1
「小幡 沙桐殿。我が殿下のためにその席を譲ってもらいたい」
朝のHRが始まる前のひととき。
白い床に片膝をつき、灰色のブレザーを着た胸に手を当てた姿勢でそう言ったのは、金茶の髪に肌が白くて青い眼。綺麗ながらも鋭角的な雰囲気を感じさせる男子生徒だ。
しかし私の返事はもう決まっている。
「えーやだー」
速攻で返した言葉に、男子生徒は驚愕に目を見開いた。
……三白眼の人が目をかっぴらくと、なんか怖いなぁ。
そう思ったが、席を譲る気は全くない。
なにせこの席は、わらしべ長者のごとく様々な人と取り替えてもらった末、手に入れた窓際の一番後ろの席なのだ。
友達の隣であり、教師の視線から遠い快適な席を手放したい人間などいるだろうか、いや居るまい。
そんな無茶な要求をしてきた男子生徒は、ようやく「なっ……!」とうめき声を上げた。
彼は同級生だ。名前は覚えるのに苦労した。
エド・フェリット・リートフェルト……長いし「ト」が多すぎる。つい先日、始業式の後の自己紹介時には思わずつっこみたくなったが、絵に描いたような三白眼が怖かったのでやめておいた。
もちろん彼の出身は日本以外の国だ。
ちなみにお国の様式だとかで、灰色のブレザーのジャケットの下には肩から斜めがけの帯みたいな布を身につけている。青色の地に、白糸で複雑な模様が刺繍されて綺麗なのだが、ブレザーの下に身につけるには高級感が半端無くて目立つ。
そんな彼は、キッとまなじりを上げ、髪が逆立ちそうな勢いで私に抗議してきた。
「なんと非礼な! このお方をどなたと――!」
「はいはいわかってるわかってる。ルーヴェステイン王国の王子様だってんでしょ。別に水戸黄門みたいな言い回ししなくたって、先の副将軍じゃなくて王子様だってのは、ちゃんとわかってるってば」
顔もその気迫もちょっと怖かったが、私にも譲れないものがある。
上から目線なのも気に入らない。負けず嫌いの気がある私は、そうされると断固として反抗したくなってしまうのだ。
なので「気にしてませんよー」といった態度でからかった。
手をひらひらと泳がせて言葉を遮ると、エドの目がさらにつり上がる。一度角度を測ってみたいものだ。
「水戸黄門とはなんのことだか知らないが、高貴なお方だと理解しているのならなぜ!」
「水戸黄門、話のタネに見とけば? それと」
私はエドに可哀相な子を見るような目をむけてやった。
「お国で偉い人だとかこっちでは関係ないでしょ。学校入学時に、平等・公平って説明されてると思うんだけどさ……そうだよね、アンドリュー?」
最後の方は、エドの後ろにやってきた別の男子に向けての言葉だ。
彼は少し離れた場所で他の男子と会話していたのだが、エドの騒ぐ声に気づいてやってきたようだ。
アンドリューは透き通るような淡い金の髪に、深い色合いの紫の瞳の男子生徒だ。
瞬きするだけで光が散るのではないかと思うような長い睫も、男性だとわかるのに天使のように清らかな優しい印象の顔立ちも、童話の王子様もかくやという姿。
そんな彼が着ると、灰色のブレザーでさえ一流品の燕尾服みたいに見えるから不思議だ。似たようなものを着てるはずなのに、一年で着古した感を漂わせている私はため息をつきたくなる。
私に水を向けられると、アンドリューは苦笑した。
「異世界間条約では、滞在先の国の法律に準ずる、となっているよね。ごめんね、うちのエドが迷惑かけたみたいで、沙桐さん」
「ううん、気にしないでいいよアンドリュー。異世界法的に言うなら、個人の問題は主が負うものじゃないわけだし。このイノシシ男にお国とは違うんだってこと、教え込んでほしいけれどね」
「ああ、後でしっかり言い聞かせておくよ」
私達の会話を聞いたエドの方は、非常にショックを受けた顔で、今度は主を見上げていた。
「で、殿下! なぜこのような無礼な娘の言う事を受け入れてしまわれるのですか!」
「郷に入っては郷に従え、というだろう、エド。僕と彼女は身分差などないんだよ。僕らはそれを承知でこの異世界に来たんだから」
そう、彼らは異国人どころか、異世界人なんです。
始まりは今からおよそ十年ほど前。
唐突に、そして局所的に濃い霧が発生するようになった。しかも神隠しのように人が消えるという事件が起きたのだ。
当初、それはホラー映画みたいだと言われていた。
