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コバルト新人短編小説

満月家の魔法使いたち

作者:棔いち哉
「そう、それでメイヤーさん、奥さんに大目玉食らったんだ」
「まあ、親方さんたら!」

 他愛のない会話なのに、必要以上に面白おかしく感じるのはきっと彼の事が好きな所為。

 ころころと笑いながらマーシュはそんな風に感じていた。どこに惹かれたのだろうか。
 この辺りではあまり見ない赤毛か、透き通るような緑色の瞳か、それとも節の目立つ手だろうか。きっと全部だな、と思いながら彼女は隣に座るユーレカをちらっと見た。

 彼はひとしきり笑った後、広場中央の噴水をぼんやりと眺めていた。視線に気付いたのか、マーシュに向き直る。

「どうかした?」
「いいえ、なんでもないの」

 なんだか胸が詰まる。理由を探すうちに、昼食はサンドウィッチだったのに食べながら何も飲んでいなかった事に気付いたマーシュは慌ててお茶を口に入れる。
 飲み下す前に教会の鐘が三度、鳴った。

「あ、行かなくちゃ」
「わたしも」

 お互い慌ただしく片づけて「じゃあ」と言って別れる。暫く歩いて、なんだか名残惜しくて振り返ったらユーレカもこちらを見ていた。急に恥ずかしくなって手をぶんぶん振って走る。

 商店の立ち並ぶクランベリ通りを抜けて、バートレト公園へ。

 芝生広場の奥にある、この街唯一の池では旬を迎え咲き乱れるアサザ、揺れる水草の陰で行われる魚たちの隠れ遊びなどが見る者を和ませているのだが、そんなものには目もくれずマーシュは目的地へと足を動かした。

 池の先の森林部分は舗装こそされていないが、人のそれでしっかりと踏み固められているので躓いたりすることはない。複雑に組み合わさった枝葉から木漏れ日が差し込むさまはまるで上等のレースの天蓋。

 もちろんこれにうっとりとする筈もなく、マーシュは先へ急ぐ。

 彼女の目的地は、森林の中にぽっかりと空いた部分にある。
  石造りの店構え、出来てからそう長い時間が経った訳でもないのに建物全体を蔓薔薇が覆い、入口には大陸公用語で

 《パンプルムス魔法雑貨店》
 の看板。

 鐘が鳴ったばかりだというのに店の外には既に常連客がちらほら。思わず「せっかち過ぎじゃないですか?」と、マーシュが彼らに声をかけると「かわいい魔女さんに早く会いたくて」と返される。急かされるのは好きではないが、そう言われるのは悪くない。

 店のドアを開け放ち、栗色の髪に金の瞳、幼さの残る顔立ちの、数え年で14歳の年若い魔女は「お待たせいたしました」と、優雅に一礼をした。

 ※※※※※

 ―――ノワゼット国では魔法使いの存在自体はそんなに珍しいものではなく、取引のある商店へ行けば、彼らの生み出した魔法薬や道具は制約なしに普通に買うことが出来る。

 しかし彼らの大半は魔法使いの街であるビルネや主要都市にある魔法協会支社、国軍の詰所などにおり、一般市民が魔法使いそのものを目にすることは少ない。辺境、とまでは行かないが都会とはとてもいえない、ここブロムベレではなおのことだ。

 この街に魔法使いが現れたのは二年ほど前の事。
 国王の押印のある書状を持った彼女たちは公園の一部を間借りして店を開きたいのだと言った。この辺りにはビルネにはない植物が沢山あるので研究目的でもある、と。

 顔役は二つ返事で了承し彼女たちはあっという間に森林に隙間を作り、店を建ててしまった。それまでも行商人が魔法薬や道具を売りに来ることはあったが、ビルネからの品であるため結構な手間賃が上乗せされた値段であったり、行商人自体に魔法の知識が乏しいせいで扱いが怪しかったため手を出してみようと思うものは多くなかった。

 この店も最初は皆遠巻きにしていたのだが、店を運営する魔女たちは商品一つ一つに対して親切で解りやすい説明を行い、なおかつ彼女たちも非常に親しみやすい人柄であったのであっという間に繁盛店、となったのだ。

