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1-1:動き出す物語
 一瞬の気の緩みが死に直結する。殺意は感じない。だが相手は本気だった。
「小僧。まだやる気か」
 目の前には一匹の狼。鋭い眼。巨大な牙。そして何より目につくのが、その身
を覆う体毛。太陽の光を浴びて輝く美しい銀色だ。
 人語を解し、魔術を操る獣、魔獣。その中でも屈指の実力を持つとされている
銀狼がそこにいた。
「フリード。いい加減小僧はやめてくれませんか。それに、このまま負ける気は
無いですよ」
 銀狼フリード。その正面には、一人の少年が臆する事無く立っている。
 黒髪の少年。銀狼を見据えるその瞳は、全てを呑み込むような深い青だ。
「ならば今日もリズが戻るまで相手をしてやろう」
 銀狼の毛並みが逆立つ。その周囲には複数の氷塊。先端が鋭く尖ったそれは、
凶器となって少年を襲う。
 それを少年、ケイオス・アストライアは、冷静に対処する。
 氷の盾を作り出し、氷塊を受け流しながら銀狼へと接近する。
「この程度では足止めにもならんか」
 大きく後ろへと跳躍する銀狼。その身からは大量の霧が吹き出し、銀狼の姿を
覆い隠していく。
 これ以上霧が広がれば位置が掴めなくなる。ケイオスは吹き出す霧の中心部、
銀狼のいるであろう場所へ飛び込んでいく。
「くっ!」
 再び放たれる氷塊。それをケイオスは氷で作った剣で打ち落とす。続けて放た
れた氷塊も、その透き通った刀身が弾いてゆく。しかし、激しい攻撃に思うよう
に近づく事が出来ずにいた。
 右手の剣で氷塊を弾きながら、左手から魔力を放出する。作り出したのは氷の
槍。銀狼が放つ氷塊よりも大きい。
 放たれる氷の槍。激しい回転を加えられ高速で飛んでいくそれは、霧を切り裂
いて、銀狼のいたであろう氷塊を放っていた辺りへと突き刺さる。
 外した。そう感じた瞬間にケイオスは大きく後ろへと跳ぶ。そこに銀狼の鋭い
爪が目の前を掠めた。
「あの程度の魔術、我には当たらんよ」
 目の前に着地した銀狼。そこから跳ねるように、再び爪が振るわれる。
 氷の剣がそれを受けとめる。だが、もともとの力が違いすぎる。真正面から受
けとめた爪は、ケイオスを易々と弾き飛ばす。
「この勝負はこっちの方が不利なんですよ。ちょっとは手加減してやろうとか思
わないんですかね」
 ケイオスは弾き飛ばされながらも魔術を使う。銀狼に向かって集めた水を一気
に放水し、その勢いで後ろへと下がる。
「悪いが無理だな。我が殺す気でやらずに手を抜いてしまったら意味が無い」
 水のすぐ横を走る銀狼。あっという間にケイオスとの距離を縮める。
「手厳しいですね」
 新しく水の柱を作り出して壁とする。だが、その程度では銀狼の動きは止まら
ず、勢い良く突っ込んでくる。
「がはっ」
 銀狼の前足がケイオスの胸へと振り下ろされ、地面へと叩きつけた。
「これで終わりだな」
 そのまま地面へと押さえつけられ、動きを封じられてしまう。
「私は諦めが悪いんですよ」
 やや苦しげにそう言うと、濡れた地面に手を置く。
「む……」
 いつの間にか銀狼の体は凍りついて、その動きを完全に封じていた。水の柱を
突破した時に体が水に濡れ、それを魔術で凍らせられたのだ。
「この程度の拘束などすぐに破れる。無駄な足掻きだな」
 単なる時間稼ぎにしかならない事はケイオスも分かっていた。
「しかしこの僅かな時間が大きいんだ。今回は引き分けまで持っていければ充分
すぎる成果だからな」
 ケイオスは笑みを浮かべ、銀狼とは別の方向に顔を向ける。
「リズが帰ってきか」
 銀狼がケイオスの視線の先に眼を向けると、一人の女性が立っていた。
「二人ともご苦労様」
 ゆったりとした足取りで近づいてくる女性。その動きに合わせ、艶のある長い
黒髪が揺れる。美しい女性だった。透けるような白い肌と、左右で色の違う金と
銀の瞳は、彼女が精巧に作られた人形であるかのような印象すら与える。
「フリード。勝負はリズが帰ってくるまででしたよね。そしてまだ決着は付いて
いませんから、今回は引き分けです」
 ケイオスの言葉に、銀狼は不満そうに鼻を鳴らした。
「今日はもう帰らせて貰う。リズ、またな」
 氷の拘束を破ると、軽々と崖を越えて行ってしまった。
「不機嫌そうだったわね。フリードと何かあったの?」
 地面に倒れたままのケイオスに、リズは手を差し伸べる。その手を取って立ち
上がると氷の破片が地面へと落ちて音を立てる。
「私に止めを刺せなかったのが悔しかったんでしょう。今日のフリードは本気で
したから。氷の鎧が無かったら死んでましたよ」
 濡れた地面に倒れていた為に、ケイオスは泥だらけになっていた。
「水術のみ使用可っていう条件でよくやったわね。風術無しだとフリードの動き
についていけないでしょ。まあ結局負けそうになってたけど」
 ケイオスは負けそう、という言葉に苦笑いで返した。銀狼フリードの持つ実力
を考えれば引き分けでも充分。普通の人間ならまず間違いなく死んでいる。
 汚れた服を着替える為に、住んでいる小屋に向かって歩き出すケイオス。リズ
もそれに続いた。
「今回は何処まで行ってきたんですか。随分と酷い格好になっていますが」
 リズの纏うローブは土で汚れ、所々に木の葉が引っ掛かっていた。そんな自分
の格好に今気付いたのか、慌ててそれを手で払い落とし、次に背中の方を確認し
ようとして首を伸ばす。
「これじゃあ着替えた方が早いわね。ちょっと勿体ないけど処分かしら。予備が
あるはずだから用意しておかないと……」
 一人でぶつぶつと言っているリズ。それからしばらくして急に立ち止まった。
「どうかしましたか」
 前を歩いていたケイオスはリズの方を振り返る。
「大事な事を言い忘れてたわ」
 真剣な表情になってケイオスを見るリズ。
「目標の人物だけど。ようやく見つけたわよ」
 それはケイオスの計画の実行に必要な人物。その協力を得る為に、ケイオスは
静かに動き出す。


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