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クリスマスの驚き

作者:菜宮 雪
「お先に失礼します」
「ああ、お疲れ様」
 ――ふん、結構なことだ。
 この部署の部長を務めている山本和彦は、急ぎ足で退社していく社員たちを目で送りながら、心中でつぶやいた。
 この会社は、年末年始は最も忙しい時期で、残業なしでは回って行かないのだが、若手社員たちにはそんなことは関係ないらしい。クリスマスイブの今夜、恋人と約束している者もいるようだが、それ以外の者は有志で誘い合ってクリスマスパーティーをやるらしく、皆、にこやかにタイムカードを押して出て行く。彼らからひとまわり年上で、妻がいる三十八歳の和彦は誰からも誘われていない。
 和彦は積み上げられた書類に目を通すと、ため息をもらした。ひとり残された事務所内で、自分だけが仕事をがんばっていることがばかばかしい。時計を見あげる。まだ午後六時すぎ。いつもは午後八時ぐらいまでは当たり前に残業だが、今日は引きあげようと思った。
 思い立ったらすぐに腰をあげ、事務所の戸閉まりを確認すると退社した。

 和彦は、地下鉄の駅へ向かいながら、腕時計を確認した。ちょっと早すぎる。こんなに早く帰宅することは滅多にない。どこかへ寄ろうかと思ったが、行きたいところもない。重い足を進めながら、周囲を目に映す。
 ビルの谷間の通りは色とりどりのイルミネーションであふれ、平日の夜にもかかわらず人通りは多い。腕を組んだカップルもちらほらいる。ケーキ屋の前には、サンタの格好をした女の子たちが、ケーキ販売の声をかけている。
「ケーキはいかがですか。おいしいケーキですよ」

 ――買って帰ろうか。

 和彦の足が一瞬止まった。しかし、すぐに歩き出す。

 ――やっぱりやめておこう。誰も喜ばない。

 和彦は、妻と自分の母親の三人暮らしだったが、嫁姑戦争が絶えず、家庭は心休まる場所ではなかった。妻と母。同じマンションの部屋に住みながら、絶交状態で食事すら別になっている二人を見ると、ただでもたまっている心と体の疲労はさらに増える。女性はケーキを好きだとわかっていても、ケーキひとつぐらいで明るい食卓が戻り、何もかもうまくいくとは思えなかった。

 地下鉄を降り、自宅へ向かって歩く。妻と母が待っているマンションはすぐそこだ。気が重いまま自宅の扉を開けると、驚いた顔をした妻が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。今日は早かったのね。珍しいわ。ちょっとびっくりしちゃった」
「仕事にならなくて早く帰って来た」
「今日は一緒に夕食を食べることができるわね。あなたはいつも遅いからつまらないもの」
 妻は、和彦のコートを受け取ると、ハンガーにかけた。
「こんなに早く帰れるなら、連絡してくれればよかったのに。もうすぐお料理できるから、ちょっとだけ待っていてね」
 妻は機嫌よく台所に立った。カウンターキッチンから広がって来る香辛料の匂い。リビングのテレビを見ながらソファに沈み込んだ和彦は、食前の缶ビールを口に流し込んだ。
「おふくろは?」
「さあ」
 冷たい妻の返事。それ以上は問えない。ほどなく妻が、料理ができたと呼んだので、和彦は食卓に着いた。
「豪華だね」
 サラダ、肉料理、スープ、数種類の揚げ物。普段よりもずっと品数は多い。いつもは一緒に食べない母親の茶碗と箸が、食卓に出されているのを見て、和彦は、おや、と思ったが、いらぬことを聞かない方がいいと思い、黙っていた。
「見て。今日はとっておきのスペアリブ。これ、煮込むのに時間がかかったのよ」
 大皿に盛り付けられた骨付き肉は、黒光りしてあぶらが程良く溶け、見るからにやわらかそうだ。
「食べてみて」
 正面に座った妻は、いつになくニコニコと和彦の顔を見ている。
「おいしいぞ。やわらかい肉だ。豚肉か?」
「うふふ、それはね」
 妻はいたずらっぽく目を細めた。

