その夜、一つの部屋の一つのベッドで、僕たちはお尻とお尻を向けあって寝転び、君は古本屋で買いしめた『エースをねらえ!』第7巻を、ときおりクスクス笑いながら、僕はル・コルビュジエなんかの載った建築雑誌をそれぞれ読んでいた。
BGMはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。トム・モレロのギターが最高。どんなエフェクターを使えば、こんな面白い音が出せるのだろう。そんなふうに意識の五分の一くらいで思いながら、残りの五分の四で字や写真をなぞった。
その頃、世間では、憲法改正や、郵政民営化や、年金問題が与党や野党などにより思案されていた。あるいは、女性専用車両の導入や、白装束のカルト宗教団体や、多摩川に迷い込んだアザラシがニュースになっていた。
そのうち建築雑誌に飽きた僕は、なんとなく、そばで充電していた携帯電話に手を伸ばしていじりだした。
こんな夜、こんなふうに何かに飽きたり疲れたりして、携帯電話を触る人はどれくらいいるんだろう。
そんなことを思いながら携帯電話を指でいじっていると、突然知らない男の声で「もしもし」と聞こえた。耳に当て、「はいはい」と返答する。
「ああ、びっくりしました」。男は言った。
「番号を間違えましたか」。僕は訊いた。
「いえ、番号は正確なはずですが。とても声が似ていたものですから」
「誰にですか」
「自分にです」と男は言った。
妙なことを言う奴だ。僕は彼の声を聞き、すぐに<知らない声>だと判断した。だから、男が僕と声が似ているという意見には同意できない。
「ところで、あなたは誰ですか」。僕は訊いた。
「僕は私です。つまり、私はあなたなんですよ」。男は妙なことを言うのだった。
つまり、これはありきたりな夜にかかってきた、所謂イタズラ電話という類いであろう。
ここで一般的日本人として普通の判断をするなら、即座に会話を中断して電話を切れば済むことだ。だが僕は、なんとなくその妙な電話に付き合ってしまった。
「しかしあなたが僕と同一人物だと言うのなら、それを証明してみていただきたいものです。じゃないと、マトモに考えて、まったく納得できない話です。僕はこの世にただ一人、ここにしかいませんからね」
「それはそうです。私があなたなら、やはり相手にそう言うでしょう」
「あッ、今あなたは、<私があなたなら>と仮定して言いましたね。つまり、これでもう、あなたは僕ではないと実証されたわけだ」
これで相手を論破できたと思った。相手は僕に反論できず、非礼を謝り、恥じて電話を切るであろう。
ところが男は平気な口調で、謝ることも恥じることもなく会話を続けた。
「まあ、とりあえず聞いて下さい。今夜8時、私は仕事を終えて家に帰ってきました。続けて彼女も帰ってきました。私たちは別々に外食を済ませて帰ってきたので、軽くキスをし、ベッドに寝転んでそれぞれの本を読み始めました。彼女は帰りに古本屋で買ってきた『エースをねらえ!』第7巻をクスクス笑いながら、僕はル・コルビュジエなんかの載った建築雑誌をです。ところが僕は、そのうち読書に飽きてしまった。彼女はまだ漫画に夢中だったから、仕方なく僕は手を伸ばして携帯電話をいじりだしたのです。こんな夜、こんなふうに何かに飽きたり疲れたりして、携帯電話をいじっている人はどのくらいいるのだろう、と僕はぼんやり想像しました。……すると君から電話がかかってきたのです。……やはり我々は、することも考えることも同時なんですね」
ありきたりな表現だが、背筋がゾッとした。こいつはどうやら俺らしい、理屈を越えてそう実感した。慌てて電話を切る。
こんな怖い電話を隣でしていたのに、彼女はまだ漫画本に熱中し、クスクス笑ったりしている。こんなふうに彼女が僕を忘れてしまうから、変なアチラの世界とつながったりしてしまうのだ。
すぐに僕は彼女から漫画を奪い、熱い熱いキスをした。すると彼女は僕を思い出してくれたので、それで、やっとやっと安心できたんだ。
【追記】考えていることはともかく、何時に帰ったとか、ベッドで別々に読書していたなんてことは、部屋のどこかに隠しカメラを設置して見ていればわかることである。
それで相手が、自分と同一人物だと偽る電話をしてきたのだとしたら、これこそ、とんでもないイタズラである。 |