挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

ブックマークする場合はログインしてください。

アヤメさま、宝船に乗る

作者:大和かたる
七福神の紅一点、弁才天。水の女神であり、芸術神であり、軍神でもある彼女をフィーチャーした連作短編です。できればいつか七福神からソロ・デビューしてもらいたいと思っているので、私の作品がその一助になれば…嬉しいなぁ…
今回は大晦日・元旦もの。お正月気分でお楽しみ下さい。
 

 1

 アヤメさまがそれを知らされたのは、大晦日を翌日に控えた十二月三十日のことでした。
 つめたい冬の朝。境内の掃除をしたあと、ガラス戸を閉めきった縁側で猫如来と遊んでいたのです。
 そばに置いたストーブの熱と、ひざの上の猫如来の体温。いいかげん気持ちが良くなってきて、うつらうつらしておりましたら、
《起きなさい。アヤメ、起きなさい》と、ふいに耳元で声がします。
 ハッと目を覚まして顔をあげますと、くもった硝子ごしに小さく見える山門に、リンドウ姉さま(サクラ姉さまのご親友です)が立っておられました。
 あちゃあ…
 アヤメさまの表情がこわばります。リンドウ姉さまは、妹たちに厳しいことで有名な方でした。いつも周囲に甘え、失敗しても笑って誤魔化しているアヤメさまなどは、ことあるごとに目黒の宮殿に呼びつけられ、きついお叱りを受けています。
 わたくし、また何かやらかしましたでしょうか…
 ここは気付かなかった振りをして部屋に戻りたいところですが、こんな寒い朝、訪ねて来られているのです。むげにも出来ません。
 仕方が、ありません…
 アヤメさまは溜息をついて縁側の硝子戸を開け、つっかけを履いて境内に出ました。
 うう、さむい…
 背中を丸めて山門に向かい、姉さまの前に立つまでには、しゃんと背中を伸ばします。
「おはようございます。リンドウ姉さま」精一杯、女神らしい気品を取り繕ってお辞儀をしました。 
「何か、ご用でしょうか」
 でもリンドウ姉さまは、若い弁才天の間で雪女と揶揄される、氷のような表情を変えることなく、黙ってうなずくだけ。お美しい分だけ、よけいに刺々しく感じてしまいます。
 会話が始まらないことに焦ったアヤメさまが、
「あの、ではお上がりになってください。いま、熱いお茶を入れますから」と言いますと、ようやく、
「いえ、用件だけ伝えて、帰ります。わたしはお前ほど暇ではありません」とおっしゃいました。そして単刀直入に、
「アヤメ、今年の宝船はお前が乗りなさい」。
 え…
 幼い女神の口が、ぽかんと開いてしまいます。
 リンドウ姉さまは、何をおっしゃっているのでしょうか。宝船といえば、福の神にとって年に一度の大切な行事。大黒天、恵比寿、福禄寿、寿老人、毘沙門天、布袋、そしてアヤメさまたち弁才天。それぞれの一族から代表者を送り出し、空から人々に宝物を授与するのです。まさかそのような行事に、一族代表としてわたくしを派遣するおつもりでしょうか。
 ありえません。それは絶対にありえません。宝は誰かれ構わずに振舞われる訳ではないのです。行いの正しい、善良な人間を選んで配られなければなりません。だからこそ乗員には、分別があり、人の本質を見抜ける優秀な神が選ばれるはずでした。
「あの… それは何かの間違いではありませんか。わたくしでは、その、明らかに役不足だと思うのですが…」
「まったく、その通り」リンドウ姉さまが頷きます。
「本当は、今年の宝船には、わたしが乗るはずでした。ただ、どうしても外せぬ用ができましてね」
「では、誰か他の姉さまに…」上目づかいに呟いた途端、じろりと睨まれてしまいました。
「年若くとも、お前は弁才天。仕事をまかされて光栄と思いなさい」
 そのとき、猫如来が縁側から出て、のそのそと山門に向かって来ます。アヤメさまが戻ってこないので、様子を見にきたのでしょう。猫如来は主人が困っている様子を哲学者の眼差しで見つめていましたが、リンドウ姉さまの視線が自分に向くなり、
「シャーッ」威嚇をして、すぐに家に戻ってしまいました。
「飼い主と同じで、躾がなっていないようですね」
 きびすを返した姉さまの後ろ姿に、
「お待ちください」アヤメさまは勇気を出して声をかけます。
 この話は何か変です。宝船への乗船命令は本来、サクラ姉さまの宮殿に赴き、じきじきに辞令書交付を受けなければならないのです。いくらご親友とはいえ、リンドウ姉さまから口頭で告げられるようなお話ではありません。
「あの、サクラ姉さまは、このことをご存知なのですか」
「あのコは東京弁天。われらが隊長ですからね。当然、了解は得てあります。いいですか、出発は明日の夕刻六時。明朝、集合地点は日本橋です。くれぐれも粗相のないように」
 リンドウ姉さまはそう言い残して、寺を出て行かれたのでした。