そして人々の半数以上は、集団誘拐事件であって、神隠しなどという代物があるはずなどないと主張していたし、TVで報道される時にも、ニュースキャスター達の論調はおおむねその方向で固定されていた。
けれど、神隠しに遭った人々が霧の中から帰ってきたのだ。
そして語った。
――霧の向うには、異世界が広がっていたのだと。
最初、彼らは集団幻覚を見たのだと疑われた。
けれど有志が霧の探索を行った後、彼らの言葉は証明されることになったのだ。しかも地球上にはいない魔物のような生き物たちの映像記録も、写真も残せたのだ。疑う者が何人も霧の向こうを目指したが、彼らとて同じように不思議な生物たちと出会ったことは否定できなかった。
これにて霧の向こうに異世界があることは確定した。
やがてに先方の住民と接触することによって、異世界との交流が始まったのだ。
初めは国家間の物々交換じみたものだったのが、霧が必ず発生する地点に港のようなものが作られた。そして危険生物が多いために、護衛が必要な為にかなりの高額ながらも観光旅行が行われるようになり、やがて霧の正体がとある魔物が由来することがわかって、行き来が外国並の扱いとなり――その後、あちらの世界の若者が留学してくるようになった。
ちなみにこちらの世界からの留学が多くないのは、異世界では身分社会が根強いために危険が生じる可能性があること(というか、既に異世界探索者が被害に遭っていた)が理由の一つだ。
交流を始めた初期の頃、こっちの世界の延長のつもりでふらっと遊びに出たあげく、人身売買されそうになる事件が起こったこともある。新聞に大々的に報道されていたので私も覚えている。
また、凶暴な巨大生物などがいるため、安全を確保しきれないことなどが理由だ。
巨大芋虫に食べられかけたりと、その手の事件には事欠かない世界なのだ。命にかかわりすぎる騒動が続いたのでは、さすがに法整備や環境整備がもう少し進むまで保留、となっても仕方ない。
もし準備が整ったのなら、私も一度は短期留学してみたいと思っている。
さて、そんなわけでアンドリュー達は異世界のルーヴェステイン王国からやってきているわけだ。
正式な名前はアンドリュー・リヴィール・なんちゃらかんちゃら・エッシャー・ファン・ルーヴェステインだったか。ここまで覚えただけでも私は偉いと思う。
このクラスの人間でも、半数は頭の「アンドリュー」しか覚えていないに違いないのだから。
天使みたいな王子様アンドリューは、苦笑いのままエドに言う。
「その話はあとでじっくりしようか、エド。じゃあお邪魔したね、沙桐さん」
アンドリューはエドの首根っこをつかむと、文字通りに離れた場所へ軽々と引きずっていった。異世界の天使というものは、腕力がべらぼうに強いらしい。もしくはこれが噂されている異世界人の特性なのか。
そのまま彼は、教室の隅で笑顔のままエドを諭し始めた。
「法を守るというから同行を許したことを、もしかして忘れてるのかい?」
「ですが殿下。私はどのような場所へ参りましても、殿下の第一の臣であり……」
「まさかエド、ほとんど留学の手引きを読んでいないわけはないよね?」
「そのようなことはありません。きちんと警備のためにも校内の構造、寮の構造なども把握に努めました」
「……ようするに、それ以外読んでないってことかな?」
しかし上手くいっていない。
怖ろしく凝り固まった思想のエドに、アンドリューの天使の笑顔を浮かべた顔がひきつっていた。
気の毒だが、王子様だというのなら臣下のしつけも彼がどうにかするしかないだろう。
いや、本当は留学した時点で元の世界の身分差持ち込み禁止なのだが、その後国へ戻った後のことを考えれば、そんな真似ができるはずもないのは、こちらも承知している。
彼らは今後もずっと、その身分差の中で人生を送らなければならないのだから。
なので授業以外で上下関係まる出しにしていても、目に余らなければ誰もがそこには触れないようにしている。
とはいえ、私以外にエドの態度に抗議する者はまだいない。
多少不快に思っていても、まだ編入して一月しか経っていない異世界人というものは、大抵なんらかの問題を起こすのが通常だ。そのうちに教師や留学生同士で情報交換をし合い、変な行動も治まっていくものなので、しばらくの間は距離を開けて静観するというのが常識となっている。
私としても、エドから直接迷惑をかけられなければ、別に何も言わくても良かったのだ。
しかしこの様子では、エドがこちら側の常識を気にして振る舞えるようになるまで、どれくらいの時間がかかるのだろうか。