「づ・か・れ・だ………」

 色とりどりの瓶や小箱が並ぶ棚の奥、カウンターに突っ伏してマーシュは吐息と共にその言葉を吐き出した。昼過ぎから働き通しでやっと今、呼吸した気さえする。カウンタ横にそこそこ高く積まれた伝票の束がそれが気のせいではない事を彼女に教えてくれた。

「カラントさんのお孫さんへのプレゼントに《一景小箱》はなかなかいいチョイスだったわ、我ながら」

 そんなひとりぼっちの反省会を終えた所でさて店じまいでも、という所で

「こ、こんばんは」

 か細い声が響く。
 そちらへ目を向ければ、来客は彼女の半分ほどの背丈しかない幼い少女だった。カウンタ越しでは威圧感があるだろうなと判断したマーシュは、先程まで頬を寄せていた木の板をひょいと飛び越え少女と距離を詰め、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「はい、こんばんは。どんな御用かしら」
「あの、《(かざ)守り》がほしいんですが、これで足りますか、魔女さん」

 つっかえつっかえの言葉と共に差し出されたのは銅貨四枚だった。足りない。

「えーと……あなた、どこの子?」
「アナナです。えっと、おうちは広場の、正面にあって、お父さんは本屋なんですけど」
「あ、パタトさんちの!二番目のお兄ちゃんが明日から船乗りの修行に行くんだよね」

 少女は「魔女さんて何でも知ってるのね!」と、不安そうな表情を少しだけ明るくした。
「魔女ですから。でね、風守りはアナナのお兄ちゃんもう持ってると思うんだけど」

 本当は魔女知っているのではなく、一昨日アナナのお母さんに売ったから、なのだがわざわざ訂正する事もない。

「もう一個、欲しいの。ねんのためなの」
 少女の瞳の輝きは揺るぎない。マーシュは唸って、立ち上がり、棚の小瓶をひとつ手に取る。そこにはくすんだ青い石ころがひと粒、入っていた。

「これ《風守り》ね。アナナはこれ、どうやって使うか知ってるかしら?」
「海で、そうなんした時に、使う?」
「そ。ピンチの時に使えば、使った人が願った場所まで船ごと運んでくれる便利な石です。でもね、これ、風の女神様の力を無理矢理使うものなの。アナナ、勉強好き?」
「あんまり」
「うん、わたしも。すごいわたしも。でさ、遊んでる途中にお母さんに勉強しなさいって言われたらどう?」
「やな、かんじ」
「そ。女神さまもやな感じになっちゃってさ、この石を使ったひとの事を嫌いになっちゃうの。で、使った人が乗ってる船が海に出ている間、風を吹かさなくなっちゃうのさ。風がないと船は進まないから、どうしようもないよね。という訳で使った人は二度と海に出る事は出来なくなってしまうんだ。船乗りを辞めなきゃいけない」

 瓶をふってカランと音を鳴らし、それを棚に戻す。視線をアナナに戻すと折角ほぐれた表情がまた強張ってしまっていた。

「だ、だからね、一個あれば十分だし、船乗りは皆これを持ってるから足りなくなることはないから、大丈夫なんだよ!」
「そうなの?」
「そうなの」
 アナナの表情は晴れない。「喜んでもらいたかったのに」とぽつりとつぶやいた。

「好きなんだ、お兄ちゃん」
「そう、へそくりはたいてもいいくらい好き」

 流石商店の子、と謎の感心をしながらマーシュは棚から白い紙束を手に取った。
 アナナはそれを不思議そうに見つめる。

「これ《白鳩便箋》っていうんだけど、手紙書いて、折って、届けたい人の名前を言うと鳥になって届けてくれるの。解りやすい所でここから王都まで、一昼夜くらいで届くんだ」
「早い!」
「そうなの。十枚綴りで銅貨三枚なんだけど。二人で分ければ五回やりとり出来る」
「買います!」