 リンドウさまが帰られたあと、アヤメさまはご自分の部屋に駆け戻り、ただただ不貞腐れておりました。
 とてもイヤな気分です。そもそもアヤメさまは、リンドウ姉さまが苦手でした。姉さまも自分のことを嫌っておいでだろうと思います。そのリンドウ姉さまに自分だけでなく、猫如来まで「躾がなっていない」と断じられたのが不愉快ですし、サクラ姉さまを「あの子」呼ばわりされたのも気に入りません。たしかに二人はご同期。数日ちがいでお生まれになり、しかもリンドウ姉さまの方が上なのだとも聞いてはおります。でも、サクラ姉さまは首都東京を護る《東の弁才天の長》。若い弁天のあこがれの的なのです。妹の前で「あの子」呼ばわりはないと思いました。
 だいたい、サクラ姉さまが自分を宝船に乗せることを了承されたということ自体、怪しいです。自分のような小娘を派遣すれば、他の福神さまから軽く見られ、ひいては一族の評判を落としかねないではありませんか。
 ならば、これはやはり意地悪なリンドウ姉さまの策略…
 アヤメさまは起き上がると部屋を出て、お台所に向います。リンドウ姉さまは、高を括っておられるのでしょう。でもアヤメさまも知っているのです。《宝船に乗ることは名誉》というのはあくまで建前。実際は、自ら率先して名乗りをあげる姉さまなどおらず、互いに押し付けあわれていることを。
 ところで何故、姉さま方は宝船を嫌がるのでしょうか。
 その理由は、七福神には女の神さまが弁才天しかいないからです。大和縦断の旅の間、女神はたった一人で男神さまの相手をしなければなりません。それでも、若くて素敵な男神さまでもいれば話は別なのでしょうが、七福神のメンツを見れば、それが望むべくもないことは分かります。
 そんな訳ですから、毎年、宝船に乗る姉さまを決める作業は難航するそうです。誰も乗りたくない半面、修業のためと年若い妹に押しつければ、粗相があった時に一族の体面が保てません。だから最近は、中堅どころの姉さまの中から恨みっこなしの《あみだくじ》で決めるのが通例のようですが、それですらハズレを引いた姉さまが、
「代わっておくれ。お願いだから代わっておくれ」と周囲に泣きすがる場面は珍しくないのだとか。
 なるほど、とアヤメさまは腕をくみました。
 リンドウ姉さま、クジで負けてしまわれたのですね。それでも宝船に乗る決心がつかず、いちばん年が若くて、姉さま方の言いなりになるしかないわたくしに押しつけた。そう考えるのが自然だと思います。
「そんなの、サクラ姉さまがお許しになるはずがありません」
 部屋を出て台所に向かい、水屋からお気に入りの猫マグカップをとりました。水をはってみなもに呼びかけます。
「姉さま、サクラ姉さま」
 でも、東京弁天サクラさまは答えて下さいませんでした。
「わたくしです。アヤメです。とても大事なお話があるのです」
 もういちど呼びかけてみましたが、それでも応答はありません。こんなことは初めてです。今までは、最初の呼びかけで、すぐにお姿を現して下さっていたのに…
 それから何度も試してみましたが、結局、一度もサクラ姉さまと通信はつながりませんでした。
 そして夜、就寝まえ。
 パジャマ姿のアヤメさまは、お布団の上でまだマグカップを持っていました。
 このままでは眠れません。姉さま方の言いつけは絶対。でも、サクラ姉さまの真意をうかがわないと、アヤメさまはどうしても踏ん切りがつかないのです。
 このまま通信が繋がらなかったら、どうしよう…
 サクラ姉さまとお話ができない事と、リンドウ姉さまの言いつけをきかなくてよい事はイコールではありません。明日、アヤメさまが行かなければ、宝船は弁才天を乗せないまま出発することになってしまいます。
「お願いです。出てください…」
 アヤメさまの目にじわっと涙が浮かびました。今まで、困ったときに姉さまが相談にのって下さらなかったことなど、一度もなかったのです。アヤメさまから言い出さなくとも、いつも姉さまの方から「どうしたのです?」と声をかけて下さっていました。
 いったい、何があったというのでしょう。
「サクラ姉さま…」
 いてもたってもいられなくなり、お部屋の窓を開けました。お着替えも、髪の整えもしないままにトンと床をけって、パジャマのまま夜空に飛びたちます。
 凍える冬の夜空を、人間に見つからないよう、出来るだけ高度を上げて南西の方角に飛びました。やがて、オレンジに輝く東京タワーが見えてくると、まるでそれ自体が姉さまのような気がして、笑みをこぼしながら地上におります。
 サクラ姉さまがお住まいになっているお寺。そして、人間には見えない宮殿へと繋がっている、弁天池の橋。裸足のままそれを渡って、小さな祠の前で膝をつきます。
「姉さま、サクラ姉さま」夜も遅いので、小声で呼びかけました。
 でも、お厨子のなかは空。サクラさまは留守にされているようです。しょんぼりと肩を落としたとき、
「おや、アヤメさまではござらぬか」
 声がして、厨子の後ろから白蛇がにょろりと姿を現しました。この白蛇はサクラ姉さまの従者さんです。
「どうなされたのです。こんな時間に…」
「姉さまを探しているのです。白蛇さん、ご存知ないですか」
「おひいさまは、急な仕事で留守にされております。ご用件あらば、拙者が申し受けますが」
「じつはリンドウ姉さまに、明日の宝船に乗るよう命じられました。サクラ姉さまもご承知だからと」
「拙者も、そのようにうかがっておりますが…」
「姉さまのご真意を伺いたいのです。どうして、わたくしなんかを派遣することになったのか」
 白蛇が困った様子で、目線をそらしつつ、
「いや、そこまでは拙者もさすがに… ただ昨夜おそくにリンドウさまがお見えになりまして、サクラさまとご協議の上、決められたのだとか…」
「そうですか…」
 アヤメさまは首をうなだれました。やはりサクラ姉さまは御了解されているようです。
 肩をおとしたまま、ため息をつきました。なんだか頭がふらふらします。もう乗るしかないようでした。明日、船着場に行かなければ一族に、いえ、何よりもサクラ姉さまに恥をかかせることになりますから…
 アヤメさまは無言で夜空に浮かびあがり、紙ヒコーキが風に弄ばれるように、ゆらゆら、ゆらゆらとお家に戻られたのでありました。




 翌日の夕刻、アヤメさまは集合時間の十分前に日本橋の上に立ちました。
 冬の夜は早いです。夏ならまだ明るいこの時間帯にも、今はすでに夜のとばりが下りています。
 アヤメさまは、何を着て、どんなお洒落をするべきか、そんなものに迷うことはありませんでした。宝船は正式な伝統行事なのですから、身の程はわきまえなくてはなりません。だから、いつも学校に通うときと同じセーラー服に通学コート姿です。
「ほんとうに、この場所でいいのでしょうか」
 大晦日の夜、人通りは決して少なくはありません。こんな人目につきやすい場所というのはどうかと思います。
 すぐそばには、サクラ姉さまとよくお買い物をする三越。でも昨夜のこともありますので、見慣れたその建物にすら距離をとられているような気がします。
 ずっとうつむいていると、
「よおっ」と声をかけられました。ふりかえると、柄の悪そうな中年のオジサマが二人、立っています。
 ひとりは筋肉もりもりの大男で、工事現場のようなだぶだぶズボンに黒い革ジャン姿。頭には阪神タイガースのキャップを被っています。もう一人は小柄でずんぐり太っていて、《Iラブ秋葉原》のTシャツにジーンズ姿。手には、アニメの女の子が描かれた紙袋を持っていました。
 うわあ…
 さすがに、退いてしまいます。アヤメさまは女神ですので、彼らの正体が毘沙門天さまと大黒天さまであることは分かりましたが、変装するにしても、もう少し何とかならなかったのでしょうか。
 もしかすると、変装ではないのかもしれません。だって、この方たちは人間から見えないように、自分の姿にフィルターをかけています。
 し、私服…?
 アヤメさまは顔を引きつらせつつ頭を下げました。
「わたくし、弁才天のアヤメです。このたびは一族を代表してまいりました。ふつつか者ではございますが、どうぞよろし…」
「なんや、このチビ」
 革ジャンのポケットに両手を入れたまま、毘沙門さまが眉をしかめました。
「若手が来るいうから、どんなカワイコちゃんかと思てたら、まだネンネやんけ」
「残念であったな、毘沙門。これなら、まだサクラのほうが良かったのではないか。去年のことがあったにしろ」
 無表情で淡々と話す大黒さまが、何というか… ちょっと気持ち悪いです。でも、アヤメさまはそれを表情に出さないように努めながら、
「あの… 毘沙門さまは、サクラ姉さまとお知り合いですか…?」。
 すると、大黒さまがニヤッと笑って答えました。
「こやつは去年、酔った勢いでサクラに脱げ脱げと迫ったのだ。あまつさえ乳をわしづかみにしたものだから、逆上したサクラに土下座をさせられた」。
 え…
 アヤメさまは凍りつきましたが、すぐに我にかえってわが身を庇い、
「わ、わたくしにヘンなことをしたら、姉さま方が黙っておりませんよ…」。
「やかましわ、ボケ」毘沙門さまがペッと唾を吐きました。
「おどれみたいなオタマジャクシ、ぜんぜん興味ないわ」
「オタマ…」
 自分でも顔が青ざめていくのが分かります。
 毘沙門天さま。なんと失礼な殿方なのでしょうか。ついでに言えば、大黒さまが女神の前で鼻をほじっているのも不愉快です。
 アヤメさまが唖然としたままでいますと、
「心配せずともよい」大黒さまが真顔で言いました。
「ボクは、キミくらいの年の娘が好みだ」
 ひいっ…
 アヤメさまはさっと後ろに飛びさがり、くるりと一回転して通学スタイルから、琵琶を抱えた弁才天の正装に早変わり。結いあげた黒髪に金色の宝冠、青いお着物にはゆらゆら揺れる羽衣。姉さま方ほどではありませんが、それなりに様にはなっているはずでした。
「ご、ご存じですよね。われら弁才天は軍神でもあるのですよ。気安くふれるとお怪我をなさい…」
「おお、こわ。怖すぎてチビるわ」
 毘沙門さまがガッハッハと笑ったかと思うと、次の瞬間にはアヤメさまの足が宙に浮いてしまいました。すばやく背後にまわられ、抱き上げられたのです。何という早業。動きがまったく見えませんでした。
「はっ、離してくださいっ。わたくし…」
「おウチに帰してください、かね。馬鹿を言うものではない。キミが乗らないと、メンツが揃わないではないか」大黒さまが暑苦しい顔を近付けてきます。
 足をばたばたさせて抵抗しましたが、ムダでした。アヤメさまは毘沙門さまに担がれたまま、橋を渡りきったところにある石段から、下の川まで運ばれてしまいます。
 川べりには木製の船。それもかなり大きくて、周囲にとめてある屋形船をおしのけて、一隻だけで川を占拠しています。
 アヤメさまは積荷よろしく担がれたまま甲板に運ばれ、そこでお尻から床に落とされてしまいます。
「こんな乱暴な扱いを受けたのは初めてですっ」
 思わず叫びました。
「ほかの神さま方は何処ですか。その方たちに保護を求めます」
「皆なら、昨夜から泊り込んでいるよ」
 大黒さまが船室の扉を指さします。
「年にいちどのお楽しみだからな。待ちきれないのだろう」
 アヤメさまは野蛮な男神さまたちを睨みつつ、その前に立ち、
「後生です。わたくしを保護して下さい…」勢いよく扉を開きました。
「う、くさっ」
 船室には、お酒の匂いが充満していました。いえ、お酒だけではありません。もっと別の… 汗というか、何日もお風呂に入っていない匂いというか… とにかく臭いのです。臭いうえに、室内には冬にもかかわらず熱がこもっていて、酒びんが散乱し、ハエが飛びまわり、ゴキブリがカサカサと走っています。そんな劣悪な環境の中で、ご老人がふたりと、でっぷり太ったおじさまがふたり、そろいも揃って裸で魚寝をしておられます。
 ふんどし一丁で雑巾のような毛布を抱きしめ、頬ずりしている恵比寿さま。大の字になって口をあけ、よだれを垂らしている布袋和尚さま。むきだしのお尻のデキモノをぼりぼり掻いている福禄寿さまに、ミイラ標本のように白目をむいて、歯ぎしりをしている寿老人さま。
 アヤメさまはおぞましさのあまり、ぺたんと尻もちをついてしまいました。
「刺激、強すぎたか」毘沙門さまが、船室をのぞきこんで笑います。
「気にすんな、いつもこうやねん」
「うむ。こいつらが起きるまで、われらインド伝来組で仕事をするしかないのだよ。では出港しよう。舵はボクがとる。毘沙門と弁天は、宝物をまく準備をしてほしい」
 大黒さまが船室にもぐりこみ、熟睡している男神さまを足蹴にしながら道を作って、奥の扉の向こう側に消えてしまいました。どうやら、そこが操舵室のようです。
 毘沙門さまが、川べりに船をつないでいたロープを外しました。腰が抜けてしまったアヤメさまは、四つん這いで毘沙門さまの所まで行き、その足に縋って、
「おろして下さい。わたくし、やっぱり…」。
 でも、
「甘えんな、ボケ」ぎろりと睨まれてしまいます。
 アヤメさまにも、姉さま方が宝船を忌み嫌う理由がやっと理解できましたが、時すでに遅し。がたがた震えるアヤメさまを乗せて、船は水の上を滑りだしたのでした。




