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第68話 古の里と迷い人3
 リナの村のことは彼女から時折聞いていて、それを基に僕の中である程度の予測を立てていた。朧気ながらも、リナの村に起こった惨状を、想像していた。

 ……想像と現実の差に、思わず絶句する。

 最早、廃村ですらなかった。
 荒れているとか、朽ちるとか、そんな程度ではない。
 一言でいうならば、原野。草は生い茂り、中には雑木もちらほらとある。そもそもここが村だったとは、教えられてもいささか信じることは難しいだろう。
 そう思わせる主因は、家が跡形もないことだ。ただ年月が過ぎただけであれば柱や壁、屋根などの面影が残っていてもおかしくはない。原型こそなくとも、何かしらの形は残るだろうに。
 地面を見てみれば、僅かに焼成されたような破片が落ちていて、その場所からは、どことなく人の陰が見えない訳ではない。しかし、少しばかりの陶器や硝子の破片を見ただけでは、元の暮らしなど、想像することすら適わなかった。


 僕が目を覚ました部屋は、リナの家にある地下室だった。それを教えられてから注意深く部屋を見渡して見れば、窓もない部屋には照明も十分にある訳ではなく、薄暗い。それに加えて、所々に石で組まれた壁が見受けられ、その物々しさから改めて、地下室ということを実感した。

 休むにつれ気力も回復してきたのか、どうにか立って歩ける程度になった時。その弾みで地下室の外に顔を出した時に、見なければ良かったと、後悔だけが心に残ることとなった。
 ……本当に、残っているのはこの家の。それも地下室だけなのだと、思い知らされた。目に映るのは原野、雑木、そして灰色に染まる曇天の空。それだけだった。

「……もっと、残っているかなって、期待をしていたんだけどね」

 呆然とする僕の背中から、リナは寂しそうに、ぽつりと呟いた。
 返す言葉も見当たらず、僕は静かに扉を閉め、寝ていたベッドへと戻る。蝋燭に照らされたリナの表情はあまりに寂しく、そして暗いものだった。



「…………もし、もしもね。シンがもう動いても大丈夫というならね。……出来れば、すぐにでもここを出発したい」

 少しばかり沈黙が続いたが、リナの言葉によってそれは破られる。
 目が合ってもリナは微笑むことすらせず。目には余裕の欠片すら見えず、心からそれを望んでいることを窺い知ることが出来た。
 僕の調子といえば、決して本調子ではない。話を聞く限りリオレウスの毒に蝕まれていたらしいし、歩けるとはいえども、あまり動きたい気分でもない。願いが叶うならば、せめてあと一日か二日は、寝て過ごしたいものだ。
 ただ、ここを早く去りたいというリナの気持ちも、痛いほどよくわかる。
 この場所で、人生最大とも言えるだろう精神的外傷を背負ったのだ。それに一応の決着がついているとはいえ、辛い以外の感情は、浮かんでこないに違いない。
 それと比べれば、身体が重いことなんて微々たることでしかない。
 無理は出来る。むしろここに長く留まる方が、リナに無理がかかる。それは間違いのない事実。

「わかった」

 少しだけ微笑んで、リナに向かい合う。それに答えるように、彼女は口角を少しだけ引き上げた。



 ジャンボ村を出発する時には、十分とは言わずとも、そこそこの物資が揃っていた。食糧、薬、その他様々な消耗品。当たり前のことだが、それらは日にちが立つにつれて無くなっていく。廃村であるこの村で物資など補給出来る訳もなく、背負った袋は余りにも軽かった。この程度では、どれだけ切り詰めたとしても二日を凌ぐことが精々だろう。
 あと二日。目的地であるポッケ村までは、どれくらいの距離なのか皆目検討もつかない。今日中か、明日か、それともまだまだ遠いのか。それを考えれば、今の物資だけでは心許ない。
 その思いを一つの溜め息に込めながら、僕はリナに視線を送る。それにリナは一つ頷いて、地下室の出口へと向かう僕の後ろを、どこまでも堅い表情のままついてくるのだった。

 外に出て見れば、図らずも太陽はまだ高く昇ってはいない。出発するにしては少しばかり遅いのだが、それでも到着する時刻すら決まっていないのだから、あまり大きな問題とはならないだろう。
 それにしても、ここで見る太陽はあまりに冷たい。標高が高いからか、少しばかり大きく映る太陽ではあるが、気温が低い為か光は白く冷たかった。

 先に部屋を出たのは良いが、思い起こせば僕はこの村がどのようになっているのか、全く知らない。初めて来た村、それも自分から入った訳でもなく、右も左もわからない。
 少し戸惑っている内にリナはするりと僕の前へ出て、振り返ることもせずに歩き始めた。

 ……故郷という、心の最奥にしまってあろうこの場所で。思い出したくもない出来事が起こった場所なのだ。理由がないならば早々に立ち去りたいと思うのは、想像に容易い。
 だが、このまま何もせず立ち去っても良いのだろうか。故郷から、過去から逃げるだけで、本当に良いのだろうか。
 これは僕が口を出せる問題ではない。リナが、自分と相談した上で決めることだ。彼女の心内に僕が干渉すべきではない。彼女もそれを望んではいないだろう。それは、わかっている。

