が乱暴に押し開けられる音がした。続いて仕切りカーテンが勢いよく揺れ、赤髪が飛び込んできた。
「何をやってるンですか、この部屋はぁッ!!」
 そう怒鳴ったのはミシェル・ニールだった。
 髪を無造作に後ろでまとめ、エプロン姿でお玉を持った彼は、相棒のために昼食でも作っていたのだろうか。
 彼は、カーテンを開いた瞬間襲われた臭気に「ひいッ……」と悲鳴を上げると、もの凄い顔をした。
「な、中、ひど……ッ! うっぷ」
「あー、ミシェル……すまん。今後は外でやることにしたから」
 アルバートが片手をひらひらさせると、彼はカッと目を見開き、足を踏みならして吠えた。
「謝って済む問題じゃないんですよッ! 隣にまできてるんです! アラベスクに香りが残ったらどーしてくれるンですかッ!! って言うか、ぼくの機織りがこの臭いのせいでご飯を食べられないんですよッ! ダウンしたらどうしてくれるンですかァッ!!」
「お前、お隣さんだったのか」
 作業中はミシェルも静からしい。
 物音一つ立てない隣人が彼だとは思いも寄らず、アルバートは驚いた。
「ああ、話が通じない! このクソ庶民ッ!」
 ミシェルは髪を掻きむしると、貴族とは思えない口汚い言葉を次々口にした。と、そんな彼に、ヒューズが静かに問う。
「アラベスク、って、もう織り始めたんですか」
「ぎゃわ! ヒュ、ヒュヒュヒュヒューズ様!?」
 胸に風穴が空いたような変に裏返った声を出したミシェルは、慌てて髪を整えると、スッと姿勢を正し、切りそろえられた髪をサラリと揺らした。
「もちろんですよ、ヒューズ様。このミシェル・ニール、機織りの足手まといにはなりません!」
 先ほどの取り乱しは無かったことにしたらしい。
 彼の変わり身の速さにアルバートは心底呆れ返ったが、一方で感心した。
「染め士の仕事が遅くなれば遅くなるほど、しわ寄せは機織りにいきますから。ぼくの機織りは、もう一反目の三分の一ほどは終わりましたよ」
「それは……速いですね」
「はうぁッ! ヒューズ様にお褒めのお言葉をいただけるなんてッ!! か、感激ですッ」
「はあ……」
 惚けるヒューズにお構いなく、ミシェルは自身を両腕で抱くと身体をくねくねさせた。
 アルバートは早々たる退出を願った。
 が、小うるさい同志はそんな部屋の主の気持ちなどお構いなく、「あ! そうだ!!」と素っ頓狂な声を上げて手を打ち鳴らすと、目をきらきらさせて部屋を見渡した。
「ついでなので、ヒューズ様の布を見せて頂いても宜しいですか!?」
「へ?」
「機織りの部屋はこちらですかッ」
 彼は返事を待たずにさっさと踵を返した。ヒューズは慌てた。
「ちょ、ちょっと待って……ッ」
「ルイス家のご嫡男ともあろう方が、庶民の糸を織るだなんて前代未聞ですけれど、でもでも、仕方ありません。あのウィリアム様の決めたことに間違いなんてありはしませんし――」
 走ってその小さな身体を止めようとヒューズが手を伸ばすも、それをするりとかわして、ミシェルは仕切りカーテンを開けた。一歩部屋に踏み込み――――
「え。何これ」
 彼はきょとんとした。ヒューズがその背後で固まる。
「まだ、織り始めてない? ヒューズ様が?」
 部屋に置かれた高機や腰機には糸すら掛っていなかった。
 立ち尽くすヒューズの後ろからそれを覗き込んだアルバートは、頬を指でひっかくと、気まずそうにミシェルを見た。
「あー、あのよ」
「……糸が、まだ、できてないんですね」
 ミシェルは震える声でそう呟くと、ヒューズを振り返り目を潤ませた。
「ああ! おかわいそうなヒューズ様! こんな庶民と組んだせいでッ」
「いえ、そうでは――――」
「もう、それでいい。それでいいから、お前、さっさと出ていけ」
 糾弾してくるミシェルの腕を掴み、アルバートは問答無用で玄関に向かった。
 引きずられながら、空いた方の手で自分の胸を叩くとミシェルが声高に言う。
「ぼくが染めましょうか!? 事情をお兄様にお話すれば、きっと!」
「きっと! じゃねぇよ。そりゃ、不正行為だバカ野郎」
「バカとは何だ、このクソ庶民!」
「クソとは何だ、バカ貴族!」
 腕を振り払い、顔を真っ赤にしてプリプリ怒るミシェルに、アルバートも負けじと言い返す。
 その二人の間に、「違うんです!」と、ヒューズが割って入った。
「違うんですよ、ミシェルさん。糸がないんじゃないんです。――いえ、糸は確かにまだできてないんですけど、でも、そんなことは問題じゃなくて」
 彼は二人を見てから、口ごもった。
 アルバートは黙るように目配せしたが、珍しくミシェルが続きを待ったから、引っ込みがつかなくなったのだろうか。ヒューズは躊躇いの後、ボソボソと続けた。
「僕は、〈精霊の加護〉を織り込めないんです。だから、糸があっても……アラベスクは作れないんです」
 アルバートは額に手をやって嘆息した。ミシェルが目を瞬かせる。
「織れない? ルイス家のヒューズ様が? 誰よりも精霊に愛されるルイス家の……あなたが」
 物言わずに俯くヒューズを、ミシェルは穴があくほど、まじまじと見つめた。