 ちょうど海が見えてきた頃、それまで川の流れに身をまかせていた船は、
「よーし、エンジンかけろっ」という毘沙門さまのかけ声とともに、ぶるんぶるんと振動をはじめました。
「全速前進、いけーっ」
 いきなり、モーターボート並みにスピードアップです。アヤメさまの体は衝撃で後ろに吹き飛び、操舵室の窓にはりついてしまいました。
「きゃあっ こわいっ こわいこわいいっー」
「ガアッハッハッハ」
 船がトビウオのように水面をバウンドし、水しぶきが顔にかかります。その時、毘沙門さまが急にふりかえって、
「うらうらうらーっ」いきなりこちらに突進してきました。
「いやあっ」思わず両手で頭を抱えると、毘沙門さまはアヤメさまの目の前で大きくジャンプ。船室の上にあるマストに飛びあがります。
「な、何ですか、今のは…」
 恐る恐る自分も顔をのぞかせますと、毘沙門さまが帆をとめてある縄を剣で切ろうとしているところでした。
「飛ぶぞーっ」
 縄が切られ、大きく朱で《宝》と書かれた帆がバフッとひろがります。その途端、風に煽られて宙に浮き上がる船体。
 宝船はぐんぐんと高度を上げ、眼下の東京の街はみるみる小さくなっていきました。
「わあ…」
 これは壮観です。マストの基礎部分にしがみつきながら、風を頬に受けつつ、
「いまから、どちらへ?」と訊けば、
「まずは北や。北の果てまで三時間。そこをスタート地点にして西の果てまで六時間で宝を配るねん。それが終わって日本橋に帰ってくるまで更に三時間。合計十二時間の船旅やな」
「わたくし、此処に居てもよいでしょうか。船室はちょっと…」
「別にええけど、準備は手伝ってもらうで。ついてこい。宝の仕込みを教えたる」
 毘沙門さまはいつの間にか、正装の甲冑姿になっていますが、やっぱり、こちらの方が格好いいです。毘沙門さまはアヤメさまをひょいと抱き上げると、甲板に飛び下りました。取っ手がついている床の一部に手をかけ、上に引くと、船底につづく階段が見えました。
「ほな、行くで」のしのしと下りていきました。
 船底といえば暗いイメージですが、中はとても明るいです。アヤメさまも後をついていきますと、船底の倉庫には大判小判に米俵、打ち出の小槌にサンゴまで、古今東西のありとあらゆる宝物がぎっちり詰まっていて、強烈な光を放っていました。
「これはまた、絵に描いたような…」思わず、本音が出てしまいます。
「こんな宝物、絵本でしか見たことがありませんよ」
「おう、ベタやろ。でもな、これが基本やねん。おどれら若いモンは、なんで米が宝や言うかもしれん。米よりケータイとかゲーム機がええちゅうてな。でも、この米があったら明日も生きのびられる、死なんですむっちゅうモンはいくらでもおるんやで。生きる為に必要なもん。それこそ宝や」
「サンゴは生きていくために必要なのですか」
「揚げ足とんな、ボケ」
 アヤメさまは人懐こい性格です。毘沙門さまの口が悪いのはクセなのだと思うと、少しだけ怖くなくなった気がしました。
「ここにあるものを空から撒くのですよね」
「そや」
 アヤメさまは大きな米俵を指差して、
「でも、これが当たったら、人間は死ぬのではありませんか」。
 毘沙門さまがため息をついて、握りこぶしで俵を叩きます。流れだした純白の新米。それを両手いっぱいにすくって、そっと両手を合わせるような仕草をしました。すると、お米が光を放ってかたまりになり、それをそのまま捏ねます。やがてお米の玉は、テニスボール大のまぶしい宝玉となりました。
「わあ… すごい…」
 なんて綺麗なのでしょうか。真珠のような輝きの、半透明の米玉。
「こんなふうにして、人間にぶつけるんや。ほんだらスッと体の中に入って、そいつの中で光りつづける。光はどんどん他の穀物を呼びこんで、食うに困らんちゅうわけや」
「す、すごいです。わたくしもひとつ欲しいっ」
「おどれが欲しがってどうすんねん。ここにある宝物で、しこたま玉を作って、本番に備えんかい」
「わ、わたくしにも出来るでしょうか…」
 アヤメさまは米玉をいろんな角度から眺めつつ、目をキラキラと輝かせました。あきらかに早く作ってみたいと思っています。
 アヤメさまは弁才天。芸術の神さまですから、美しいものを作りたいと思うのは本能なのです。
「材料はいっぱいある。好きなんでやってみ」
 よしっ
 アヤメさまは腕まくりして、倉庫の床に腰を下ろしました。