ぼんやりと考えていたら、隣の席の女の子が話しかけてきた。
「エドさんって怖い人ね。大丈夫だった? 沙桐さん」
小さく首を傾けると、彼女のストロベリーブロンドが、細い肩を滑っていく。その時に花の香りがしたように錯覚した。華やかな色の髪を背中まで伸ばした彼女は、羨ましいくらい肌が白くて、唇は薔薇色。瞳は青のお姫様然とした、とても綺麗な子だ。
彼女の名前はヴィラマイン。アンドリューやエドと同じく、異世界から編入してきたお姫様だ。
うちのクラスの異世界人は、彼女を含めて三人だけである。
一人ちょっと変なのがいるけれど、アンドリューとこのヴィラマインはこちらの常識にすぐなじみ、気質も穏やかな方でとてもつきあいやすい。
ついでにこの可憐な姿を見ていると、すさんだ私の心まで洗われるようだ。
「全然平気よー。エドがきゃんきゃん吠えるのぐらい、どうってことないわ」
私はヴィラマインを心配させないように笑ってみせる。
どうせ日本にいる間、元が騎士だろうと大臣だろうと、同級生に剣を振り回すことなどできないのだ。さすがにそんなことをしたら、異世界へ強制送還なのはわかっているらしく、エドは暴力に訴えてくることはない。
敬愛する主人と引き離されたくないのだから。
それを知っているから、私も安心して強気にはねのけられるのだ。
「沙桐さんは強いのね」
素敵、と私を賛美してくれるヴィラマイン。
しかし私は知っている。
エドがなぜこの席をほしがったか。
彼は、隣国の王女であるヴィラマインと、主のアンドリューをくっつけようと画策しているのだ。
***
それを知ったのは、確か始業式から間もない放課後のこと。
掃除の後でゴミ捨て場に行くと、エドがゴミを漁っていたところに行き合ったからだった。
猛然とゴミをかきわける異国の美少年、というのは、大変微妙な光景だった。
あー、なんか鼻かんだやつとか手に掴んでるけど、ほんとにいいのか? と尋ねたくなるかぶりつきっぷりに、ちょっと引いた。
とはいえ、この時はまだエドに対してうざいと思っていなかった私は、転入したばかりで勝手がわからないのだろうと、親切に声を掛けた。
「エド君、捜し物?」
すると振り向いたエドは、私の持っているゴミ袋を見て、目をかっぴらいた。三白眼が縦に二倍の大きさに広がったことに、私も驚いた。
「ま、まさか……」
「え?」
「それは、うちの教室のゴミなのか?」
「そうだけど?」
今日は掃除当番の日だった。そして私は、じゃんけんに負けてゴミを捨てに行く役目になっていたのだ。
エドはそれを知るなり、
「そ、そのゴミを改めさせてくれ!」
といってゴミ袋を私からひったくり、再びゴミ漁りを始めたのだ。
けれどその甲斐あって、エドは目的の物を見つけた。
「あったーーー!!!」
燦然と輝く王冠を見つけたかのように、折り目一杯の問題用紙が掲げられた。
確かそれは、数学の小テストの問題用紙だ。
その裏には、なぜか様々な人の名前が書いてある……たぶん、エドの母国語で。
だから私には読めないと思って、隠しもしなかったのだろう。
「協力、感謝する」
と告げて、エドはゆっくりと折りたたんでからその場から走り去った。
しかし私は、異世界人が入学してくる学校に入る前、王子様やらとの出会いに胸ときめかせながら、文字を覚えた黒歴史時代があるのだ。
平凡な自分に、そんな夢のようなことなど起るわけがないと、一年生の頃にきっぱり諦めたのだが。どこでどう知識が役に立つのかわからないものだ。
そんなわけで、エドのくしゃくしゃ問題用紙の裏に書き連ねてあった名前を、私はばっちり識別できた。
数秒だったので全部は覚えられなかったが、彼女達の名前の頭に○と×が書いてあって……同じクラスのヴィラマインという異世界の王女の名前の横には、○が見えた。
王子と共に入学した騎士が、異世界の王女や貴族令嬢達の名前を書き連ね、○×を書いて選別していく理由……。
その後、エドがしきりにアンドリューをヴィラマインの近くへ誘導しようとするのを見て、確信した。
……こいつは、王子様の結婚相手を選別していたのだ、ということを。
※ジャンル変更に伴い、どのタグがいいのか混乱した末に内容を一部修正しております。
(異世界への行き来の技術に関する部分です)
物語には関わらない部分ですので、読み返さなくとも問題はないかと思いますが、ご了承下さいませ。