 笑顔の戻った少女を目端に置きながら、マーシュは丁寧に商品を蝋引き紙で包んで手提げに入れてやる。

「詳しい説明書が入ってるから、お兄ちゃんと一緒に読んでね。帰り道、大丈夫?」
「公園の入り口で、お母さんと待ち合わせしてるの、おきづかいなく!」

 代金を受け取って、小さい体にはまだ重かったであろうドアを開けてやる。目線を合わせて手提げを渡すと、アナナは嬉しそうに走り去って行った。

「ああ、今日の疲労が吹き飛ぶようなお客様だったわー……」
 しみじみとしたところで閉店準備、とマーシュは大振りの錠前に手をかけた。

「なかなか客あしらいが上手くなったじゃないか。マーシュ」
 意識せず肩が跳ね上がり、マーシュはおそるおそるそちらを振り向いた。

 背中に流した栗色の髪と金の瞳は彼女とほぼ同じ色だがそれに気付く前に人は皆、その美貌に釘付けになってしまう。高位の魔女にのみ許される銀の縫い取りの入った装束をまとったその人物はこの店の店長にしてマーシュの師匠、フレーム。
 吐息と共に、紅をさしたその唇を開く。

「足りません、買えませんではなく、それとなく気をそらして別のものを買わせる。将来お得意様になる事を見据えて心温まる思い出を提供。実に結構」
 その微笑みには嫣然という言葉こそ相応しい。が、マーシュは臍を噛み目を固くつむる。
「さて問題、《白鳩便箋》定価はいくらかな?」
「……銅貨、四枚です。師匠」
「何でそこ値引いた」
「なんか有り金全部は、あれかなって……」
「この認識で魔女とは、しかも私の妹とは嘆かわしい。足りない分お前の給料から引いておくからな」
「えー!わたし一人で店番超頑張ってるのに!ちょっと融通ひはへはっへ」

 両頬をつねられたせいで発音が不明瞭なマーシュをしばし眺めた後、フレームは引っ張った頬を両手で押しこめ、見るものを圧倒するような美しさながら肝胆寒からしめる笑顔をつくり、マーシュに詰め寄った。

「お前が、去年、中級調合士試験に、落ちなければ、今頃私だって店番くらいやってたわ。ひとたび私がレースのエプロンでもつけてニコニコしてりゃあ売上倍増だろうが!」
「そーいや、今日の分の男性客からの貢物がカウンターの隅にあります、師匠」
「さっきお前が接客中に確認済。菓子ばっかだ。まあ収穫祭前だしな」
「やったー!」

 フレームはあまり甘いものを好まないので、それはほぼそのままマーシュの取り分となる。我を忘れて浮かれていた所で冷たい視線に気付き、姿勢を正した。

「お前、今日から冬の上級戦闘試験まで閉店後毎日三時間訓練な」
「えー!」
「試験二個も落としたら師匠の私が恥かくんだよ!」

 ※※※※※

「姉妹なのに、厳しいんだね」
「う、うん………親しき仲にもっていう。師匠って呼ばないと怒るし」
「うちと逆だ。親方って言うとちょっと嫌そうなんだ」
「へー」

 ユーレカは細工職人の家に住み込みで修行中の身だ。彼の師匠は宝石や金銀を使った調度品を作ることを得意とし、その腕は遠く離れた王都からお呼びがかかる程のもの。

「そういえばこないだも王都から親方さんに使者、来てたね」
「メイヤーさんに王都への移住を薦めてるんだ。家も生活も保障するから来いって」
「ユーレカも行っちゃうの!?」

 思わず詰め寄って、気が付いたらマーシュのすぐ目の前に驚いたユーレカの顔があった。広場にいるその他大勢からの視線も感じ、彼女はあわてて身を離した。

「ご、ごめんなさい、つい!」
「うん、大丈夫」

 気まずい間の後、ユーレカの師匠のマイヤー氏はこの街の東にある輝石鉱で取れた宝石を現地で確認して作品に使用するというこだわりを持っているので、恐らく王都には行かないであろうことを彼は語った。「よかったー」と口にしてしまって、マーシュは赤面して黙り込み、結局その日は鐘が鳴るまでぎくしゃくしてしまった。