 それからアヤメさまは、食事をとるのも忘れて一心に宝玉を作り続けました。途中までは毘沙門さまも付き合ってくれたのですが、すぐに飽きたのか、
「わし、ちょっと休憩な」と出て行ったきり、戻って来ません。
 でも、そんなことはどうでも良くて、アヤメさまは一人で作業に没頭できることをむしろ歓迎していました。最初の何個かは形がいびつだったり、輝きが鈍かったのですが、すぐにコツはつかめて作業は佳境に入りました。
 宝玉のコツ。硬い素材は、まず両手でやさしく撫でながら、
「お前を少し分けておくれ。お前を必要とする人の所に送ってあげるから。やわらかく、当たっても痛くないようにね」と念じます。すると宝はぷるんぷるんのゼリーみたくなりますので、後は、
「いい子ね、いい子ね」と掌で転がすのです。この方法で美しい玉が出来ると分かってからは、アヤメさまは一個作るごとにより美しく作るスキルを向上させながら、もくもくと玉を生み出していきました。
 そして何時間か経った後、毘沙門さまが倉庫におりてきて、
「おう、どのくらい出来…」と言いかけて、幼い女神の周りに積まれた色とりどりの宝玉の山に唖然としてしまいます。
「おどれ、これ、全部ひとりで捏ねたんか…?」
 ようやくアヤメさまも我にかえり、
「あら… もう宝物がありません…」座ったまま伸びをしました。
「た、玉作り名人の誕生や…」
 毘沙門さまは、《アヤメさま/作》の玉をひとつひとつ手に取り、その完成度に驚嘆していましたが、はたと我に返って言いました。
「お、そや。出発地点に着いたぞ。さっそく、これ配ろか」
 そんな訳で、アヤメさまと毘沙門さまは手分けして宝玉を甲板に運び出し、二人並んで地上を見下ろしました。
 もうすっかり夜ですので、眼下の大平原は暗い海のようです。
「こうやって下を見ながら、宝をやりたい人間に狙いを定めるんや」
「でも、この辺りはあまり人が住んでいませんね」
 アヤメさまがつぶやきました。ちなみにお二方は神さまですので、どんなに遠くからでも地上の人間の姿と、目をこらせば、その考えていることまで見ることが出来ます。
「お、あれにしよか、あれ」
 毘沙門さまが、牛の世話を終えて牧場の事務所で書類を作っている女性を指差しました。彼女は一生懸命お仕事をしているのですが、まだ新人さんなのか、横にいる男の人にずっと怒られています。
「もたもたするな」とか「何をやらせてもダメだな」とか、小言を言われ続けていました。
 アヤメさまには彼女が、そんなにヘマをしているようには見えません。確かにちょっともたついてはいるのですが、こんなに遅くまで頑張ってお仕事をしているのです。ただ彼女の大人しい、ちょっと暗い態度が相手をイライラさせているようでした。
「かわいそうですね。一生懸命やっているのに」
「あの姉ちゃん、心が弱いんやな。人間も動物やさかい、弱みを見せたら甘う見られる。他のモンやったら噛みつかれんでも済むとこを、ついつい目をつけられてしまうんや。ええか、人間は本人が心を仏にしようと努めん限り、弱い生き物をいたぶるケダモンと同じなんやで。ま、こういうときには…」
 背後の宝玉の山を振り返って、
「ハガネの盾があったやろ。あれで作った玉、どれや」。
「あ、はい」
 アヤメさまが宝玉の山に手を入れて ごそごそと探ります。すごく固くてなかなかゼリー化してくれなかった野暮ったいハガネ玉。それはすぐに見つかりました。
「あんまり宝物っぽくないですね」
 作者としてはあまり思い入れのある作品ではないので、躊躇することなく渡しますと、毘沙門さまが大きく振りかぶって地上に投げます。ハガネ玉はまっすぐに牧場に向って飛び、ネチネチと叱られている女性の頭に当たりました。
 ひゅぽん
 そんな音がして、玉は女性の中に消えてしまいます。
「ほんとに、体の中に入ってしまうんですね…」
「おう。よう見とらんかい」
 息をこらして地上の様子を見つめつづけますが、あいかわらず女性はうつむいたまま。変化の兆しはありません。
「なにも、起こらないではありませんか」アヤメさまが毘沙門さまの鎧をゆさぶろうとした時、
「いいかげんにしてくださいっ」
 女性が顔を上げて、きっぱりとした口調で言いました。
「あなたがこの方法でやれと言ったんじゃないですか。私はそれに従っただけです」
 いきなり反抗されて、若い男はびっくりしたようです。何か言いかけていた口が止まってしまいます。
「だいたい、これはあなたの仕事ですよね。お父さまからキツク言われているのに、自分が遊びに行きたいから、私に押し付けたのでしょう。勉強のためだと思って我慢していましたけど、気が変わりました。私、やめます。そのかわり、あなたが牧場のお金を盗んでいること、全部お父さまに言いつけます」
 くるりと向きをかえ、さっさと事務所を出ようとする女性を、
「ま、待てよ。いきなりなんだよ。パパに告げ口なんかするなよ」男がオロオロして追いかけます。
「ガッハッハ。パパだってよ、パパ」毘沙門さまがお腹を抱えて笑いました。
「でも、いいのですか。あの人、あとで仕返しとかされませんか」
「一発限りのハッタリやったら、そういうこともあるかもしれん。でも、ハガネの盾を心に宿したからには、姉ちゃんの肝の座り方はホンマモンや。あんなガキじゃ、もはや太刀打ちは出来ん。ええか、おのれの弱さに嘆く人間は多い。そいつらには金より、食いモンより、この《ハガネの盾》こそ最強の贈り物なんや」
「へえ」アヤメさまは感心して、毘沙門さまを見ました。
「わたくしも、挑戦してみたいです」
「おう、いったらんかい」
「あの、ちなみに…」ちらりと船室の方を見て、
「行事はもう始まっているのですよね。他の方は、起こさなくてもいいのでしょうか」。
「ああ。宝を配り終わったら宴会やるねん。それまであいつら、起きてこうへんから」
 ふーん、とアヤメさまは思いました。
 聞いていたのとは、だいぶ違います。いえ、宝船が女神の敵であるという噂は本当でしたが、乗っている神さまが優秀な方々だというのは甚だ怪しいと思いました。




「ああ、もうっ」
 船から地上を見下ろし、アヤメさまが地団駄を踏みました。
「ちっとも上手く行かないではないですかっ」
 さっきから、いろんな人間に玉を投げているのですが、まだ一度も命中していません。アヤメさまの投球はまるでデタラメでした。
 そもそも姉さま方に蝶よ花よと可愛がられ、お上品に育ったアヤメさまには、モノを誰かに投げつけるという行為自体、似つかわしくないのです。だから、いくら狙って投げても、玉はまったく明後日の方向に飛んでいってしまうのでした。
 たとえば…
 家族のために頑張っているお父さん。彼に小判玉を投げても、それはぜんぜん別の場所でやさぐれている太っちょのノラ猫にあたりました。
(猫に小判です)
 うんと可愛くなって、映画スターになりたいと願う小学生の女の子に赤いサンゴ玉を投げたら、さびしがり屋のガキ大将に当たってしまいました。
(彼は、男の子にモテモテになりました)
「くやしいったら、ありませんっ」
 アヤメさまはとうとう癇癪をおこして、甲板の上に大の字に仰向けになり、手足をバタバタさせます。その様子を見て毘沙門さまが、
「ホンマ、下手くそやのぉ。ちょい代わったれや」と言いますが、
「いやです。この玉はわたくしが作ったのです。わたくしが良いと思った人間に授けたいのです」と譲りません。
 それでも毘沙門さまが玉に手を伸ばすと、アヤメさまは山と積まれた玉に覆い被さって、
「いやです、いやです」とだだをこねました。
「可愛い顔して、頑固なガキじゃのう。こら、ちょっと仮眠でもとって、頭すっきりさせてから来んかい」
 毘沙門さまが諭しましたが、アヤメさまはふくれ面です。
「ええか、よう聞け。このまま出鱈目に投げとったら、宝玉がもったいないやろが。それに銀行強盗やヤクザもんに当たってみい、世の中に害をおよぼすかもしれんぞ」
 そう言われると、返す言葉がありませんでした。実際、毘沙門さまの言う通りだと思います。
 アヤメさまは黙って玉の山からおり、ぺこりと頭を下げました。
「少し、休むことにします…」
「そうか、そうか」
 毘沙門さまもホッとされたようです。甲冑の腰にぶら下げた巾着袋からおむすびを出し、アヤメさまにくれました。
「食え。腹へっとったら、ロクなことない」
 おむすびを受け取って、もう一度ぺこりと頭を下げます。お腹がぐうと鳴ったのが恥ずかしくて船室に向いましたが、アヤメさまは、船室が酔っ払いの魔窟と化していることを忘れていたようです。
 取っ手に手をかけようとしたら、ひとりでに扉が開きました。布袋和尚さまが、両手で口をおさえて立っています。何だかお顔も真っ青でした。
「ふ、船酔い…」布袋さまはそう呟くなり、
 びしゃびしゃびしゃっー
 甲板の上に、お腹の中のモノを勢いよく戻してしまいました。
 アヤメさまが視線を落とすと、布袋さまの散ったしぶきが、お気に入りの青い着物を汚しています。幼い女神はぼんやりと着物の汚れを見つめた後、声もたてずに泣き出してしまいました。 


