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コスモスの咲く場所

「秋桜」と字を当てることからも明らかなように、コスモスは日本人にとって秋を代表する花だ。


 むろん、秋と言えば、そもそも、緋色の楓や黄色の銀杏といった紅(黄)葉した木々がメインに来るイメージだ。


 漫画「スラムダンク」の主人公は「桜木花道さくらぎはなみち」で明らかに「春の街路に咲く満開の桜」をイメージした命名である。


 ヒロインは文字の上では「晴子」だが、読み方は「はるこ」で、語感としては「春子」と置き換えることもできる。


 一方、ライバルは「流川楓るかわかえで」で「秋の澄んだ川に舞い落ちる紅い楓の葉」といったネーミングだ(ただし、『花道』はさておき『楓』は女性名の印象が強いためか、このキャラクターは劇中では専ら姓で呼ばれており、一般にも『流川』で定着している)。


 けだし、「春の桜」に対し「秋の紅葉もみじ」という日本人の通念を裏書きする造形と言えよう。


 いずれも木の枝から風に舞い散るイメージは共通しているが、これも「儚さ」を好む日本的な感性の表れだろう(NBAの黒人スター選手たちをモデルにしたとしばしば指摘されるように、『スラムダンク』の主人公たちは日本人の男子高校生というより、むしろ欧米の青年に近い風貌を持たされてはいるけれど)。


 草花に特化してみると、彼岸花や菊のように古来から日本にあった植物も秋の代名詞としては存在感を持っている。


 しかし、彼岸花は別名の曼珠沙華と併せても、「仏の花」というイメージがあり、切り裂いたような形の緋色の花が真っ直ぐな黄緑色の茎の上に咲いている姿は、どこか神社の鳥居に似て、色が鮮やかなだけに不気味な印象もある。


 菊も花の咲く時候柄、仏壇に供えられることが半ば慣習化したため、しばしば陰気で湿っぽいイメージが纏い付く感は否めない。


 これに対し、ウィキペディアによれば、コスモスは本来、メキシコの高原が原産で、十八世紀末にスペインに輸入され、そこでラテン語で「宇宙」を意味するこの名が付けられたのだという。


 日本に伝播したのは明治時代とのことだが、同じ外来のバラ(『薔薇』と漢字で書いても、いかにも画数が多く、敷居高い字面だ)ほど取り澄ましたイメージはなく、どこか雑草的な親しみやすさを持ちつつ、清純可憐な趣を備えている。


 コスモスの花言葉は「少女の純真」だそうだが、細い茎に一重の花を咲かせて秋風に揺れる姿には、確かに少女が華奢な肩を震わせて笑っているような、脆さを秘めた明るさが漂う。


 コスモスと少女の取り合わせでまず思い出されるのは、アニメ映画「魔女の宅急便」の冒頭で、十三歳のキキが魔女の黒い服を目にして、「コスモス色ならいいのに」という趣旨の台詞を吐く描写だ。


 自分の中では「コスモス」と聞くと、ピンク、白、赤紫といった三種の色の花が入り乱れて咲くイメージがあったので、この箇所で「どの色?」と思った記憶がある。


 漢字にして「秋桜」という字面からすれば、「桜色」すなわち「ピンク色」が最も妥当に思える。


 実際、ピンク、白、赤紫の花が均一に混ざって咲いているというよりも、過半数のピンクの花の中に白や赤紫の花が点在して咲くイメージが私の中にもある。


 だが、それならば「ピンク色」と言い切っても良い気がするし、その方が分かりやすいはずだ。


 この場面では、具体的な色の指定ではなく、「コスモス」という花の名を出すことこそが目的に思える。


「魔女の宅急便」はポルトガルが舞台だそうで、実際、ネットの画像検索でヒットする首都のリスボンの風景は、キキが飛んでいく空の下に広がる朱色を基調にした街並みや路面電車の走り抜ける街角と重なる。


 ちなみに、ポルトガルの国花はバラ、オリーブ、ラベンダーとのことだ。


 花の好みや審美観は人それぞれだが、バラとラベンダーは香水に好んで使われるその香りや真紅や紫といった色彩から、成熟した女性のセクシュアリティを連想させる。


 オリーブは日本では同名の少女雑誌もあったが、これも花そのものより実やそれを原料にした油の実用的なイメージが圧倒的に強い。


 夢見る思春期の少女には、この三つよりはやはりコスモスの方が相応しい。


 本来は「宇宙」を意味する壮大なネーミングも、空飛ぶ少女の口を通すと似つかわしく思える。


 実際にキキが身に着けて飛ぶのは赤いリボン付のヘアバンドに黒いワンピースのわけだが、「コスモス」という花から連想される、秋晴れの空の下に淡い色彩の花々が群生して咲くノスタルジックなイメージは、物語全体に揺曳しているように思う。


 純粋に日本が舞台の作品で、少女とコスモスと言えば、今西祐行の「一つの花」が挙げられるだろう。


 この掌編は長らく小学校の国語の教科書に載せられており、私も小学生の頃に授業で読まされた。


 戦時中に生まれた少女ゆみ子は物資に乏しい環境の中で「一つだけちょうだい」が口癖である。


 ある日、ゆみ子の父親がとうとう出征することになり、「一つだけのお花を大事にするんだよ」と幼い娘に一輪のコスモスを手渡す。


 終戦後、成長したゆみ子と母が暮らす家の周りにはコスモスの花がたくさん咲いている、という光景を描写して、この作品は終わっている。


 明言はされていないが、出征した父親は恐らく戦死して帰らぬ人になったと察せられる。


「同期の桜」という言葉に集約されるように春の桜は出征する兵士の代名詞であり、また、敗戦後は戦場に散っていった人々の薄命の象徴にも転じた。


「秋桜」ことコスモスは、終戦後の社会を生きる母子を見守る英霊たちの思いの表れに見える。


 八月の暑い盛りの日、日本で待つ人々は敗戦を突きつけられた。


 秋風のそよぐ時期に一面に花開くコスモスは、茫然自失から現実を受け入れていく人々の目を慰撫するばかりでなく、新たな出発を決意させる象徴となったのだろうか。


 細くても芯の強い茎の上に咲く花は、ソメイヨシノよりもう少し主張の強いピンクは可憐そのものだが、白は底抜けに無垢であり、赤紫にはどこかメランコリックな艶やかさも滲む。


 近頃、近辺でオレンジ色のコスモスが花壇に一色だけで固まって咲いているのを何度か目にしたが、これだと、どうにも変種、亜種に見えてしまう。


 本格的に寒くなる前に、白、ピンク、赤紫のコスモスが天然で咲く風景を近場で見たいと思うが、なかなか見つけられずにいる。


 私の中のステレオタイプが今、住んでいる場所に見合わないのか、それとも、すぐ近くに咲いていても見落としているだけなのか。


 判然としないまま、肌に感じる季節は冷えてくる。

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