 ※※※※※

「え、何ちゅーもしとらんの?脈なしだなそれ」

 静かな夜の森に、若干品のない言葉が響く。
「師匠!」

 マーシュは手近にあったこぶし大の石を相手に投げつけた。剛速球のそれはフレームが手に持っていたフォーク一振りで霧散した。

「あー、惜しい!」
「当たってたら、私死ぬんだけど。妹よ」
「デリカシーのない奴は死んでも仕方がないと思うの。師匠。そういうのじゃないの」
「どういう、何なの」

 ―――そう、あれはマーシュがブロムベレに来たばかりの時の事であった。生まれた時から住んでいたビルネよりここは随分小さな街だが、造りが全く違うので迷子になってしまった。魔女が迷子とはとても言い出せない、そんな時に困った彼女に声をかけてくれたのがユーレカだったのだ。

「こら、何自分の世界入ってんだ」

 目的地まで送ってくれて、買い物を付き合ってくれて、話の流れで彼も親元を離れここにいる事を知り、意気投合し「実は魔女さんと話すの初めてでちょっと緊張してるんだ」と、はにかんだ笑顔

「返事せんか、あほんだら妹よ」

 は今思い出しても頬の緩むものだった。休み

「………まったく」

 の日に、昼に、ちょくちょく出会うようになり、どちらともなく昼食を一緒に取る様になった。今はまだいい友人ではあるがこのまま行くと、どちらともなく………

「裁け、落ちろ、思うが儘に―――――雷槍(サンダヴォルト)

「いっだーい!」

 甘い回想に浸っていた所襲われた、背中に奔る激痛に思わずマーシュは倒れ込む。彼女は地面に這いつくばり、顔色ひとつ変えないその美貌を思い切り睨みつけた。

「ちょっ、嫁に行けなくなったらどーすんの!師匠!」
「案ずるな。そういうの好きな男は一定数いるっぽい、妹よ。あとみみずばれ位だ。流石に手心くらい加える」

 調合士試験こそ完膚なきまでに惨敗したがマーシュの戦闘能力は同年代の中で決して低くない。手加減用に杖代わりにしているフォークで防げないような禁断の大魔法でも使ってやろうか!と算段を整えた所で二人にとって馴染みのある、しかし久々に耳にする鳴き声が森に響いた。

 空から一直線に落ちて来てフレームの頭上で急停止。最後にひときわ高く鳴いて、その姿を本来のものに戻した。

「うわー《特急羊皮紙》だー」
「しかも銀色隼とは。ナパージュ百貨店の特注品だな。見るのは二回目だ」

 複雑に組まれた綴じ紐をすいすいとほどいたのち、麗しの魔法使いは故郷で一番の速達で届けられた手紙に目を落とした。

 ※※※※※

「え、フレームさんいないの!?」
「そうなんです。ビルネでちょっと問題発生」
「わざわざ呼ばれちゃうんだ」
「まあ、師匠、優秀ですから」
「あんなに美人で優秀で、性格もいいってすごいよなー」
「ははは……そうですね………」

 もうこのやりとりも相手を変えて七回目なのでいい加減面倒だ。黒板に自分の台詞を書いて、指示棒で指したい気分なのだがそうもいかない。

 ちなみにこの後は「あっ、マーシュちゃんもかわいいし、すごいよ!でも一人で大丈夫?」「あ、在庫なくなったら店じまいしちゃうつもりなんで。その時はご迷惑おかけします」という流れになるに違いない。
 事実、そうなった。

 ※※※※※

「ああー………」

 客足はそれほどでもなかったが、未だかつてない疲労の中にマーシュはいた。店の切り盛りは普段から彼女がやっていたが、一日中完全に一人というのは開店以来初。縦を横にもしない高飛車人格破綻者と言えど、何かあった時のために後ろに必ずいてくれたフレームに少しだけ感謝をし、帰ってきたら肩でも揉んでやるか仕方がない、などと考えていた。

 店の外から足音が近づいてきてマーシュは身を起こす。閉店の看板を下げ忘れた。仕方がないからもうひと頑張りするかと、口を無理矢理微笑みの形に。

「……いらっしゃいま、あ!」
「こんばんは」

 思いもしない緑の瞳の来客に、金の瞳が大きく開く。

 ※※※※※

「そ、粗茶ですが」
「ありがとう」

 カウンター越しに差し出されたそれを、ユーレカはおっかなびっくり口にした。
「おいしい。なんか、甘い」
「ビルネのお茶なの。焙煎する時に蜂蜜粉を混ぜるの」

 店の裏の住居部分に、と思ったが整頓の下手くそな誰かのせいでとても人を入れられる状態ではない。それにしてもわざわざ訪ねて来てくれるとは。昨晩フレームがビルネへ経ち、店には彼女ひとり。安全な街だがやはり店を完全に空には出来ないという事で昼食は暫く一緒にとれないという旨を書いた白鳩便箋を、朝一番に彼の住み込み先に飛ばしたのだった。