6 

 アヤメさまは、夢を見ていました。
 はじめて体験する、ひとりぼっちのお仕事現場。何とかやり終えた後、サクラ姉さまの宮殿で、ずっと文句を言っている夢です。
 どうして、あんな現場に送ったのですか。アヤメは、とても酷いめにあったのですよ。サクラ姉さまは意地悪です。
 ひととおり不満をぶちまけた後、じっと見据えても、サクラ姉さまは小春日和のように優しく微笑まれているだけ。
 アヤメさまは、自分が甘えていることは分かっておりました。お仕事なのだから、文句など言わずにやらなければいけないのです。それは人間でも神さまでも同じなのです。でも夢の中ではワガママな感情を抑えることが出来ません。
 ずっとふくれ面でいますと、サクラ姉さまがおっしゃいました。
「そのようなことは、やるべきことを終えてから言いなさい」
 そこで、目が覚めたのです。
 アヤメさまは、船の後部甲板下にある小部屋におりました。なぜか丸裸で、カビ臭い毛布にくるまっています。
 はたと思い出しました。
 そうなのです。不幸な事故でお着物を汚してしまったアヤメさまは、あの後、泣きながら水の精を呼びつけ、お着物を浄化させたのです。水の精の努力と、アヤメさまの放った言霊により不浄は清められましたが、お着物はびしょびしょ。仕方なく、船尾の旗上げポールに干しておいたのです。普通ならすぐに乾くはずがありませんし、何より着物が痛みますが、アヤメさまは水の女神。水の精には、着物が元通りになるよう、慎重に乾かしなさいと命じておきました。
 それで待つあいだ毛布にくるまっていたのですが、疲れて眠ってしまったようです。
 どのくらい時間が経ったのでしょうか。アヤメさまのいる小部屋は掃除用具の倉庫でした。窓が一つもないので、外の様子は分かりません。
 船は今、どのあたりを飛んでいるのでしょうか。
 毛布を体に巻いて階段を上がり、ちょっとだけ蓋状の扉をあげてみました。強い夜風を受け、旗揚げポールの着物がバタバタとたなびいているのが見えます。
 戻っておいでと小声で囁くと、水の精たちが着物を運んできて、アヤメさまの体にそれをかけました。
「ありがとう。もう戻っていいですよ」
 水の精の労をねぎらい、彼女たちを帰します。自身は小部屋にもどって着付けをし、いそいそと髪を直してから甲板に上がったのですが、船首に男神さまたちが集まっていました。
 ひい、ふう、みい… ちゃんと六人、おそろいです。たしか皆さん、宴会が始まるまで起きて来ないのではなかったでしょうか。
「申し訳ありません。わたくし、眠って…」
 アヤメさまが駆け寄ると、毘沙門さまが、
「おう、弁天。ええとこに来た」と、自分の横にアヤメさまを立たせました。そして地上を指差します。
 眼下にひろがるのは見慣れた東京の夜景。船はすでに此処まで戻ってきたのです。右舷に陸地、左舷に海が見えますので、これから西を目指すのでしょう。
 でも…
 アヤメさまは、ふと海岸線を指差しました。女神の目に映る地上の景色が、いつもと違っています。何と言ったらよいのでしょうか。不穏で重苦しいのです。
「あれは、何なのでしょうか」
 黒いベルベットに無数の宝石を散りばめたような、まばゆい東京夜景。その陸と海の境目、海岸線沿いが、青い人魂のようにぼんやりと光っています。電気の光ではありません。それは数え切れないほどの松明の灯火でした。松明の火が帯状に、東にも西にも遥か向こうまで続いているのです。
「おどれ、何も知らされとらんかったんか?」
 毘沙門さまがアヤメさまを見ます。
「なにを、です?」
「まもなく、午前零時や。除夜の鐘とともに進軍なんやで」
 アヤメさまは意味が分からなくて、ぽかんと毘沙門さまの横顔を見ました。そのとき、
「それでは皆の衆、秒読みを開始するっ」
 福禄寿さまが、おもむろに一升瓶を高くかかげて叫びました。
「ごうっ、よんっ、さんっ」
 他の神さま方の表情も真剣です。イヤな胸騒ぎがしました。
「にいっ、いちっ、ぜろっ」
 そのときです。
 べんっ べんっ べんべんっ べんべんべん…
 無数の琵琶の音が巨大なかたまりとなって、地上からせり上がってきました。その衝撃は船を空中でぐらぐらと揺らします。
 そして、はるか西の彼方に二つ。東に一つ。とてつもなく大きな光の柱が海底から浮上してきました。
 場所は中国地方と中部地方、それに神奈川あたりです。もちろん西の二つは、船の高度では見えるはずのない遠方ですが、なぜかアヤメさまには三つの光の源がはっきり認識できたのでした。
 安芸の宮島、琵琶湖の竹生島、湘南の江ノ島。いずれもアヤメさまたち弁才天一族の名家中の名家、日本三大弁天のお住まいではありませんか。
 日本三大弁天。アヤメさまのような子供が謁見かなうことのなき方々。姉さまというより、もはや母さまとでも呼ぶべき高位の弁才天さまたちです。
 全長六百メートルを優に超える三柱の弁才天さまが海上にお立ちになりました。その足元には日本全国の姉さま方が、松明の火を持ち、一列にお並びです。さらに後ろには、弓、剣、槍で武装された姉さまが一糸乱れることなく隊列をなしています。
 いったい、何人いらっしゃるのでしょうか。
 五万? いえ、十万以上? 
 西から東まで合わせると、数えることも適わぬほどの女神たち。アヤメさまはこの時まで、大和の国にこれほど沢山の姉さまがおられることを知りませんでした。
 ゴーン…
 ひとつめの除夜の鐘が、鳴らされました。それと同時に、松明を持った姉さまの列が進軍を開始します。空から見ると、まるで海岸線がゆっくり前に動いたようです。
「なにが始まるのですか」アヤメさまの質問に、
「戦に決まっとろうが」毘沙門さまが真面目な顔で答えます。
「海の向こうに災いがおる。ずっと姿を隠しとったから、誰もおとついまで気付かんかったんや」
「災いって、どんな…?」
「ええか、この世界には大きく分けて、《大地の神》と、そこに住む生き物をつかさどる《生き物の神》、つまりワシらがおる。大地の神はいつも不機嫌でな。とくに人間のことを良く思うてない。人のおイタが過ぎると、災害を起こしたり疫病を流行らせたりして間引きしよるんじゃ。だからワシらがそれと戦う。人間がおらんようになったら、ワシらの存在理由も無くなるからな。
 おどれの一族はその先発隊よ。故郷に危機が迫ったら、まず水の女神が海の護りにあたる。それが島国の常識やからな」
「毘沙門さまたちは、援軍を出して下さらないのですか」
「そんな必要はない。おどれらが全滅したら、次にワシらが陸の護りにあたるだけのことや。なにしろ今回のは、過去最大級の敵らしいからな。おとつい、弁天一族は総員徴兵ゆうてお達しがきたらしい」
「総員、ですか?」アヤメさまが自分を指差します。
「では、どうしてわたくしは此処に?」
「サクラとリンドウで決めたんやろ。昨晩、リンドウが本家にきてな、若手をひとり残すから面倒みてくれ言うて、菓子折り置いてったわ」
「な…」
 アヤメさまの心に、大きな石が落ちてきました。そこまで自分は足手まといだったのでしょうか。姉さまの本音が分かって愕然としました。
 ごーん、ごーん…
 除夜の鐘が厳かに鳴りつづけます。
 松明の海岸線はかなり沖に出ていました。そのうち松明の列が足をとめ、うしろに控えていた武器をもった姉さま方と入れ替わります。
 江ノ島さまを将とする大隊から分離した、数百の女神中隊。見れば、どなたも顔見知りばかりでした。間違いありません。あれは東京地区の姉さま方です。その最前列に凛々しくお立ちになっているのは、サクラ姉さまとリンドウ姉さま。お二人は着物に白いたすきをかけ、ぎゅっと縛って剣を構えておいでです。
 江ノ島さまが、静かに頷かれました。すると海中から二匹の白い竜があらわれ、サクラ姉さまとリンドウ姉さまを背中に乗せて夜空に舞い上がります。それを合図に、次々と他の姉さま方も夜空に飛び立ち、水平線の彼方を目指しました。
「か、かっこいい…」
 新しい年を迎えたばかりの夜。大和を護らんと進軍する女神たち。その凛々しさ、美しさにアヤメさまはうっとりと見惚れずにはいられません。
 ああ、どうしてわたくしは、あそこに混ぜてもらえないのでしょう。
 いつも泣いてばかりいる小娘など、役に立たないからでしょうか。こうして国中の弁才天が一同に介しているというのに、自分だけがお留守番。そして、酔った男神さまに下品なことを言われたり、汚いものを吐きかけられたり…
 自分には、それくらいの価値しかないとでもいうのでしょうか。
「こんなの、あんまりです…」
 アヤメさまはうつむいて、唇を噛みしめました。
「どないしたんや」
 毘沙門さまの手が、ぽんと頭の上にのってきます。アヤメさまは八つ当たり気味に毘沙門さまを見て、
「サクラ姉さまがどうしてお優しいのか、いま、ようやく理解できました。それは、わたくしがダメな子だからです。ダメな子は何をやってもダメですから、そんな娘を妹にもったら、優しくするか、リンドウ姉さまのように冷たく突き放すかしかないのです」
「ひがんだこと言うな。ブスになるで」
「毘沙門さまだって、そうじゃないですか。最初からわたくしを子供扱い。どうせ、子守をさせられて迷惑だと思ってらっしゃるのでしょう」
「そんなことないぞ。おどれはなかなか見所がある。そや、姉御らが負けたら、毘沙門軍に入って仇うちするか」
「弁天一族が敗れることなどありません。ヒンドウ時代から、負け知らずの軍神なのですよ。そう、これは一族の晴れ舞台、見せ場なのです。なのにわたくしは、そこに立たせてもらえなかったのです」
「おい、おどれ」
 毘沙門さまの大きな手に、ぎゅっと力が入ります。
「ちったぁ姉御らの気持ち、考えんかい」
「言うてもムダじゃ」
 甲板に腰をおろし、船にあわせて自身もゆらゆら揺れながら、寿老人さまが言いました。
「若さは無知なり。されどその娘にも、後進の若者らを背負わねばならぬ日が必ず来る。先人の心とどくその日まで、放りおけ」
 その言葉は、アヤメさまにも聞こえておりました。
「酔っ払ってばかりの男神さまに、そんなことを言われ…」
 反論しかけた口を、毘沙門さまの手に塞がれてしまいます。
「こっち来い。ワシが宝玉の投げ方、教えたろ」
 アヤメさまを赤ん坊みたく軽々と持ち上げ、肩に担いでしまいました。そのまま、ガッハッハと笑いながら船尾に向かいます。
「それに手を出したら、サクラに八つ裂きにされるのではないか」
 大黒さまが、なぜか羨ましげに指をくわえていました。
 アヤメさまが口惜しさにボロボロと涙をこぼす一方で、宝船は進軍する弁才天一族と別れ、一路西へと向ったのでありました。