「お母さんのお肉よ」

「なんだって!」
 和彦は思わず口を押さえた。唇が無意識に痙攣する。
「冗談でも、言っていいことと悪いことがあるぞ。おまえは俺のおふくろを殺して、俺に食べさせているのか」
「ウソだと思っているのね。それなら風呂場を見てきたら? びっくりするわよ」
「こ、殺したのか! おまえが」
「疑うならお風呂場を見ていらっしゃいよ。お母さんの死体があるかもね。ふふふふ……」
 和彦は、大慌てで風呂場へ向かった。心臓がはげしく鼓動する。これはまるで恐怖映画。風呂場には死体にされた母が――

「ああ……」
 風呂の扉を開けて、和彦は膝をついた。

「どう、あなた。お母さんの死体はあったかしら?」
 後ろからの妻の声は楽しそうだ。
「俺を脅かしたのか。死体なんかないじゃないか。おふくろはどうしたんだ。殺してどこへやった」
 普段と何も変わらない風呂場。死体はなく、血痕も見当たらない。
「あら、殺してないわよ。お母さんは生きているんですもの」
 和彦は舌打ちして立ち上がり、母親の部屋へ向かった。ノックしても返事がない。
「うふふ……」
 すぐ後ろで、また妻が笑っている。
「いないわよ、そこには。ベランダに閉じ込めてあるの」
「おまえ! なんてことするんだ。こんなに寒いのに」
 開いた母の部屋には誰もいなかった。和彦はベランダへ走る。母親の姿はそこにもない。
「ベランダにもいないじゃないか。ウソもいいかげんにしてくれ」
「絶望して飛び降りちゃったかもね」
「なに、飛び降り」
 和彦はベランダへ出て下を覗きこんだ。この部屋はマンションの六階部分にあり、下は駐車場。落ちたら助かる可能性は低い。暗い地上へ目を凝らしたが、死体らしきものは落ちていないようだ。
「またウソをついたな。どういうつもりだ。あっ、おまえ、俺を閉じ込めたな。開けろ! こら、開けるんだ。寒いだろう」
「あなた、ごめんなさいね。ちょっと帰るのが早すぎたの。今、準備が整ったら入れてあげるわ。少しだけがまんして」
 妻は微笑みと共に、カーテンをシャッと引いた。


 光が遮られたベランダに取り残された和彦は、怒りと寒さでうめき声をあげていた。しかし近所の手前、マンションのベランダで大声で騒ぐことはできない。呪いのような低い声を発しながら、妻が開けてくれるのをひたすら待った。
 妻と母は犬猿の仲。妻が母を殺したと言えば、それが現実だと思えてしまうから恐ろしい。本当に妻は母を殺していないのだろうか。さっき食べさせられた肉は……

 ――あれはおふくろの肉……?

 やわらかくておいしい骨付きの肉。
 うっ、と吐き気がこみあげる。もう限界だ、と思った時、中から人が話す声が聞こえてきた。
「和彦がもう帰って来ているのかい」
 母親の声だった。和彦は、安堵と脱力感を覚えながら、耳を澄ませた。
「お帰りなさい、お母さん。お買いもの、ありがとうございました。そうなんです。早くってびっくりしてしまいました。準備が間に合わなかったから、ベランダへ閉じ込めちゃった」
 妻が明るい声で笑っている様子がわかる。
「和彦はベランダにいるの? 早く入れてあげないと寒いわね」
「今、呼びます。例の準備はできました」
 驚いたことに、あれほど仲が悪い二人が、普通の親子のように、仲良く話をしている。なんだこれは、と思っていると、カーテンが開かれてベランダへの出入り口のかぎが開けられた。
「おまえ、このやろう。よくも」
 妻は和彦の怒りをあっさり流した。
「寒かった? ごめんね。そんなに何分も待たせていないわよ。さあ、パーティーの準備ができたわ」
 妻は、サンタの赤い三角帽子をかぶっていた。ふと食卓を見ると、微笑を浮かべた母が座っていた。母親の頭にも同じ帽子が乗っている。
「お帰り、和彦。今夜はわたしたちがサンタだから」
「なんだおふくろ……無事だったのか」
「ふふふ。和彦さんたらね、このお肉がお母さんのお肉だと信じちゃったのよ。おかしいでしょ。そんなわけないのに」
 和彦は妻を無視して、母親に訊ねた。
「さっきいなかっただろう。どこに行っていたんだ」
「どこって、下のコンビニへ。予約してあったケーキを取りに行っただけだよ。今日はクリスマスイブだから、一緒に食事をしようってわたしが言ったら、葵さんも賛成してくれて。びっくりすると思うけど、葵さんとわたし、和解したの。仲直りのパーティーをしようって、二人で計画して和彦を驚かせたいと思っていたのに、こんなに早く帰って来るから準備が間に合わなかった」
「どういう風の吹きまわしだ」
「今日はめでたい日。お祝いする理由があるの。葵さんの口から言って」
 妻は、ほんの少し頬を染めた。
「あのね……あたし、赤ちゃんが出来たの」
「俺たちの子どもが!」
 和彦は、よかった、としか言葉が出て来なかった。結婚六年目。妻と母の仲がうまくいかないのは、これが大きな原因だった。和彦は不意に泣きそうな気持になり、立ちあがって妻を抱き寄せ、涙を隠した。
「よかった。本当におまえが母親になるのか。いつ生まれるんだ」
「たぶん、七月末。うれしい……」
 母親も涙ぐんでいた。
「葵さん、おめでとう。孫が早く欲しいって何度も言ってごめんね。不妊治療をがんばっていたって知らなかった。あなたたち、子どもは面倒だからいらないと言っていたでしょう? わたしはそういう考えはどうしても嫌だった。確かにね、子どもがいれば、面倒な事がいっぱい出てくる。でもね、それ以上に喜びもくる。やっぱりわたしは和彦を産んでよかったと思っているから」
「俺は、あせる葵の気持ちがわかっていたから、子どもはいらないとおふくろに言った。欲しくなかったわけじゃない」