「そういえばお店に来てくれるの、初めてね」
「………なんか、冷やかしで来るのもなって」
「いいのに」
「あんまり魔法のない所で育ったんだ。だから朝の鳩もびっくりして、腰抜かしちゃった」
「あ、ごめんなさい」
「そうじゃなくて、なんか、すごくて」

 ユーレカの様子はどことなく楽しそうで「もし、やじゃなかったら、色々見てかない?」と話しかけたら「いいの?」と、目を輝かせた。つられてマーシュの頬が甘く緩む。

 ※※※※※

「…………」

 フレーム不在で気を使ってか、連日客足は少ない。普段の反動とばかりにまったりしてもいい所なのだが、マーシュは苦手な調合書と睨み合っている。

 先日、ユーレカに道具や薬の説明をしていた所「マーシュはこんなものも作れるの?全部?」と聞かれ「まだ半分くらいしか」と答えてしまったが、実際作れるのは店内商品の二割以下だった。製法を尋ねられ、うろ覚えの知識を口から流してしまったのだが彼は疑いもせず「やっぱりちょっと職人っぽいんだね」と微笑む笑顔が罪悪感をえぐった。

 得意なものは攻撃魔法で砂漠を抉った事があります!とは言えなかった。

 今から頑張ればいいんだ!嘘を本当に!と開き直り、日夜勉強中なのである。フレームが見たら泡を吹いて倒れそうな光景だ。

「マーシュ!」

 と、自分を呼んでくれる中で一番うれしい声が飛び込んできて、彼女は本から目を上げる。ただ、緑の瞳には焦燥が浮かび、顔色はほぼない、に等しかった。

『輝石鉱で、落盤で、入口が岩で、メイヤーさん達が』
 焦って形を成さないその言葉でも、彼が何を伝えたかったのは明白だった。
『どうにかなる、方法とか』
 マーシュの扱う魔法では難しいものだった。

 彼女は目の前のガラス棚に手をかける。

 ここだけ几帳面に整頓されているのは、入っているのが危険なものだから。そして彼女がまだ扱ってはいけないものだからだ。
 禁じられているが使い方と威力は知っている。

「怯えないで、仲良くしたいだけ、この歌を聞いて、岩戸の(フロイライン)
 そして棚の開け方も知っていた。

 ※※※※※

『これを鏃に括り付けて、放つ。矢が刺さるとその中心を探し出して、振動させて対象がどんなものでも砂に変えるから、それで』
 彼は丁寧に黄色い布が括られた矢を手に取る。弓弦に添わせて、一気にそれを引く。

『支度が終わったらわたしも後を追うから、あまり無理をしないで』
 ブロムベレ中央広場から少し離れた糸杉の頂上近くに彼はいた。

 狙いの先は広場の教会。

「あっさり、引っかかっちゃうんだもんな」
 笑みを浮かべて、ユーレカは呟いた。

 彼は元々、隣国グーズベリの出だ。緑豊かで美しいこの国とは正反対の、荒れ地に戦いばかりの荒廃した場所だ。元は美しい地だったらしいが、こうなったのはノワゼットが魔法使いを根こそぎ攫って行ったからだという。国中が隣国への恨みで満ちている、そういう国だ。とはいえ侵略する力もあの国にはもう残ってはいない。ただどうにか生きて死ぬだけの国。

 ユーレカは両親の子供の中で一番出来のいい子を育てるために生み出されて、売られた存在で、本当なら奴隷かなにかとして生きるはずだった。彼を乗せた荷馬車が強盗に襲われ、隙を見て逃げ出して、逃げて、逃げて、途中で民家から盗みもした。どこをどう走ったか覚えていないが、倒れた所がブロムベレで、拾ってくれたのがメイヤー氏だった。