「下、見てみい」
 毘沙門さまがアヤメさまの頭をおさえて、眼下の夜景をのぞかせます。
「光の一個一個に暮らす人間を見るんや。その中から、これはと思う人間を探してみ。言っとくけど、とってつけたみたいに不幸な連中ばっかり探すんやないぞ。境遇は変わるモンやからアテにならん」
 アヤメさまは、言われていることが今ひとつ理解できず、訊き返しました。
「毘沙門さまは、貧しい人や困っている人に宝を授けるのは間違いだとおっしゃるのですか」
「間違いとは言わん。ワシも若かった頃は、貧乏人に宝を投げまくって悦にいっとった。ほら、天からの恵みじゃ、受け取れ言うてな。ほんだら、ある男は病気の親友に薬も買うてやらんと、自分だけ貧民街から逃げ出しよった。ある女は、さっきまで同じ境遇やったモンを小間使いにしてイジメぬき、それまでの己の人生に復讐した。手にした宝で他人まで幸せにできた人間はごく僅かや。分かるか。境遇で見たら失敗する。それがそいつの本質やないからな。金や地位くらいでは汚れん心をもった人間を探せ」
「なるほど…」
 アヤメさまは感心しました。自分はただ貧困にあえぐ人や、頑張っているのに報われない人に宝を配ろうと考えていたからです。その考えの中に、報われた後のその人間の未来像は入っていませんでした。
 毘沙門さまを見るアヤメさまの目に、尊敬の色が浮かびます。下品で乱暴者だけど、この方は深い考えをお持ちだと思いました。
「では、やってみます」
 以前、サクラ姉さまに教わったことがあります。いくら神眼があるとはいえ、人の本質を読むには瞼を開いていてはダメなのだそうです。だからアヤメさまは町を見下ろし、そっと目を閉じました。
 しばらく経つと、暗いまぶたのスクリーンにポツポツと小さな光る砂が浮かび上がってきます。それは、地上で暮らす人間ひとりひとりの魂の灯でした。
 色さまざま。輝きもさまざま。ただこうして見ると、手にとって愛でたいほど美しい砂はほとんどありません。どれも透明度が低く、光も濁っています。中にはひどく汚らしい色のものもあり、まわりにある光をどんどん濁らせていました。そんな中から、アヤメさまは十粒ほど、本当に美しいと思える光の砂を見つけます。
「毘沙門さま、選びました」
「ほな、投げてみ」
「でも、わたくし、投げるのが苦手で…」
「ぶつけようとするからいかんのや。おどれは野球選手やのうて女神やろ。玉に命令すりゃええやないか」
「それで、いいんですか」
「ああ」
「そういうことは、はじめに言ってくださいよ…」
「何でも、最初から上手くいくと思うな。ボケ」
 アヤメさまは、大きなお金を必要としている人間を見極めようとしました。選んだ十の光をひとつひとつ精査していき、高台の上に住む青年に目を止めました。彼は生活には困っていませんでしたが、新しい発明品を世におくるため、もっと沢山のお金を必要としたのです。
 青年は、世界に蔓延する難病から人々を救うため、新薬の開発にいそしんでいました。幼少の頃に母を病気で亡くした彼にとって、地上から病気という病気を無くしてしまう事こそが生きる目的でした。そのために友人も恋人も作らず、遊びの楽しみも知らず、ひたすら医学の研究に打ち込んでいるのです。
 お金を稼いでも、それを元手に新たな薬の開発にとりかかる。青年の人生はその繰り返しでした。そして彼の魂の色は孤独なシルバー。
 アヤメさまは考えました。
 青年に宝を授けることで、他の人も助かります。でも、毘沙門さまのお話を聞かなければ、アヤメさまは彼に目をとめなかったでしょう。だって彼はいま、飢えている訳でも、着る物がない訳でもないのですから…
 アヤメさまは玉を手で温めながら、つぶやきました。
「お願い、彼のもとに。そして、いつかは皆のもとに…」
 玉を地上に向けて投げましたが、やはりアヤメさまのコントロールは最悪です。玉はまったく明後日の方向に飛び、途中で進路を変えて青年のもとに向かいました。そして、最後に彼の中に消えてしまいます。
「やりましたっ」アヤメさまは飛びあがりました。
「成功です。成功です」
「ごっついカーブやな。ワシ、あんなん初めて見たわ」
 毘沙門さまが苦笑いしつつ、今度は米玉を渡してくれました。例の米俵から作ったものです。
 アヤメさまは次に、小さな文化住宅に住む、寝たきりの若いお母さんを見下ろしました。彼女の腕には赤ん坊が抱かれていましたが、栄養不足でおっぱいも出ていません。
 いったい、どうしてしまったのでしょう。お父さんはいないのでしょうか。そしてこの豊かな国で、食べ物がなくて飢えるなどという事があって良いのでしょうか。
 アヤメさまはお母さんの心を見て愕然としました。彼女は、幼い女神が想像すらしなかった辛い過去を背負っていたのです。
 お母さんは、元はとても裕福な家庭の令嬢でした。でも、父親の会社が倒産し、両親の死後は従業員家族を助けようと、誰かを人を信じては裏切られ、情けをかけては搾取されるを繰り返した末、今では自分の食べる物すらなく、様子を見にきてくれる人もいないまま死の瞬間を待っていました。
 薄れゆく意識のなかで、彼女は誰でもいいから、何でもしますから、どうかこの子だけでも助けてと呟いていました。
 もはや、意思の力すら感じられない悲痛なつぶやき。
 若いお母さんの魂は金色です。それも、とても優しいピンク・ゴールド。女神でしか持ち得ないはずの光でした。これほどの愛をたたえた女性が、どうしてこんな環境に堕ちなければならないのでしょう。
 きっと彼女は、地上で生きるには純粋すぎたのです。だから悪いものに奪われ、汚されてしまったのです。
「子供だけでなく、あなたも助けます」
 アヤメさまは玉を温めながら言いました。
「これからも生きて、地上で輝きつづけなさい」
 アヤメさまが投げた玉は、また大きくカーブを描いてお母さんの内に宿りました。すると飢えは消え、乳房からはミルクが溢れ出します。
 アヤメさまはホッとしましたが、この先、彼女がまた悪いものに食いものにされる可能性は否定できません。だから、自分の髪の毛を一本抜いて白蛇に変え、彼女の許に遣わしました。
『白蛇よ、彼女が阿弥陀さまの許に召されるその日まで、守護獣となりなさい。そして近づく悪あらば、容赦なく噛みつきなさい』
「よーし、ええ感じや」
 毘沙門さまが、アヤメさまの背中をバンッと叩きました。
「痛いです。わたくしは女の子なのですよ。もっと優しくして下さい」
「悪い悪い。でも、これでおどれも一人前じゃ。さ、戻るで」
「はい…」
 アヤメさまは後ろ手に背中をさすりながら、男神さまの後についていきました。そして、目の前の大きな背中を見ながら思ったのです。
 見かけはこんなですけど、毘沙門さまは優しい神さまです。わたくしを邪魔者扱いせず、ちゃんと教えを授けて下さいました。
「ありがとうございます。なんとお礼を言っていいか…」
「ええねん、ええねん。ワシのは単に受け売りじゃ。ガキのころ、サクラに教わったことをそのまんま伝えただけよ」
「サクラ姉さまに?」
「おう。サクラはワシより九つほど上でな。今のおどれみたいに、人手不足で宝船に乗せられたワシに、宝玉の投げ方を教えてくれたんじゃ。ほら、うちは柄の悪い野郎ばっかやろ。何とまあベッピンでええ匂いの姉ちゃんや思てな。ぼーっとして一週間は飯もノド通らんかったわ。いま思えば、あれが初恋やったんかいのぉ…」
「初恋の相手に、脱げ脱げと迫ったのですか」
「ガッハッハ」
 毘沙門さまは大笑いすると、また、ひょいとアヤメさまを担ぎ上げました。
「さ、ちゃっちゃと宝くばって、帰りは宴会じゃ」
「でも、わたくし、お酒は…」
「天桃水、あるで。この前、天界でしぼって来てん」
「わお」アヤメさまは、つい声をあげてしまいます。
 天桃水。大好物でした。天桃水は、天国に自生する特別な桃の果実から絞ったジュースなのですが、千年に一度しか実を結ばないので、とても希少なのです。
 一口飲めば、そのとろみと甘露にうっとり。イヤなことは全て忘れて菩薩さま、如来さますら踊りだすといいます。天桃水は別名、命の水とも呼ばれ、重い病気や怪我にも効くのだそうです。前に一度、サクラ姉さまに頂いたことがあるのですが、アヤメさまは爽やかさと、蕩けるような甘味にノックアウトされ、今でも思い出しただけで、「えへへへ…」とだらしない笑みをこぼしてしまうのでした。
「飲みたいです、天桃水、飲みたいです」
「仕事、終わってからな」
 アヤメさまも女の子。甘いもの、美味しいものの誘惑には抗えないようでした。そんな訳で、その後、アヤメさまは宝船業務を男神さまと共にテキパキとこなし、夜の三時までには全ての宝配りを終了させたのでした。