 久しぶりになごやかな雰囲気の食事が終わり、和彦は、ほっと息をついた。母親は自室へ去り、リビングのソファで、妻と二人でゆっくりしている。
「……で、どうして俺は寒いベランダへ追い出されたんだ。サンタの帽子をかぶるぐらいなら、別に隠れなくてもいいだろう」
「それはね……ふふふ……寝室に死体を隠したかったから」
「おまえ、またそのネタか。今度は騙されない。どうしてそこで死体が出てくるのか、おまえの考えることは理解できない」
「寝室、見に行かないの?」
「おふくろは生きているんだから、誰の死体もないはずだ」
「それがねえ、ちゃんと死体があるのよ。ねえ、お願い。見に行って」
「ばかな。さっき風呂場へ見に行ってもなにもなかったじゃないか」
「準備する間だけ、あなたをお風呂に閉じ込めようと思ったの。脱衣所で腰抜かしちゃったから、閉じ込められなくて、ベランダにしただけよ」
 妻は目じりを下げて、唇から白い歯をのぞかせた。
「今度は寝室に閉じ込める気か」
「ふふ、違うわ。寝室にね、あたしとお母さんからのクリスマスプレゼントを用意したの」
 プレゼントと聞いて、和彦はしぶしぶ寝室へ向かった。
 そういえば、妻と母親には何も用意していない。毎年そういう習慣はないし、今さらプレゼントを用意するのもおかしいと気にしないことに決めた。
 寝室の扉を開け、妻は得意そうに胸を張った。
「見て、あなた」
 ベッドの中には不自然な盛り上がりがある。人が寝ているように見えないこともない。

 和彦は急いでベッドへ駆け寄った。上ふとんをパッとめくって、全体を確かめた。
「うわ……」
「死体でしょ? これを先に用意しておきたかったから」
「……確かにシタイだな。きれいな肢体だ。ありがとう、気に入った」
 夫婦のベッドの中で寝ていたのは、和彦が大好きなアニメキャラの人型抱き枕だった。等身大のビキニ姿のかわいい女の子の姿がプリントされている。
「あたしが妊娠したから、和彦がさみしがらないようにって、お母さんが取り寄せてくれたの」
 和彦は、こみあげた笑いを必死で収めた。
「おふくろがこんなものを……まいったな……後で礼を言いに行くよ」


 和彦はその夜、夏に生まれる我が子を想像しながら、妻と抱き枕に挟まれ、幸福の中で眠りに落ちた。皆が笑っている家庭は室温まで普段より高く感じる。

 ――メリークリスマス。今年はあたたかい冬。

(了)

お読みいただきありがとうございました。
          2009/12/26 菜宮 雪
※初出は2009/12/25のブログの記事にて。少し改稿、加筆しました。

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