「親もろとも強盗に」と嘘をつき、何とか寝床を確保した。街の人は皆彼に同情的だった。
 見下されている事を感じて不愉快この上なかったが殊勝な振りをして真面目に振舞った。まんまと騙された。それが三年前。

 次の年に魔女が来た。こいつらがグーズベリにいれば、攫われても国に帰ってくれば、ユーレカはこんな所で卑屈に振舞わなくてよかった筈なのに。小さい方は簡単そうだったので優しくして懐かれた。大きい方が厄介だったがなんと留守だという。またとない好機。

 真面目に振舞いながら、ユーレカはずっと計画を立てていた。メイヤー氏の工房には宝石が沢山あった。氏のこだわりから外れたものだが、ユーレカから、そして鉱脈が死んでいるグーズベリの民から見ればそれは十分上等なものだった。これを盗んで持って帰ればひと財産。

 住人が大切にしている教会が崩れればきっと大変な騒ぎになるだろう。人のいなくなった工房から宝石を拝借すればいい。砂に変わるらしいから教会にいる人も死にはしないだろう。メイヤー氏も処分に困ってる石だから氏が破産したりすることはない、魔女は騙されただけだから、反吐が出そうな程いい子だから責められはしない。盗みに入った家の住人に暴力を働いた昔からすれば随分やさしい仕事だ。あとはこの手を放すだけ。

「あれ」

 何故か指が動かなかった。
 この国は魔法使いを奪った国で
 自分達が苦しんでるのに呑気に暮らしていて
 かわいそうな自分に同情を押し付ける嫌な住民たちで
 人を疑う事を知らない間抜けで裏切り者の魔女がいて

『怪我に気を付けてね、ユーレカ』

 何故か急に視界が滲んで、ああこれはきっと太陽のせいだ。そう言い訳していると気が散ってしまって弦から手を放してしまった。

 戒めから放たれて風を切ってゆく一本の矢。

 手元が狂ったから当たらないかと思ったのに、その軌跡は迷いなく教会へ向かう正しいものだった。自ら仕組んだくせに反射的に目をつむってしまった。

 鼓膜を大きく震わせる街の人たちの声。しかしそれは彼の予想した悲鳴や驚きでから発せられるものではなく、楽しげな、むしろ歓声のような―――――

「…………」

 ユーレカがおそるおそる固く閉じた目を開くと、そこには目を疑う光景が。

 薔薇に芍薬、牡丹に椿。

 他にも工房の図鑑の絵でしか見た事が無いような多種多様な花々が街中に降り注いでいた。
 人々は建物から飛び出し、大人も子供も無心で跳ね、地に落ちる前にそれを受け止めようと必死だ。

「……言っとくけど、不肖の妹はお前に本物を渡したつもりでいたんだよ。あと私がビルネに呼び出されたのは本当」

 驚いて目をやると遠目でしか見た事のない、フレームが隣の枝に座っていた。謀られた事に気付いてかっとなり矢を手に取ったが、先に剣を抜かれてしまった、冷たい刃が彼の肌をついと撫でる。

「いつから」
「聞いてどうすんの。今更意味ないでしょ。グーズベリの僕ちゃん」

 突き放すように言われて、それもそうかと彼は笑う。グーズベリの者は捕まったら即王都行きだという事位はユーレカも知っていた。

「殺せ。殺さないなら落ちて死ぬ」
「殺さないし、落ちても死ねない。私の職業をお忘れかな」
「じゃあどうするつもりなんだ」
「粛々と良からぬ事を企む頭のある奴が人に聞くな。お前の謀事は失敗して、私はこの件を黙っていてやるつもり。望めば親方の秘蔵っ子でうちの妹のお気に入りのままだ」
「何で」

 言っている意味が、分からなかった。まんまと阻止されたとはいえユーレカが行おうとしたことは重罪だ。おいそれと見逃していいことではない。うまい話には裏が、意味もなく優しいやつは何かを企んでいる。思わず身構え、表情が険しくなるユーレカを見て、フレームは肩をすくめた。

「きっとお前が何も知らないからさ。お前の故郷が主張している事な、結構でっちあげだよ。魔法使いに関しては攫われたんじゃなく、逃げ出したんだ。逃げなかったやつは死んだ。殺されたというか」