 宝船は帰路にありました。
「おらおらおらーっ」
「ひゃっほーっ」
 宝船の甲板では、大宴会が催されています。山と積まれていた宝玉は無くなり、かわりに倉庫から出してきた酒樽が船上を占拠していました。
 毘沙門さま曰く、今年は七福神みんなで作業をした稀な年になったとか。その分、ひと仕事終えた神さまたちのハメの外し方は半端ではありませんでした。裸踊りに興じる神さま、大声で意味の判らない唄をがなり続けている神さま、そして雰囲気にのまれて、お酒も飲んでいないのに、自分まで酔っているアヤメさま…
 幼い女神の心はとても開放的になっていました。不安な気持ちのまま乗った宝船。毘沙門さまの協力で何とか仕事をこなし、肩の重荷をやっと下ろせたのです。
 男神さま方も、アヤメさまがせっせと仕事をこなし、他の神さまの手伝いにも回るのを見て、すっかり心を許してくれました。女神と見れば不埒な気持ちを起こしがちな男神さまですが、アヤメさまの一生懸命さ、人懐っこさの前には、ついつい皆が肉親の心境になったようです。航海の途中から、船内では誰も下品な冗談を言わなくなり、不用意にアヤメさまに触れることもなくなりました。
(一度だけ、寿老人さまが「孫… 孫…」とアヤメさまを抱きすくめかけましたが、すぐさま他の男神さまに袋叩きにされました)
 そして延々と続いた宴会が終わり、いつの間にか静かになった船内。男神さまたちは酒瓶を抱きかかえたり、大の字になったりして、それぞれ眠っています。
 アヤメさまは、自分だけが目を覚ましている甲板で、しずかに琵琶を奏でていました。
 いろいろありましたが、今日はとても良い一日でした。姉さま方は嫌がるけれど、わたくしはそうでもなかった。男神さまも悪い方たちではなかったです。これなら来年も乗ってみたいと思います。
 サクラ姉さま、リンドウ姉さま。アヤメは宝船のお仕事、立派にやりとげました。今日一日のわたくしの働きで、たくさんの人間が幸福になったのですよ。いえいえ、自慢している訳ではありません。福の神として、当然のことをしたまでです。
「うふふふ…」
 姉さま方から称賛を受ける場面を想像して、アヤメさまはぎゅっと琵琶を抱きしめました。