 無言のままリナの背中を追っていたが、心の中では幾つもの考えが葛藤を続けている。それらはまるで、言葉同士の小競り合いが耳元で起こっているかのようで、喧しい。
 そもそも、リナに何かを訴えかけるとしても、何を言葉にすれば良いのか。慰めにしても、励ましにしても、その言葉は一片たりとも思いつかない。この村に引き留める理由も、利点も、わからない。それなのに、このまま離れてしまうことも、駄目だと思う。……つまりは、自分の中でさえ、リナにどうして欲しいのかがわかっていないのだ。
 考えてみればそれも当たり前である。僕は、リナがこの村に対してどのような感情を持っているのかを知らないのだから。
 後悔し、懺悔する。今まで数え切れぬ程、リナはそれを繰り返してきたのだろう。リナの過去なんて僕はほとんど知らないけれど、数少ない情報からでも、それは間違いのないことと断言出来る。
 ならば、これ以上に何を求めるのか。それはリナにとって辛いことでしかないのではないか。辛い上に、有益なことなど何一つないのではないだろうか。
 ……それらに答えが見つからない限り、今はリナに声をかけない方が良いだろう。





「お前はそれで、後悔しないのか?」

 一瞬、耳を疑った。無意識の内に自分が口に出してしまったのか、とも思った。
 その言葉は僕の心の中で流れていたものとそっくりで、思わずその元を探してしまう。

 首を振り辺りを見渡した時に、視界の端に映る黒い影。
 それを反射的に振り返れば、そこには腰に手をやりながら気怠そうに立つ男の姿があった。
 男は真っ黒で皺だらけの、おまけに所々穴まで開いているだらしない服を纏っていたが、加えて肩辺りまで伸びる髪までもが、ぼさぼさであってあまりにまとまりがない。一目見ただけでは、あまりにも不潔だ。
 ただ、真っ黒な服が真っ白で透き通るような美しい髪を強調しており、それに思わず目を奪われる。
 そんなだらしなくも美しい髪の下には、あまりにも細い目があって。僅かにその隙間から見える眼光は、どこまでも紅く、そして鋭い。


「お前はそれで、後悔しないのか?」

 僕たちが言葉に反応しなかった為か、男は先程と全く同じ口調で同じ内容を繰り返した。それも、男は僕を見ようともせず、リナを直視しながら。
 リナは口を真一文字に結んだまま、何も答える様子はない。ただ訝しげに男を睨んでいるだけだ。
 いつまでも返答がないことに耐えかねたのか、この空気がいたたまれなくなったのかは定かではないが、男は再び口を開いた。

「綺麗だったんだけどねぇ、この村も。……人間とは、愚かなもんだ」

「この村を……知っているの?」

「あぁ、よく知っているよ。何度か来たこともある」

 そこまで言うと男は堅かった表情を僅かに崩して、微笑を浮かべる。対して、リナは複雑な表情のまま、固まっているように見えた。

「私は。あなたを、見たことがない」

「最後に来たのは相当前だしね。君はまだ生まれて無かったから、知らなくても当然さ」

 男は言葉を切ると、僕たちに背を向けて村を仰ぎ見た。それにつられるように、僕も村に目をやる。

 この場所は、この村の門に当たる部分なのだろう。朽ち果てながらも、太く立派であったろう門柱が、地から天に向かって真っ直ぐに伸びている。
 あくまでも予測に過ぎないが、その場所からは村の全体を見通せるようだった。よくよく見てみれば、そこかしこに家のような名残があり、それを包み込むように、森が周囲を囲んでいる。ここからはリナの家を見ることが出来なかったが、僕たちが歩いた場所は草が倒れている為に、それを辿ればおおよその場所はわかった。
 リナの家は、森の際にあるようだった。思うに、この村の最奥の部分になるのだろう。もしもその予測が正しければ、この村はあまりにも狭い。もっとも、僕もそれほど多くの集落は知らないので曖昧ではあるが。それでも、今まで見てきたどの集落よりも、狭い気がする。


「……後悔をしないのかって、どういう意味よ」

 リナは射すような視線を男の背中に送りながら、ぼそりと呟いた。

「過去に何があったにせよ」

 睨まれていることを知ってか知らずか、男は僕たちに背を向けたまま話し始める。

「こうやってたまに来た時くらい、記憶としてその場所を覚えておくんだ。だったら、次来た時に例え全く違った景色がそこにあったとしても、この場所に帰ってきたことと同義になると、僕は思う」

 “あくまでも僕は、ね”と言葉を付け足してから、男は踵を返して僕たちの脇を通り、門を抜けた。しかしそれから先に進む様子もなく、腕組みをしながらただ突っ立っている。

「……覚えていたところで、今は何も変わらないじゃない」

「まぁ、それは飽くまでも僕の場合。僕は、今まであったものがいきなりなくなったり、逆になかったものが現れたりっていう世界に生きてるから。その心持ちが意外と大事なのさ」

 男の言うことに納得が出来ないのか、リナは僅かに呻き声を上げる。

「まぁ、後悔しないなら、早いところ出発した方が良いだろうね。ポッケ村までは、もうちょっと距離があるから」

「……!
あんた、なんでポッケ村に向かうことを」

 刹那にして凍り付いた空気の中。取って付けたような微笑みを浮かべた男は、リナの問いには答えもせずに『ご一緒しても良いかな?』とだけ、付け加えた。
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