 その言葉を聞いて、少年は一層眉をひそめ、身体を固くする。対照的に魔法使いは警戒心のかけらもなく大きく伸びをして、両腕をぶらりと下ろした。

「ま、一回騙した奴の事は信じられないだろう。一番近くてポムベルの街に図書館があるけどあそこにこっちの国が主張する歴史書と、うちの支社にうちの歴史書がある。ここの顔役に頼めば閲覧証を発行してくれるはずだよ。あと隣国の人間だとばれたらそいつは王都に連れて行かれるが、捕まる訳じゃない」

 気が付いたら、剣をしまい何処からか取り出した箒にまたがるフレームに「待て」と声をかけていた。疑問があまりに多すぎる。

「身の上話を聞くタイプに見えるのかな?方法は教えた、あとはお好きに。ただ私の目の届く範囲で何かしようとしたら今度は容赦しないからね。では!」

 そう言って優雅に飛び去るその栗毛を、ユーレカは糸杉の上で随分長い事見送っていた。

 ※※※※※

「バカ!ほんとバカ!台無し!」

 帰るなり号泣して自分を責めたてる妹を眺め、フレームはため息をついた。
「何だ、見てたのか。ああするしかないだろ。ていうかお前もうちょっと人をっつーか男を見る目」
「知っでた!ユーレカたまに超グズベリ訛りだったもん!輝石鉱この季節落盤しないし!」
「おお賢……じゃなんで《明空布》渡した!」

 それはそれで問題だ。どういう事かと妹を問い詰めたら彼女の中では『ユーレカが事件を起こす→幇助した自分も責められる→一緒に逃げる→愛が芽生える』という計画だったらしい。「好きなら止めろ」と指摘した所「ふわふわした恋よりこういう負い目のある関係の方が壊れにくい。多分わたしのほうが喧嘩強いし」などという爛れた事を言い出した。

 妹はこういう所が絶望的にずれている。これはもう全力で説教だなとフレームは息を吸いこんだ。

「ていうか、女装して男に貢がせてるド変態お兄ちゃんにこういう事叱られても」
 妹にしてみればそれは相手の心を抉る一撃のつもりだったのだが彼は、揺るがない。別に恥じてもいない。

「しょーがねーだろ、俺様が男の格好してると女の間で争奪戦が起こって、誰か死ぬ」
 因みに前例があった。死にかけた。平和な街に事件を起こさないための心づかいの結果だ。逆に誇らしげな兄の主張に妹はため息をひとつ。

「男の人もね、最近一触即発」
「男はいいんだ。愛で死ね」

 本人は気づいていないがそもそも自分が女の格好をする事でマーシュに寄るであろう悪い虫をある程度駆除している、という理由もあるのだから感謝されてもいいくらいなのに。
 フレームは若干面白くない。

「あーあー騙されてた男の人と喧嘩になればいいのになー、ばらしちゃおうかな―」
「そんな事したら上納品の菓子がなくなるぞ」
「わたしだってあと何年かしたらおかーさんみたいにもう、こんな」
「無理無理無理無理。お前父さんのほうのばーちゃん似だもん。典型的ちんちくりん」
「このニセ乳、凝り性女装!男の姿でもおじさんに変な気持ちを芽生えさせる天才!」
「……人の傷、そんだけ抉って、説教で済むと思ってない、よな?」

 ひきつった笑いを浮かべる彼に向かって、彼女は柔らかく微笑む。
「兄妹喧嘩、する?おにーちゃん」

「リンツァトルテ山脈で決着つけようぜ、妹」
 激しい睨み合いは長い間続くかと思われたが、

「こんちはー、あれなんかすごい賑やかだね」

 予期せぬ来客に二人は慌てて向き直り、

「「い、いらっしゃいませえ!」」

 取り繕ったとびきりの笑顔でそれを迎えた。

 一人で立派に切り盛りしていたけれど、やっぱりフレームがいたほうがマーシュは元気そうだ。
 日中降った花は彼女たちからの
『ご不便かけたお詫び』なのだそうだ。

 粋でかわいい魔女姉妹がいて、平和な街。

 これを守るために明日も頑張ろう!と堅く誓ったブロムベレの顔役は軽快なステップを踏みながら、パンプルムス魔法雑貨店を後にしたのであった。

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