 いつの間にか、またうつらうつらしていたみたいです。
「リトル弁天、起きるのだ。わが妹よ」
 耳元で大黒さまの声がしました。
「ん… んん…」
 アヤメさまがうっすら目を開けますと、大黒さまのお顔があまりに間近にせまっておりましたので、
「きゃあっ」と悲鳴をあげてしまいます。
「し、失礼だな。少し… いや、かなり傷ついたぞ」
「ご、ごめんなさい」笑って誤魔化しつつ、周囲を見回すと、暗いはずの夜空に下から赤い光が浸食しています。男神さまたちが、船主に集まってそれを見ていました。
「いま、何時頃ですか」
「まもなく夜明けだよ、リトル弁天」
「あ、初日の出ですね。わたくしも見ます…」
 のんきに欠伸などしていると、
「こらっ、はよ来んかいっ」毘沙門さまに怒鳴りつけられてしまいます。
「大きな声を出さないで下さい。いま、行きますから…」
 毘沙門さまの口が悪いのにも、慣れてしまいました。根が良い方だと分かったので、もう恐ろしいとは思いません。アヤメさまは目をこすりこすり歩いていきます。
「え…」
 赤い光は、日の出などではありませんでした。海の向こう、水平線が真っ赤な炎に包まれているのです。
 なんという光景でしょう。海上を覆う灼熱の炎。その中で、沢山の巨大な半獣半人の怪物が悶え苦しんでいるではありませんか。
 グゥオオオオオオオッ
 怪物たちの断末魔の叫びが、アヤメさまのいる場所まで聞こえてきました。その恐ろしさにすくんでいると、業をにやした毘沙門さまがずかずかと歩みより、アヤメさまを小脇に抱えて船首に連れていってくれます。
「よう見いっ。そして誇れっ。おどれの姉御ら、やりよったぞ」
 アヤメさまは、ぽかんと毘沙門さまを見上げました。
「姉さまたちは、勝ったのですか」
 身じろぎして毘沙門さまの腕から逃れ、船首におり立ちます。
 毘沙門さまの言う通りでした。姉さま方は勝ったのです。だから水平線は火の海になり、怪物どもは炎に焼かれつつ、海底に没していくのです。
 ただ、その様を見るうち、怪物たちが哀れにも思えてきました。
 最強の軍神・弁天一族による総力戦。怪物たちには最初から勝ち目などなかったのです。姉さまたちは赤子の手をひねるように、大地の神の倦族を滅ぼしてしまったのです。
「他に、方法はなかったのでしょうか」
 アヤメさまがポツリとつぶやくと、
「お前、アホか」毘沙門さまが吐き捨てるように言いました。
「敵の心配してどないすんねん」
「だって、あの怪物は大地の倦族なのでしょう。出てきたのだって、人間への抗議ではありませんか。何も殺さなくても、話し合いで…」
「その抗議で人間がようさん死ぬんやで。それなら、ワシらのやるべきことは一つや」
 アヤメさまは釈然としないまま、毘沙門さまを見ました。姉さまたちもそうですが、ここまで一方的に人間に味方が出来ることに違和感があったのです。もちろんアヤメさまも人間の味方ですが、そのために相手をあっさり殺す決断は出来ません。
「お、帰ってきた、帰ってきた」
 毘沙門さまが海の彼方を指差しました。
 今年、最初の太陽がのぼりはじめています。宇宙の彼方からとどく強い光は、水平線を覆う炎をかき消し、海面を歩いてくる女神たちのシルエットを映しだしました。大勢の姉さま方が、帰ってこられます。その様子を見ていたアヤメさまは「おや?」と思いました。
 数が、少ないのです。最初はまだまだ後に続くと思われた女神の行進は、予想に反してすぐに途切れてしまいました。
「あの、出陣したときの半分くらいしか…」
「えらく減ってしもうたな。これから大変やぞ…」
 アヤメさまには毘沙門さまが言う意味が分かりませんでした。でも、それは分かりたくなかっただけで、時間とともに見えてきた戦の現実は、否応なしにアヤメさまの目を覚まさせます。
 帰ってくる姉さま方。どんな戦さにおいても美しく、華麗に勝ち抜いてきた弁天一族が、まるで落武者のように肩をおとし、頭を垂れて故郷を目指しています。
 綺麗な着物を血で汚し、結うた髪はほどけてバサバサ。ある姉さまは腹に矢が刺さったまま。またある姉さまは折れた手をぶらぶらさせていました。
「び、毘沙門さま…」
 くちびるを震わせながら、アヤメさまは訊きます。
「あそこにいない姉さまたちって…」
「天に帰った… 死んでしもうた… まあ、いろんな言い方はあるわな…」
「なにを、言っているんですか…」
 アヤメさまは思わず、毘沙門さまを睨んでしまいました。
「わたくしたちは、神ですよ…」
「ワシらだって死ぬときは死ぬ。人間から忘れ去られて祀ってもらえんようになったり、神同士の戦いに負けたら、簡単に死んでまうんや。それと、何か勘違いしてるみたいやから教えといたる。あの怪物な、あれは何度でも生き返るで。何度でも攻めてくるんや。でも、おっ死んだ姉御らの代わりは生まれてくるんか。平成になってからの弁天、おどれだけやないんか?」
 アヤメさまは呆けた様子で毘沙門さまを見ていましたが、やがてハッとして船首に駆けより、姉さま方の隊列から大切な人を探します。
「サクラ姉さま、サクラ姉さまはっ?」
 アヤメさまは涙目になっていました。
「いないっ、サクラ姉さまがいないっ」
 アヤメさまは取り乱して、毘沙門さまを振り返ります。
「お願いっ。サクラ姉さまを探して下さいっ」
「落ち着け。落ち着かんかい」
 毘沙門さまがアヤメさまの頭をつかみ、ぐいと前を向かせます。そのまま、視線を誘導します。
「ほんま、どこ見てるねん…」
 もはや隊列など組めず、亡者のようにばらばらに歩く姉さま方。その中に、サクラ姉さまの姿はありました。傷ついた姉妹に肩を貸し、しっかりと前を見据えておいでです。
 ぐったりとうなだれてお顔こそ見えませんが、サクラ姉さまに支えられているのがリンドウ姉さまであることも分かります。
 リンドウ姉さまは、ご自分で歩けていませんでした。波打つ海上をぐったりと、サクラ姉さまに引きずられて戻ってきます。その背中には、化け物が放ったと思われる何本もの矢…
「リンドウ姉さま…」アヤメさまは両手を口にあてました。
「すぐに手当てしたら、助かるかもしれん」
 毘沙門さまが肩に置いた手に力が入り、痛いです。でもアヤメさまの内側では、いろいろな考えや感情が吹き荒れていて、それどころではありません。
 おとついからの経緯、空回りする自分、命がけの戦を見せ場呼ばわりした愚かしさ。そして、イヤでも思い知らされたことは、
 リンドウ姉さまは、わたくしの身代わりになって下さったんだ…
 瞼を閉じれば、サクラ姉さまとリンドウ姉さまの光は同じ色でした。まばゆい女神のゴールド。崇高な愛に満ちた本物の金色。ただサクラ姉さまの光は強いのに、リンドウ姉さまの光は消えかかっています。
「待っていて下さいっ」
 アヤメさまはきびすを返すと、甲板の上に置いていた天桃水を取りに行きました。
「お願い、姉さまたちのもとへ…」船からそれを落とします。ひょうたんは矢のように飛び、女神たちの方角に向かいました。
 それを、サクラ姉さまが受けとります。姉さまはひようたんの栓を抜きますと、ご自分は口にせず、ささえている親友の口に含ませました。
 ああ、気のせいでしょうか。少しだけリンドウ姉さまの光が輝きを取り戻したように見えます…
 サクラ姉さまは次に、ひょうたんをとなりの姉さまに渡し、その姉さまも天桃水を口にふくみ、またその横を歩く姉さまに手渡しました。
 どうか、どうか…
 アヤメさまが祈るように手をにぎりあわせた時、
「お、来た来たっ」恵比寿さまが振り返って、手を叩きました。
 見ると、富士山の方角から雲に乗った女神たちの一団が、弁天軍を目指して飛んでいきます。幸福の女神、吉祥天一族でした。軍神ではない彼女たちは、弁天軍の帰りを待っていてくれたのでしょう。女神たちは純白の着物に身を包み、雲の上に血で汚れた体を洗う水甕や治療のための薬壷、歩けない者を運ぶ蓮の葉の担架などを乗せています。
 よかった…
 安心した途端に腰から力が抜け、アヤメさまはその場にへたりこんでしまいました。
「よっしゃあ、ワシらも帰ろかっ」
 毘沙門さまが叫び、神さま方が持ち場に散ります。宝船は出発点である日本橋に向けて舵をとり、大きく旋回しました。

 これが、この新年の誰も知らない神々の物語であります。
いかがでしたでしょうか。前作「猫と弁天」が童話タッチだったのに対して、今回は趣味全開のファンタジー展開にしてみました。自分的には、かなり気にいっている作品です。あなたにも気にいってもらえるといいのですが…

次回以降の新作情報は当方のブログでチェックして下さい。
「だぶはちの宝来文庫」
http://horaibunko.blog.fc2.com/

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