第38話 帯電竜と猛吹雪2
「…早くフルフルを倒しに行きましょうよ」
雪山のキャンプにあるテントの前に立ち、少々呆れ顔のリナがそう呟いた。
「…テントの中は、暖かいんだもん……」
リナの言葉にもごもごと言い訳をする僕は、テントの中に置かれた大量の荷物の間で座り込んでいる。
狩りに行かなければならないことは重々承知している。
リナにも迷惑をかけているし、それが自分の甘えだと言うことも理解しているのだが…
テントから離れない理由はただ一つ。なんと言っても雪山は寒い!!
雪山のキャンプは山の中腹にあり、そこに着くまではずっと山登りをしなければならない。
初めの内は歩くだけで汗をかく程の気温だったのだが、山を登るにつれて段々と気温は下がっていき、やがてはちらほらと足下に残雪が見え始めるまでになっていった。
その頃には既に寒さの限界でガタガタと震えていたのだが、戦闘に備えてホットドリンクをキャンプに着くまでは飲まないと決めてあったので、嫌でも我慢するしかない。
…一度、後先考えずにホットドリンクを飲もうとも考えたのだが、どれだけポーチを漁ってもそれらしき物は見当たらない。
ポーチから手を抜くと、何やら後ろからまとわりつくような気配を感じる。
その気配に振り返ると、嫌にリナがにやにやと嬉しそうな表情を浮かべていた。
リナは一言だけ、
「アイテムはキャンプで分配ね」
と明るい声で言うと、僕を追い抜いてさっさとキャンプに向かい始める。
…つまり、僕の行動はジャンボ村を出発するときから見破られ、先手を打たれていた訳だ。
登るにつれて多くなる残雪を軽々と越えながら進むリナに、僕は恨めしそうに溜息をつく事しか出来なかった。
それでもどうにかこうにかキャンプまでたどり着いた僕を迎え入れてくれたのは、岩場の窪みにひっそりと建つテントだった。
テントには荷物を置くためだけに立ち寄ったのだが、テントの中は驚くほど暖かく、過ごしやすい。
たかが布一枚と侮る無かれ、少しでも温度の高いテント内は、砂漠で言うオアシスに匹敵する。
…それに甘んじて少し休息を取っていると、あまりの心地よさに僕はテントの虜になり、今は抜け出したいが抜け出したくないと言う矛盾した考えに至っている訳だ。
暫くの間うじうじと行動しないでいる内に、とうとうリナは痺れを切らしたのか、テントの戸を閉めてどこかへ歩いて行ってしまった。
戸が閉まり、気密性が上がったおかげで、テントの温度は更に上がった気がする。
少なくとも、風が無くなったおかげで体感温度が上がったのは確かだ。
………人間とは不思議なもので、リナの顔が見えなくなった瞬間から、僕は今までの数倍の罪悪感に襲われていく。
結局、心のどこかではリナに悪いことをしていたと感じているようで、どうにも座っていて落ち着かない。
僕はリナが去ってから数分と経たない内に立ち上がり、手短に狩りの準備を済ませてテントの外へと足を踏み出した。
雪山独特の乾燥した冷たい風が頬を切る。
息をするだけで体の内側が凍りつく錯覚に襲われ、鎧のつなぎ目の隙間から入った風は、折角上がってきた体温を根こそぎ奪っていった。
落ち着いていた体の震えも再び始まり、僕は腕を組むようにして体温のこれ以上の流出を必死に食い止めようとする。
それでも震えは止まらない上に、テントに帰りたいという衝動を理性で抑えながら、リナはどこにいるのか目で探した。
…キャンプに繋がる道はざっと見る限り二本しかない。
一本は北側にある道で山の方に繋がっており、もう一本は南側にある僕たちが今登ってきた道だ。
それ以外の二方向は崖となっていて、人が通れるとは到底思えなかった。
テントを出て初めに見た山に繋がる道にはまだ新しい雪が積もっていて、人が通った様子は見受けられない。
いくら雪国生まれのリナでも、流石に足跡すら付けずに雪の上を歩くのは不可能だろう。
と言うことは、山の方面にいないならば今まで登ってきた方向しか残っていない。
僕はくるりと反転し、登ってきた道を降り始めるが、数歩と歩かない内に、急な岩場の上で佇むリナの姿を見つける事が出来た。
そのことよくよく考えてみれば、土地勘がない僕が一人取り残されることはあまりにも危ないことで、すぐにリナを見つける事が出来たのはとても運の良いことだったと思う。
「………綺麗よね」
おぼつかない足取りで近付く僕に、小さな声でリナはそう言った。
あまりに声が小さかったし、目線も一切変わらないので本当に僕に言ったのかは定かではない。
それに、“綺麗”という単語だけからではリナの言いたい意味を絞り込みきれず、なんと反応して良いものかわからないまま沈黙の時間が続いた。
「………私の村からもね、こんな感じの景色が見えてたの。
雪があって、岩肌が剥き出しで…。空を見ても雲が低くて、薄暗くて、青空もあまりない。
植物も少ないし、それでも生きている植物の色は濃くて、暗い。
でもね、この景色とか、空気を感じてる時が、私にとって一番幸せな時なのかもしれない」
「………」
何か声をかけねばと精一杯考えてみるものの、その場に合う言葉はいつまで経っても浮かんでこなかった。
…こんな時に、かける言葉が思いつかない自分が嘆かわしく、そして腹立たしい。
「いいよ。私のことは気にしなくても。
私が変なことを言っただけだし、誰もこんなこと言えなんて言ってないしね…」
「…そんな事はないよ。
リナの故郷の近くに来たんだし、思い出して言…」
「…わからないくせに!」
「…………え?」
こちらを向いたリナの顔に笑顔は無く、憎悪に満ちた表情で僕を睨みつけてくる。
その目には、わずかに涙が溜まっていた。
「私の事なんて全然わかってないくせに!!」
「…リナ、一体…?」
「いつもそうよ!!