 ……やがて、否の返事がないと知ると、至極当然と言うように口を開いた。
「信じられない! あなた、ルイス家の面汚しじゃないですか!!」
 無邪気な糾弾に、ヒューズの肩が大きく震える。
 ミシェルは一歩前に踏み出すと、身振り手振りを加えて続けた。
「ルイス家と言えば機織りの名門ですよ! 染め士が最も憧れるパートナーだ。それが……うわ、本当に信じられない。汚らわしい!――フモガッ」
「お前、ちょっと黙れ。そして出て行け」
 背後からミシェルの口元を覆ったアルバートは、そのまま暴れる彼を無理矢理玄関まで引きずっていくと、外に放り投げた。後ろ手に扉を閉める。
 ミシェルは長い間、ぎゃんぎゃんアルバートに対する文句を飛ばしていたが、相棒が迎えにきたのだろうか、廊下はやがて静かになった。
「まぁ、あれだ。あンま、気にすんなよ。ああいう、思い込みの激しい奴は無視するに限る」
 ヒューズのもとに戻ったアルバートは、気まずい沈黙を払拭せんといつもの調子で口を開いた。
「彼は間違ってませんよ」
 自嘲の笑いを零して、ヒューズは力なく壁に寄り掛かると言った。
「僕は、ルイス家の家格を落とす人間なんです。生きてることすら、罪なくらいに」
 アルバートは押し黙った。
 それは論が飛躍しすぎだ、と冷静に指摘しても、今のヒューズは聞く耳など持たないだろう。ヒューズはそんな友の沈黙にはた、として、軽く頭を振ると詫びた。
「すいません…………僕、ちょっと頭を冷やしてきますね」
「あ、ああ」
 とりあえず、落ち着く必要があると認識できる程度には冷静らしい。
 ふらふらと部屋を出て行くヒューズを見送って、アルバートは詰めていた息を吐き出した。
 が。
「――――遅い」
 テーブルに用意した夕食を前にして、アルバートは眉根を寄せた。
 壁かけ時計がボーンと鳴って、二十時を告げる。ヒューズがふらりと出かけてから、六時間以上が経過していた。
「ったく。何処で何してンだ、あのバカ」
 アルバートは椅子から立ち上がると、外套を羽織って寮を出た。
 外に出ると、鋭い寒さが頬を突き刺した。アルバートはヒューズを一人で行かせたことを、猛烈に後悔していた。
(バカなことはしねぇとは思うが……)
 短い付合いではあるが、彼が軟弱そうな見た目よりもずっと逞しい――いな、図太いことをアルバートは知っていた。
 しかし、ヒューズのコンプレックスがどれほどのものなのかなど、他人には理解できようはずがない。だから何をしでかすかだって分からない。
「ああ、もう、クソ!」
 自分に対して、盛大な舌打ちをするとアルバートは夜の街を走った。
 道端でうとうとしている酔っ払いを叩き起こしたり、目についた営業中の店に片っ端から駆け込んではヒューズの行方を尋ねた。邪険に扱われてもアルバートは止めなかった。
 方向音痴がたたり、同じ道を何度往復したか知れない。
 夜がとっぷり暮れて、人の往来もほとんどなくなった頃――がむしゃらに探すことに限界を感じ始めた頃、飲み屋が軒を並べる通りで、とある店の扉が開き中から賑やかな声が漏れ出た。と、
「ほら、しっかりしてよ」
 色っぽい女性に、一人の長身の男が肩を支えられて出てきた。
 女性はまんざらでもない様子で、長い緩やかなウェーブをかいた茶髪をかき上げると、男を熱の籠もった目で見つめて唇を寄せた。
 アルバートはその見覚えのある後ろ姿に素っ頓狂な声を上げた。
「ヒューズ!?」
「ふえ?」
 ぼんやりと振り返った男――ヒューズは、アルバートの姿を認めると、ニヘラッと嬉しそうに破顔した。
「あはっ! アールしゃ~ん」
 呂律の回らない声を上げて、彼がブンブンと両腕を振る。
……清々しいまでに酔っ払いだった。
「何してンだ、このバカ! 帰って来ねぇと思えば――――こ、こんな」
 ヒューズに駆け寄ったアルバートは、彼に身体を寄せていた女に目をやると、ゴクリと咽を鳴らして押し黙った。
 大きく開いた胸元からは、こぼれんばかりの谷間が覗き、仄かに漂う雌の香りに、身体の優美な線を強調するドレスは、十七歳のお年頃には少々扇情的過ぎた。
「――行くぞ!!」
 アルバートは、ともすれば向いてしまう目線を、ヒューズと共に女性から引っぺがした。
 次いで、個人的なうらやましけしからん思いを多分に含めてヒューズの片頬を抓り上げ、足早に歩き出す。女性が非難の声を上げたが、無視した。
「あたたっ。いひゃい。いひゃいよ、アルしゃん」
「うるせぇ。人がどんな気持ちで――――うおッ」
 痛みに身を捩ったヒューズが足をもつれさせる。
 アルバートはそれに巻き込まれ、盛大に転倒した。
「……重てぇ」
 踏みつぶされた蛙のような声が漏れる。背中にのしかかる重みに、怒りの気勢も削がれてしまった。
 ……ふと、ヒューズは身を竦めると、口を開いた。
「アルしゃん、にゃんだかしゅごい、全身からハッグのかおりするね……うぉえっぷ」
「マジ!? やばくね、それ!?」
(邪険に扱われた理由はそれだったのか!)