いつも村人のふりをして、私たちに付け込んで、結局全てをぶち壊したあいつみたいに、シンだって私がいない所で何を言ってるかわからないもの!
あの怪しいマーカーといつも親しくして、一体何の企みをしてるの!?
それで何?
私の故郷が近いから?
私の故郷なんて…!」
「リナ、頼むから落ち着いて…」
「うるさい!
私に触るな!近付くな!!
…もう、放っておいて…!」
リナはボロボロと涙をこぼしながら、岩場の側に広がる草原に走っていった。
僕はぽつりと一人残され、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来ない。
…この短い間に起こった出来事が、頭の中でぐるぐると渦を巻いて頭の中で繰り返されている。
何度も何度も繰り返される同じ光景。自分では全く制御出来ず、奔放に流れ続けている。
それなのに、頭の中にはそれら情報は大して入って来なかった。
…頭の中が混乱して、何を言われたのかすら思い出せない。
リナが怒る理由も、あのときに言っていた言葉の一つ一つも、話にマーカーが出てくる理由も、何一つ理解出来ない。
何か自分は取り返しのつかないような事をしてしまったのだろうか…?
…キャンプから出るのが遅れたのは自分勝手な私事だが、そんなに怒られる程の事ではないだろうし、何より今までリナはそう言った事で怒った事は無かった。
それにそのことについては何も触れていなかったし、もっと他のことに気付いて欲しかったと言われた気がする。
リナの過去に、何か嫌な事でもあったのか…。
いつも落ち着いているリナをあそこまで狂わせる出来事が…。
考えれば考えるほど泥沼にはまる。
二度と抜け出せない底なし沼に自分から潜り込み、沈むようにわざとじたばた足掻いている。
そんな風に自分が感じられた。
…目眩がし、微かに吐き気まで催してきたため、近くにあった岩に腰を降ろす。
だが、足が少し楽になっただけで、現状なにも変化はない。
それどころか吐き気は更に激しくなり、普通に座っていることですら困難になってきていた。
そんな状態でも何とかリナの怒った原因を考えようと、頭を働かせる。
…………それを考えるより、これからの事を考える方が良いのでは?
吐き気に加え、頭痛まで始まりだした頭が導き出したのは、そんな答えだった。
…確かに、もう起こってしまったものは取り戻せない。
大事なのは、これから僕が何をするか、だ。
考える道筋が決まり、いくらか気分が楽になったが、それも束の間で脳裏にある一文が思い出される。
“うるさい!私に触るな!近付くな!”
…あとは、
“もう、放っておいて…!”
…そう言われてはもう、僕に残された手は何もない。
“放っておけ”と言う言葉を尊重するならば、僕はこのままリナに関わってはいけないのだ。
このまま、村に帰る…?
…いや、リナを置いて村にのこのこ帰ることなど出来ないし、何より今は狩りの最中だ。
敵の姿を見ずに帰るなんて、恥を晒す以外の何ものでも無いだろう。
とは言え、リナを慰めたり諫めたりする言葉は思いつきそうにないし、今リナと会うと、逆にリナを逆撫でしかねない。
…これ以上こじれると、もう二度と関係が修復出来ない気がして…。
会うことは一番の禁忌なのだと思う。
それに、禁忌を犯して会うにしても、肝心のリナがどこにいるのか皆目見当もつかない。
土地勘があるリナが分かりにくいところに隠れたとしたら、見つけることは不可能に近いだろう。
…八方塞がりだ。
僕はおもむろに立ち上がると、目の前に広がる景色を眺めてみた。
それは、先程までリナが眺めていた景色と何ら変わりは無い。
ほとんどが白と黒に覆われた、ともすれば暗い世界。
その中にある、雲の切れ間から射し込む太陽の光や、遠くに見える花などの色がとても眩しく見える。
僕は素直にこの景色が綺麗だと思い、更に懐かしいとまで感じた。
なぜ懐かしいのか…
それは自分でも説明出来ない、よくわからない感情だった。
…その時、どこか遠くで何かの音が鳴り響く。
何かの声のようだが、決して人間が出せるようなものではなく、耳をつんざくような悲鳴のような鳴き声だ。
…もしかしたら、フルフルかもしれない。
そう思い、僕はとりあえず音のした場所へ行ってみることにした。
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