 アルバートは衝撃に背後を振り返ったが、ぐったりする相棒の異変に気付き、――それの意味することを理解して――飛び上がった。
「っつーか、吐くなよ?! 吐くなよ!? おい、ヒューズ!? マジで聞いてる!?」
「うん。へーきへーき…………うっ」
 巨体の下から這いずり出ようとするも、背中にしがみついたヒューズがそれを許さない。
 必死に手足をじたばたさせ、地を泳げば……ふいに、くすんと鼻を啜る音が耳に届いた。
「…………面倒臭い奴だな」
 アルバートは嘆息する。
「まぁ、俺の方が年上だしな」と独りごちると足に力を入れ、ヒューズを背負って立ち上がる。
 もちろん自分より背の高い彼を負ぶる力などないから、引きずり歩いた。相棒は泣いているのだろうが、別の不安も完全には消去できず、アルバートはできる限りそっと、尚且つ最大限の速度で家路を急いだ。
 ……静かな夜だった。
 下弦の月の照らす道を、二人はふらふらと進んだ。
「ねー、アルしゃーん」
「あー?」
 譫言のようにヒューズが呼ぶ。
「ねー、アルしゃーん……」
「だから、何だよ」
 彼はぎゅっとアルバートの首にしがみついたが、結局何も言わなかった。
 アルバートも敢えて問い質そうとはしなかった。
 それから二人は、言葉なく夜を聞いて歩いた。
 寮の門が見えてきたのは空が白んだ頃だった。帰って来られたのは奇蹟だった。
「あれー? アルしゃん、どこに行くのー」
 寮のロビーの扉を開けて、部屋に向かった時、半眼を開いたヒューズが熱っぽい吐息を漏らして問うた。
「部屋に戻って来たンだよ」
 自室の玄関を開けたアルバートは、見覚えのある部屋に、ほっと安堵の溜息を吐いた。
 台所のテーブル上に放置された夕食を目にすると、ぎゅぅと胃が縮んで、空腹を訴える。
「ったくよぉ。試験最中だって自覚あンのかよ、お前」
 とりあえず、ヒューズをベッドに転がしてからパンを温めよう……そんな風に考えていれば。
「…………やら」
「あ?」
 アルバートは宙ぶらりんになった。背後からヒューズに抱きかかえられたのだ。
「ちょ、こら、下ろせ……ッ」
 クルリと回れ右させられたアルバートは、地に着かない足をバタバタさせて抗議する。
 ヒューズは激しく首を振ると、鼻先をアルバートの後頭部に押しつけた。
「やら。やらやらやら! 僕、おうちに帰るう!!」
「はあ!?」
「出来ないもンは出来ないんでしゅよぉ! どーせまた落ちるンでしゅよ! 僕は、ダメなんでしゅよぉ!!」
「おま……」
 涙声の叫びに、アルバートの内でピーッと音を立てて怒りのバロメーターが上昇した。
 が、彼はグッと拳を作ると、目を閉じて我慢した。
 辛い時は誰だって逃げたくなるものだ。自分だって、そうだったじゃないか。
 こんなことに苛立つなんて大人げない……などと自分に言い聞かせるも、
「おい。ヒューズ」
「やら!! 絶対にやらッ!!」
 ぷーんと、そっぽを向いた相棒を前に、アルバートの中でブチンと音がした。
 ――――アルバートは俯いてから、思い切り顔を上げた。
「ぷぎゃっ!」
 ヒューズはバネが跳ね返るように勢いをつけた相棒の後頭部に、強かに鼻を打って悲鳴を上げた。
 拘束してくる両手が緩んだ隙をつき、するりとそれから抜け出すと、アルバートは地に蹲る相棒を放って台所に真っ直ぐ向かった。やがて桶に水を汲んで戻ってくる。
「アルしゃん……」
 めそめそと顔を覆って座り込んでいたヒューズが顔を上げた。
 アルバートは嘆息と共に、その間抜け面を見下ろすと、
「話し方がキモイ」
 言って、容赦なく水をぶっかけた。
お読みくださり、ありがとうございます。
次回は、3月27日(金曜日)7時予定です。
宜しくお願いしますm(_ _)m
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